vol.25 トリノ カフェ特集

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ミオバール探しの旅は続く

人にはそれぞれに心休まる場所がある。

自宅のソファであったり、いつもの酒場であったり、日だまりの川岸であったり、たき火の前であったりとさまざまだ。
イタリアには、小さな町や村にも必ず教会があって、その前のピアッツァ(広場)には必ずと言っていいほどバールがある。人々はそこに集い、憩い、談笑する。

イタリアにおけるカフェ、バールとは、多くの人が身を寄せて、心と体を休ませ、次への活力を注入していく場所だろう。時には嫌なことも忘れさせてくれるのかもしれない。決してそれは特別でも無く、日常の中のひとつの文化として、長くアイデンティティとして受け継がれてきているのだろう。トリノのカフェには1700年代から続く店がいくつもあり、その時代の人々の交流からは、多くの政治が行われ、文化が育まれてきたのだから。

カフェ、バールでは、バリスタやバールマンが、ゲストに最高のサービスを提供しようと、朝から晩まで何百杯ものカフェを淹れ、
何百杯もの酒を注ぐ。

老舗のカフェであっても、新しいバールであっても、小さくても、大きくても、自分に合っていれば、それは自分にとっては最高の場所となる。
イタリア人にとっての飲み物のカフェとは、日常だということを改めて感じた。豆やマシンなどの細かなスペックよりも、その空間、時間のほうが大切だということだ。逆から言えば、それを大切にするために選ぶ、カフェ(飲み物の)であったり、パスティッチーノであったり、リキュールやワインであったりするのだろう。

近所の酒屋へ遣いに行くと、ツンとする日本酒の香りと、缶詰や乾き物の匂いが、子供の頃は苦手だった。レジ横の小さなカウンターに仕事を終えた男たちが溜まり、思いおもいの酒とつまみでひと時を過ごしていた。いわゆる角打ちというやつだ。今ではもう少なくなってしまったり、形を変えた立ち飲み酒場になったりして、時代に即して変化しているが、バンコでの立ち飲みとダブる。
そういう中で人々が求めているのは、いつの時代も酒を潤滑油にした人と人との繋がりなのではないだろうか。特に現在のようなデジタル時代だからこそ、アナログな感覚を欲しているのではないかと感じる。
 
バール。それはもしかしたら、今の世の中で暮らす人々の心の、欠けたピースを埋めてくれる場所かもしれない。ただ、自分のピースの形は自分にしか分からない。
ミオバール(私のバール)を探す、旅は続くのだ。

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