大橋美奈子 のすべての投稿

夏の一大イベント:アンジェラ家のトマトソース作り

毎日の食事に使わない日はないくらいで南イタリアの家庭料理にはまさに必要不可欠なトマトソース。

プーリア州中央部ブリンディジ県ファサーノに住む夫のジョヴァンニのいとこアンジェラの一家では毎年夏真っ盛りのこの時期1年分のトマトソース作りを行います。

前日夜にヘタとりや選別、瓶の洗浄などの準備を整え、翌日は日の出からトマトを洗い、茹で、絞り、瓶詰め、煮沸消毒、後片付けまでで1日がかりの作業です。子供たちも手伝い家族揃っての夏の伝統行事とも言えます。

この家では毎年ダッテリーノ、レッジーナ、フィアスケットという3種類のトマト、合計約300kgから750ml瓶にして約200本のトマトソースを作ります。レッジーナとフィアスケットはスローフード認定もされている地元特産の品種です。

丸い方がレッジーナ種、先っぽがとんがっているのがフィアスケット種


自分の畑で採れた量では足りない分は青果卸売市場から仕入れます。実はアンジェラはこの青果卸売市場の職員で野菜の目利きでもあります。

イタリア随一の農業生産地であるプーリアでは家族揃って1年分のトマトソース作りをする習慣はまだまだ絶えてはいませんが、減ってきているのも事実。ところが今年はソース作り用にトマトの大量買いに来る人が増えたとの事。これもコロナ禍の影響なのかもしれません。 

実際オリーヴオイルとトマトソースが1年分あれば、何があってもまた今年も食べるものには困らない、というなんとも言えない安心感があります。まして汗水流して自分の土地で出来た食物を、家族揃って収穫し手間をかけて加工するのです。時間を何にかけるかという点で食べることのプライオリティが高いことをつくづく実感します。材料費や手間を考えると買うより高くつきますが、金額以上のものがトマトソースにこもっています。 

去年から家を出て北部の大学へ通う息子ニコーラに持たせるため使い勝手の良い1人分用の小瓶にトマトソースを詰めるアンジェラの姿を見てそう思いました。 

ソースは鍋の中へ、手前は皮と種。


8月30日の「オンラインで感じるイタリア!プーリアから、マンマの料理レッスン&ライブツアー」ではこのトマトソースをたっぷり使った料理をアンジェラがご紹介します。プーリア特有のパスタ、オレキエッテも是非一緒に作りましょう。

プーリアから~マンマアンジェラのオンライン料理レッスン
■開催日:8月30日(日)16:00〜18:00予定(入室は15時45分ぐらいから)
■参加費:3,000円(税込:3,300円)[マンマのレシピ購読者2,500円(税込:2,750円)]
『Webマガジンマンマのレシピ』購読者はお申し込み後に料金を変更させていただきます。備考欄へ「マンマのレシピ購読者」と記入をお願いします。
■参加者数:20名(通常時はマイクをミュートとさせていただきます。カメラはできる限りオンでお願いします。)
■申し込み期限:8月28日(金)正午まで
>>>>詳細・お申込みはこちらから
https://italiazuki.com/?p=40259


この日のトマトソース作りの様子はこちらの動画でご覧いただけます。

【vlog 】「南イタリア・プーリア便り」 トマトソース作り July 22, 2020

プーリアのニワトリは何と鳴くーコケコッコー ? キッキリキー?それとも??ー

プーリアを訪れたことのある方なら青い梅鉢紋に似た点々模様の描かれた食器を家庭やレストランで必ず一度は目にしたことがあると思います。日本でプーリア料理を楽しめるお店でもお馴染みかもしれません。

リストランテ・コルテジーア@南青山

この柄をみたらプーリアを思い出すのなら、あなたもプーリア好きのお仲間です!

さらに、よく描かてれるニワトリのモチーフはフランスやポルトガルなど地中海地域各地で広く用いられ、鳴き声で悪霊を追い払い栄養価の高い卵をたくさん産むことから多産、豊潤のシンボルと言われています。

古代ギリシャの植民地時代に遡るプーリアの陶器作りの歴史ですが、この模様がいつ頃から用いられるようになったのか確かな事はわかっていません。比較的最近(と言っても100年以上前)の20世紀初頭ではないかと言われています。

