【バジリカータ州】みんなで作る時間もまるごと味わうクリスマス待ちのお菓子☆
イタリア好き委員会 のすべての投稿
ローマっ子が愛する白ワイン フラスカーティ Presented by モンテ物産
「フラスカーティは『法王のワイン』と呼ばれるほど有名であり親しまれている白ワインだが、常に華やかな道を歩んできたわけではないんだ。」
そう切り出したのは、フラスカーティで最も有名であり最大の造り手フォンタナ・カンディダ社醸造責任者のマウロ・メルツさんだ。
フラスカーティはワインの名前でもあり、ローマの南東約20kmに位置する町の名前でもある。フラスカーティから5~6km南に行くとローマ法王の避暑地として知られるアルバーノ湖があり、フラスカーティのワインは法王やローマっ子に愛され続けているワインだ。
「この土地は海からの風により病害も少なく、かつては火山の噴火口だったアルバーノ湖周辺のミネラルを多く含む火山性土壌や、温暖で乾燥した気候といったブドウ栽培に理想的な環境だ。歴史をさかのぼれば、フラスカーティは2000年以上前の古代ローマの頃から美食家や皇帝たちの舌をうならせる銘酒として知られていたんだ。しかしその後ローマ帝国の滅亡とともにブドウ畑の数は激減し、何百年も荒れ果てたままの土地が残された。ようやく中世になってわずかな苗木からブドウ栽培が復活し始め、かつての栄光を徐々に取り戻した。
そしてその味の良さが認められ、イタリアのDOC(原産地統制呼称)が制定された1966年に、最初に認証を受けた栄誉ある四つのDOCの一つとして“フラスカーティDOC”が選ばれたんだ。その後押しをうけて60年代後半~70年代にフラスカーティは大流行し、飛ぶように売れた。」
しかしここで笑顔だったマウロさんの表情が曇り、一つ深い溜息をついた。
「ただ、素晴らしいフラスカーティを造るワイナリー達の一方で、残念なことに流行に乗じて質より量を重視した低品質のフラスカーティも出回り始め、いつの間にか安くて薄いワインのイメージがついてしまった。農家はブドウを量り売りしていたため、一粒一粒の味が薄くなろうがDOCの規定内であれば良いという考えで、とにかく大量に栽培するようになっていった。この問題に直面し、1958年の創業以来品質にこだわってきたフォンタナ・カンディダ社は、価格競争によるフラスカーティDOCの低品質化に歯止めをかけなければならないと考えた。自社畑は自分たちで手入れができるが、農家から購入するブドウの質を上げるには農家の意識を変えなければならない。そこで、ブドウの質に応じてキロあたりの購入額を変えることにしたんだ。より良いブドウを供給すればより高く買い取ってもらえるとわかると、農家も品質向上に努めるようになる。」
とは言え、量を減らすリスクを背負ってまで、農家に向上するかわからない品質を追い求めてもらうには相当な労力が必要だろう。
「もちろんそれは簡単ではなかったよ。なにをどうすれば良いかわからない農家も多かったしね。だから我々がチームを作って各農家の畑を回り、株密度を上げたり剪定で収量を抑えたりすることでどれだけ効果が出るかを教えていったんだ。その努力の甲斐あって、今購入しているブドウの質には非常に満足しているし、我々が求めるワインの味わいを保つことができているよ。そしてなんと2011年にはフラスカーティDOCのみならず、フラスカーティ・スペリオーレDOCG(保証付き原産地統制呼称)まで新たに制定され、私たちの自慢の単一畑から造られる“サンタ・テレーザ”フラスカーティ・スペリオーレ・セッコなどがそのDOCGに認証されているんだ。畑の改善の取り組みはまだこれからも続けるよ。コストは当然かかるが、我々はフラスカーティの歴史と味を守りたいんだ。」
フォンタナ・カンディダ社の取り組みの結果は、彼らのフラスカーティを飲めばすぐにわかるだろう。みずみずしさとすっきりした酸が感じられるが決して薄い味わいではなく、ブドウ本来の果実味がしっかりと感じられ、一口飲むとまたすぐにもう一口飲みたくなるような飲み心地の良さがある。
フォンタナ・カンディダ社のたゆまぬ努力がある限り、フラスカーティの良さは守られ続けるだろう。
