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ヴェネツィアの伝統、サンマルティーノのお菓子
11月11日は、サン・マルティーノの日。ヴェネツィアでは伝統的に、ヴェネツィア人の楽しみにしている特別な日でもある。
サンマルティーノとは?
サンマルティーノは地位あるローマ軍人を父にもち、現在のハンガリー周辺にて生まれたと言われる。有名な逸話としては、寒い冬の日に軍を引き連れていたマルティーノが、その道中、寒さと貧しさに震える物乞いに遭遇。とにかく寒さを凌いでもらうため、自身のまとっていたマントを2本の剣で切り裂き、その半分をこの物乞いに与えた。
その夜、その半分のマントをまとったイエス・キリストが彼の枕元にたち、彼の行いを褒め、洗礼を受けることを勧められる。それを受け、殉職者となったとされている。
この逸話から彼は敬愛と慈悲の聖人として敬われ、サンマルティーノの名に帰属する教会はヨーロッパ各地に存在する。
11月11日は、彼の没後に埋葬された日をさす。
ヴェネツィアのサンマルティーノの日
サン・マルティーノといったら、まずはあちこちで催されるカスタニャータ(焼き栗)。焚き火の上に仕掛けられた真っ黒に焦げた鍋で栗を炒る。

この焼き栗の風景は、この季節ならでは
片手にはもちろんワイン。この頃はヴェンデンミア(ブドウ収穫)も終了し、おまけにちょうど果汁(モスト)の糖分がアルコールに変化してワインとなる時期にもあたるので、これを合わせるのがトラディショナル。まだほんのり糖が残って甘く濁り気のあるそれは、トルボリーノ(torbolino)と呼ばれている。
そして、子供たちには…
この日の夕刻のヴェネツィアは、子供たちのグループを見かけることとなる。子供たちは、サンマルティーノが身につけていたようにマントをつけ、冠をかぶる。そして各自が片手に鍋を持ってそれを叩いて音を鳴らし、「サン・マルティーン〜…」とリズムをとるお決まりの歌を歌いながら歩きまわる。
そして、近所の家や商店やらバール、オステリアなどを回って、お菓子や小銭やらを頂戴するのだ。
最近では、イタリアでもハロウィンの行事が定着してきており、この伝統がなんとなくごちゃ混ぜになっている感もあるが、ヴェネツィア、特にサンマルティーノの教会のあるカステッロ地区では特にその伝統が未だに残る。
学校では、このサンマルティーノの歴史を必ず触れられることもあり、この時期、この地区を歩くと、地元の小学生たちの力作を街のあちこちで見ることができる。なんとも微笑ましい!

お菓子屋さんの店先のサンマルティーノ画

エディーコラにも!
今年はCovid-19対策によって、様々な自粛を強いられているため、このような例年の光景も様変わりしてしまうのだろう。
街のお菓子屋さんの風物詩
そして、ヴェネツィアの街じゅうのパスティッチェリアには、サンマルティーノを型どった焼き菓子が所狭しと並ぶ。

パスティッチェリアの店先はサンマルティーノで埋め尽くされる

とてもカラフル

サンマルティーノのドルチェ その一…ゴンドラに乗ったサン・マルティーノ

その二

その三

その四

まだまだまだまだ…
これらは、サンマルティーノがマントを羽織い騎馬に乗った姿が型どられている。パスタ・フロッラ(クッキー生地)をベースに、カラフルなかけ砂糖やチョコレートを飾られたもの。あちこちの店のショーウィンドウはこれらで埋め尽くされるのだ。

調理道具屋さんでは、サンマルティーノの型もあります
そして、コトニャータ。モスタルダやジャム向けなど、加熱用に使うメーラ・コトーニャを煮詰めて固めたもの。コインのような形なので縁起が良い。

コインの形のコトニャータ
サンマルティーノにまつわるあれこれ…
ちなみに、サンマルティーノを用いた言い回しやそれに伴う季節感というのもある。
例えば、本格的な冬へと移行するこの時期、時に暖かい日が訪れたりする。寒い日にまつわる逸話をもつ同聖人にちなみ、こんな日を「エスターテ・ディ・サンマルティーノ(→夏の日のサンマルティーノ)」と呼ぶ。いわゆる「小春日和」のことだ。
また、ワイン醸造の世界でも、非常に遅い収穫時期をもつぶどうに対して「サンマルティーノのヴェンデンミア」とか、夏の収穫時に取り残され、この時期に再度完熟したものを「サンマルティーノのブドウ」と呼ぶこともある。
収穫が終わり、カンティーナの仕事もだいぶ落ち着くこの時期がちょうどサンマルティーノにあたるので、カンティーナを開放して、その年の収穫を分かち合うフェスタを催す者もある。
いわゆる「サンマルティーノ」とは、季語のようにして使われるほど親しみのある聖人(の日)であり、冬への季節の移行を確実に私たちに感じさせる基点でもあるようだ。
※掲載した画像は昨年以前に撮影したものです
サンマルティーノとは?
サンマルティーノは地位あるローマ軍人を父にもち、現在のハンガリー周辺にて生まれたと言われる。有名な逸話としては、寒い冬の日に軍を引き連れていたマルティーノが、その道中、寒さと貧しさに震える物乞いに遭遇。とにかく寒さを凌いでもらうため、自身のまとっていたマントを2本の剣で切り裂き、その半分をこの物乞いに与えた。
その夜、その半分のマントをまとったイエス・キリストが彼の枕元にたち、彼の行いを褒め、洗礼を受けることを勧められる。それを受け、殉職者となったとされている。
この逸話から彼は敬愛と慈悲の聖人として敬われ、サンマルティーノの名に帰属する教会はヨーロッパ各地に存在する。
11月11日は、彼の没後に埋葬された日をさす。
ヴェネツィアのサンマルティーノの日
サン・マルティーノといったら、まずはあちこちで催されるカスタニャータ(焼き栗)。焚き火の上に仕掛けられた真っ黒に焦げた鍋で栗を炒る。

片手にはもちろんワイン。この頃はヴェンデンミア(ブドウ収穫)も終了し、おまけにちょうど果汁(モスト)の糖分がアルコールに変化してワインとなる時期にもあたるので、これを合わせるのがトラディショナル。まだほんのり糖が残って甘く濁り気のあるそれは、トルボリーノ(torbolino)と呼ばれている。
そして、子供たちには…
この日の夕刻のヴェネツィアは、子供たちのグループを見かけることとなる。子供たちは、サンマルティーノが身につけていたようにマントをつけ、冠をかぶる。そして各自が片手に鍋を持ってそれを叩いて音を鳴らし、「サン・マルティーン〜…」とリズムをとるお決まりの歌を歌いながら歩きまわる。
そして、近所の家や商店やらバール、オステリアなどを回って、お菓子や小銭やらを頂戴するのだ。
最近では、イタリアでもハロウィンの行事が定着してきており、この伝統がなんとなくごちゃ混ぜになっている感もあるが、ヴェネツィア、特にサンマルティーノの教会のあるカステッロ地区では特にその伝統が未だに残る。
学校では、このサンマルティーノの歴史を必ず触れられることもあり、この時期、この地区を歩くと、地元の小学生たちの力作を街のあちこちで見ることができる。なんとも微笑ましい!


今年はCovid-19対策によって、様々な自粛を強いられているため、このような例年の光景も様変わりしてしまうのだろう。
街のお菓子屋さんの風物詩
そして、ヴェネツィアの街じゅうのパスティッチェリアには、サンマルティーノを型どった焼き菓子が所狭しと並ぶ。







これらは、サンマルティーノがマントを羽織い騎馬に乗った姿が型どられている。パスタ・フロッラ(クッキー生地)をベースに、カラフルなかけ砂糖やチョコレートを飾られたもの。あちこちの店のショーウィンドウはこれらで埋め尽くされるのだ。

そして、コトニャータ。モスタルダやジャム向けなど、加熱用に使うメーラ・コトーニャを煮詰めて固めたもの。コインのような形なので縁起が良い。

サンマルティーノにまつわるあれこれ…
ちなみに、サンマルティーノを用いた言い回しやそれに伴う季節感というのもある。
例えば、本格的な冬へと移行するこの時期、時に暖かい日が訪れたりする。寒い日にまつわる逸話をもつ同聖人にちなみ、こんな日を「エスターテ・ディ・サンマルティーノ(→夏の日のサンマルティーノ)」と呼ぶ。いわゆる「小春日和」のことだ。
また、ワイン醸造の世界でも、非常に遅い収穫時期をもつぶどうに対して「サンマルティーノのヴェンデンミア」とか、夏の収穫時に取り残され、この時期に再度完熟したものを「サンマルティーノのブドウ」と呼ぶこともある。
収穫が終わり、カンティーナの仕事もだいぶ落ち着くこの時期がちょうどサンマルティーノにあたるので、カンティーナを開放して、その年の収穫を分かち合うフェスタを催す者もある。
いわゆる「サンマルティーノ」とは、季語のようにして使われるほど親しみのある聖人(の日)であり、冬への季節の移行を確実に私たちに感じさせる基点でもあるようだ。
※掲載した画像は昨年以前に撮影したものです
ヴェネトのデルタ地帯。コッツェ、ボンゴレ、オストリケ!
ポー河口デルタ地帯
イタリア随一の平原、パダーナ平原に位置するヴェネト州は、その約57%を平野部が占める。
ピエモンテ、ロンバルディア、エミリア、そしてヴェネトの平野部を悠々と流れるポー川の全長は650㎞に及び、その河口部はヴェネトとエミリア地方のアドリア海沿岸へと続く。
水の流れは多くの自然の恵みを大地に運び、与え、そして海へと流れ込む。その河口部は大きなデルタ地帯(三角州)となり、独特の自然環境をつくりだしている。環境保護の観念からも、自然公園に指定されており、ユネスコの世界遺産にも指定されている地域だ。