我が家の食卓(プーレディファーヴェ)@プーリア


何にでも使いやすいプーリア伝統柄のニワトリ小皿(小鉢)は和食を盛っても違和感のないので、時に和プ折衷の料理が並ぶ我が家の食卓にとてもしっくり来ると感じています。

おそばに置いていつでもプーリアに思いを馳せていただければこの上なく嬉しいです。

我が家の食卓2(ざるうどん)@プーリア



プーリア料理のおいしさの秘密〜テラコッタ耐熱鍋&皿

プーリアに初めて訪れてから20数年、東京からヴァッレ・ディートリア地区の白い町チステルニーノにほど近い田園地帯のトゥルッリに移り住んで10年。愛して止まないプーリアですが、何にそれほど魅せられたのかと問われれば、迷わず「おいしい食べ物!」と答えます。
プーリア郷土料理は一言で言うと農民料理。畑や牧草地、そして海に近いからこそ味わえる新鮮な食材の豊富なことがそのおいしさの1番の理由だと言えます。

しかし、それだけではありません。
プーリア料理のおいしさの秘密に気づいたのは、まがりなりにも畑を耕すようになってから。
季節毎に種を蒔いて収穫するのみならず保存食を作ったり道具を整えたり、農民の生活は次から次へといつでも仕事があってとにかく忙しいのです。
女性も畑に出て働くことが普通なので料理する時間も限られているのに、何故プーリア料理はこんなにおいしいのか?
その秘密は、親戚の家のトゥルッリに飾られていた使い込まれてシミのある大小様々な大きさのテラコッタの壺や鍋を見た時に聞いた話から解けました。
それらの壺や鍋は何世代にも渡って日常的に使われてきたもので、今でも使えるけれど、おばあちゃんやお母さんの想い出の品でもあるので壊れないように飾ってあるとのこと。
寒い季節は、朝畑仕事に行く前にそれらに野菜や豆、肉などと水やワイン、そしてプーリア料理には欠かせないオリーヴオイルを入れて暖炉の隅に置いて置くとお昼時にはおいしい料理が出来上がっていると言うのです。
夏でもパンやフォカッチャを焼いた後の薪釜にパプリカやナスなどをオリーヴオイルをかけて耐熱皿に入れておくだけで余熱でローストされおいしい常備菜ができるのです。
遠赤外線効果も存分に利用した何とも合理的な調理方法ではありませんか!?
形や火のまわり方によって壺は主に暖炉が、鍋や皿は薪釜に適しているとのこと。大きさが色々とあるのは食べる人の人数によって作る量が変わるということもありますが、暖炉や薪釜は広いので何種類もの料理を一度に作ることもできるからとのこと。なるほど、これこそスローフードそのものであり、クチーナ・ポーヴェラ(貧者の台所、貧しい料理)とも言われるイタリア各地の郷土料理の原点なのだと実感しました。

プーリア料理を日本に紹介する仕事柄出会った多くの日本人シェフの中にもこのテラコッタ鍋や皿を愛用している方々がいますが、その中でもプーリア料理の第一人者と言える南青山、リストランテ・コルテジーアの江部敏史シェフは「じっくりジワ〜っと煮込む豆や肉料理に使用しています。火のあたりが柔らかいので仕上がりが違いますね。馬肉のインボルティーニトマト煮込みを作る時には欠かせません。ズッパ ディ ペッシェにもよいですよ。」とおっしゃっています。
暖炉や薪釜はなくてもオーブントースターでも気楽にプーリアの味に近いお料理を是非作っていただきたくてこれらの商品を選びました。手軽においしくできるオーブン料理に活躍してくれると嬉しいです。直火もOKですので白米や煮物もおいしく炊くことができます。出来上がったらそのままテーブルに出せるのも便利かと思います。

聖ニコラの夜のペットレ

サンタクロースのモデルと言われる人物は、現在のトルコ南部沿岸地方に3世紀後半に実在した聖ニコラウス(イタリア語では聖ニコラ)という人物だと言われています。この方の聖遺物(不朽体)がプーリアの州都バーリにあります。聖ニコラはロシヤやギリシャの東方教会で特に重要な聖人として位置づけされ今でも巡礼者が絶えません。私の義父もニコラという名前でしたが、カトリックでも特に南イタリアにはニコラ、またはニコロという名前の人が多いのも手厚く信仰されている証拠でしょう。

バーリ大聖堂と聖ニコラ像


バーリやチステルニーノのように彼を守護聖人とする町がたくさんあって誕生日の12月6日はフェスタになります。これはオフィシャルにクリスマスのお祝い月間が始まる12月8日の聖母マリアの無原罪懐胎の祝日に先がけてお祝いムードの前菜という感じです。