そう切り出したのは、フラスカーティで最も有名であり最大の造り手フォンタナ・カンディダ社醸造責任者のマウロ・メルツさんだ。
フラスカーティはワインの名前でもあり、ローマの南東約20kmに位置する町の名前でもある。フラスカーティから5~6km南に行くとローマ法王の避暑地として知られるアルバーノ湖があり、フラスカーティのワインは法王やローマっ子に愛され続けているワインだ。
「この土地は海からの風により病害も少なく、かつては火山の噴火口だったアルバーノ湖周辺のミネラルを多く含む火山性土壌や、温暖で乾燥した気候といったブドウ栽培に理想的な環境だ。歴史をさかのぼれば、フラスカーティは2000年以上前の古代ローマの頃から美食家や皇帝たちの舌をうならせる銘酒として知られていたんだ。しかしその後ローマ帝国の滅亡とともにブドウ畑の数は激減し、何百年も荒れ果てたままの土地が残された。ようやく中世になってわずかな苗木からブドウ栽培が復活し始め、かつての栄光を徐々に取り戻した。
そしてその味の良さが認められ、イタリアのDOC(原産地統制呼称)が制定された1966年に、最初に認証を受けた栄誉ある四つのDOCの一つとして“フラスカーティDOC”が選ばれたんだ。その後押しをうけて60年代後半~70年代にフラスカーティは大流行し、飛ぶように売れた。」
しかしここで笑顔だったマウロさんの表情が曇り、一つ深い溜息をついた。
「ただ、素晴らしいフラスカーティを造るワイナリー達の一方で、残念なことに流行に乗じて質より量を重視した低品質のフラスカーティも出回り始め、いつの間にか安くて薄いワインのイメージがついてしまった。農家はブドウを量り売りしていたため、一粒一粒の味が薄くなろうがDOCの規定内であれば良いという考えで、とにかく大量に栽培するようになっていった。この問題に直面し、1958年の創業以来品質にこだわってきたフォンタナ・カンディダ社は、価格競争によるフラスカーティDOCの低品質化に歯止めをかけなければならないと考えた。自社畑は自分たちで手入れができるが、農家から購入するブドウの質を上げるには農家の意識を変えなければならない。そこで、ブドウの質に応じてキロあたりの購入額を変えることにしたんだ。より良いブドウを供給すればより高く買い取ってもらえるとわかると、農家も品質向上に努めるようになる。」
とは言え、量を減らすリスクを背負ってまで、農家に向上するかわからない品質を追い求めてもらうには相当な労力が必要だろう。
「もちろんそれは簡単ではなかったよ。なにをどうすれば良いかわからない農家も多かったしね。だから我々がチームを作って各農家の畑を回り、株密度を上げたり剪定で収量を抑えたりすることでどれだけ効果が出るかを教えていったんだ。その努力の甲斐あって、今購入しているブドウの質には非常に満足しているし、我々が求めるワインの味わいを保つことができているよ。そしてなんと2011年にはフラスカーティDOCのみならず、フラスカーティ・スペリオーレDOCG(保証付き原産地統制呼称)まで新たに制定され、私たちの自慢の単一畑から造られる“サンタ・テレーザ”フラスカーティ・スペリオーレ・セッコなどがそのDOCGに認証されているんだ。畑の改善の取り組みはまだこれからも続けるよ。コストは当然かかるが、我々はフラスカーティの歴史と味を守りたいんだ。」
フォンタナ・カンディダ社の取り組みの結果は、彼らのフラスカーティを飲めばすぐにわかるだろう。みずみずしさとすっきりした酸が感じられるが決して薄い味わいではなく、ブドウ本来の果実味がしっかりと感じられ、一口飲むとまたすぐにもう一口飲みたくなるような飲み心地の良さがある。
フォンタナ・カンディダ社のたゆまぬ努力がある限り、フラスカーティの良さは守られ続けるだろう。
パンのポルペッタ、トマトソース煮込み vol.29
【バジリカータ州】IGP印のとっておき、マテーラのパンを使ったポルペッタ
【料理写真など】11月29日(日)サルデーニャ料理を楽しむ会@イル・リフージョ・ハヤマ(その2)
11月29日(日)に開催される、サルデーニャ料理を楽しむ会
開催レストラン、イル・リフージョ・ハヤマの渡辺シェフより、
お料理のお写真を送っていただきました!!
