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ジンにオオカミ、白トリュフ

  5月下旬、土曜日、午前6時半には車に乗っていた、、、と、言うより、乗せられてたというべきか。
目指したのはランゲ。旨い『ジン』をつくる生産者がいるからと。しかもオオカミからインスピレーションを得て、さらには白トリュフで風味づけをした『ジン』。
こんな書き出しだと既に皆さんにも、不思議に思うことがあれこれあるでしょう?
ピエモンテ州ランゲ地方と言えばバローロとかバルバレスコなどなど、とにかくワインのはずが、なぜゆえ『ジン』⁉
しかもなぜオオカミがそこに登場する?
白トリュフを使うなんてやり過ぎでは?

イタリアを20年ぐるぐる巡っていれば、しかも好奇心の人一倍旺盛な相棒をもてば、枠に当てはまらない生産者を訪ねることになるのは日常茶飯事。その日の『イタリア好き』な日帰りの旅ランゲ編もさっさと始まっていたのです。

ランゲ産旨いジンの不思議解明!
では、先に述べられた不思議に一つずつ迫ってみましょう。

ここは、バローロ村から東に15キロ、モンテルーポ・アルベーゼ(Montelupo Albese)。ここに住む若い夫婦ヴァレンティ―ナ・バローネ(Valentina Barone)とジョヴァンニ・アレッサンドリア(Giovanni Alessandria)は、はじけるような笑顔で私たちを待っていてくれました。

彼らの自宅は丘の上、やや切り立った斜面の上にあって、オリーブやオレンジの盆栽が並べられたテラスに立てば、リグーリア海から吹き上げてくる風と強い日差しが体の真正面から絡んできて、周囲の豊かな緑とあちこちに植えられたハーブが目に入り、彼らの声に耳を傾けたくなります。
「私達は仕事でロンドンに1年ほど暮らしたことがあるの。その時に二人とも『ジン』の虜になってね。」と、ヴァレンティ―ナ。

「でもほら、若者向けの小洒落たラウンジなんかだと量ばかりどんどん飲まされて、翌朝は頭痛で目が覚める。あれはちょっと頂けないなぁって。それで私たちなりのジンをつくれたら、って思ったわけ。」

なぜオオカミ?

「ああ、オオカミ?だって、この村はモンテルーポ(Lupoは狼の意)って名前だろう。」と、ジョバンニ。

ここで皆さん、イタリアに限らず西洋諸国を旅してお気づきになったことはありませんか、いかにオオカミ好きの人が多いかに。イタリアでは絶滅の危機に瀕していたイタリア・オオカミの保護活動『Operazione San Francesco』は既に1970年に立ち上がっているし、フランス人ピアニストのエレーヌ・グリモーがアメリカ・ニューヨーク州で『ニューヨーク・ウルフ・センター』を設立し、やはり保護活動にあたっています。

オオカミの話になると目を輝かせ、その生態や林野で遭遇した時の体験を幸せそうに語るイタリア人は私の相棒に限らず、大勢います。

日本ではこんな『オオカミ好き』や野生動物好きにあったことはあまりなかった。
私も子供の頃は椋鳩十やシートン動物記を読み漁っていたけど、なんだか情熱の種類が違う気がするのです。

さて、話をヴァレンティ―ナとジョバンニに戻すと、モンテルーポ村(オオカミ山の意)に暮らす二人は、50年前にアブルッツォで始まった保護活動からイメージを膨らませていきました。長年の取り組みが功を奏し、オオカミたちの生息数は年々増加し、イタリア半島全体に生息範囲を広め、次第に北上しながらリグーリアに到達、ここ数年でピエモンテにもその生息範囲を広げている事実に着目します。

『ジン』は、ジュニパーベリー(セイヨウネズの球果)の他『ボタニカル』と呼ばれる様々な草根皮木が加えられてゆっくり蒸溜にかけて作られます。イタリア人らしい個性を発揮できるのもこのボタニカルのセレクションのあたり。ヴァレンティ―ナとジョバンニは、アブルッツォを離れ、果てしない旅路の末にモンテルーポ村に辿り着いたオオカミを思い描いてボタニカルを選びました。太陽の位置、月の満ち欠け、様々な条件から自分の位置を知り、他の動物たちの匂いと一緒にあっちこっちの草木の香りを嗅いだに違いない。その香りを追う『ジン』を作ろうと。

そうして生まれたのが一本目のジン。その名もシンプルに『Dry Gin』。ボタニカルとして用いたのは7種類、アペニン産ジュニパー、タイム、ローリエ、野生のローズマリー、サンブーコ、リグーリア産ペルナンブッコ種のオレンジそしてピエモンテ産ヘーゼルナッツ。完成した『ジン』は自然な優しさが備わった、ほっとする味わい。

「ほっとした?長旅の末にオオカミはここを終着点に選んだから。Montelupoこそがオオカミの落ち着ける場所。僕たちのジンのブランド名も『Wolfrest』。」

このジンをストレートで口に含みながら、ジョヴァンニの言葉に頷く。そして、今度はジントニックで。とても洗練されたフレッシュな味わいでした。

ボタニカルには白トリュフ

「白トリュフを使って何かをしたいというのは、ジンを作ることを思いつくもっと前から考えてた。」ジョバンニが切り出した言葉が印象的。

ジョバンニの一家はおじいちゃんも、お父さんも白トリュフ採り。
「僕もトリフラウ(Trifulau:トリュフ採り)だよ。このモンテルーポのあたりでも良質のトリュフが採れる。この地域に結びついた良いものを使ってヴァレンティーナと二人で何か作りたいと考えた時、やっぱり真っ先に白トリュフだと思ったんだ。」

ヴァレンティ―ナとジョヴァンニがおつき合いを始めたのは、高校時代。それから20年、二人はずっと一緒。だから二人が一緒に出来る仕事を生み出したかった。『白トリュフの旨いジンを作る』、そんな奇想天外な思いも、夫婦の阿吽の呼吸があって実現できたのかもしれません。

 私たちの間で続いていたお喋りは、3種類のボタニカル、アペニン産ジュニパー、ヘイゼルナッツと白トリュフだけから生まれた『ジン』、その名も『Alba』を口に含んだときの驚きにピタリと止みます。