この日の夜、チステルニーノではミサの後ペットレと呼ばれる揚げドーナツが振舞われます。

チステルニーノの応接間と呼ばれている時計台広場



ペットレというと南イタリアでは各地で食べられていますが、呼び方は地方によってピットレとなりナポリに行くとゼッポレになります。ナポリのゼッポレは青のり入りで塩味系です。オリーブやアンチョビなどを入れるところもあるようです。

ここヴァッレ・ディートリア周辺の定番は揚げたてのアツアツにヴィンコットと呼ばれる赤ワインを煮詰めたシロップや乾燥させたいちじくを煮詰めたシロップをかけて食べるスイーツ系。

モチモチっとした食感に濃厚ながら酸味もあるフルーティな甘さのシロップがよく合います。

ちょっとタコ焼きみたい?


夏には毎晩のようにコンサートやイベントなどもあり多くの観光客で賑わっているこの街も、この時期は寂しいくらいひっそりとしています。看板や広告のネオンサインもない白い迷路のような旧市街にはシンプルなクリスマスの電飾が映えて、しんみりと美しいく、寒空の下、地元民だけで寄り添うように味わう伝統の味です。


 

くるみのリキュール、ノチーノの仕込み2018

イタリアでの会食に欠かせないのが食後酒。美味しくて食べ過ぎてしまっても最後にクイっと飲めば胃が刺激されて消化を助ける働きがあるので助かります。北部ではグラッパ、南部ではレモンチェッロなど各地で特色のあるものが作られていますが、その中で全国的に定番なのがクルミのリキュール、ノチーノ。ほとんど黒に近い濃い緑色でクルミの渋みと香りが癖になる味です。

レシピは各地方、それこそ各家で違うようですが、若いクルミの実で作るのは全国共通。1年で1番夜の短い6月下旬、ちょうど6月24日の聖ジョヴァンニ(洗礼者ヨハネ)の日に仕込むのも伝統です。

プーリアの我が家では毎年この日が自分の名前日(Onomastico=自分と同じ名前の聖人の祝日)でもある夫が仕込むのが定例なのですが、今年は出張で不在。私は今までやったことがないしどうしようかと迷っているうちにその日が過ぎてしまいました。

大きなクルミの木の下は涼しい


リモンチェッロはアルコールにつけておく時間も短いしレモンもいつでも手に入るので割とすぐ出来るのですが、ノチーノはそうはいきません。6月に仕込んで飲めるようになるのはクリスマスの頃。それに仕込めるのも実が若い今だけ。去年の分はもう飲んでしまってないし、今年の冬は自家製のノチーノを楽しむことは出来ないかな〜と思っていると親しい友人のミンモ曰く、

「聖ジョヴァンニの日は過ぎたから次のチャンスは6月29日の聖ピエトロと聖パオロの日だよ。その日にはクルミの数を29個にしてね。」とのこと。ちなみに6月13日の聖アントニオの日だったらクルミは13個にするんだそうです。「えっ、そうなの?初めて聞いた。時期が遅くなるほどクルミの数が増えるのは何故?」「何故かははっきり知らないけどそう言われてるんだ。」

と言うことでせっかくなので6月29日に29個のクルミで初めてのノチーノの仕込みをすることにしました。

きちんと29個。オリーヴの枝の籠も実は自作。


まだ若い緑色の、出来るだけ傷などのないきれいなクルミの実を29個選び、

半分に割ったクルミを95%のアルコールにつける。写真で見ると梅酒作りみたい。


半分に割ってクローブとシナモンスティックと一緒に1リットルのアルコールにつける。簡単なのですが、実を二つに割る作業は結構二層めの殻が硬くてちょっと苦労しました。

真ん中がハート型でかわいい。


二つに割ると中はこんな感じ。中央の実の部分が透明な方が若いと思われます。ちなみに約2週間後の状態が下の写真。緑色だった外皮が乾燥して薄くなっています。可食部も小さく萎んでしまいました。実を食べるためには自然に枝から落ちるぐらいまで熟成させてから収穫します。


 


浸けて2週間経つとアルコールはすでに黒に近い濃い緑になっていますが、まだ後1ヶ月ぐらいはこのままでその後シロップを加えボトル詰めします。さらにクリスマスの頃までねかせれば完成。

初めてのノチーノ、どうか美味しく仕上がりますように!