デルタ地帯と呼ばれる地域。赤く囲んだところは今回私が訪れた地区
ヴェネト側には、アドリア海沿岸…ヴェネツィア周辺を中心にラグーナと呼ばれる潟の続く浅瀬が続く。そこからさらに南下したロヴィーゴ県にあたる地域、786㎢がデルタ地帯とされており、そのうちの160㎢が湿地及びラグーナとされる。
ヴェネト側の河口地区を周遊へ
その地域内の一つの自治体、ポルトトッレ (Porto Tolle) は、エミリア州のフェッラーラと隣接した場所。沿岸に突き出たような半島、ドンゼッラ島 (Isola della Donzella) に位置する。
この地域は、ポー川の主流から支流が縦方向に流れ、島を半分に分けている。この支流は「ポーのニョッカ(Po di gnocca) 」と呼ばれているのだが、水流がクネクネとしてまるで ”落ち着きのない女性のよう=ニョッカ” という所以があるらしい。
この地区で漁業を営みながら、小さなオステリアや宿泊施設を営んでいるアルカディア家を訪ねる。その目的は、漁船でここ一帯の周遊に案内をお願いしてあったこと。
案内してもらう先は、彼らの漁場の一部でもある、スカルドヴァーリ湾(Sacca degli Scardovari) だ。
船乗り場から、案内人、マウロさんの船でまずは ”ニョッカ” を湾へと進む。

船に乗り込み、河口方向へ進む
川の水はもちろん淡水なのだが、湾(=海)に近ずくにつれて塩水が混ざってくる。この分岐点には、「ポルテ・ヴィンチャーネ(Porte Vinciane)」と呼ばれる水門がある。

水門を界に淡水と海水とが分かれる
海水と淡水の比重の違いを利用し、潮の満ち干きで変化する水の高さを感知し、海水を海側へシャットダウンする。つまり、比重の重い海水の高さに合わせて壁を上下させる、という仕組みとなっている。
なんと、レオナルド・ダ・ヴィンチのプロジェクトなんだそうだ。だから、「ポルテ・ヴィンチャーネ(=ヴィンチの水門)」という名がつけられている。
そして、その先のスカルドヴァーリ湾へ船は進む。

穏やかで自然環境が良いため、幼鳥も多く見られる
「湾」は一般的に「ゴルフォ (golfo)」と言うのだが、ここではそう大きな奥行きもない湾口であり、その形から「袋」を意味する「サッカ (sacca)」という呼び方をする。その地形からくるものだそうだが、こういった地元ならではの呼び方が面白い。

先に見える数々の木の杭(パーリ)は船の進む道しるべ
コッツェ、ボンゴレ、そしてオストリケ!
ここで行われているには、コッツェ(ムール貝)、ボンゴレ(アサリ)そしてオストリケ(牡蠣)の養殖だ。
それぞれに養殖方法が異なり、アサリは水底に網の大きなバケツをはる。
ムールは小さな稚貝をロープに付着させ、それを筒の中へ縦型に挿入。周囲を筒上の網(「靴下」と呼ぶ)で覆い、筒をはずして海水に静置。

漁師のマウロさんが手にしているのが、ムール養殖に使う道具
しばらくして貝が成長し、靴下の網も汚れがついてくるので、この「靴下」を交換する。交換する際には網目を少しずつ大きくし、そして食用となる大きさまで、交換を続けるのだそう。
マウロさんが水中からひきあげてくれた「靴下」に入った棒状のように成長中のムール貝。大きくなるとこれが非常に重くなるので、一人で引き上げるのも大変なんだとか。

ぎっしりと詰まったコッツェ
そして、牡蠣の養殖場へ船が移動。
まずは、稚貝はカゴの中へ、そして水中に放置設。これを時間に応じて水中へ下がったり、水上へひきあげられたりする。

稚貝が収められるバスケット。潮の満ち引きに合わせて水表面下を行き来する
その後はロープに縦型に吊るし、潮の満ち引きに応じて水表を上下する。貝は水中にてプランクトンなどを食べて、もしくは水上へとひきあげられ、陽にあたることで貝自体を強固にする。

縦に一列に並んだ様子。ロープの上下は遠隔操作が可能
その後、再度バスケットに入れて続いて育成期間へと移行。

育成の最後の段階。バスケットに入り、時を待つ
牡蠣に関しては、近年5-6年に養殖が始まったばかりであり、研究がされながら現在に至っている。ムールやボンゴレも含め、旨い貝に仕立てるために、人の手が丁寧に関わっていることは確かだ。
そして、これら貝の養殖は、養殖時期や方法及び収穫・出荷を統制するコンソルツィオ、いわゆる協同組合により全て統括されている。収穫の時期や量なども指示が出るため、加盟する14の業者はそれに従う義務がある。
また、同機関により、この特殊沿岸地域の自然環境も管理・保護されてもいる。
この日私たちを案内してくれたマウロさんも、もちろんこのうちの1業者である。面白いのは、この湾で捕れる他の魚類(スズキやクロダイ、ウナギなど)に関しては、全く規制がないとのこと。よって、釣り愛好家にとっては絶好の漁場となる。
一通り養殖場を回ったら、ゆっくりと戻る方向へ。葦の生える独特な風景を島に近ずくようにして船は進む。

高く茂る葦の中を船が進む
信じ難い話だが、一昔前はここ一帯は地表で、米作が盛んな地帯であったとか。現在は水に浮かぶこの建物は、脱穀所として使われていたもの。ここ近年、水面が少しずつ上がってきている現在の自然現象が露わに…。

現在は水に浮かんでいるこの建物は、以前は米の作業場だった
ちなみに、このデルタ地帯は現在でも米の産地である。もう少し内陸へと進む地域には、デルタの豊かな大地からなる田園風景が広がる。
新鮮な恵みをいただく
さて、約2時間半をかけてたっぷりとマウロさんに「サッカ」を案内していただいた後は、彼らのオステリアで美味しい魚介料理をいただく。
まずは、牡蠣。小ぶりだが濃厚でジューシー。身がとろけるみたいに柔らかい。

小ぶりだが、甘くジューシー
そして、ボンゴレとコッツェはシンプルに。仕上がりにレモンをふって。煮汁も皆でパンに浸してすべていただいた。

たっぷりのコッツェ(ムール)と…

ボンゴレ(アサリ)は旨味たっぷり
コッツェは軽くトマトで煮込んでビーゴリに合わせていただく。

コッツェの軽いラグーとビーゴリ
もっと自分も貝の養殖の知識を豊富にして行くべきだった、と少々後悔しながらも、養殖場を「オルト=畑」と呼ぶマウロさんの話を思い出している。
イタリア随一の平原、パダーナ平原に位置するヴェネト州は、その約57%を平野部が占める。
ピエモンテ、ロンバルディア、エミリア、そしてヴェネトの平野部を悠々と流れるポー川の全長は650㎞に及び、その河口部はヴェネトとエミリア地方のアドリア海沿岸へと続く。
水の流れは多くの自然の恵みを大地に運び、与え、そして海へと流れ込む。その河口部は大きなデルタ地帯(三角州)となり、独特の自然環境をつくりだしている。環境保護の観念からも、自然公園に指定されており、ユネスコの世界遺産にも指定されている地域だ。

ヴェネト側には、アドリア海沿岸…ヴェネツィア周辺を中心にラグーナと呼ばれる潟の続く浅瀬が続く。そこからさらに南下したロヴィーゴ県にあたる地域、786㎢がデルタ地帯とされており、そのうちの160㎢が湿地及びラグーナとされる。
ヴェネト側の河口地区を周遊へ
その地域内の一つの自治体、ポルトトッレ (Porto Tolle) は、エミリア州のフェッラーラと隣接した場所。沿岸に突き出たような半島、ドンゼッラ島 (Isola della Donzella) に位置する。
この地域は、ポー川の主流から支流が縦方向に流れ、島を半分に分けている。この支流は「ポーのニョッカ(Po di gnocca) 」と呼ばれているのだが、水流がクネクネとしてまるで ”落ち着きのない女性のよう=ニョッカ” という所以があるらしい。
この地区で漁業を営みながら、小さなオステリアや宿泊施設を営んでいるアルカディア家を訪ねる。その目的は、漁船でここ一帯の周遊に案内をお願いしてあったこと。
案内してもらう先は、彼らの漁場の一部でもある、スカルドヴァーリ湾(Sacca degli Scardovari) だ。
船乗り場から、案内人、マウロさんの船でまずは ”ニョッカ” を湾へと進む。

川の水はもちろん淡水なのだが、湾(=海)に近ずくにつれて塩水が混ざってくる。この分岐点には、「ポルテ・ヴィンチャーネ(Porte Vinciane)」と呼ばれる水門がある。

海水と淡水の比重の違いを利用し、潮の満ち干きで変化する水の高さを感知し、海水を海側へシャットダウンする。つまり、比重の重い海水の高さに合わせて壁を上下させる、という仕組みとなっている。
なんと、レオナルド・ダ・ヴィンチのプロジェクトなんだそうだ。だから、「ポルテ・ヴィンチャーネ(=ヴィンチの水門)」という名がつけられている。
そして、その先のスカルドヴァーリ湾へ船は進む。

「湾」は一般的に「ゴルフォ (golfo)」と言うのだが、ここではそう大きな奥行きもない湾口であり、その形から「袋」を意味する「サッカ (sacca)」という呼び方をする。その地形からくるものだそうだが、こういった地元ならではの呼び方が面白い。

コッツェ、ボンゴレ、そしてオストリケ!
ここで行われているには、コッツェ(ムール貝)、ボンゴレ(アサリ)そしてオストリケ(牡蠣)の養殖だ。
それぞれに養殖方法が異なり、アサリは水底に網の大きなバケツをはる。
ムールは小さな稚貝をロープに付着させ、それを筒の中へ縦型に挿入。周囲を筒上の網(「靴下」と呼ぶ)で覆い、筒をはずして海水に静置。

しばらくして貝が成長し、靴下の網も汚れがついてくるので、この「靴下」を交換する。交換する際には網目を少しずつ大きくし、そして食用となる大きさまで、交換を続けるのだそう。
マウロさんが水中からひきあげてくれた「靴下」に入った棒状のように成長中のムール貝。大きくなるとこれが非常に重くなるので、一人で引き上げるのも大変なんだとか。

そして、牡蠣の養殖場へ船が移動。
まずは、稚貝はカゴの中へ、そして水中に放置設。これを時間に応じて水中へ下がったり、水上へひきあげられたりする。

その後はロープに縦型に吊るし、潮の満ち引きに応じて水表を上下する。貝は水中にてプランクトンなどを食べて、もしくは水上へとひきあげられ、陽にあたることで貝自体を強固にする。