まず、鼻腔をくすぐるのが白トリュフが生んだ野生の香り。

次にパンチの利いたジンならではの風味に襲われたかな、と思ったその瞬間、あの白トリュフ独特のほとんどエロチックなほどの風味が訴えかけてくるのです。

このジンの野性味を嗅ぎ分けられた人は、西洋人が野生に同化したいと願うほどの憧れと、日本人の野生を神と崇めるほどの憧憬の念、そのアプローチの違いをこのジン一滴の中に理解できるはず。

(こんな凄いものをこんな若い二人が作ってしまったのか。)改めて二人を見つめてしまいました。私の相棒も断言します。
「これは白トリュフはジンになるために生まれたと信じさせちまうほどの代物だ!陣に白トリュフなんてやり過ぎと思ってここに来たが、そんな偏見を一掃する逸品だよ。」

驚いたことに、500ml入りボトル1000本を生産するためには、なんと7キロもの白トリュフが必要だそう。因みに白トリュフは100グラムあれば6人で2,3種類の料理を堪能できる量です。だから7キロあったら一体何人を幸せにできる⁉ お値段にしたら一体いくらになるか、恐ろしくて考えなくない。
それでも二人は決してエッセンスオイルを使用したくなかった。

人工的な白トリュフの香りをつけるのは、自分たちの土地への愛情表現とは違うからといいます。

「だからこのジンは、ボトルごとキンキンに冷やしてからグラスに注ぎ、これだけで楽しんでね。」と。

妙な日帰り旅行と思っていたのに、全てがすっかり胸に収まってウキウキして帰途につけたのは、『若い二人が自分たちの考えをしっかり整理し、時間と労力とかけて試行錯誤を繰り返したから、この驚きの逸品を生んだのだ』と、このジンの味わいに納得させられたからじゃないかと思います。

WOLFREST GIN
Via Ballerina 19
12050 Montelupo Albese (CN)
tel. 320 4161520
info@wolfrestgin.com
www.wolfrestgin.com

トルタに託したイタリア女性たちの夢

目に入った瞬間に『おいで、おいで』をしてくる面構えのお店はどんな街にもあるものです。
『さあ、この店なら貴方の求めているものが必ずや見つかるはず!』と保証しているかのような。
例えばピエモンテの小さな町にトルタが売りのこのカフェ。
(前回試したリコッタケーキは、搾りたての乳の風味と舌に触るドライフルーツの存在感が期待どおりだった。)
そう思い出しながらほくそ笑んで、ああ、今日はどれにしようかと品定を始める。リコッタやチョコレートなど定番ものに、季節感あふれるフルーツのケーキなど季節メニューでバラエティーに富んだトルタ、お昼時にはミニピザやサンドイッチもショーケースに所狭しと並びます。
、、、と、ふと視線を上げれば黒光りしたマリアージュの紅茶の缶が並ぶ棚の前で、恰幅の良いエプロン姿のおばちゃんがこちらを見据え「さっ、何にします!?」と、迫ってきた。味のある店にはスタッフもお客もしっかり仕切るこんなパーソナリティがいるもの。
慌ててオレンジピールの艶も色っぽいチョコレートケーキを注文をしながら視線を走らせて空いたテーブルを探し腰を下ろして一息つけば、今日のプチ幸せな時間の始まりです。
んんんっ!やっぱりこってりまったりのチョコに、オレンジの酸味がたまりません!

ビエッラの中心部に開いたケーキとお茶が自慢のカフェテリアその名も『La Torteria(ラ・トルテリア)』。おばちゃんはお店の顔、スタッフみんなのマンマ、ホール責任者のエリーザさん。でも、このお店の成り立ちはちょっと変わっていて、オーナーは甘党の若手弁護士の二人組フランチェスカとルーカ。
「見た目は無骨で家庭的でも、口にしたら満足度抜群のトルタが食べられる、カップになみなみ注いだ熱く美味しいお茶といっしょに。そんな朝食が楽しめるお店がどうして自分の町にはないんだろう?ってずっと不満だった。ならばと自分たちで作ればいいと、仕事で独り立ちができた時にこの店を開きました。」と、フランチェスカ。

大好きなお茶の仕入れはフランチェスカ自身が担当。緑茶も大好き。日本に自ら買い付けに行くほどのお茶好き。抹茶も立てる。
「この人ったら、高級なお茶でも気に入ればどんどん買いつけてくるから、心配で!」

と、フランチェスカの隣でエリーザおばちゃんが笑います。確かに選ぶのに困るくらい充実のティーメニューはパリのカフェにも引けを取らない。そういえば店内の雰囲気もパリ風。予算節約のためにフランチェスカのマンマが担当したという内装は、どのアングルも絵になるし、テーブルに着くとその小さな空間に自分の体にしっくり収まって居心地が良い。朝の開店時間から夕方まで人の流れに切れ間がありません。

そんな小さなサクセスストリーを持つお店で働くのは女性6人。ホール3名、工房に3名。ホール責任者のエリーザを除けば、オーナーのフランチェスカのようにみな2足の草鞋。例えば、パティシエ嬢のエリーザはファッションジャーナリスト。ケーキ作りが大好きで、午前は工房で粉にまみれ、執筆業は午後から。
洋菓子学校で研修を受けたのはモロッコ人のブシェラちゃんだけ。でも大事なのは経験と、皆、独学で腕を磨いて工房に立っています。一仕事の終わった午後の落ち着いた時間に工房を訪ねるときちんと片付いたピカピカの調理台、大きな壁かけの時計の下に並んだナッツ類の並んだ棚。あの幸せなトルタたちを育むゆりかごはここなんだと頷けます。
写真提供(Elisa Rama)

『工房に遊びに来るなら朝が一番!楽しいものがたくさんあるのよ』とアリアンナちゃん。
                  写真提供(Elisa Rama)

「僕とフランチェスカは法律屋としては労働環境整備が専門分野。当然お店のスタッフの職場環境を保証することもしっかり考えました。スタッフが自分の仕事に情熱を感じて店に勤務してもらうことが最後にはこの店がお客さんに喜んでもらうための秘訣だと思うんです。」と黒一点、経理など裏方担当のルーカ。