 

 

フェスタ デル パパ(父の日)のお菓子

今日3月19日は聖ヨセフ(サン・ジュセッペ)の日。

イタリアではこの日がフェスタ・デ ル・パパ(父の日)のお祝いです。

この日のお菓子といえばこれ。


甘いもの好きのパパたちはこの日を心待ちにしています。

南イタリア各地でも同じようなものがあるようですが、プーリアではゼッポレ(Zeppole)と呼んでいます。

ドーナツのフレンチクルーラーを思い出させる硬めのシューの上にカスタードクリームとシロップ漬けのアマ レーナ(ダークチェリー)がのったもの。シューは焼いたものと揚げたものと2種類あります。

パスティチェリア(お菓子屋さん)で完成品を買うもよし、パニフィッチョ(パン屋さん)ではシューだけでも売っているので自分でクリームだけ作るもよし。

我が家では今年は初めてシューから手作りしてみました。

 
このところ春めいたお天気が続き気温も上がってきたのでうちで飼ってる5羽の雌鶏も毎日卵を産んでくれます。お陰で生地とクリームには新鮮な卵をたっぷりと使いました。


味と色彩のポイントとなるアマレーナも庭にある2本の木になった実をシロップ漬けにしてこの日のためにとっておきました。

形はちょっと不揃いで不細工ですが、味の方は天下一品(手前味噌)。何より気持ちが込もってます(笑)。

もうひとつこの 時期だけに作られるのはタラッリ・ズッケラーティ。大きなドーナツ型のさくさくのタラッリにお砂糖がけされ たもの。こちらにも生地に卵が使われています。

プーリアらしい飽きのこないシンプルな味です。


この日が過ぎるとパステッチェリアやバールのショーウインドウが卵形のチョコレートやひよこやウサギ満載の飾り付けに変わ り、カトリック信者にとってはクリスマスと同じ位大切な“公式の春の訪れ”とも言えるパスクワ(イースター、復活祭)の準備が始まる のです。

冬の手仕事:オリーヴの篭

二月の終わりこの冬最初で最後(であって欲しい)の大雪でプーリアも最南端まで真っ白になりました。3月8日のFesta delle donne(国際女性デー)を待たずに咲きだしたミモザの花も雪の覆われて震えています。

庭のミモザ。満開までもう少しだったけど…。


地中海性気候の南イタリアでは夏は30度越えの気温が続いても湿度が低く過ごしやすいのですが、冬はどちらかというと雨季でシトシト、ジメジメ、シンシンと寒さが身にしみます。

そんな時期は暖炉の近くで手仕事をするのが伝統的な農民暮らし。女性は編み物や刺繍など、男性は乾燥して硬く紫色になった空豆の外皮をナイフ剥くとか、オリーヴの枝と葦の茎などで篭を編むとか。

伝統的にキノコ狩りや野草摘みなどにも使われてきたこのような篭は地元チステルニーノ方言でパナリエッドゥ(イタリア語Paniere→Panariedd)と呼ばれプーリアのみならず南イタリア各地でよく目にするものでした。オリーヴの細い枝の優しいグレー色がなんとも言えない素朴な美しさ。

義父ニコラ作の篭とイチジク


朝市で見つけたもの


最近でも時折朝市や農具などを扱う店で見かける事があります。しかしこのような篭を作る技を持っている人が高齢化し、若い人に伝承する機会もなかなかないので消滅してしまうのは風前のともし火状態かと思います。これはオリーヴの篭作りに限らず全ての手仕事についても同様でしょう。

特別な職人技よりも、1、2世代前までは誰にでも身に付いていた生活の知恵や習慣、この土地で生きて行くために必要に迫られて得た技術こそ大事に次の世代に受け継いで欲しいと強く思います。
娘が通う中学校にこのような伝統技術を教える授業を取り入れて欲しいと要望しようと考えていた矢先、ちょうどこのオリーヴの篭作りのワークショップが開かれている事を知りました。
イタリア全国規模のボランティア団体の地元支部にて、それも無料で!

早速様子を見に行ってみると、参加者は40代から60代の男性ばかり8名ほど。そこに指導役の方が2−3名。週1回2時間合計16回の講習はそれぞれハンズオンで自分の作品を作り上げるとのこと。男性でもおしゃべり好きな人が多いイタリア人なので和気藹々に賑やかにやっているものかと思いきや、皆さん真剣に黙々と手を動かしていました。

皆さん 黙々と作業中


このお仲間に入れていただくのは、ちょっと勇気がいる?