今回のテーマは、サルデーニャのナターレ(クリスマス)ですが、
さらに、サルデーニャで渡辺シェフがすごし、体験されたお料理の
エッセンスも取り入れて頂いています。
<<<<当日のお料理(予定)>>>>>
★自家製からすみ、生ハム、ペコリーノサルド、山羊のリコッタをパーネカラザウと共に
★羊(または山羊)のブロード フィリンデウ、ペコリーノサルド
★クルジョネス クリスマスカラー
★ポレンタ、二色のソースで!
・湘南豚のサルシッチャ ゴルゴンゾーラ
・葉山牛のスーゴ
★庭で丸焼きにした仔豚と三浦野菜
★セアダス 栗のはちみつをかけて
特に、フィナーレを飾るメイン料理、
『庭で丸焼きにした仔豚と三浦野菜』は
お肉好きの方には興味津々の一品ではないでしょうか?
どどーんとお写真でご紹介しますよー♪
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
▼お申込み、開催概要はこちら
https://italiazuki.com/?p=10506
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
みなさまのご参加、どしどしお待ちしています!!
GRAZIE!
開催レストラン、イル・リフージョ・ハヤマの渡辺シェフより、
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さらに、サルデーニャで渡辺シェフがすごし、体験されたお料理の
エッセンスも取り入れて頂いています。
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★羊(または山羊)のブロード フィリンデウ、ペコリーノサルド
★クルジョネス クリスマスカラー
★ポレンタ、二色のソースで!
・湘南豚のサルシッチャ ゴルゴンゾーラ
・葉山牛のスーゴ
★庭で丸焼きにした仔豚と三浦野菜
★セアダス 栗のはちみつをかけて
特に、フィナーレを飾るメイン料理、
『庭で丸焼きにした仔豚と三浦野菜』は
お肉好きの方には興味津々の一品ではないでしょうか?
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みなさまのご参加、どしどしお待ちしています!!
GRAZIE!