2019年10月10日、それは彼らにとって新しい挑戦の日。
ビエッラから車で1時間のヴェルチェッリの街、カヴール広場の外れ、パブやワインバー肉屋なんかが並ぶ魅力的な小さな路地に2号店をオープンさせました。
ここでビエッラの店と同じクオリティのトルタにお茶、てきぱきとしたサービスを提供していこうと皆やる気満々!
「ビエッラの工房から運ぶトルタと一緒にあたしたちもヴェルチェッリに通いよ!」とエリーザおばさん。
「どうしてヴェルチェッリかって?トリノやミラノといった大都市での展開は全く考えていません。だってビエッラでこのお店を開店したそもそもの動機が小さな街に小さな幸せをってことだったから。」
女性ならではの力が実を結ぶ例は日本でも多く目にしますが、今回はイタリアでもウーマンパワーの相乗効果で力強く展開できた美味しくって素敵なエピソードをお伝えしました。

[ショップデータ]
La Torteria

ビエッラ店
住所 Via Del Pozzo, 2  Biella
Tel +39 015 099 1291
ヴェルチェッリ店
住所  Via dei Mercanti 11
Tel  +390161 185 0070

いずれも 営業時間 7:30から17:30 定休日:日曜日

知ったかぶりはご法度!一癖あるヴェローナ人御用達トラットリア


「いいかい、、、(くりくりした瞳をさらに見開いて続けるレオ)はじめに儲けありきではこの商売はやってけない。」
あまーくて、ぷっくりして、エメラルドにも似た輝きのグリンピースを手打ちのパスタと頬張り、こっくり頷く私たち。
タリヤテッレに茹でたグリンピースがそのまま和えられた一見シンプル極まりない一皿であるのに、この元気いっぱいの青さとコクは一体どこから来るのか!?
北イタリアはヴェネト州ヴェローナの町の中心部。夏のオペラ・フェスティバルで知られるアレーナからアレアルディ橋に向かって徒歩10分ほどのところにある老舗トラットリア。どのアングルにカメラのレンズを向けてもフォトジェニック!
『Antica Trattoria Tipica Al Bersagliere(アンティーカ・トラットリア・ティピカ アル・ベルサリェレ)』の人の心を動かす一皿を、足をばたつかせて喜びたくなるほど美味いグラス一杯のワインを口にできるのは、このレオの素材に対する飽くなき探求心と郷土愛があってこそなのです。
イタリアに来て、地方都市に足を運んだら、やっぱりその町の伝統料理を食べてみたいもの。野菜、肉、魚の使い方、塩加減、熱の通し方や色合いを知れば、その町の素顔が言葉を交さずとも説得力をもって舌と心に浮かんでくるもの。

何百件、何千件の飲食店がひしめくイタリアの中核都市。ところが暇を厭わず足繁く生産者を訪ね、小さな素材も侮らずに品定めし、厨房での味の吟味にも気を抜かない、伝統にのっとりつつもパワー全開でどのお皿もテーブルに運べる店はほんの一つか二つ。三つ挙げられる町があったらめっけもの!
ヴェローナでそんなお店を挙げるなら、この『アル・ベルサリェレ』はそんな一つでしょう。
若かりし頃にはギンギンのレーサーだったレオ。移動は苦じゃない。年を重ねた今はお腹はちょっとポッコリしているけど、街中では自転車に、ヴェローナ郊外ならご自慢のハーレーにひらりと跨り、あっちこっちに出かけていく。そうやって収集したレシピの数は相当なもので、装丁も美しいレシピ集として出版されています。 ワインも手頃なお値段のものからワイン通なら垂涎ものまで彼の目にかなったものが並ぶだけでなく、グラッパやウィスキー、ラム酒まで蒸留酒のセレクションもかなりのもの!ヴェローナといえばワイン国際見本市『ヴィーニタリー』の開催地ですが、そのオーガナイザーたちがほっと一息入れたいとき、無意識に足を向けてしまうお店もここなのです。

因みにホールという表舞台を仕切るのがレオなら、厨房で彼のレシピを忠実に再現しているのが奥さんのマリーナと息子のアレッサンドロ。アレッサンドロはヴェネツィア大学で日本語を専攻し、奨学生として日本に留学していたこともある秀才だけど、やっぱり厨房の面白さに憑りつかれて家業に専念しています。
家族が生み出すポレンタの練り具合や焼き加減は絶妙。干ダラも臭みをとるのにかける手間暇は絶対に惜しまない。ガチョウの煮込みは緩めに仕上げたポレンタにお皿の上でざっくりと混ぜて口に含む。この地域の人たちの体を数世紀に渡り温め続けてきたガチョウのラグーのコクたるや唸らずにはいられません。

ちょっと褒めすぎ? あります、難点も。それはレオ自身。曲がったことがきらい、行儀の悪い人も嫌い。知ったかぶりはご法度。レオとパルスを合わすのは結構難しい。
が、波長が合えば、ヴェロネーゼの真骨頂が見えてくる!
皆さんもヴェローナに行く機会があれば、この町の人たちのための不思議な空間に是非異次元トリップしてみてください。


(仕事の合間にレオが特別に連れて行ってくれたヴェローナ市議会場。暗い大広間の窓からアレーナが2000年の歴史を誇っているのが見えました。)

[ショップデータ]
Antica Trattoria Al Bersagliere
住所 Via Dietro Pallone, 1, 37121 Verona VR

営業時間 12:00/14:00   19:15 /21:45(LO)休業日 日・月

TEL+39 045 800 482
http://www.trattoriaalbersagliere.it/

山人たちの爆竹リコッタ『ムルタリット』

皆さん、トランズマンツァの季節です!『Transumanza』アルプス地域でも初夏から秋にかけて家畜を標高の高い山の上で放牧します。美味しい夏草を食べさせることでより味わいの深いチーズが生産できるのです。
アルプスの少女ハイジのあの世界を、今もそのまま続けている人たちがいるんですよ。ピエモンテ州ビエッラ地域に住む酪農家にもそれを続けているところは多くあって、彼らは地域の方言で「マルガーリ(Malgari )又は(マルゲ:Marghé)」と呼ばれています。
私たちが懇意にしているマルガーリの中でもバターづくりの名手『オルガ』や柔らかな風味のトーマチーズを作るレナ―タは、『イタリア好き(ピエモンテ州号)』本誌でも紹介されましたが、ロッソ・バイエットさんをまだご紹介していませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼らも優れたチーズ生産者です。飼っているのはペッツァータ・ロッサ・ドローパ(pezzata rozza d’Oropa)という希少品種のみ。前の日に絞った乳を流水で冷やし、浮いた脂肪を掬ってまずバターを作ると、残った牛乳(脱脂乳)でトーマを作る。さらにホエーを温め直してリコッタを作る。そういう伝統的な酪農加工品の生産方法をとっていることでは、前述の二人と同じ、几帳面さも清潔感も負ける劣らず。大好きな生産者の一人です。
が、一つだけ違うのは、リコッタからこの『ムルタリット(Murtarit)』 を作るビエッラでも数少ない生産者だということ。ムルタリットとはこの地域の方言で『爆竹』の意味。どこが爆竹?