その後、再度バスケットに入れて続いて育成期間へと移行。

牡蠣に関しては、近年5-6年に養殖が始まったばかりであり、研究がされながら現在に至っている。ムールやボンゴレも含め、旨い貝に仕立てるために、人の手が丁寧に関わっていることは確かだ。
そして、これら貝の養殖は、養殖時期や方法及び収穫・出荷を統制するコンソルツィオ、いわゆる協同組合により全て統括されている。収穫の時期や量なども指示が出るため、加盟する14の業者はそれに従う義務がある。
また、同機関により、この特殊沿岸地域の自然環境も管理・保護されてもいる。
この日私たちを案内してくれたマウロさんも、もちろんこのうちの1業者である。面白いのは、この湾で捕れる他の魚類(スズキやクロダイ、ウナギなど)に関しては、全く規制がないとのこと。よって、釣り愛好家にとっては絶好の漁場となる。
一通り養殖場を回ったら、ゆっくりと戻る方向へ。葦の生える独特な風景を島に近ずくようにして船は進む。

信じ難い話だが、一昔前はここ一帯は地表で、米作が盛んな地帯であったとか。現在は水に浮かぶこの建物は、脱穀所として使われていたもの。ここ近年、水面が少しずつ上がってきている現在の自然現象が露わに…。

ちなみに、このデルタ地帯は現在でも米の産地である。もう少し内陸へと進む地域には、デルタの豊かな大地からなる田園風景が広がる。
新鮮な恵みをいただく
さて、約2時間半をかけてたっぷりとマウロさんに「サッカ」を案内していただいた後は、彼らのオステリアで美味しい魚介料理をいただく。
まずは、牡蠣。小ぶりだが濃厚でジューシー。身がとろけるみたいに柔らかい。

そして、ボンゴレとコッツェはシンプルに。仕上がりにレモンをふって。煮汁も皆でパンに浸してすべていただいた。


コッツェは軽くトマトで煮込んでビーゴリに合わせていただく。

もっと自分も貝の養殖の知識を豊富にして行くべきだった、と少々後悔しながらも、養殖場を「オルト=畑」と呼ぶマウロさんの話を思い出している。

真夏の冬仕度。ヴェネトの冬野菜、ラディッキオの植苗
ヴェネト州独特の生産物の代表とも言えるラディッキオ。原産地域表示 I.G.P. に指定されている「トレヴィーゾ産(生産地域はトレヴィーゾ県、ヴェネツィア県、パドヴァ県の一部)」と称されるのものが最も有名で、その価値を高く認められている。

ラディッキオはご承知の通り、冬に旬を迎える野菜だ。長いヴェネトの冬を鮮やかに、豊かに、そして華やかに…様々な面において彩りを与える。
ヴェネト州内には、何箇所かに品種の異なるオリジナル産地があり、それぞれに形状、色などの特色、そして生産時期などを違えているのも面白い。
そのなかでも核となるのは、トレヴィーゾ産の「早生品種」という意味の「プレコーチェ種」、そして「晩生品種」という意味の「タルディーヴォ種」だ。前者のI.G.P.マークが認定されるのは、通常9月中旬以降、後者は11月中旬以降だが目安となる。
そんな晩秋~冬に旬を迎える野菜たちの準備は、この真夏が本番。
生産地の中心は、イタリア最大の平野、パダーナ平原の本当の意味での真っ平らな平野部の最北部に位置する。トレヴィーゾ県とヴェネツィア県境を含む一帯となるが、ここは同産物のストーリー的にも重要な地域で、大小の生産者も多く点在する。県境はクネクネとした境界線を保っているため、この地域を車で走ると両県を行ったり来たりすることとなる。
この周辺の農地の主軸はトウモロコシと大豆。そして、至るところにラディッキオの畑が見られる。
この日作業した畑は16ヘクタールの大きな畑。一気に広がるこのくらいの規模の畑は、北部ヴェネトでも、また、当然のごとく生産地域内でもそう多くはない。

畑内では区画をいくつかに分割し、植苗の時期と種類を少しずつずらしながら、計画的な栽培が行われる。この畑では、今年はこの畑には5種類の異なる品種が植えられた。
また、この農家が所有する同地域内、他地に点在するいくつかの畑ごとにも計画的な植苗が行われている。一番早いものは6月中旬からスタートしており、最終的に全てが終了するのが8月中旬であることから、約2ヶ月間に渡る仕事だ。
作業は6人乗りの移植機に人が乗り、一つ一つの苗をトラクターの動きとともに下方へ落としていく。真っ直ぐに植苗しないと、栽培途中の手入れ及び収穫時の作業に支障を来すため、トラクターを操作する同農家の長男は、終始冗談を飛ばしながらも運転に集中。

ただし、作業は機械任せにするわけにはいかない。機械の状態や、土おこしの準備がうまくなっていなかったり、土の状態によりうまく植えられたていない箇所が多く出るため、機械の後方には、2名以上の人がつく。足りないところを手で補助していくためだ。畑ごとに、また、一畑内でも場所により土の性質及び保水などが異なる。


一晩に50㎜を越す激しい雨が降り続いた日が続いたのが2週間ほど前。その後は雨なし、高温な日々が続いているため、畑の土はかなり干からびている。植えたばかりの苗は水を多く必要とするため、これらには順を追って水やりを行う必要がある。畑に沿う水路からポンプで勢いよく水をくみ上げ、終日をかけて一区画を濡らしていく。

この水はこの地域の自然の天然水。この畑のおよそ30㎞先に水源を持つ自然水で、農業用水としてこの土地内を蛇行するように流れている。

ラディッキオの出荷前の生産工程には浸水という大切な工程があり、これはこの地域の自然水を利用するのが必然だが、苗がしっかり根付くまでにも多くの水を必要とするので、ここでも重要な役割を果たす。とにかく土地の水をしっかりと吸収し、土地ならではの産物として成長していく、というわけだ。
現在のプレコーチェ種。植苗後、約3週間が経過。

そして、タルディーヴォ種。

この日に作業していたのは、ローザという最近の新種。淡いピンク色を持つ、柔らかい葉のラディッキオだ。

この農家では、実際のラディッキオの収穫・出荷は今月、8月末から徐々に始まる。変形種のヴァリエガート種(日本ではカステルフランコと呼ばれるもの)やプレコーチェ種から先行する。
その後季節が以降し天候の変化及び産物の状態から、I.G.P.認定マークが出始めると、さらに本格シーズンへ、と突入していく。
冬が楽しみだ。

ヴェネト発「スプリッツ」でアペリティーヴォ
日没時刻が日に日に遅くなり、夕暮れ時の屋外でのアペリティーヴォが何よりも楽しみな季節がやってきた。
今年はこの春先以降、日常が日常であることから少々遠ざかってしまった現状がある。こんな素敵な夕暮れの時間を、心配なく過ごす日が少しでも早く戻ってくることを願いつつ…
「アペリティーヴォ」という習慣
「アペリティーヴォ」は「夕食前の一杯のアルコール=食前酒」として既によく知られているが、実際にはその言葉自体が広義として、飲み物(アルコールが一般的だがノンアルコールでも)を片手に一時を過ごす、という行為や習慣を指していると思う。
「何時どこでアペリティーヴォしようか?」と約束の時刻や場所を決める際に、または道端で偶然会った知人とは「次はアペリティーヴォで‼︎」と、次回は必ず時間をとって会おう、という意味を含めての別れの挨拶として…この言葉にはそんなお互いの暗黙ルールも含まれているように感じる。

広場の片隅の賑わうバール。テーブルの上のグラスのほとんどがスプリッツ!
とにかくこの時期、ピアッツァ(街の広場)でのアペリティーヴォが恋しい‼︎=皆んなと集って楽しく時を過ごしたい‼︎と多くの人が思っていることだろう。
ヴェネトでアペリティーヴォといえば…
ヴェネトでのアペリティーヴォの代名詞ともいえるカクテル、それが「スプリッツ(spritz)」。逆に「スプリッツ=アペリティーヴォ」を連想させるほどの普及ぶり、とも言える。
今やヴェネトの…とは言いきれない全国展開した代物でもはあるが、やはりこの地に足を踏み入れると、オレンジ色の飲み物が街のあちこちで目に入ってくる頻度は、非常に高い。

「スプリッツ」の正しい姿。これはアペロール入り
そのグラスの中身は、アペロールというオレンジ色のリキュールと地元の発泡ワインであるプロセッコ、そしてガス入りの水。アペロールの代わりに同様にカンパリも用いられる。
カクテルとしては世界的にも公式な飲み物であり、2011年にIBA(国際バーテンダー協会; 1951年設立、本部イギリス)の公式カクテルとして認定もされている。
「スプリッツ(spritz)」の発祥は…
18世紀末のヴェネツィア。ナポレオンによりヴェネツィア共和国が崩壊した後、間もなくしてこの地はオーストリア帝国の占領下となった。
オーストリア軍人は、ヴェネツィアで地元ワインを飲んだところ、彼らにとってはその風味もアルコール度数も強すぎて馴染めず、常飲するたには水で薄める必要があった。そこで、地元ワインをセルツ(seltz)というガス入りの水で薄め、それを「スプリッツェン(spritzen)」と呼んだことから、現在の呼び名となったという。ちなみに「スプリッツェン」の意味するところは、イタリア語だと「スプルッツァーレ(spruzzare)=霧をふきかける」にあたる。
こんな風に生まれた飲み物であることから、その後はヴェネツィア周辺を始めとし、当時ヴェネツィア共和国であったトリヴェネト(ヴェネト州、トレンティーノ・アルトアディジェ州、フリウリ・ヴェネツィアジュリア州)を中心に、広く深く普及するようになった。
現在ヴェネツィア近郊で見かけるスプリッツは、色つきリキュールでつくるものがメジャーだが、フリウリ地方では、地元白ワイン(通常はフリウラーノ)をガス入りの水で割った「スプリッツ・ビアンコ」が非常にポピュラーに飲まれている。こちらのほうがオリジナルに近いものだろう。
「アペロール(aperol)」はパドヴァ出身
スプリッツを語るうえで必須ともなる、あのオレンジ色のおなじみのリキュール「アペロール」。もともと、パドヴァのフラテッリ・バルビエリ社が製造し始めたもので、1919年のパドヴァの展示会「フィエラ・ディ・カンピオーニ」に出展したことを機に世に出たものだ。
そして、それまでは透明色であった地元カクテルに色をつけることで見た目にも華やかさを出すことを提案、地元を中心に「アペロール入りスプリッツ」が広まっていった。
その後、2000年にミラノの酒業界大手C社にその権利を譲ることとなった後、広告力がさらに加わったことでイタリア全土へ広まりることとなる。
機会があれば現在の商品ラベルを、ぜひよくご覧になっていただきたい。アペロールの起源当時のデザインが素材となっていることが判る。

