マテーラパンとバジリカータの
その深い関係
「カン、カン、カン」大きな音と共に、リズミカルにクープを入れる。3本のクープがパーネ・ディ・マテーラ(マテーラのパン)の特徴だ。そして、サッシの洞窟住居を思わせる、大きなげんこつのようなゴッツイ形もまたこのパンならでは。シチリアの取材を終えて、カターニャから深夜バスでバジリカータに入った。この行程を組むのもひと苦労だった。シチリアからバジリカータに入る便利な交通手段がなかなか見つからなかったからだ。カターニャからの移動だったせいもあるが、飛行機を使うにしても、電車を使うにしても、距離も時間もロスが多すぎた。近いのに遠い。まさに陸の孤島だ。だからこそバジリカータは僕らに新しい感動を与えてくれた。
州のおよそ9割が山岳地帯で、平地が少ないこの州は、決して豊かな土地ではない。隣のカンパーニアやプーリアは、イタリアでも有数の農作物の豊かな州。そこに挟まれていたにもかかわらず、交通網もあまり発達しなかったために、ある種孤立していた。
バジリカータにある、マテーラの洞窟住居群サッシ地区は、1993年に世界遺産登録され注目を集め、今では世界的な観光名所となっている。そもそもサッシ(sassi)とは、イタリア語の岩山を意味する言葉sassoの複数形。石灰岩をくり抜いてつくったその住居は、古くは貧しい人々の住居の象徴でもあった。家畜と一緒に住み、湿気の強い室内は、たくさんの子供の多くが、伝染病などでその命を落としていったという。そういう歴史的な背景もあり、一時は洞窟住居には住む事を禁じられた時代もあった。その後、この特徴的な洞窟住居群は世界でも類を見ない存在として、その重要性が見直され、遺跡の発掘や修復が進められ、世界遺産に登録された。現在ではそのサッシの洞窟を利用した住居をはじめ、ホテルやレストラン、カフェ、ギャラリーなど現代風に改良され、カルチャーを発信する場所となっている。数多く残る洞窟教会には、フレスコ画や、壁画も残り、当時の様子も窺わせる。
そのマテーラに、ナポリ王国時代から変わらない製法でつくり続けられているパンが、マテーラパンだ。(p28)そんなパンも、プーリアのアルタムーラのパンに形も材料もよく似ている。マテーラとアルタムーラは車で20分程度の距離。イタリアでよく聞く、「オラが村がオリジナル」論争はここでも起こっていた。それでもバジリカータには、行く先々の町に、形やクープに特徴を持った同じようなパンが存在して、それぞれの町の自慢のパンになっている。一昔前は10kg、20kgのものを焼いて、何日もかけて工夫しながら食べていたというから、それだけこの土地の人々にとって大切な食料だったようだ。
「イタリア人、特に南イタリアの我々にとっては、パスタがとても大事な食事なんだ」とロルト・ディ・ルカーニアのオーナー、フルヴィオさん(p16)は言う。
パン同様にパスタも小麦粉を練ってつくるもの。人々の生活の中の工夫が、さまざまな形をつくり、お腹を満たす手段として重要な役割をしていたのだ。
79歳のマンマ、ローサさん(5p)は、大盛りのパスタをぺろりと食べながら言っていた。大切にしていることは、「働くこと」だと。杖を付きながら歩くローサさんは、それでも毎日畑で土いじりをしないと落ち着かないらしい。
ある意味では、他州から孤立したような歴史があったその分、自分たちの生活を守り貫くことで、生きる強さと、したたかさを自然と身に着けていったのではないだろうか。だから僕には、バジリカータで会った人たちはみな、イキイキとしていて、窮屈さを感じなかった。物質的な豊かさ以外の、本当の豊かさを無意識のうちに感じ、生きているのだろう。
バジリカータ、また必ず行きたい場所だ。
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