ロッソ・バイエットさんはオルガ同様、今でも薪で乳を温めてチーズもリコッタも作ります。もちろん低温殺菌は行わず、薪の包容力豊かな炎でゆっくりと温めて善玉菌を絶妙に手なずけてチーズを作っていきます。 その炎がゆらゆらと立ち上る先に、『燕が巣でも作りましたか?』と聞いてみたくなるような止まり木が二つ。これこそがムルタリットの眠る寝床。
リコッタはそのまま食べても美味しいですが、彼女はそこにローズマリー、野生のタイム、オレガノのペペロンチーノに塩を適量入れて大きめの団子を作ります。表面が乾いたらいよいよ『止まり木』に!こうして、乳を温める炉の熱で水分をとりつつ、煙で燻されていく。2週間をかけゆっくりゆっくり石のように固く、色もグレーのボールへと変化していきます。
さあ、小さくても妙に迫力をもった可愛いムルタリットの出来上がり!さっとスパゲッティやラビオリを茹で、これを削りかけると、シンプルであるはずがコクがあって複雑な逸品ができてしまうのです。
今では生産者もほとんどいなくなった『ムルタリット』で、お店では売られていない幻のリコッタ。昔は『マルガーリのパルミジャーノ』と言われていました。硬質で、日持ちがして、持ち運びに便利。パルミジャーノのようにパスタに振りかけて用いることが多いからです。

『爆竹』と呼ばれるのはペペロンチーノの辛みのせい?ちょっと待った!ピエモンテーゼはもともと辛いのは苦手。日本人の私たちにはちょっと『元気が良い』ぐらいのレベルです。むしろ、口に含むとミルクをベースに様々なハーブや唐辛子の無限に広がる味わいに爆発のような勢いがあるから?かも知れません

特にちょうど今の時期、家の男衆が山の上の放牧小屋(アルペッジョ)に牛を上げる準備を始める頃にムルタリットも作られます。パルミジャーノがごとく、山に持っていて男たちでも簡単にパスタを茹でたら、マンマの愛情と一緒にこれをゴシゴシ削る。オリーブオイルを垂らす!何もなくてもパスタとサラダで働く男たちの豊かな食卓の出来上がりです。

なんでもないシンプルな加工品が素晴らしい幸せの宅急便になれる。イタリアの食文化の底力を見た気がします。

伝説まであと一歩。小さな町の、小さなバールの話

「かわいい女の子は、自分のルックスもサービスに含むと思い込んでるんじゃないか、と、時々心配になる。」

街の真ん中のモダンなバールでエスプレッソを口にしたクラウディオが、小さなカップをソーサーに戻しながらいいます。結構いるのです。絵から抜け出たかのような美しさの女性バリスタ。でもにこりともしない。自分が何か悪いことでもしたかと、せっかくのカフェの旨さ半減ということが。


ところが、ところが、我が家の手狭なキッチンよりさらに小さいくらいの『Bar Odeon(バール・オデオン)』はちょっと違う。いえいえ、ここで働く女性たち3人も皆、個性的美人ぞろいですぞ!
媚は売らない。が、笑う時は思い切り笑う。お客を待たさない。そして何といっても客の欲するものを先読みする。たとえば、アレルギーに苦しんでいる私の女友達が、マクロビのお店で買ったグルテンフリーの乾パンを持ってこの店に入る。注文を取りに来た二十歳そこそのマルティナがその袋をみて、
「もしかてセリアック病?ちがう、良かった!なら、この店にもグルテンフリーのパンがありますよ。お買いになった袋は空けずに持って帰って、こちらを食べられたらどう?」

もともとこのバールは、隣にある劇場付属のバールとしてオープン。芝居のインターバルにちょっとしたドリンクを楽しむ目的で作られたため、スペースは限られ、火も持ち込めない。だからパスタすら作って出すことができないのです。

ところが、店主のアントニオがこの町はずれにある店舗を借りてバールを始めてからもう18年。ビエッラでは古参の方。実際、朝6時に開店してから夜の10時まで、客は途絶えたことがありません。
なぜ?アントニオの得意なものはシャンパンからスプマンテまでシュワシュワ発泡酒。開店当時から自分の強みでガンガン責めることにしたわけです。ピエモンテのバローロとかはほとんど置いていない。火が使えないから肉の煮込み料理とか出せないですから。その代わり、お酒に合わせて出す素材はパンもオーガニックならサラミ、チーズ、生で出す野菜まで、イタリア中から選りすぐりを集めてきた。ピエモンテ牛の生肉サラダ、カンタブリコ産のアンチョビ、ファラオナ鳥のパテなど、華やか且つ軽やかで発泡酒にはぴったりの一品料理が並ぶ。冬場は月一回、シャンパンを生ガキで楽しむことも。
夜の7時を過ぎると、ちょっと華やかな気分に浸りたい、30代から50代のアントニオ・ファンが詰めかけ楽しい夕べがあっという間に出来上がります。

翌朝は6時の開店と同時に仕事前のちょっと元気を出したい男たち、まぎれてスポーティーなおばちゃん達がカップっチーノを啜りにやってくる。
朝の遅い時間からは、パソコン持参で仕事がてらワインを啜る営業マン、そのままお昼食べながら打ち合わせする人も。とにかく居心地がいいのです。
店主アントニオはナポリ男。ピエモンテのこの町ビエッラ出身の女性と恋に落ち、この町でバールを開きました。
「でも、マンマはフリウラーナ、イタリアでも全く北の人間で、朝、出がけの身だしなみから、学校、家での整理整頓までちっかり、きっちり仕込まれた。それを店で働く店員の教育でも生かしているだけだよ。」


店員がしっかり教育されてるのはわかる。が、お客さんも、知らない間にそれを見習ってしまうのです。小さい店だから席を譲り合う。大声はださない。見知らぬ客どうしも直ぐ仲間になっちゃう。アントニオは自分のマンマを尊敬していると言い切ります。でも、ナポリ人の温かさがこの店に集うものを一つの家族に作り上げている気がします。
ここはイタリアの街角、小さなドアを押して入るとこんな世界が広がっているバールはまだまだ無数にあるのです!