変わらぬ味の秘密 マリアグラツィア・ボッツォーリ
この日(10月29日)のバローロ村は、秋晴れの清々しい晴天に恵まれていた。
収穫の終わったブドウの樹の赤や黄色に色づいた葉が、
小さな村のその豊な地形を証明するように、太陽の光を浴びて輝いていた。
そのバローロ村に、マチェレリア・サンドローネがある。
2013年、兵庫県赤穂市で開催した「マンマの料理フェスタ」に来日してくれたマリアグラッツァは
このマチェレリアのマンマで、店で売るタヤリンと、アニョロッティ・デル・プリンを
もう15年つくり続けている。
来日以来の再会になるので、3年振りだ。
ビエッラに暮らす幹子さんと一緒に訪ねた。
店に行くと、娘が6ヶ月の赤ちゃんを抱っこしていた。
来日した時はまだ独身だった娘のマルティーナにはもう子供がいる。月日を感じる。
突然の訪問にビックリした娘が、店の奥に行きマンマに告げると、
マリアグラッツァは、飛び上がって叫び、大喜びしてくれた。
こんな出迎えはこちらもとても嬉しい。
彼女は取材の時と同じように、店の奥の調理場であの時と同じように
タヤリンとアニョロッティ・ダル・プリンをつくっていた。
一旦止めていた手を、再び動かし始めると、その早さと、手さばきはやはり見事だ。
ちょうど切りが良いところで「食べて行くでしょ」とマリアグラッツァが言う。
僕は「喜んで!ありがとう」と返し、その食事の準備が始まった。
食事の準備と言っても、その調理場の作業台にクロスをかけて、
そこで家族と一緒に立って食べるのだ。
それがここの日常だ。
できたてのパスタと自家製のサラミや、生ハムと、ワインは当然バローロだ。
でもこんな贅沢は無い。
そんな贅沢を味わいながらも、僕はさらに我がままを言った。
取材の時に食べて忘れられない、生のサルシッチャをお願いした。
あの時は少しビクビクしながら食べたけど、今はもうそんな事は無い。
イタリア20州を巡ってきたので、信頼できる生肉のうまさは承知している。
そして今まで何度も口にしてきたが、腹を壊した事など一度も無いのだ。
ほんのり赤色で、甘く、少しハーブの効いたその生肉は、日本では絶対に味わえないだろう。
遠慮しながら食べていたら、彼女が勧めるので、結局ひとりで全部食べてしまった。
まあ今後はまたいつ食べられるか分からないし、
折角の好意だしと色々と理由をつけて自分で勝手に納得して食べ続けた。
やおらマリアグラッツァは、お湯を沸かし始め、フライパンに温めバターを溶かしている。
アニョロッティの味付けは、シンプルにセージとバターだけ。
茹で上がったアニョロッティをフライパンにできたソースで絡めるとできあがり。
こんなシンプルなのにうまい。いやシンプルだからうまいのだ。
ちゃんとお肉の味もする。
この日の少し前に、ニュースになっていた加工肉に発がん性があるという事がこの時話題になった。
加工肉が全て悪いのではない、大量生産して、大量販売するこのシステムがおかしいのだ。
食べ物ではなく、商品としての物をつくっているからだ。
マリアグラッツァは言う。「私はこれ以上早くはつくれないし、量もできない」
ましてや、つくろうとも思わない。
素材を見極め、手間と時間をかけて食べ物をつくっているから、そんな心配は要らない。
自分達の目の届く範囲で行えば大きな問題は起きるはずがない。
この日も店には多くのお客さんがやってきて、ここの肉を買っていっている。
ご主人と息子は肉を捌き、
マリアグラッツァは明日もまた同じように自分のペースでつくり続けるのだ。
収穫の終わったブドウの樹の赤や黄色に色づいた葉が、
小さな村のその豊な地形を証明するように、太陽の光を浴びて輝いていた。
そのバローロ村に、マチェレリア・サンドローネがある。
2013年、兵庫県赤穂市で開催した「マンマの料理フェスタ」に来日してくれたマリアグラッツァは
このマチェレリアのマンマで、店で売るタヤリンと、アニョロッティ・デル・プリンを
もう15年つくり続けている。
来日以来の再会になるので、3年振りだ。
ビエッラに暮らす幹子さんと一緒に訪ねた。
店に行くと、娘が6ヶ月の赤ちゃんを抱っこしていた。