おなじみの「アペロール」のラベル
そして今から10年数年ほど前には、『スプリッツ・ライフ?アペロール・スピリッツ‼︎』というフレーズで同商品のテレビCMが頻繁に流されたことがある。それと期を同じくし、ミラノを中心に急激に浸透した「ハッピー・アワー」というシステム…ドリンクを一杯注文すると、いわゆる乾き物だけではない様々なおつまみがしっかり食べられる…にスプリッツを投入、その流行りを加速させた、ということはよく知られているところだ。(最近では「ハッピー・アワー」は「アペリチェーナ(アペリティーヴォ+夕食)」とさらなる発展も)
企業戦略的であることは否めないが、イタリア全土でこのオレンジ色のカクテルが普及するきっかけになった一因でもある。
アペロール? カンパリ? それとも…?!?
スプリッツを注文する際には、必ず「アペロール入り」か「カンパリ入り」のどちらかの好みを告げる必要がある。その両方を半分ずつで割るのが好み、という友人もいる。
風味としては、アペロールのほうがカンパリよりも苦味が少なく甘さが穏やか。これにさらにプロセッコが加わり、口当たりよく飲みやすい…のだが、油断するとお酒の弱い人は意外と早く酔っ払うので十分にご注意を。
そして、ヴェネツィアーニにはもうひとつのこだわりが。
ヴェネツィアでスプリッツのリキュールといったら、ヴェネツィア生まれの「セレクト(Select)」。カンパリに近い赤色で、薬草の香りや苦みがほんの少し強い。
とにかく自分の土地や好みを強く愛する各人が、自分好みを持っている。

ヴェネツィア人のお宅にて。夕食前にはお決まりの「スプリッツ・アル・セレクト」
家で楽しむ「スプリッツタイム」
さて、家でこのカクテルを楽しむことももちろん可能。レシピ(配合)も多くのものを見かけるが、手順と配合の基本的なものをここに。
①氷を入れたグラスを用意
②プロセッコ: アペロールなどのリキュール = 3 : 2 を注ぐ
③ガス入りの水を注ぐ
④オレンジの皮つきスライスをのせる
⑤(あればなお良し)竹串でグリーンオリーブを刺したものを添える

竹串に刺したグリーンオリーブはおつまみ代わり。これも定番!
厳しい外出・移動・経済活動の制限から段階的に緩和されつつあるこの数日。少し前に感じていたピーンと張り詰めていた緊張した空気からは、解放され始めてはいるものの、様々な生活の箇所にての制限が解除されるには、まだしばらくの時間を要する。
「スプリッツ・タイム」は家でも楽しめはするが、やはり夕暮れ時のピアッツァで、というのがしっくりるものだ。
本当に安心できる日常への期待と祈りをこめて!

このピアッツァは、夕方にテーブルで埋め尽くされるべき場所!
今年はこの春先以降、日常が日常であることから少々遠ざかってしまった現状がある。こんな素敵な夕暮れの時間を、心配なく過ごす日が少しでも早く戻ってくることを願いつつ…
「アペリティーヴォ」という習慣
「アペリティーヴォ」は「夕食前の一杯のアルコール=食前酒」として既によく知られているが、実際にはその言葉自体が広義として、飲み物(アルコールが一般的だがノンアルコールでも)を片手に一時を過ごす、という行為や習慣を指していると思う。
「何時どこでアペリティーヴォしようか?」と約束の時刻や場所を決める際に、または道端で偶然会った知人とは「次はアペリティーヴォで‼︎」と、次回は必ず時間をとって会おう、という意味を含めての別れの挨拶として…この言葉にはそんなお互いの暗黙ルールも含まれているように感じる。

とにかくこの時期、ピアッツァ(街の広場)でのアペリティーヴォが恋しい‼︎=皆んなと集って楽しく時を過ごしたい‼︎と多くの人が思っていることだろう。
ヴェネトでアペリティーヴォといえば…
ヴェネトでのアペリティーヴォの代名詞ともいえるカクテル、それが「スプリッツ(spritz)」。逆に「スプリッツ=アペリティーヴォ」を連想させるほどの普及ぶり、とも言える。
今やヴェネトの…とは言いきれない全国展開した代物でもはあるが、やはりこの地に足を踏み入れると、オレンジ色の飲み物が街のあちこちで目に入ってくる頻度は、非常に高い。

そのグラスの中身は、アペロールというオレンジ色のリキュールと地元の発泡ワインであるプロセッコ、そしてガス入りの水。アペロールの代わりに同様にカンパリも用いられる。
カクテルとしては世界的にも公式な飲み物であり、2011年にIBA(国際バーテンダー協会; 1951年設立、本部イギリス)の公式カクテルとして認定もされている。
「スプリッツ(spritz)」の発祥は…
18世紀末のヴェネツィア。ナポレオンによりヴェネツィア共和国が崩壊した後、間もなくしてこの地はオーストリア帝国の占領下となった。
オーストリア軍人は、ヴェネツィアで地元ワインを飲んだところ、彼らにとってはその風味もアルコール度数も強すぎて馴染めず、常飲するたには水で薄める必要があった。そこで、地元ワインをセルツ(seltz)というガス入りの水で薄め、それを「スプリッツェン(spritzen)」と呼んだことから、現在の呼び名となったという。ちなみに「スプリッツェン」の意味するところは、イタリア語だと「スプルッツァーレ(spruzzare)=霧をふきかける」にあたる。
こんな風に生まれた飲み物であることから、その後はヴェネツィア周辺を始めとし、当時ヴェネツィア共和国であったトリヴェネト(ヴェネト州、トレンティーノ・アルトアディジェ州、フリウリ・ヴェネツィアジュリア州)を中心に、広く深く普及するようになった。
現在ヴェネツィア近郊で見かけるスプリッツは、色つきリキュールでつくるものがメジャーだが、フリウリ地方では、地元白ワイン(通常はフリウラーノ)をガス入りの水で割った「スプリッツ・ビアンコ」が非常にポピュラーに飲まれている。こちらのほうがオリジナルに近いものだろう。
「アペロール(aperol)」はパドヴァ出身
スプリッツを語るうえで必須ともなる、あのオレンジ色のおなじみのリキュール「アペロール」。もともと、パドヴァのフラテッリ・バルビエリ社が製造し始めたもので、1919年のパドヴァの展示会「フィエラ・ディ・カンピオーニ」に出展したことを機に世に出たものだ。
そして、それまでは透明色であった地元カクテルに色をつけることで見た目にも華やかさを出すことを提案、地元を中心に「アペロール入りスプリッツ」が広まっていった。
その後、2000年にミラノの酒業界大手C社にその権利を譲ることとなった後、広告力がさらに加わったことでイタリア全土へ広まりることとなる。
機会があれば現在の商品ラベルを、ぜひよくご覧になっていただきたい。アペロールの起源当時のデザインが素材となっていることが判る。

そして今から10年数年ほど前には、『スプリッツ・ライフ?アペロール・スピリッツ‼︎』というフレーズで同商品のテレビCMが頻繁に流されたことがある。それと期を同じくし、ミラノを中心に急激に浸透した「ハッピー・アワー」というシステム…ドリンクを一杯注文すると、いわゆる乾き物だけではない様々なおつまみがしっかり食べられる…にスプリッツを投入、その流行りを加速させた、ということはよく知られているところだ。(最近では「ハッピー・アワー」は「アペリチェーナ(アペリティーヴォ+夕食)」とさらなる発展も)
企業戦略的であることは否めないが、イタリア全土でこのオレンジ色のカクテルが普及するきっかけになった一因でもある。
アペロール? カンパリ? それとも…?!?
スプリッツを注文する際には、必ず「アペロール入り」か「カンパリ入り」のどちらかの好みを告げる必要がある。その両方を半分ずつで割るのが好み、という友人もいる。
風味としては、アペロールのほうがカンパリよりも苦味が少なく甘さが穏やか。これにさらにプロセッコが加わり、口当たりよく飲みやすい…のだが、油断するとお酒の弱い人は意外と早く酔っ払うので十分にご注意を。
そして、ヴェネツィアーニにはもうひとつのこだわりが。
ヴェネツィアでスプリッツのリキュールといったら、ヴェネツィア生まれの「セレクト(Select)」。カンパリに近い赤色で、薬草の香りや苦みがほんの少し強い。
とにかく自分の土地や好みを強く愛する各人が、自分好みを持っている。

家で楽しむ「スプリッツタイム」
さて、家でこのカクテルを楽しむことももちろん可能。レシピ(配合)も多くのものを見かけるが、手順と配合の基本的なものをここに。
①氷を入れたグラスを用意
②プロセッコ: アペロールなどのリキュール = 3 : 2 を注ぐ
③ガス入りの水を注ぐ
④オレンジの皮つきスライスをのせる
⑤(あればなお良し)竹串でグリーンオリーブを刺したものを添える

厳しい外出・移動・経済活動の制限から段階的に緩和されつつあるこの数日。少し前に感じていたピーンと張り詰めていた緊張した空気からは、解放され始めてはいるものの、様々な生活の箇所にての制限が解除されるには、まだしばらくの時間を要する。
「スプリッツ・タイム」は家でも楽しめはするが、やはり夕暮れ時のピアッツァで、というのがしっくりるものだ。
本当に安心できる日常への期待と祈りをこめて!