Baro Odeon
Via Torino, 67
Biella 13900
Tel +39 015 0992728

バローロの巨匠が日本の若者に語ったこと

今月は本来なら別のテーマについて語ろうと思っていました。
が、イタリア語でUPした記事を読んでくださった友人から「これは日本語でもUPするべき」と背中を押してもらい、これを掲載することにします。
イタリア好きのピエモンテ特集の際、取り上げて頂いたバローロのワイナリー『カッペッラーノ』での忘れがたい出来事です。
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テオバルド・カッペッラーノが日本の若者に語ったこと

自分の信念やイデオロギーをはっきり口にできたら素晴らしい。さらに、それをどんな時も体現することが出来たらもっと素晴らしい。現代の物質的豊かさや社会現象の複雑さがいとも簡単に人の勇気を挫いたり、言葉の重み忘れさせたりできるから。

『、、、私は、それが肯定的であっても否定的であっても自由に発せられる情報を信じます。私のこの丘陵は、アナーキーに広がるなだらかな土地で、異端裁判官や反対派閥もなく、厳しく注意深い批評に刺激を受ければ内面的に豊かさを増すところだと思います。今日でもなお、母なる自然から褒美の与えられたことない人に、農民としての連帯を示すことの出来る集団のために私は奮闘します。
幻想でしょうか?だったら幻想を見させておいてくれませんか?   テオバルド』


しなだれた枝を揺らす柳の木の下で眠るような小さなカンティーナで、故テオバルド・カッペッラーノは10年前、料理人を目指す日本の若者たちと数時間を共に過ごし、ワインの裏ラベルに刻んだこの彼の言葉の意味を彼らの前で文字通り体現してくれた。

底冷えのする冬の日の午後、不安を押し殺すように5分待ってからもう一度インターホンを押した。やっぱり何も起こらない。20名を超える若者が私の背後でコートの襟元をぎゅっと掴んで足を踏み鳴らし寒さをこらえている。引率の講師が仏頂面でバスに乗って引き換えそうと言いだした。頭の中が真っ白になった。実は別の不安もあった。バローロの造り手として大きな尊敬を集めるテオバルドに懇願して多人数の訪問の了解を取りつけたはいいが、バスの中でこの料理人の卵たちからワインの講義は始まったばかりでバローロのこともほとんど知らないと告白された。目の前の硬く閉ざされた門を開いてもらったところで、接点のない訪問になりかねなかった。諦めてバスを呼ぼうと携帯をポケットからとり出した時、門がゆっくり開きだした。
その日、カンティーナの薄灯りの下にテオバルドは松葉杖にしがみついて現れた。彼の歩みごとにを食いしばる姿を見れば、病名など訊かなくてもその苦痛の大きさが門の前で待たされた理由だったことは誰の目にも明らかだった。それでも、前日の電話でも彼は自分の健康問題には一言も触れず、こうして私に約束したとおり子供たちを迎えてくれている。バスの中で心配になるくらいふざけていた子らの私語がピタリと止んでいた。彼を学生に紹介する私の声が震えた。
「ごらんのとおり、私は今日は体の調子があまり良くありません。皆さんを立たせたままで失礼と承知していますが、私は座って話をさせてもらいます。さあ、もっと近くに寄って構いませんよ。」
彼がゆっくりと椅子に腰を下ろし、若者たちは澄んだ瞳を彼に向けたまま静かにテオバルドと私の周りに小さな円を作った。
「君たちはワインを勉強しているの?」子供の一人が勉強をし始めたばかりだと答える。「バローロワインのことは?」今度は皆が首を横に振った。
テオバルドはゆっくり言った。「ではね、このカンティーナを見渡して疑問に思ったことを私に聞いてみなさい。どんな小さなことでも遠慮しないで質問してごらん。」
「ここにある木樽は何年ぐらい使えるものですか?」「そこにある大きな樽を見てごらん、それは何十年も前に作られたものだ。この近くのワイン生産者がこれは古くなったから棄てるというのでね、お前は馬鹿者だといって、私が引き取った。修理をして今も立派に使っている。」


人前で話すことの苦手な日本人から控えめにでも次々にシンプルな質問が続く。
「樽はなぜ大きなものや小さなものがありますか?」
「樽にはなぜ丸いものと楕円形のものがありますか?」
「美味しいワインとそうでないワインの違いは何ですか?」
「はは、コレは難しい質問だ。私はね、自分の暮らすこの地域が大好きで自分の作るワインでもこの土地の特徴や自然をしっかりと表現したいと心掛けています。例えばこの地域は中世の時代からブドウ栽培が盛んで、バルバロッサがこの地域に攻めてきたとき、霧に包まれた丘に見えるブドウ畑の支柱の先を槍の鉾先と見間違い、その数の兵にはには叶わないと退散したという逸話さえある。バローロというワインだがね。その霧が出る時期に熟すことに因んでネッビオーロと名づけられた品種だけを用いてつくる。モノヴィティーニョといって他の品種とは混ぜないから気象条件やその他の影響をまともに受け、上手く作るのには手がかかる。けれどその分、この土地のテロワールを率直に表現する力を持っている。私も私の家族もワインを飲んで美味しいと思った。だからこれを売ろうと考えた。それを買って飲んだ人も同じように美味しいと思ってくれたらと願っています。」
この日、テオバルドが子供たちのために費やしたのは3時間。遠い異国の若者たちを偏見の目で見ることもなく、彼らの純心無垢な質問に誠心誠意耳を傾け、自分の言葉で丁寧に答えることで、イタリアのワインの専門家や愛好家から集めるのと同じ大きな尊敬の念をテオバルドは日本の若者たちの心の中に生みつけた。

白猫マルタを肩に学生と笑顔で写真に収まるテオバルド。思い出にと購入したバローロのボトルを宝のように抱いて放さない子供たちを見ながら、彼の中に僅かでも生気が戻っているように思えた。
「ちょっとね、新聞を買ってくる。」そういってカンティーナを離れるテオバルドの足取りもずっと軽くなっていた。