来日した時はまだ独身だった娘のマルティーナにはもう子供がいる。月日を感じる。
突然の訪問にビックリした娘が、店の奥に行きマンマに告げると、
マリアグラッツァは、飛び上がって叫び、大喜びしてくれた。
こんな出迎えはこちらもとても嬉しい。
彼女は取材の時と同じように、店の奥の調理場であの時と同じように
タヤリンとアニョロッティ・ダル・プリンをつくっていた。
一旦止めていた手を、再び動かし始めると、その早さと、手さばきはやはり見事だ。
ちょうど切りが良いところで「食べて行くでしょ」とマリアグラッツァが言う。
僕は「喜んで!ありがとう」と返し、その食事の準備が始まった。
食事の準備と言っても、その調理場の作業台にクロスをかけて、
そこで家族と一緒に立って食べるのだ。
それがここの日常だ。
できたてのパスタと自家製のサラミや、生ハムと、ワインは当然バローロだ。
でもこんな贅沢は無い。
そんな贅沢を味わいながらも、僕はさらに我がままを言った。
取材の時に食べて忘れられない、生のサルシッチャをお願いした。
あの時は少しビクビクしながら食べたけど、今はもうそんな事は無い。
イタリア20州を巡ってきたので、信頼できる生肉のうまさは承知している。
そして今まで何度も口にしてきたが、腹を壊した事など一度も無いのだ。
ほんのり赤色で、甘く、少しハーブの効いたその生肉は、日本では絶対に味わえないだろう。
遠慮しながら食べていたら、彼女が勧めるので、結局ひとりで全部食べてしまった。
まあ今後はまたいつ食べられるか分からないし、
折角の好意だしと色々と理由をつけて自分で勝手に納得して食べ続けた。
やおらマリアグラッツァは、お湯を沸かし始め、フライパンに温めバターを溶かしている。
アニョロッティの味付けは、シンプルにセージとバターだけ。
茹で上がったアニョロッティをフライパンにできたソースで絡めるとできあがり。
こんなシンプルなのにうまい。いやシンプルだからうまいのだ。
ちゃんとお肉の味もする。
この日の少し前に、ニュースになっていた加工肉に発がん性があるという事がこの時話題になった。
加工肉が全て悪いのではない、大量生産して、大量販売するこのシステムがおかしいのだ。
食べ物ではなく、商品としての物をつくっているからだ。
マリアグラッツァは言う。「私はこれ以上早くはつくれないし、量もできない」
ましてや、つくろうとも思わない。
素材を見極め、手間と時間をかけて食べ物をつくっているから、そんな心配は要らない。
自分達の目の届く範囲で行えば大きな問題は起きるはずがない。
この日も店には多くのお客さんがやってきて、ここの肉を買っていっている。
ご主人と息子は肉を捌き、
マリアグラッツァは明日もまた同じように自分のペースでつくり続けるのだ。
繊細な表現者 マリオ・コッリーナ
ロンバルディアの取材以来だから2年振りになる。
ミラノから車で1時間とちょっと、ベルガモの小高い丘の上にある、「リストランテ・コリーナ」
オーナーシェフのマリオ・コリーナは、料理人としての高いプライドと共に、
生産者への尊敬の念を忘れない、素晴らしいシェフだ。
久しぶりの再会をお互いに喜んだ。
当時より少しふっくらした印象だったが、握手を交わした手は、あの時に感じたままだった。
僕らは新しくできた部屋に案内された。
前面は総ガラス張りで、パノラマの景色が広がり、
明るくゆとりのある店内には、日曜日のランチを楽しもうとテーブルは満席だ。
料理はお任せでお願いした。
季節を意識した洗練されたスローな料理が次々に運ばれてくる。
一見クリエイティブな印象の皿だが、食べてみれば機を衒わない、素材を存分に活かした料理に心が躍る。
そしてどのテーブルにも彼は、一皿ひと皿丁寧に料理の説明にやって来る。
ここに彼が生産者や、素材にこだわる理由がある。
12時半過ぎに店に入ってから、ディジェスティーボのグラッパを飲んで気がつくと、客はもう僕らだけだった。
最後に御礼を言うと、彼は御礼を言うのは僕のほうだと言う。
本誌『イタリア好き』の読者がちょこちょこと訪れてくれているらしい。
彼もそれを喜んでいて、僕にとってもそれは同じ気持ちだった。
こうやって繋がっていることに感謝した。