ヴェネツィア、サンテラズモ島の春〜カストラウーレ〜
どんなご時勢でも自然は止まることはありません。産物によっては、ほんの短い期間のみ収穫及び出荷が許されるものであり、そして、そこに年間の力を注いでいる人たちもいます。
ここは「イタリア好き」本誌vol.37でも彼らの特異な生産活動を取り上げていただいた、ヴェネツィアのサンテラズモ島。華やかなヴェネツィアの食を支える農業の島です。この島では、僅かな春先に「カストラウーレ」というカルチョフィが大切に生産されています。
春ならではの野菜というのはイタリア全土に数あると思いますが、これはここヴェネトでしか、いやヴェネツィアでしか味わえることのできない大変に希少なものです。
サンテラズモ島とは?
サンテラズモ島は、ラグーナに点在する島々のうち、ヴェネツィア本島から北東約5Kmに位置する人口約700人の小さな島です。ヴェネツィア共和国の時代より現在に至るまで「ヴェネツィアの畑」として知られている場所です。
島は南北に約6kmほどの距離の細長い形をしており、島の南側は砂地で形成されていてますが、農地としては泥池がベースとなる北側が向いています。

サンテラズモ島のカルチョフィ畑。ラグーナならではの風景
ここが本当にヴェネツィア?!…と疑うような長閑な景色が島全体に広がっており、そこでは主にヴェネツィア市民向けに一般野菜全般が栽培されています。また、最近では、”ヴェネツィア・ラグーナ産”をウリとする、大型ワイナリーの管理するぶどう畑もあったりします。
ラグーナに浮かぶ島で栽培される農産物ですから、ミネラルが豊富で旨味のある産物が収穫されると認識されています。
サンテラズモ島の春の名産「カストラウーレ (castraure)」
数多くあるカルチョフィの品種のなかで、これは紫カルチョフィ(カルチョフォ・ヴィオレット=calciofo violetto)というものですが、ヴェネツィア特有の同種に関してはその価値観の明示として「サンテラズモ産」として区別されています。
カルチョフィは多年草ですので、その株からは季節となるといくつものツボミが次々と成長してきます。そのうち、1番初めにできるもの、株の最も中心にできるツボミが「カストラウーレ」にあたります。
つまり、いくつものツボミを収穫するカルチョフィのなかでも、一株にできる最初のたった一つ目のツボミのみ、というものなのです。大きさとしては、直径3-4cm、身の高さは5cm程の、手の平のなかに軽く収まる小さなものです。

畑での収穫風景

採りたてのカストラウーレ。若い小さなツボミ
そして、その名前も、イタリア語のカストラート=去勢した、という言葉に由来するというのも面白いところ。その意味するところはいわゆる「早摘み、先採り」というところでしょうか。
ちなみに、株にできる2つ目からのツボミは、もちろん「カストラウーレ」とは呼ぶことはできません。それらは、「ボートイ (botoi)」という名で呼ばれ、価値が異なる故、当然ながら値段も異なります。
季節ともなるとメルカートなどでは、小さなカルチョフィを「カストラウーレ」と表示して売っているところも目にしますが、実は本物に出会うのはそれほど頻度は高くないものであることは承知しておくべきこと。
実際に、数多く出回るものではないので、その大半は本島及び離島内のレストラン及びヴェネツィア市民で消費されています。
「カストラウーレ」の美味しい食べ方
その特別感は食べて納得。若く柔らかいので、特に採りたてはアクを感じることもありません。スライスして塩をふり、美味しいオリーブオイルをかけていただく…最高の味わい方です。そのほか、さっと煮て、またはさっと粉をふりフリットにしたものに軽く塩とレモンをかけて…。ストレートにその美味しさを楽しむのがお勧めです。春の風味が口いっぱいに広がります。

採りたてをスライスし、オイルと塩、胡椒、レモンの絞り汁。グラーナを上にそっとかけたもの
旬となる5月は収穫祭の季節
毎年5月の第2日曜には、その収穫を祝うサグラ(収穫祭)が大々的に開催されます。日差しも強くなり始める5月の恒例行事として、多くのヴェネツィアの人たちがそれを楽しみにし、足を運ぶイベントです。
1日のみの開催ですが、かなりの集客がありますので、この日だけはサンテラズモ島と本島間のヴァポレットも臨時便が出るほどです。自家用ボートを保有している人たちはこの日はあちこちから集まってもきます。季節柄もあり、本当に多くの人たちが楽しみにしているイベントです。

ヴェネツィアの他の島からボートで人が集まってきます

サグラでは、即売所、簡易レストランなどが設置されます

写真上段のラベルのついたものがカストラウーレ。下段は2番ツボミのボトイ
とはいえ、2020年の今年は、このコロナウイルス感染の影響で、その開催は見送られました。昨年2019年は、雨天が続き、翌日曜さらに翌日曜…と何度も順延した後、結局開催ができなかったため、これで2年連続の中止となってしまいました。
世界中の健康と安全に心配のない日常が早く戻ることを、こんな季節の産物を通じても願わずにはいられません。
ここは「イタリア好き」本誌vol.37でも彼らの特異な生産活動を取り上げていただいた、ヴェネツィアのサンテラズモ島。華やかなヴェネツィアの食を支える農業の島です。この島では、僅かな春先に「カストラウーレ」というカルチョフィが大切に生産されています。
春ならではの野菜というのはイタリア全土に数あると思いますが、これはここヴェネトでしか、いやヴェネツィアでしか味わえることのできない大変に希少なものです。
サンテラズモ島とは?
サンテラズモ島は、ラグーナに点在する島々のうち、ヴェネツィア本島から北東約5Kmに位置する人口約700人の小さな島です。ヴェネツィア共和国の時代より現在に至るまで「ヴェネツィアの畑」として知られている場所です。
島は南北に約6kmほどの距離の細長い形をしており、島の南側は砂地で形成されていてますが、農地としては泥池がベースとなる北側が向いています。

ここが本当にヴェネツィア?!…と疑うような長閑な景色が島全体に広がっており、そこでは主にヴェネツィア市民向けに一般野菜全般が栽培されています。また、最近では、”ヴェネツィア・ラグーナ産”をウリとする、大型ワイナリーの管理するぶどう畑もあったりします。
ラグーナに浮かぶ島で栽培される農産物ですから、ミネラルが豊富で旨味のある産物が収穫されると認識されています。
サンテラズモ島の春の名産「カストラウーレ (castraure)」
数多くあるカルチョフィの品種のなかで、これは紫カルチョフィ(カルチョフォ・ヴィオレット=calciofo violetto)というものですが、ヴェネツィア特有の同種に関してはその価値観の明示として「サンテラズモ産」として区別されています。
カルチョフィは多年草ですので、その株からは季節となるといくつものツボミが次々と成長してきます。そのうち、1番初めにできるもの、株の最も中心にできるツボミが「カストラウーレ」にあたります。
つまり、いくつものツボミを収穫するカルチョフィのなかでも、一株にできる最初のたった一つ目のツボミのみ、というものなのです。大きさとしては、直径3-4cm、身の高さは5cm程の、手の平のなかに軽く収まる小さなものです。


そして、その名前も、イタリア語のカストラート=去勢した、という言葉に由来するというのも面白いところ。その意味するところはいわゆる「早摘み、先採り」というところでしょうか。
ちなみに、株にできる2つ目からのツボミは、もちろん「カストラウーレ」とは呼ぶことはできません。それらは、「ボートイ (botoi)」という名で呼ばれ、価値が異なる故、当然ながら値段も異なります。
季節ともなるとメルカートなどでは、小さなカルチョフィを「カストラウーレ」と表示して売っているところも目にしますが、実は本物に出会うのはそれほど頻度は高くないものであることは承知しておくべきこと。
実際に、数多く出回るものではないので、その大半は本島及び離島内のレストラン及びヴェネツィア市民で消費されています。
「カストラウーレ」の美味しい食べ方
その特別感は食べて納得。若く柔らかいので、特に採りたてはアクを感じることもありません。スライスして塩をふり、美味しいオリーブオイルをかけていただく…最高の味わい方です。そのほか、さっと煮て、またはさっと粉をふりフリットにしたものに軽く塩とレモンをかけて…。ストレートにその美味しさを楽しむのがお勧めです。春の風味が口いっぱいに広がります。

旬となる5月は収穫祭の季節
毎年5月の第2日曜には、その収穫を祝うサグラ(収穫祭)が大々的に開催されます。日差しも強くなり始める5月の恒例行事として、多くのヴェネツィアの人たちがそれを楽しみにし、足を運ぶイベントです。
1日のみの開催ですが、かなりの集客がありますので、この日だけはサンテラズモ島と本島間のヴァポレットも臨時便が出るほどです。自家用ボートを保有している人たちはこの日はあちこちから集まってもきます。季節柄もあり、本当に多くの人たちが楽しみにしているイベントです。



とはいえ、2020年の今年は、このコロナウイルス感染の影響で、その開催は見送られました。昨年2019年は、雨天が続き、翌日曜さらに翌日曜…と何度も順延した後、結局開催ができなかったため、これで2年連続の中止となってしまいました。
世界中の健康と安全に心配のない日常が早く戻ることを、こんな季節の産物を通じても願わずにはいられません。

ヴェネトの冬!トレヴィーゾ産ラディッキオ タルディーヴォ種 IGP
「ラディッキオ ロッソ・ディ・トレヴィーゾ・タルディーヴォ」

出荷前の見た目にも美しいラディッキオ・タルディーヴォ種
ヴェネトの冬の食卓を語るのに、この食材無しにはあり得ない。どの独特の形状とその風味、そして食感。野菜としては美しすぎ、そして個性的すぎる。他のどんなものにも代用は不可なのではないだろうか。
ラディッキオとは、チコリの仲間の野菜である。イタリア国内でも、ヴェネト州のトレヴィーゾ県を中心に、ヴェネツィア県、パドヴァ県の認証地域で栽培される。地区ごとに、その地域性にあった品種が存在し、生産及び出荷期間も冬季限定とはいえ、微妙に異なる。
そのなかでも、特に同素材を他地域にての生産を真似されることなく、この地域ならではの生産物としての誇りとその存在を保っているのが、トレヴィーゾ産赤ラディッキオ、タルディーヴォ種(ラディッキオ ロッソ・ディ・トレヴィーゾ・タルディーヴォ=Radicchio Rosso di Treviso Tardivo)。「タルディーヴォ」とは、「晩生」という意味を持ち、それは、生産・出荷時期がラディッキオの他種に比べて時期が遅めなことからくる。
それに対して早生種である「プレコーチェ」種というのもある。こちらはタルディーヴォ種に比べると、生産方法も単純で、産地呼称であるIGPにこだわらなければ、気候さえ適合すれば、比較的、生産実現が可能とされている。
生産・出荷時期の違いは、IGP認定マークが許可されるのにも目安となるが、毎年平均してプレコーチェ種は9月末、タルディーヴォ種は11月中旬以降となる。
さて、このタルディーヴォ種、なかなかの偏屈もので、生産までの工程には非常に手間がかかる。
その特異な生産工程とは?
植苗は7月後半から8月にかけて行われる。IGP認証を取得するには、苗間の間隔にも規定があるる。夏場の太陽の力をかりて2ヶ月以上畑で生育した苗は、その後冬の訪れがくるとともに寒さから自らを守るかのごとく、外葉が内葉をやや覆うような形になる。生産者は、季節の変わり具合、気候の変化を、畑の変化を感じながら時をじっと待つ。