彼のいないランゲでのブドウの収穫は、今年で10回目を迎える。中には大切な畑の一部が大雨で流された年もあった。心配する私たちを息子のアウグストは『自然とはこういうものだよ。嘆くべきことじゃない。』と逆に慰めた。
夫クラウディオが大切に口にする『ピエモンテズィタ』つまり、ピエモンテーゼの高き精神。ここで暮らし始めたときは頭の中で想像してみるしかなかったが、今、この言葉を思うときその高いところにはいつもテオバルドの笑みがある。

http://www.cappellano1870.it/it/

お問い合わせは
m.iwasaki@alice.it



 

 

ヴァッレ・ダオスタ州-世界を見下ろす峰の麓に育つジャガイモ

北イタリアは、このところ日中でも零下。身を切るような寒さが続いています。そんな日の夕方はやっぱり、体を温めてくれる野菜たっぷりのズッパが一番。ちょっとパプリカを利かせれば体の芯からあたっまる!、、、と、夫が食物庫から何やら持ってくると、アルミホイルに包んでホイッと暖炉に投げ込む。付け合せに、アオスタから届いたジャガイモをね、ホクホクに焼いて野菜の酸味とパプリカの辛味がアクセントのズッパにあわせるのですよ。山岳地帯で収獲されるこのジャガイモは平地で取れるものより糖分が高く、カロリーも高め。が、ポテトフライ用はなんとも味わい深く、肉じゃが用はお肉のコクにピタリとくる!
ふとそんな特別なジャガイモを作っている青年たちのことを思い出しました。
今は誰も見向きもしなくなった小さなジャガイモたちを何種類も、その種を絶やさないようにと願いながら育てている彼ら。感動して、イタリア国内で紹介するために書いた記事の日本語版が手許にあるので、紹介します。ちと、眺めですが、彼らに免じてお許しいただくとして、、、

ブオナ・レットゥーラ!
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アオスタの美しい自然の中で

おおばこ、たんぽぽ、スイカズラ、厚い緑のじゅうたんが足のつま先に触れる。草の名前を一つずつ口にするうち、草の間に埋もれたサヴォイキャベツのルビー色が目に入った。その葉先で朝露が揺れる。
「2分でそっちに行くから」販売所に来た客の応対に向かうフェデリーコの明るい声が背中に聞こえた。
「ああ、お構いなく」クローバー、ニンジンの葉、ユキノシタ、セロリにスズメノテッポウ、、、様々な野草と野菜が混在する3500㎡の愉快で健康な畑。あちこちで麦の穂も揺れていた。
固いスイカズラの葉をつまんで口に入れると優しい酸味が口に広がる。  秋晴れの空に顔を上げると彼方でモンテローザの連山に生まれた雄大な氷河がこちらを横目で見下ろしていた。その下で牛たちがのんびり草を食む。
『Paysage à Manger(ペイザージュ・ア・マンジェール=かぶりつきたくなる風景)』 アオスタ渓谷州グレッソネイ=セント・ジェンのこの場所に立てば自然にこの名前が口をついて出る。  これが、この山岳地域に暮らすリータ、レレ、ロベルトそして中心となる二人のフェデリーコの若い5人が作った農業生産者の名前。ジャガイモを中心にこの山岳地域に昔は普通にあった、でも、今では希少になった作物を自然農法で栽培販売している。

変わった色や形のジャガイモが並ぶ賑やかな売り台の前で食べごろの野菜の名前を次々に客に告げるフェデリーコの声がする。彼はおもむろにカゴを手に取ると目当ての野菜を採りに畑に駆けてきた。「どうだい?ここより新鮮な野菜がどこで買える?」すれ違い際に私にそう言って笑った。  いつの間にか売り台の前で待つ客の数は6,7人に増えていた。荷物運びに高校生の孫を連れてきた老女、モンツァから来たトレッキングが趣味の夫婦、ビエッラやヴァレーゼから週末に遊びに来た子供連れ。フェデリーコと一緒に畑に入る客もいる。時間を惜しむことなく土から引き出したばかりの根菜を手にその野菜を説明する。『Pastinaca Hollow Crown(にんじんの仲間)』、『Rafano Tondo Nero (黒々した西洋ワサビ)』, 『 Carote Mezza Luna Nantese (白っぽい人参さん)』 、彼らがつくる80種の作物にはどれも語ることが山ほどある。

昔の花嫁が作物の種を守ってきた
彼らの作物づくりは種の発掘から始まる。ネットも使う。が、スイスにある『Pro Specie Raraプロ・スペーチェ・ラーラ(希少品種支援協会)』という団体との出会いが大きかったという。自分たちの足でも探してもそう簡単には見つからない。それでも、昨年、フォンテンモーレ(Fontainemore)では栗を買うつもりで入った農家で老婆が手にしていた紫の豆の鞘が目に留まった。それが何かと聞くと90歳になる老婆は『大したもんじゃない、これは昔のものさ』フェデリーコは震える気持ちを抑えて言った『ちょっと、ちょっと、話を聞かせて!』

1800年代のこの地域では、花嫁道具に日常の野菜の種が含まれていた。翌年の作付に備えた種の保存は一家の女の仕事で、風で種を飛ばさないための工夫など、あらゆる種取の知恵を心得ていたという。彼女の話に一心に耳を傾けると、興味があるなら別の人にも話を聞いたら知り合いを紹介された。そこからまた別の人と伝統野菜の輪が広がった。ある女性はLavazzaのコーヒー缶に入った種を持って行けと手渡してくれた。バレリアーナの種で、彼女の曾祖母の花嫁道具だったものだという。彼の心は踊ったことは言うまでもない。  苦労して方々に聞きまわっても見つからず諦めかけていたアオスタ産の古い種の作物は、収量の低さから脇に追いやられていただけで、お年寄りの間では昔と同じように大切に保存されてるところもあると知った。  が、苦労して手にした作物も何でも育つとは限らない。グレッソネイは標高1200メートルほどのところにあり、一つ下の村で育つ作物も寒さなどの為に育たないことがある。2014年に生まれたばかりの若い生産者の彼らには、まだまだ日々の格闘が続く。