店を出るころには、既に時計は4時半を回っていた。
とても豊で、良い時間を過ごすことができた。
ありがとう。
ミラノから車で1時間とちょっと、ベルガモの小高い丘の上にある、「リストランテ・コリーナ」
オーナーシェフのマリオ・コリーナは、料理人としての高いプライドと共に、
生産者への尊敬の念を忘れない、素晴らしいシェフだ。
久しぶりの再会をお互いに喜んだ。
当時より少しふっくらした印象だったが、握手を交わした手は、あの時に感じたままだった。
僕らは新しくできた部屋に案内された。
前面は総ガラス張りで、パノラマの景色が広がり、
明るくゆとりのある店内には、日曜日のランチを楽しもうとテーブルは満席だ。
料理はお任せでお願いした。
季節を意識した洗練されたスローな料理が次々に運ばれてくる。
一見クリエイティブな印象の皿だが、食べてみれば機を衒わない、素材を存分に活かした料理に心が躍る。
そしてどのテーブルにも彼は、一皿ひと皿丁寧に料理の説明にやって来る。
ここに彼が生産者や、素材にこだわる理由がある。
12時半過ぎに店に入ってから、ディジェスティーボのグラッパを飲んで気がつくと、客はもう僕らだけだった。
最後に御礼を言うと、彼は御礼を言うのは僕のほうだと言う。
本誌『イタリア好き』の読者がちょこちょこと訪れてくれているらしい。
彼もそれを喜んでいて、僕にとってもそれは同じ気持ちだった。
こうやって繋がっていることに感謝した。
店を出るころには、既に時計は4時半を回っていた。
とても豊で、良い時間を過ごすことができた。
ありがとう。
ボネッ vol.28
【ピエモンテ州】カカオのアロマとアマレッティ独特の甘ったるーい風味が渾然一体に。
イタリア・エスプレッソ最新事情 Presented by モンテ物産
仕事柄、イタリア各地を訪れた際には、毎日数杯のエスプレッソを飲むためにバールやグランカフェにいくが、最近少し雰囲気が変わった感がある。歴史がある店には、数年前までは必ずと言ってよいほど熟練の年長者のバリスタがいて、彼らが魅力的な立ち振る舞いで、そのお店の品格をさらに高めるような所作をこなしていた。
最近、中部~北部イタリア、そしてミラノのグランカフェなどにいくと、それまでいた50~60代の熟練バリスタを見かけなくなり、代わりに若いバリスタが立っているのを見かけるようになった。SNSなどの影響もあると思うが、以前であれば店内で写真を撮ろうとすると、熟練バリスタが無言のゼスチャーで、周りの人に不快感を与えるからそれはよくないよ、と示してくれていたものである。しかし今では、若いバリスタはSNSを活用してお店のプロモーションも行うし、店内での撮影も気兼ねなく許可してくれる。
これも時代が変わったのだと思うが、時々昔のバールやグランカフェに入る時に感じた、バリスタと対峙する際の程よい緊張感が恋しくなることがある。
また、北イタリアといえばイタリアの中でも少し多めのエスプレッソ(25~30ml)を提供することが一般的であるが、最近は、中部イタリアや南イタリアのように25ml程度だったり、さらに少ない25~20mlだったりするところを見かける。エスプレッソマシンもナポリ周辺でしか見かけないレバー式のマシンを使用しているところが出てくるなど、地産地消の色合いが濃いイタリアにおいてもエスプレッソの共通化が進んでいると感じる。
とはいえ、まだまだ地域別の良さはしっかりと残っている。
例えばエスプレッソカップでいえば、南イタリアは肉厚のカップで少量でもそれなりの量に見えるものを使用しているところが多い。肉厚のカップで飲むと苦味の強い味わいも口当たりは柔らかくなるので地域の味わい特性に合っている。
そしてフィレンツェの方に行くと特徴的な少し大きめのエスプレッソカップを使用して、より華やかなアロマをカップの中に閉じ込めることに注意している。程よい苦味と酸味を持ち合わせるこの地域のエスプレッソには豊かなアロマを蓄えたこのスタイルがとても合っている。
カップの形状ひとつとっても地域ごとでいろいろあるので、イタリア各地を旅行した際には、エスプレッソカップの形状の違いを楽しむのも、通な楽しみ方だと思う。
KIMBO[キンボ]