暑ーい夏期に生産作業は開始します

11〜12月にかけてのラディッキオの畑

寒さが厳しくなってくると、畑でも葉の色が変化してきます
ヴェネトの冬は寒い。
ラディッキオにとっては、この寒さが不可欠なのだ。葉は成長するが、成長しずぎてもいけない。寒さにじっと耐えるためには適度さが必要。そしてその寒さが深くなるにつれ、畑に並ぶラディッキオの葉は、赤く色付き始める。
11月ともなると、冷え込む朝は氷点下まで気温が下がり、畑のラディッキオには一面に真っ白な霜がおりる。キンと冷える薄暗い朝、夜明けとともにキラキラと朝焼けに光る畑は非常に美しい。そして、この霜がおりることによって、産地呼称のIGPが認証され、畑からの収穫が許される。
近年は、気候の変化が顕著であり、今シーズンのIGP認証は、11月の中旬をとうに過ぎた後半期であった。生産物の出来が遅くなることは、現実的には生産農家にとっても非常に痛手でもある。
さて、畑から収穫した株は、これで出荷準備に入るわけではない。この後は、一株ずつを小さなカセットに縦詰めにし、それらを地下水の流れる貯水池にて株の根を浸水させる。水は必ず流水でなくてはならず、この地の地下水でなければならないのも規定として定められている。

地下水の流れるプールに一定期間静置する
同地区は、地下から自然に湧き出る清澄な水が豊富な地域。イタリアを旅行した方ならば必ず一度は手にしたことがあろう、「サン・ベネデット」というイタリア国内最大級の飲料水メーカーのある場所でもあることからも、清澄な水に恵まれている地域であることがお解りいただけると思う。
この水がこのラディッキオを育てる必須要素なのだ。この自然水プールは、日光を遮断され、いわゆる株を軟白させる工程にもあたる。同工程では、収穫により切り落とされた株の根から新根が生え、そこから水を吸い上げることで、株のごく中心部に向けて水から得られるミネラル分を吸収させ独特の甘みを与え、クロッカンテな食感を生み出すのに役立つ。
さらには、暗所に静置することで、葉の持つクロロフィルが後退し、ラディキオ特有の純白な茎と、アントシアニンから発する紫がかった鮮やかな赤色を生み出す。そして、寒さなどの条件を満たすことにより葉が内側に向けてかたく、密に閉じてくる。
約2週間ほどの軟白工程を得た株は、作業場に運ばれ、外葉を大胆に除かれる。真っ黒に腐ったような大きな株は、驚くほど鮮やかで、しかも小ぶりなその美しい姿を露わにする。
とにかく一株一株を人の手によりいくつもの工程を経る必要のある、手間のかかる野菜なのだ。

出荷作業の終盤。掃除し流水で洗ってから箱詰めされる
美味しくラディッキオ料理を食べたい!
実際に手にしたら、どんな料理に合うのか…というと。それがどんな調理法にもオールマイティなのだ。
生でサラダに、縦割りにしてグリルに、衣にくぐらせ油で揚げてフリットに、肉やパンチェッタを巻いてフライパンで焼き付ける、等。サルシッチャと合わせてパスタにしたり、リゾットなどは、冬の定番メニュー。

ラディッキオ料理といえば定番!ラディッキオのリゾット。
ボルレッティ種やラモン種のインゲン豆を柔らかく煮てから漉して作るヴェネト風の「パスタ・エ・ファジョーリ」には、このラディッキオの葉先を乗せ、少し赤ビネガーをたらして食べるのが、地元風だ。

ヴェネトの冬の食卓を語るのに、この食材無しにはあり得ない。どの独特の形状とその風味、そして食感。野菜としては美しすぎ、そして個性的すぎる。他のどんなものにも代用は不可なのではないだろうか。
ラディッキオとは、チコリの仲間の野菜である。イタリア国内でも、ヴェネト州のトレヴィーゾ県を中心に、ヴェネツィア県、パドヴァ県の認証地域で栽培される。地区ごとに、その地域性にあった品種が存在し、生産及び出荷期間も冬季限定とはいえ、微妙に異なる。
そのなかでも、特に同素材を他地域にての生産を真似されることなく、この地域ならではの生産物としての誇りとその存在を保っているのが、トレヴィーゾ産赤ラディッキオ、タルディーヴォ種(ラディッキオ ロッソ・ディ・トレヴィーゾ・タルディーヴォ=Radicchio Rosso di Treviso Tardivo)。「タルディーヴォ」とは、「晩生」という意味を持ち、それは、生産・出荷時期がラディッキオの他種に比べて時期が遅めなことからくる。
それに対して早生種である「プレコーチェ」種というのもある。こちらはタルディーヴォ種に比べると、生産方法も単純で、産地呼称であるIGPにこだわらなければ、気候さえ適合すれば、比較的、生産実現が可能とされている。
生産・出荷時期の違いは、IGP認定マークが許可されるのにも目安となるが、毎年平均してプレコーチェ種は9月末、タルディーヴォ種は11月中旬以降となる。
さて、このタルディーヴォ種、なかなかの偏屈もので、生産までの工程には非常に手間がかかる。
その特異な生産工程とは?
植苗は7月後半から8月にかけて行われる。IGP認証を取得するには、苗間の間隔にも規定があるる。夏場の太陽の力をかりて2ヶ月以上畑で生育した苗は、その後冬の訪れがくるとともに寒さから自らを守るかのごとく、外葉が内葉をやや覆うような形になる。生産者は、季節の変わり具合、気候の変化を、畑の変化を感じながら時をじっと待つ。



ヴェネトの冬は寒い。
ラディッキオにとっては、この寒さが不可欠なのだ。葉は成長するが、成長しずぎてもいけない。寒さにじっと耐えるためには適度さが必要。そしてその寒さが深くなるにつれ、畑に並ぶラディッキオの葉は、赤く色付き始める。
11月ともなると、冷え込む朝は氷点下まで気温が下がり、畑のラディッキオには一面に真っ白な霜がおりる。キンと冷える薄暗い朝、夜明けとともにキラキラと朝焼けに光る畑は非常に美しい。そして、この霜がおりることによって、産地呼称のIGPが認証され、畑からの収穫が許される。
近年は、気候の変化が顕著であり、今シーズンのIGP認証は、11月の中旬をとうに過ぎた後半期であった。生産物の出来が遅くなることは、現実的には生産農家にとっても非常に痛手でもある。
さて、畑から収穫した株は、これで出荷準備に入るわけではない。この後は、一株ずつを小さなカセットに縦詰めにし、それらを地下水の流れる貯水池にて株の根を浸水させる。水は必ず流水でなくてはならず、この地の地下水でなければならないのも規定として定められている。

同地区は、地下から自然に湧き出る清澄な水が豊富な地域。イタリアを旅行した方ならば必ず一度は手にしたことがあろう、「サン・ベネデット」というイタリア国内最大級の飲料水メーカーのある場所でもあることからも、清澄な水に恵まれている地域であることがお解りいただけると思う。
この水がこのラディッキオを育てる必須要素なのだ。この自然水プールは、日光を遮断され、いわゆる株を軟白させる工程にもあたる。同工程では、収穫により切り落とされた株の根から新根が生え、そこから水を吸い上げることで、株のごく中心部に向けて水から得られるミネラル分を吸収させ独特の甘みを与え、クロッカンテな食感を生み出すのに役立つ。
さらには、暗所に静置することで、葉の持つクロロフィルが後退し、ラディキオ特有の純白な茎と、アントシアニンから発する紫がかった鮮やかな赤色を生み出す。そして、寒さなどの条件を満たすことにより葉が内側に向けてかたく、密に閉じてくる。
約2週間ほどの軟白工程を得た株は、作業場に運ばれ、外葉を大胆に除かれる。真っ黒に腐ったような大きな株は、驚くほど鮮やかで、しかも小ぶりなその美しい姿を露わにする。
とにかく一株一株を人の手によりいくつもの工程を経る必要のある、手間のかかる野菜なのだ。

美味しくラディッキオ料理を食べたい!
実際に手にしたら、どんな料理に合うのか…というと。それがどんな調理法にもオールマイティなのだ。
生でサラダに、縦割りにしてグリルに、衣にくぐらせ油で揚げてフリットに、肉やパンチェッタを巻いてフライパンで焼き付ける、等。サルシッチャと合わせてパスタにしたり、リゾットなどは、冬の定番メニュー。

ボルレッティ種やラモン種のインゲン豆を柔らかく煮てから漉して作るヴェネト風の「パスタ・エ・ファジョーリ」には、このラディッキオの葉先を乗せ、少し赤ビネガーをたらして食べるのが、地元風だ。
ヴェネツィアの美味しい季節もの「マザネーテ」
「Chi non conosce “le masanete” potete stare certi che no è venexiano」
「”マザネーテ”を知らない奴は、ヴェネツィア人の資格なし」
と言われる食材が、この「マザネーテ(mazanete)」。上記も然り、表記にはよく「maSanete」とSが使われるが、ヴェネツィアでは、このSを濁らせて発音する。
「マザネーテ」って何?
春先や秋口に珍重される、脱皮直後のカニ「モエーケ」が、その後数週間経ち、殻が硬くなったものを指す。ヴェネツィア人には非常に愛着のある食材で、この時期、オンブラ(グラスワイン)のお供として食べる庶民の味だ。この時期、魚屋の店先には、大きなバケツが置かれている。中を覗くと、ガサゴソと生きた小さなカニ、マザネーテがたくさんいる!