無力な命の番人たち
少年が両親に連れられてやってきた。父親が息子は家で野菜作りをしているというと嬉しそうに言う。少年の真剣にジャガイモを見つめる目に『この小さなジャガイモをもっていったらいい。来年の種になるから』と言って、フェデリーコは買い物袋にパラパラと放り込んだ。嬉しそうな子供に父親が隣でいたずらっぽく『来年までもつかなぁ。美味すぎるからなあ。そこが問題だなあ』と笑った。
『Buccia Viola di Ueterndorf (ウェーテンドルフの紫芋), Verrayes (ヴァッレイス), Buccia Blu di Bristen (ブリステンの青じゃが), ジャガイモは2,3種買っていく客が多い。フォンテンモーレで栽培される彼らの20種余りのジャガイモはどれも独特の濃い味わいがある。
長いリサーチ、山の厳しい気候条件の中での栽培、だから彼らの野菜は決して安くはない。それでもジャガイモに根菜、葉菜、抱えきれないほどの野菜を喜色満面で買い求める人々。  どこでだってこんな形の農業経営ができるとは限らない。グレッソネイという、遠方からでも人々が喜んで訪れる村で、自分たちが手のかかる自然農法で直接手をかけられる最大限の作付面積、栽培する作物に付加価値と愛情を与えられる、それを買い手に伝える知恵と若い力、そのどれが欠けても絶対に上手くはいかなかっただろう。  露天販売にはいつでも客が訪れるわけではない。生活も決して楽ではないが、それでも満足しているとフェデリーコが言った。


小さな世界の片隅で淡々と無力な命の番人をする人たちがいる。これまでイタリアの生産者を数多く訪ねてきたが、心を動かされる生産者と言えば、偉大な伝統を次の世代に委ねようとする側の人たちがほとんどだった。イタリアは委ねられる側にも狂信的にならず、商業的過ぎず、こんな人たちがいると知って、嬉しいような羨ましいような気がした。


野菜を詰めて客に差し出す紙袋をフェデリーコが片手で捻ると袋は中に詰まった空気でふっくらした。中には野菜やジャガイモと一緒に、畑で彼が語ったその野菜の物語も詰まっているように見えた。

http://www.paysageamanger.it/
日本語でのお問い合わせは E-mail:m.iwasaki@alice.it まで

友の囲むピエモンテの食卓なら(ミュージック編)

テーブル・セッティング、よし! 炉に大きめの薪もくべ、部屋の温めかたオーケェ!北イタリアの人間は以外に時間厳守、夜8時を過ぎると、ほら、わいわいと友人たちが集まってきましたよ!
キッチンでお鍋のふたを揚げて中をのぞく奴、『料理人の手際は如何に?』と、包丁を握る私の手許を見守るニューフェイス、『持参のトルタは冷蔵庫で冷やしてね』と慎重な手つきで紙箱を取り出してくるマンマ感80%の旧友。
ワイン生産者に怖いもの知らずのクラウディオはボトルの薀蓄をドヤ顔で語りつつコルク抜きに手をかける。

我が家で友人を招いての食事はこんな感じで始まります。と、足りないのは?
『Ehi, manca una bella musica! ベッラ・ムージカ(いい音楽)がたりないよ!!)
集まった連中と料理にピッタリの場を盛り上げるこれがないことには。

今日のメニューは?冬場のピエモンテなら伝統料理バーニャカウダ! 新鮮な季節野菜を好みで集めてきて大勢がテーブルを囲む。
それなら、ピエモンテ出身の大御所カンタウトーレ(シンガーソングライター)パオロ・コンテだろうと思われるかもしれません。が、ここは一つフェイントでジェノバへ。

イヴァーノ・フォッサーティのミュージックビデオは
https://youtu.be/o7EUQDYGqCg (Ivano Fossati:i treni a vapore)

交易の要所として昔から多くの人種が行き交い独特の言葉が発達した町。潮騒をゆりかごに育ったジェノヴェーゼの間には、ファブリツィオ・デ・アンドレやブルーノ・ラウツィ、ジーノ・パオリなどイタリアを代表するカンタウトーレがいます。海の香りを残しつつも柔らかで緻密な旋律のイヴァーノ・フォッサーティがお勧め。バーニャカウダ・ソースはリグーリアの海の香りを凝縮させたようなアンチョビーにオリーブオイルと小粒でも香りのつよーいニンニクを利かせたソース。海に焦がれる山男の思いを満たしているから音楽も海の見えるものを。
イヴァーノ・フォッサーティ自身の曲は詩が美しく優しい、ミーナ、フィオレッラ・マンノイア、パッティー・ブラヴォなどの曲も手がけ、数々のヒット作を出しています。

そして、みんなでボリュームたっぷりにお肉、牛の内臓からお菓子のアマレットやリンゴまで手当たり次第に揚げるフリット・ミストを食べるときこそパオロ・コンテでしょう。もともと弁護士が本業で、趣味で演奏していたのがフランスで人気が出てしまいます。ちょっとジャズっぽく、がさっとした声でちょっと軽く美しい詩を語るように歌うパオロ・コンテ。彼の代表曲『Azzurro』『Genova Per Noi』『 Gelato Al Limone』皆さんもそれと知らずに聞き覚えのあるものがあるかもしれませんね。

パオロ・コンテはこの曲を
https://youtu.be/Pw3kPOGDESg (Paolo Conte: Come-Di)

たらふく食べたら、ウィスキーなんてどう?
こう勧められ、素直にうなずいてしまう男たち。夜も更け、わいわいというよりしんみりと話したくなるころ。
そうなったらボリュームを抑えてヴィニーチョ・カポッセーラをかけてみる。
ちょっとトム・ウェイツっぽいです。スモーキーでメロディアス。いい気分で琥珀色の液体を喉に流し込める。

ヴィニーチョはステージがいつも楽しい
https://youtu.be/OlaaV_X7Niw
(Vinicio Cappossela: Bardamu)

イタリアのカンタウトーレたちは音楽性もさることながら詩の表現力が素晴らしい。
2言、3言で情景全体がうわっと目に浮かぶ。幾重にも折りたたまれた心のひだが広がる。フランス人はイタリア人をライバル視することが多いけど音楽だけは別なのはそんなところに理由があります。イタリア語を勉強している方は是非、彼らのテキストを眺めてみてください。

ああ、冷蔵庫からふわふわシフォンケーキが出てきました!この軽さが怖い、、、
で、おまけです。あまり有名ではありませんが、実力は女性のパトリツィア・ラクイダーラの優しい曲を蜂蜜代わりにたらしましょ。

パトリツィアは現在舞台女優としても活動中です。 (Patrizia Laquidara: Mielato)



若手女性シンガーソングライターのパトリツィア。サンレモ音楽祭の若手部門で優勝。歌唱力も抜群です。
日本で公開になった映画イタリア的恋愛マニュアルの主題歌を歌っています。