▼商品の詳しい説明はこちらから
https://www.montebussan.co.jp/foods/kimbo.html
最近、中部~北部イタリア、そしてミラノのグランカフェなどにいくと、それまでいた50~60代の熟練バリスタを見かけなくなり、代わりに若いバリスタが立っているのを見かけるようになった。SNSなどの影響もあると思うが、以前であれば店内で写真を撮ろうとすると、熟練バリスタが無言のゼスチャーで、周りの人に不快感を与えるからそれはよくないよ、と示してくれていたものである。しかし今では、若いバリスタはSNSを活用してお店のプロモーションも行うし、店内での撮影も気兼ねなく許可してくれる。
これも時代が変わったのだと思うが、時々昔のバールやグランカフェに入る時に感じた、バリスタと対峙する際の程よい緊張感が恋しくなることがある。
また、北イタリアといえばイタリアの中でも少し多めのエスプレッソ(25~30ml)を提供することが一般的であるが、最近は、中部イタリアや南イタリアのように25ml程度だったり、さらに少ない25~20mlだったりするところを見かける。エスプレッソマシンもナポリ周辺でしか見かけないレバー式のマシンを使用しているところが出てくるなど、地産地消の色合いが濃いイタリアにおいてもエスプレッソの共通化が進んでいると感じる。
とはいえ、まだまだ地域別の良さはしっかりと残っている。
例えばエスプレッソカップでいえば、南イタリアは肉厚のカップで少量でもそれなりの量に見えるものを使用しているところが多い。肉厚のカップで飲むと苦味の強い味わいも口当たりは柔らかくなるので地域の味わい特性に合っている。
そしてフィレンツェの方に行くと特徴的な少し大きめのエスプレッソカップを使用して、より華やかなアロマをカップの中に閉じ込めることに注意している。程よい苦味と酸味を持ち合わせるこの地域のエスプレッソには豊かなアロマを蓄えたこのスタイルがとても合っている。
カップの形状ひとつとっても地域ごとでいろいろあるので、イタリア各地を旅行した際には、エスプレッソカップの形状の違いを楽しむのも、通な楽しみ方だと思う。
▼商品の詳しい説明はこちらから
https://www.montebussan.co.jp/foods/kimbo.html
パンテッレリーア
風を纏って旅をする
5月27日。僕らはエキサイティングなパレルモの取材を終えて、パンテッレリーア島へ向かった。
プロペラ機に乗り込み、シチリア島から約1時間弱。小さな空港に降りた。
地中海の小さな島。6月に入れば学校も夏休みになるオンシーズン目前。島もそろそろ浮き足立っている頃だろうと、こちらもウキウキバカンス気分で上陸したのだけれど、空港はいたって静かで、浮かれた様子は無い。
少し曇りがちな空から差し込む陽差しと、乾いた風が心地良い。
パンテッレリーア島は、1周約50kmの小さな島で、海岸線はほとんどが岩場で黒い印象だ。島の人はあまり海には入らないだとか。それは海がいつも近くにあるからだと言う。分かるような、分からないような。なぜならこの島の様子は、6月に入ってもやっぱりリゾート気分満点の浮かれ模様にはならなかったし(少なくても僕らが滞在していた間は)、とにかく地味な印象だ。でも、その地味さが僕には魅力的だった。おそらくこれから先もさほど変わらないのだろうと思う。とにかく落ち着くのだ。
島民はほぼ自給自足に近い暮らしをしている。
風が強く吹くこの島では、植物は低く地面を這うように育つ。そんな植物のように、地に足の着いた島民の暮らしっぷりが、当然この島の表情に現れているのではないだろうか。
77歳のおばあさんが言っていた。「この島では、良い事も悪い事も風が全てを吹き飛ばしてくれるんだよ。だから、皆島に戻ってくるのさ」
島を離れ一度は街に出る、でもそこで起きた全ての事は、島に戻れば忘れられる。そしてまた家族や幼馴染みと共に島での生活を続けていく。
そう言えば23歳のシェフ、ダリオもやっぱり島がいいと修行を終えて戻ってきていた。
島ってそういうところなんだ。
さあ、風を纏ってパンテッレリーアの旅に出よう。
定期購読いただくと!