ヴェネツィア風「マザネーテ」の食べ方
生きたままを購入し、たっぷりの湯を沸かした鍋に、生きたままのそれらを一気に投入。死んでしまったものは、生臭くなるので、必ず生きたものを使う。火が通ったら取り出し、粗熱をとる。


まずは足を取り除き、背側の甲羅を一気にはがす。殻の内側に身が残ってしまったら、それも残さずにかきだす。腹側の比較的柔らかめの甲羅は、そのままに。

掃除を終えたら、調味開始。ニンニクとプレッツェーモロを刻み、オイルを加え、塩、コショウでととのえる。このソースは「ペステジーン=pestesin」と呼ばれる。その意味するところは、小さく(=sin)つぶした(=peste)というもの。ヴェネツィア訛りだ。
これらを全体によーく混ぜ合わせ、味をなじませるためにしばらく置く。食べる直前につくるよりも、作り置きしておくほうがオススメ。


テーブルに着席して食事するレストランでのメニューでは決してない。立ち飲みしながら、もしくは家庭内またはオステリアのテーブルの端にて、というシチュエーションが必須。
気の使わない仲間や知人とワイワイと喋りながら手も口もソースで汚しながら、バリバリと食べるが旨い。
ヴェネツィア下町の味。

トレヴィーゾ郊外の栗祭り 「フェスタ・デイ・マローニ」
トレヴィーゾ郊外の山間、コンバーイ(Combai)
すっかり秋らしく、冬の足音が聞こえてくるこの時期は、栗の美味しい季節。
トレヴィーゾ県のコンバーイ(Combai)という、プロセッコの里に隣接した山の地域では、産地呼称であるI.G.P.を冠する栗の産地としても有名だ。
その地で毎年10月には、栗の収穫祭が開かれる。ここに辿り着くまでには、プロセッコのブドウ畑の並ぶ急勾配の道を、車でズンズンと登っていく。紅葉の始まりかけた周囲の素晴らしく美しい風景を横目に、目的地へ。石造りの家の立ち並ぶ小さな集落。標高約400mに位置する町だ。
コンバーイはプロセッコの畑を見下ろす場所に位置する街に近ずくにつれて人も車も多くなり、会場から少し離れたところに車を止めるように交通整理員に誘導されて、徒歩で街の中心へ。普段は静かなこの小さな集落は、一年に一度のこの季節となると、車が渋滞するほどの賑わいとなる。

集落の入り口には大きな垂れ幕!
街全体がお祭り会場へ
集落内は全体がお祭り会場と化している。道端には、土地の製品を売る屋台が出店している。美味しそうな地元チーズやヴェネトの太いサラミ、ソプレッサの山は非常に魅力的…。

地元の食料品店の店先。簡易の即売所となる

柔らかく太いヴェネトのサラミ、ソプレッサ
そしてメイン会場へ到着。お昼どきには、ラザニアやニョッキ、スペッツァティーノ(肉の煮込み)などが振舞われており、大混雑の雑踏のなかで食べるそれらはこれまた格別。並べられたテーブルに座ると同席のお隣さんとも親しくなったりする。

牛肉のスペッツァティーノ。付け合わせはお決まりのポレンタで
祭りの目玉、焼き栗を食す!
別会場となる仮設テントは、焼き栗の大きな実演販売と飲食コーナーとなる。
テントの脇には、大きな大きな鉄鍋が設置されており、焼き栗が準備される。このお祭りの名物シーンでもある。チェーンで動作させるほどの大きな鉄鍋は、大量の薪を燃やして栗を焼く。煙がすごいが、気温の下がるこの時期には、暖をとるのにもちょうど良く、周囲には多くの人々が集まる。実際に焼いている人たちは大汗をかきながら作業しているのだが…

大きな鉄鍋で大量の焼き栗をつくる風景は、このお祭りの名物
食券販売所の列に並び、焼きたての焼き栗を注文。食券を持ってカウンターに行くと、焼き栗の袋と交換してもらえる。
熱々の焼き栗を囲んで、手先を真っ黒にしながらとにかく栗を食べる、食べる。食べる…食べ続ける。

真っ黒に焼けた栗。中はホッコリ。旨し!

会場内はテーブルが並べられていて、栗は立ち喰い
焼き栗のお供は…トルボリーノ
そして、焼き栗に欠かせないのが、「トルボリーノ(torbolino)」だ。「トルボリーノ」とは、この時期に飲むワインの前身のようなもの。収穫して間もないぶどうの果汁は、発酵過程を経てアルコールへと変わっていくが、その発酵がまだ完全になされていないこともあり、糖が残りアルコール度数が低い。当然のごとく、澱引きしていないことから、濁っている。「トルビド(=濁った)」であることが、「トルボリーノ」と通称される所以だ。
栗の収穫時期には、ちょうどこの段階のコレが季節的にも、そしてほんのりと残る甘い微発泡のコレが焼き栗に非常に合うことから、焼き栗とトルボリーノとはきってもきれない関係なのだ。
ワインになりきっていないぶどうの果汁という意味で、この会場ではあえて”モスト”と呼んでいる。

濁り酒のトルボリーノ
会場は、地元の子供たちも焼き栗や飲み物の提供をお手伝い。焼き栗の袋詰めやカウンターでワインを注いでくれる子供たちの姿がなんとも可愛くありながら大人びていて、見ていると思わず顔がほころぶ…。

注文のバンコ(カウンター)を守るのは、地元の子供たち
山間の小さな小さな街の大イベントだから、迎える人も訪れる人も喜びを一緒に分かち合う。この季節とこの季節だからこその味覚を皆で大いに楽しむ、そんな楽しいイベントだ。

コンバーイの街の上から。集落内はスパヴェンタパッセリ(かかし)が道案内
すっかり秋らしく、冬の足音が聞こえてくるこの時期は、栗の美味しい季節。
トレヴィーゾ県のコンバーイ(Combai)という、プロセッコの里に隣接した山の地域では、産地呼称であるI.G.P.を冠する栗の産地としても有名だ。
その地で毎年10月には、栗の収穫祭が開かれる。ここに辿り着くまでには、プロセッコのブドウ畑の並ぶ急勾配の道を、車でズンズンと登っていく。紅葉の始まりかけた周囲の素晴らしく美しい風景を横目に、目的地へ。石造りの家の立ち並ぶ小さな集落。標高約400mに位置する町だ。

コンバーイはプロセッコの畑を見下ろす場所に位置する街に近ずくにつれて人も車も多くなり、会場から少し離れたところに車を止めるように交通整理員に誘導されて、徒歩で街の中心へ。普段は静かなこの小さな集落は、一年に一度のこの季節となると、車が渋滞するほどの賑わいとなる。

街全体がお祭り会場へ
集落内は全体がお祭り会場と化している。道端には、土地の製品を売る屋台が出店している。美味しそうな地元チーズやヴェネトの太いサラミ、ソプレッサの山は非常に魅力的…。


そしてメイン会場へ到着。お昼どきには、ラザニアやニョッキ、スペッツァティーノ(肉の煮込み)などが振舞われており、大混雑の雑踏のなかで食べるそれらはこれまた格別。並べられたテーブルに座ると同席のお隣さんとも親しくなったりする。

祭りの目玉、焼き栗を食す!
別会場となる仮設テントは、焼き栗の大きな実演販売と飲食コーナーとなる。
テントの脇には、大きな大きな鉄鍋が設置されており、焼き栗が準備される。このお祭りの名物シーンでもある。チェーンで動作させるほどの大きな鉄鍋は、大量の薪を燃やして栗を焼く。煙がすごいが、気温の下がるこの時期には、暖をとるのにもちょうど良く、周囲には多くの人々が集まる。実際に焼いている人たちは大汗をかきながら作業しているのだが…

食券販売所の列に並び、焼きたての焼き栗を注文。食券を持ってカウンターに行くと、焼き栗の袋と交換してもらえる。
熱々の焼き栗を囲んで、手先を真っ黒にしながらとにかく栗を食べる、食べる。食べる…食べ続ける。


焼き栗のお供は…トルボリーノ
そして、焼き栗に欠かせないのが、「トルボリーノ(torbolino)」だ。「トルボリーノ」とは、この時期に飲むワインの前身のようなもの。収穫して間もないぶどうの果汁は、発酵過程を経てアルコールへと変わっていくが、その発酵がまだ完全になされていないこともあり、糖が残りアルコール度数が低い。当然のごとく、澱引きしていないことから、濁っている。「トルビド(=濁った)」であることが、「トルボリーノ」と通称される所以だ。
栗の収穫時期には、ちょうどこの段階のコレが季節的にも、そしてほんのりと残る甘い微発泡のコレが焼き栗に非常に合うことから、焼き栗とトルボリーノとはきってもきれない関係なのだ。
ワインになりきっていないぶどうの果汁という意味で、この会場ではあえて”モスト”と呼んでいる。

会場は、地元の子供たちも焼き栗や飲み物の提供をお手伝い。焼き栗の袋詰めやカウンターでワインを注いでくれる子供たちの姿がなんとも可愛くありながら大人びていて、見ていると思わず顔がほころぶ…。

山間の小さな小さな街の大イベントだから、迎える人も訪れる人も喜びを一緒に分かち合う。この季節とこの季節だからこその味覚を皆で大いに楽しむ、そんな楽しいイベントだ。

