自慢しないことが人生の美学。
インテリな原始人たちの王国ピエモンテへ
ミラノから電車で約2時間半。ビエッラ駅に着いた。大きな駅を想像していたら、何もない小さな駅。そこに迎えに来てくれていたのは、この取材でお世話になる、クラウディオさんと幹子さん夫婦。クラウディオさんから手渡された名刺には”原始人”と書かれていた。それは奥さんの幹子さんからそう呼ばれていて、最近では、イタリア人の友人もプリミティーボと呼ぶ。今回の旅はそんな彼のこだわりがたくさん詰まった旅になった。
最初に訪れたのは、標高1200m付近でトーマチーズを作る、マルガリ族のレナータさんのところ。石積みの小屋で、全てが手作りされる。ここでは、一晩寝かせた脱脂乳を使う。強い香りが印象的だが、口に入れるとまろやかだ。その副産物としてバターも作っているが、トーマもさることながら、このバターが何とも言えない。牛に負荷をかけず、少量しか生産しないので熟成するまでに待っていると、トーマを手に入れるのは難しい、このあたりでは評判の味だ。
ボーカのクリストフさんは、スイス人。以前はバローロよりも有名だったというボーカのワインは、土地の荒廃と産業の発達によって一時は衰退していた。ワインのインポーターをしていた彼が、ボーカのワインを飲んだ時に運命を感じ、苦労の末、土地を購入し、伝統的なボーカのワインの製法を学び、ボーカのワインを復活させた。スイス人でありながら、イタリアのこの地をひといちばい愛し、ワインを愛する彼の情熱に、今では地元の人も一緒にワインづくりを楽しんでいる。
自然派ワインの愛好家として、フランスでも評価の高いビエッティさんは、ピアニストが本業だ。最初は気難しげな、話し難い印象だった。ところが話し始めた彼は、自然体で気取りなく、ワインのことを静かな口調で熱く語った。その人柄が、バローロの有名な作り手たちからも絶大なる信頼を得ていることを納得させた。その彼を信頼し、良き相談相手として慕い、友人でもあるアウグストさんは、バローロの名門カンティーナ、ドットール・ジョゼッペ・カッペラーノの4代目。飄々として、伝統や歴史の重みなど感じさせない雰囲気の彼だが、話しているとヒシヒシと伝わる芯の強さは、これからどんなワインを作っていくのかとても楽しみになった。
トラットリア・タコノッティの夫婦、リッチさんとアンナさん。お店に入ると、そこはまさにふたりが作り上げた空間だった。選ばれるワイン、出てくる料理、そして何よりもそこに流れる時間がとても心地よく、まるで、ふたりの家に招待されているそんな幸せな時間だった。
ピエモンテでオリーヴ作りに挑戦しているヴァレンティーノさん、オリーヴ作りへのこだわりはむろん言うまでもないが、年金生活の両親の存在が、彼の大きな支えとなっているのは間違いない。父親は愛情たっぷりに、「ゆっくりしている暇もないよ」と愚痴りながらも、彼よりも畑に経つ時間が長い。母親は料理の名人。ふたりが手塩にかけて作ったオイルを存分に味わえる料理を毎日欠かさず作る。そんな家族愛の詰まったピエモンテ産のオリーヴオイルだ。
ビエッラの街で、誰もが知っている人がふたりいる。ひとりは、1916年創業のモスカの4代目主人、ジョヴァンニさん65歳。精肉業からスタートした店は、今では、お肉を始め、チーズや、惣菜、食材のあらゆるものがそろう、ビエッラいちの食品店となった。毎日5時半に起き、毎日店に立つ。お客様に信頼される店になるために、素材から商品になるまでを全て、店内で仕上げる。毎週木曜日は牛を買いに行く。自分の目で確かめ、自分が間違いないと思ったものしか店頭に並ばない。だからお客様の信頼は絶大だ。特に印象的だったのは、牛のことでも、店のことでも、とても楽しそうに話す。自分の仕事に誇りと自信が滲みでていた。そしてもうひとりは、パニーニ屋台のアントニオさん。いつも彼のトラックの前は人だかりだ。もみあげの長い、印象的な顔と、しゃべりにお客さんは魅了される。リズミカルに作られる特製のサルシッチャを使ったパニーノは、ひとくち食べれば、間違いなく笑顔がこぼれる。トニーの魔法が詰まっている。ビエッラに行ったら必ず会いたいふたり。
クラウディオさんが言った、「人生には履歴書では語れない感情の履歴があるんだ」と。その言葉を聞いた時、取材を通して会った人たちの奥行を改めて感じた。
そんな心豊かなピエモンテーゼに会える旅、お楽しみください。
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