スパイスとカカオ、 パンペパートの記憶/岩本彬(VOL.67掲載コラム)

テルニのパンペパート
 僕がイタリア菓子の中でいちばん好きなものの一つに、ウンブリア州テルニの郷土菓子、パンペパート(Panpepato di Terni)がある。
 アーモンドやヘーゼルナッツ、レーズン、はちみつ、柑橘類の砂糖漬け、小麦粉、香辛料、ヴィンコット、そしてチョコレート。さまざまな材料を一つに詰め込んだ、濃厚で複雑な味わいの菓子だ。背景にはテルニの農村で1年をかけて少しずつ保存してきた食材を、年に1度の大切な日、ナターレ(クリスマス)という年に一度の特別な日に用いる、昔ながらの暮らしがあった。パンペパートは単なるドルチェではなく、1年の実りと家族の時間を詰め込んだ「祝い菓子」なのだ。
 その歴史をたどると、現在のパンペパートにつながる菓子は近世にはすでに存在していたとされる。当時はチョコレートではなく、ナッツやドライフルーツ、はちみつ、そしてシナモンやクローブ、ナツメグ、胡椒などの希少な香辛料が使われていた。やがて新大陸からカカオがヨーロッパへ伝わり、17〜18世紀にイタリアでもチョコレート文化が広がると、こうした伝統菓子にもカカオが加わっていった。
テルニのパンペパートは農村発祥とされ、家庭ごとに多様なレシピがある。ナッツヤドライフルーツ、スパイスにチョコレートを加え、エスプレッソを使うものも。

シエナのパンフォルテと、フェッラーラのパンペパート
 おもしろいことに同じような菓子は、トスカーナ州シエナのパンフォルテ(Panforte)や、フェッラーラのパンペパート(Panpepato di Ferrara)にも見られる。
 なぜ、離れた土地で似た菓子が生まれたのだろう。そこには、修道院、香辛料交易、カカオ、クリスマス、そして農村の保存食という共通した文化がある。中世の修道院では、はちみつやナッツ、ドライフルーツ、香辛料を使った保存性の高い菓子が作られ、宗教的な祝祭とも結びついた。東方から届く希少なスパイスは、特別な日の贅沢でもあった。そこへカカオも加わった。
シエナのパンフォルテは修道院発祥で、当初はパンペパートと呼ばれた。
 普段は大切に保存しておく食材を一度に集め、クリスマスに家族で食べる。その土地の材料や暮らしに合わせてレシピは少しずつ変わり、テルニではパンペパート、シエナではパンフォルテ、フェッラーラでは修道院発祥のまた別のパンペパートとして受け継がれていった。そして20世紀初頭1913年には、テルニの菓子職人Spartaco Pazzaglia(スパルタコ・パッツァーリア)によって専門的な製造が始まったとされ、家庭や農村の菓子は、やがて「テルニを代表する郷土菓子」へと育っていく。
フェッラーラではチョコレートをまとい、コショウを使わないパンペパートもある。

そしてパスティッチェリーアへ  
 家庭の菓子から、祭礼の菓子へ、そしてパスティッチェリーアの菓子へと変遷を遂げても、パンペパートには、家族で作り、大切な人に贈り、クリスマスの食卓を囲むという記憶が残っている。
 スパイスも、カカオも、ナッツも、ドライフルーツも、それぞれ違う時代からやってきたものだ。それらが一つの菓子の中で混ざり合っている。だから僕はパンペパートを食べるとき、ただ「おいしいお菓子」とは思わない。そこには、テルニの人々が過ごしてきた1年と、何世紀もの食文化の記憶が、今も静かに残っているように感じる。
 
(VOL.67掲載コラム)
 
岩本彬(イタリア郷土菓子職人)
イタリア郷土菓子屋Pinocchioを営んでいたが、交通事故の怪我により閉店。リハビリを続けながらイタリア菓子の普及に尽力し、2024年9月からは神戸市みなと元町の“Pasticceria Bar Pinocchio”の店長を務めている。著書『ピノッキオと巡るイタリアお菓子の旅』(コスミック出版)
https://www.instagram.com/iwamoto_akira/