バックナンバーがもれなく3冊ついてくる!!
※どの号が届くかはお楽しみ♪
- 1年間(4回発行)2,640円(税込)
- 送料無料
『イタリア好き』バックナンバー
『イタリア好き』バックナンバーは単品でご購入いただけます。
*バックナンバー 1冊550円(税込)
【悲しいお知らせ】ダ・ロレのセルジオさんが亡くなりました
イタリアの大切な友人セルジオ・ナタリーニが亡くなってしまいました。
マルケ特集の取材の時、偶然訪れた「Da Lore’」(ダ・ロレ)というトラットリアオーナーシェフ。
そうあの”悪魔のカルボナーラ”の店。
偶然の出会いから、日本への来日(マンマの料理フェスタ2013 葉山)、ツアーでの訪問、数回店に行った思い出、そんなに長い付き合いでは無いのだけど、僕は彼に対する思いは、”悪魔のカルボナーラ”と共に、友人としての特別な思いがありました。
この訃報を受けたのは自分の生誕祭の終わった深夜でした。
1通のメールを見て、浮かれ気分が一挙に吹っ飛び、涙が止まりませんでした。大切な友を失ったことに、とても悲しい気持ちになりました。
昨年のマッシモツアーで訪れた時には、随分と痩せていたので、心配でしたが、彼はそんなそぶりも見せずに参加者に笑顔と最高の料理を提供してくれました。
大きな店がいつも人で賑わっているのは、優しく、思いやりのある人柄の証だったのでしょう。
もう彼のつくるカルボナーラは食べられませんが、彼の精神と魂は後進へと引継がれていきます。
きっとあの世でも、うまいもんつくって、みんなに振る舞っているんだろう。
心から冥福を祈ります。
マルケ特集の取材の時、偶然訪れた「Da Lore’」(ダ・ロレ)というトラットリアオーナーシェフ。
そうあの”悪魔のカルボナーラ”の店。
偶然の出会いから、日本への来日(マンマの料理フェスタ2013 葉山)、ツアーでの訪問、数回店に行った思い出、そんなに長い付き合いでは無いのだけど、僕は彼に対する思いは、”悪魔のカルボナーラ”と共に、友人としての特別な思いがありました。
この訃報を受けたのは自分の生誕祭の終わった深夜でした。
1通のメールを見て、浮かれ気分が一挙に吹っ飛び、涙が止まりませんでした。大切な友を失ったことに、とても悲しい気持ちになりました。
昨年のマッシモツアーで訪れた時には、随分と痩せていたので、心配でしたが、彼はそんなそぶりも見せずに参加者に笑顔と最高の料理を提供してくれました。
大きな店がいつも人で賑わっているのは、優しく、思いやりのある人柄の証だったのでしょう。
もう彼のつくるカルボナーラは食べられませんが、彼の精神と魂は後進へと引継がれていきます。
きっとあの世でも、うまいもんつくって、みんなに振る舞っているんだろう。
心から冥福を祈ります。
ヴィテッロ・トンナート vol.27
【ピエモンテ州】ピエモンテの郷土料理の代表格!かつて精肉店を営むマンマの味