アジアーゴ高原のマルガにて
アジアーゴ高原は、ヴェネト州のヴィツェンツァ県と、お隣のアルト・アディジェ州トレント県との境に位置する地域。ドロミーテ山麓の始まりで、平地からも比較的気軽に訪れることのできる自然豊かな地区にて、夏場は避暑地として多くの人がバカンスで訪れる場所。冬場はもちろんスキー目当ての客が足を運ぶ場所だ。
アジアーゴと呼ばれる地域内はアルトピアーニ・デイ・アジアーゴ(Altopiano di Asiago)と呼ばれる標高約1000m級の丘陵地をさす。
同地区内、緑豊かな高原が連なる広大な地域。軽いハイキングから、リフュージョと言われる山小屋やマルガと呼ばれる牛の放牧場とチーズ製造所等があり、食事などを楽しむ場所であるため、バカンスシーズンはどこも人でいっぱいだ。
そんなマルガのうちのひとつ、今でもかなりアナログな感じでのチーズ作りがされている、カゼイフィーチョ(チーズの製造所)を訪れた。
そう、ここはヴェネトを代表するD.O.P.の認定もあるアジアーゴチーズのオリジナル産地でもある。
スパッチョと呼ばれる売り場に入ると、種類は少ないにしろ、ここで作られるチーズとサラミなどが置かれていて、なかなかいい感じ。
売り場脇にある製造現場を覗かせてもらった。
今やほぼ他では皆無に等しい、薪で炊くカルダイア(乳を温める鍋)。ガスなんか使うよりもこの周辺にある木々を使って、経済的にもまたエコ的にも優れているから当然!とご主人は話す。長年の経験での火加減の調節だから、ガスよりも、実際に燃え具合を目で見ながら火力調節、温度調節ができる自然の炎のほうが、彼にとっては簡単なのだそうだ。
そして、チーズの熟成室。D.O.P.の認証を得るには、もはや衛生的には検査に通らない木枠。なんともいい味わい。だから、もちろんここのチーズはD.O.P.の認証はない。
熟成室の外にはここでできるリコッタを燻製する燻製機が。ちょっと傾いた感じでいるところがこれも味わいのある風景。この時も燻製作業中だ。
ここでチーズが作られるのは、牛の放牧期間である5月から9月いっぱいくらいまで。そのため、フレッシュ、及び熟成期間の短いチーズの販売はこの期間のみ。その後は熟成タイプのもののみが彼らの手元に残る。
そして、10月に入ると、気温がぐっと下がり悪天候も続くため、牛はもっと平野部に近い牛舎へと運ばれる。
チーズの美味しさはその原料となる乳に由来するものだから、こんな大自然のなかでのびのびと過ごしている乳牛からとれる乳は美味しく、風味の豊かさが格段によい。見た目も黄色味が非常に強いものとなる。
この高原でつくられる特別に旨いチーズはこの期間限定の搾乳したものからのみ。なかなかとお目にかかれない希少な味わいのチーズだ。
ここで売られている美味しそうなサラミを横目で見つつ…彼らの飼育小屋の豚さん達にも別れを告げた。
アジアーゴと呼ばれる地域内はアルトピアーニ・デイ・アジアーゴ(Altopiano di Asiago)と呼ばれる標高約1000m級の丘陵地をさす。

そんなマルガのうちのひとつ、今でもかなりアナログな感じでのチーズ作りがされている、カゼイフィーチョ(チーズの製造所)を訪れた。
そう、ここはヴェネトを代表するD.O.P.の認定もあるアジアーゴチーズのオリジナル産地でもある。
スパッチョと呼ばれる売り場に入ると、種類は少ないにしろ、ここで作られるチーズとサラミなどが置かれていて、なかなかいい感じ。






そして、10月に入ると、気温がぐっと下がり悪天候も続くため、牛はもっと平野部に近い牛舎へと運ばれる。

この高原でつくられる特別に旨いチーズはこの期間限定の搾乳したものからのみ。なかなかとお目にかかれない希少な味わいのチーズだ。
ここで売られている美味しそうなサラミを横目で見つつ…彼らの飼育小屋の豚さん達にも別れを告げた。

ヴェネトのアスパラ第2弾 バドエーレ産アスパラIGP
ヴェネト州でも最も有名なバッサーノ産の白アスパラの産地から少し東にずれた地域にて、同じく春先の名産として知られているのが、トレヴィーゾ県バドエーレ地区を中心としたアスパラガス。
バッサーノは白のみだが、こちらは、白と緑との両方ともが生産され、産地呼称であるIGPに認定されている。生産地区として認定されているのは、トレヴィーゾ、パドヴァ、ヴェネツィア県下の指定地域。
この地域の特徴は、この地区は自然水の湧き出る、水のきれいな地域。ヴェネツィア共和国の影響を大きく受けた場所でもあり、当時の貴族の邸宅が、その水の流れに沿って点在する地域でもある。
毎年5月には、バドエーレの美しいヴェネツィア時代の建物がシンボルである広場にてサグラ(収穫祭)が開催され、生産者及び地元の人が集いその年の収穫の喜びを分かち合あわれる。

町の広場では、各生産者が出品する生産物の品評会会場となる

品評会の表彰式の様子

仮説レストランにて。アスパラずくしのメニューが振舞われる
さて、収穫現場へ…ここはヴェネツィア県下で唯一IGPの認定を受ける自治体であるスコルツェという町の生産者。
アスパラの収穫は朝が早い。特に白アスパラに関しては、日の光が強くなる前に行う必要がある。
収穫方法はバッサーノ産のものとほぼ同様、何列にもなった畝の黒ビニールを一列ずつ外し、土の上に穂先が出ているものをめがけて掘り起こす。

白アスパラの畑。この時期は生産地区ではこの光景があちらこちらに
通常、この畑作りをするのが冬の終わりである2月の終わりごろ。この地区はラディッキオの生産地域でもあるが、その年の出荷作業もようやく終盤を迎え始める時期がそのタイミングだ。
とはいえ、2018年の今年は、春先が低温で雨続きだったため、畑の準備がだいぶ遅れていた。収穫のスタートのタイミングも通年よりも1ヶ月ほどずれてしまったことが心配されたが、その後は気温がグンとあがり、アスパラも順調に生産・出荷が行われている。
白アスパラは盛り上げた土の中で、その温度変化を感じ、それに反応して上方に伸びる。高く盛った土の表面に出るまで日光にあたらないので、茎全体に色素が働かずに白いまま成長する。土表面に出たころには、長さが20㎝以上になっているので、そこでちょうど収穫時期。
ここでも、専用のコテを用い、茎を折らないように掘り起こす。

成長具合を確認しながら一本一本丁寧に掘り起こす
対し、緑のアスパラは、土の上にニョキニョキと伸びたものを収穫。
こちらは日光をいっぱいに浴びて、いわゆるアスパラらしい野生味あふれる香り豊かな美味しさ。

地表にニョキニョキと生えたアスパラ。これも成長具合をみながら収穫
同農家では、毎朝7時から約10人がかりでアスパラ収穫を行う。まずは白アスパラから取り掛かり、緑アスパラまで、約3時間かけて朝の重労働。
畑での作業を終え、次は作業場へ移動。
ここでは、洗浄をしながら太さを選別。ある程度に形の揃ったものを、専用の枠に整然とならべながら束をつくる。この枠にきっちりと入れると重さは1-1.5kgとなる。

専用の枠に綺麗に並べて束をつくる
長さを測って茎下部を切り取り、輪ゴムまたは紐でしばって商品として完成する。

規定の長さに切り揃えて出荷準備OK
経時劣化の早いアスパラは、常に水に放っておくとよい。できあがった束もすぐに冷たい水の入った水槽へ。
同農家で入手したアスパラでつくるリゾット。皮はブロードとして利用し、皿全体が白アスパラの香りでいっぱいとなる。

季節の定番。白
アスパラのリゾット
春ならではの極上を味わえるのも残りあと僅か。
バッサーノは白のみだが、こちらは、白と緑との両方ともが生産され、産地呼称であるIGPに認定されている。生産地区として認定されているのは、トレヴィーゾ、パドヴァ、ヴェネツィア県下の指定地域。
この地域の特徴は、この地区は自然水の湧き出る、水のきれいな地域。ヴェネツィア共和国の影響を大きく受けた場所でもあり、当時の貴族の邸宅が、その水の流れに沿って点在する地域でもある。
毎年5月には、バドエーレの美しいヴェネツィア時代の建物がシンボルである広場にてサグラ(収穫祭)が開催され、生産者及び地元の人が集いその年の収穫の喜びを分かち合あわれる。



さて、収穫現場へ…ここはヴェネツィア県下で唯一IGPの認定を受ける自治体であるスコルツェという町の生産者。
アスパラの収穫は朝が早い。特に白アスパラに関しては、日の光が強くなる前に行う必要がある。
収穫方法はバッサーノ産のものとほぼ同様、何列にもなった畝の黒ビニールを一列ずつ外し、土の上に穂先が出ているものをめがけて掘り起こす。

通常、この畑作りをするのが冬の終わりである2月の終わりごろ。この地区はラディッキオの生産地域でもあるが、その年の出荷作業もようやく終盤を迎え始める時期がそのタイミングだ。
とはいえ、2018年の今年は、春先が低温で雨続きだったため、畑の準備がだいぶ遅れていた。収穫のスタートのタイミングも通年よりも1ヶ月ほどずれてしまったことが心配されたが、その後は気温がグンとあがり、アスパラも順調に生産・出荷が行われている。
白アスパラは盛り上げた土の中で、その温度変化を感じ、それに反応して上方に伸びる。高く盛った土の表面に出るまで日光にあたらないので、茎全体に色素が働かずに白いまま成長する。土表面に出たころには、長さが20㎝以上になっているので、そこでちょうど収穫時期。
ここでも、専用のコテを用い、茎を折らないように掘り起こす。

対し、緑のアスパラは、土の上にニョキニョキと伸びたものを収穫。
こちらは日光をいっぱいに浴びて、いわゆるアスパラらしい野生味あふれる香り豊かな美味しさ。

同農家では、毎朝7時から約10人がかりでアスパラ収穫を行う。まずは白アスパラから取り掛かり、緑アスパラまで、約3時間かけて朝の重労働。
畑での作業を終え、次は作業場へ移動。
ここでは、洗浄をしながら太さを選別。ある程度に形の揃ったものを、専用の枠に整然とならべながら束をつくる。この枠にきっちりと入れると重さは1-1.5kgとなる。

長さを測って茎下部を切り取り、輪ゴムまたは紐でしばって商品として完成する。

経時劣化の早いアスパラは、常に水に放っておくとよい。できあがった束もすぐに冷たい水の入った水槽へ。
同農家で入手したアスパラでつくるリゾット。皮はブロードとして利用し、皿全体が白アスパラの香りでいっぱいとなる。

アスパラのリゾット
春ならではの極上を味わえるのも残りあと僅か。