ではBUON ASCOLTO ♪

キッチン、女性たちの手から流れる魔法

90年代のフランスの料理人 オリヴィエ・ロランジェがインドを訪れた時のことです。スパイスの使い手としてその名を知られる女性料理人がいると知り、是非ともその人の料理を口にしてみたいと彼女の住む町を遠路訪れました。家を探し当て、夕飯を所望すると彼女は『ごめんなさいね。でも、料理はできません。だって、私はあなたのことを何も知らないから、、、』と断ったそうです。
後年、ロランジェはインタビューで『その時、男性は多くの場合、料理をしながら自分自身と向き合い、女性は食べる人の顔を思い描き、その人に喜んでもらうために料理するのだと悟った』と語っていました。

話変わってここはピエモンテ。鬱蒼とした森の中をちょっとうんざりするくらい果てしなく分け入ると、小さな村のレストラン『カッチャトーリ』が見つかります。
テーブルの下に疲労気味の膝を滑らせると漸く店を切り盛りする夫人フェデリーカの用意した『Pollo Alla Cacciatora(鶏肉の猟師風煮込み)』を口にできます。むっちりと柔らかく、絶妙な塩加減でオリーブ、ハーブ、鶏肉の味わいがおそってくる。フェデリーカはプロの料理人ですから、もちろん前述のインドの女性のように料理でもてなす相手を選ぶことはできません。
でも、女性ならではの優しさと思いやりを鍋に込めていることは、テーブルに次々と運ばれてくるお皿をみれば、そしてきれいに片付いた彼女のキッチンを見ればわかります。

キッチンの中央には薪ストーブがあって、彼女の心臓のごとく炎を絶やすことはありません。彼女のご主人でホール担当のマッシモさんのお母さん、そしてそのまた義理のお母さんがこのキッチンに立っていた頃からずっとこの一家の女性たちに寄り添い、鶏肉や野ウサギを煮込んできたストーブです。
某香水メーカーで調合アナリストだったフェデリーカ。マッシモとこのレストランを切り盛りすることを決意した日から、彼女の義理のお母さんのカルラから店のレシピを一つ一つ学んだのでした。もともと五感を駆使した仕事をしていたことも手伝って、あっという間に彼女はレストラン・カッチャトーリのキッチンに漂う文化と味覚を身に着け、さらに彼女ならではの彩も添えていったのでした。それが今日のレストラン『カッチャトーリ』です。鶏肉の煮込み料理などあり触れてシンプル過ぎる料理だといってしまえばそうかもしれません。でも、シンプルな料理だからこそ、女性ならではの微かな魔法を私たちでも汲み取り、その醍醐味を堪能できるのかもしれません。

暮れの大掃除に追われるこの時期、きっちり整頓されたキッチンと暖かな手料理。年越しにぴったりのテーマかとおもいお伝えしました。
では、イタリア好き通信読者の皆様も良いお年を!!

Albergo Ristorante Cacciatori
Via Moreno,30 Cartorio (AL)
+39 0144 40123
http://www.cacciatoricartosio.com/

 

イタリアならでは、『友達づくり』講座-番外編―

イタリア―ニ達の間ではどうやって友情が生まれるのか、イタリア好きな皆さんにはちょっと気になるところではありませんか?

私はピエモンテ州の小さな村に嫁いで18年。少し手前味噌になってしまいますが、私の夫クラウディオはこれと決めた人(特にワインや美味しいものの生産者や本好き、映画好き、音楽好きなどの中で人間味豊かな人)に正面からアプローチをかけ、心に入り込む達人です。

『イタリア好き』最新号31号掲載のイタリア好き通信で紹介させていただいたアグリ『ロカンダ・デッリ・ウルティミ』のシルヴィオさんのところに初めてワインを買いに行った時も、面白そうな人だと見た途端、瞬く間に共通言語を見つけ出し、パタパタパタっと交流のきかっけを作ってしまいました。

その場面が結構おもしろく、私がコラムを担当しているイタリアのWebマガジン『Il Golosario』で取り上げたのですが、イタリア人にも面白かったのか、今年、最も好評だった記事の一つになりました。記事はイタリア語ですので、その日本語原文をここに掲載してみたいと思います。
イタリア人、特に60年、70年代生まれの男二人の間で心を通わす場面に必要なのは? 正しい答えはありません、判断はそれぞれにお任せします。
因みに文中のサヴィーノさんは、『イタリア好き』ロンバルディア州号にも登場してもらったトラットリアの親父さんです。
さらに付け加えると、イタリア人には政治信条が生活スタイルに影響を与えることが往々にしてあります。でも、それは特別なことではない。『ロカンダ・デッリ・ウルティミ』のシルヴィオとクラウディオの場合は共通言語はワインと味覚など直球の他にそんな変化球も飛び出しました。傍観者の私には最も楽しいジャンルの交流でした。

では、Buona Lettura!

Sempre per Sempre Grignolino!
(邦題:グリニョリーノよ、永遠に!)
www.ilgolosario.it 掲載
https://www.ilgolosario.it/assaggi-e-news/attualita/grignolino-morando-silvio-vignale

「カミさんは完璧主義でね、、料理も準備からきっちり始めたい性質なんだ。だから、いまさら人数が増えたらなんて言うか、、、」シルヴィオは頭を掻きながらもう一度繰り返した。
「贅沢は言わない。それに、隣にいるサヴィーノはブレシア一の料理人だ。冷蔵庫さえ見せてくれればどんなものでも彼があっという間に旨い料理にしてくれる。それで皆一緒にお昼を食べればいい。」強気に迫るクラウディオの隣で件のサヴィーノが綿菓子のように優しく笑って頷いた。
この時シルヴィオは、『ただ人生をもっとややこしくするために作ってしまった』アグリ『Locanda Degli Ultimi(ロカンダ・デッリ・ウルティミ)』のことを私たちの前で口にしなければよかったとちょっと後悔したかもしれない。クラウディオが畳みかけるように続けた。
「サヴィーノが僕のために持ってきてくれたサラミも一緒に切ろう。僕の友人は料理だけでなくてサラミ作りでもイタリア随一の腕前だ。ほらこれ!」
ふっくらとしてサラミをシルヴィオの手に置いた。口ごもっていた彼も最後には降参し、アグリに戻って母親に客が3名増えると告げるようにと娘に言いつけ走らせた。
(さらに…)