左がマエストロのジュゼッペさん


義父は篭作りも上手でとても優しい人だったので、やれ洗濯物を入れる大きなサイズのものが欲しいだの、プレゼント用に手作りオリーヴオイル石鹸を入れるために小さなサイズのものを作ってくれだの、好き勝手に思いつくままお願いをしたものでした。その度に「そんなのは作ったこと無いからな〜」と言いながら何度も作り直して最後には私が思い描いた以上のものを作ってくれました。今更のようにもっと長生きして欲しかったなぁ、もっといろんなことを教えて欲しかったなぁと思います。

「イタリア好き」第2号にも登場した義父ニコラ。撮影 sig.マッシモ


篭を編むだけではなく、材料となるオリーヴの枝や葦の茎の選定、採取、加工など一人前に作れるようになるには学ぶことがたくさん。普段からオリーヴの木に囲まれて生活をしてはいますが、篭作りが出来ればオイルを味わうだけではなくオリーヴをもっとみじかに感じられるようになるに違いない。プーリアの暮らしがもっと心と体に染み込んでくるに違いない。

正直言って、漠然とオリーヴの篭作りについてもっと知りたいと思っていたものの自分が篭を作れるようになりたいと思っていた訳ではないのですが、このチャンスを逃す手はないのか?!
義父の七回忌を迎えた2月のこの出会いも彼の導きかも知れないとも思いつつ、
私もお仲間に入れて貰い篭作りにチャレンジしようか?!。。。実はまだ迷っています。。。。

一番大事な年中行事:プーリアでオリーヴの収穫

イタリアのお正月は2日からいつものペースに戻る感じですが、6日の公現祭(エピファニア)まで学校はクリスマス休暇になります。この時期我が家のあるヴァッレ ディートリア地区ではオリーヴの木を揺する電動熊手のモーター音がちらほら聞こえてきます。子供達も手伝って最後の収穫です。東側にはアドリア海、西側にはイオニア海が広がる海抜400mの小高い丘に位置するこの周辺ではどの家も自家製のオリーヴオイルを食べています。オリーヴ収穫のために仕事を休み家族揃って行います。収穫の日取りはそれぞれの都合を合わせることも大事ですが、お天気と実の熟成加減によって判断するのは一家の長の重要な役目。何しろ一年分のオイルの出来が左右されかねないのですから。

木の周りの地面にネットを引きその上に実を落として行きます。背の届く高さの実は手で枝を扱くようにして落とし、高いところは取っ手の長い電動熊手を枝に当てて実を落とします。
1本の木が終わると実を集めて運搬用のバケツに移しまた次の木の下にネットを移します。
この作業を朝から日没まで繰り返し、うちでは私たち夫婦と義弟、娘の4人で1日で600kgほどのオリーヴを収穫しました。夕方4時過ぎには暗くなり始めてしまうのでお昼はパニーノで済ませ一心不乱に作業しました。不作だった昨年と比べると今年は実の付きもよく心地よい疲労感と達成感がありました。

収穫した実は一緒に落ちてしまう葉や小枝を取り除きすぐに圧搾所に持ち込みます。収穫が始まる10月から1月頃まで圧搾所はピーク時は24時間体制で稼働、特に週末などは予約が必要です。
こうして出来た搾りたてのオイルは初めは濁っています。それが1-2ヶ月静置するとオリが沈殿して透明なオイルになります。

オリーヴはイタリア国内で栽培されているものだけでも500種を超え、各地でその地形や気候に合った品種が生産されています。イタリア最大の生産地であるプーリアのオイルの特徴はコクがありまろやかなところ。早摘みをせずしっかり熟した実をオイルにするのを好む人が多いのです。テイスティングをした時のどにピリッとくるのが良いオイルの証拠と言われることがありますが、それはポリフェノールが多い新鮮なオイルであることのしるしであり、食べ物としてそれを好むかどうかは別問題。プーリア人にとってはオリーヴは自らのアイデンティティ一部。先祖代々受け継がれた大地からの贈り物を自らの手で摘んだ慣れ親しんだ味が最良のオリーヴオイルと言えるようです。

トゥルッリの住人十色

こんにちわ。プーリア州  Valle d’Itria (ヴァッレ ディートリア) に住む大橋美奈子と申します。 ここは南北に長いプーリア州のちょうど中央部、バーリ県、ブリンディジ県、ターラント県の境目にあります。小高い丘の上にあるロコロトンド、チステルニーノ、オストゥーニ、チェリエ・メッサピカ、マルティナ・フランカという5つの街に囲まれた、ヴァッレ(谷)というよりなだらかな上り下りの続くこじんまりとした田園地帯です。なんと言っても特徴的なのはこの地域にしかない円錐形の石の屋根を持つトゥルッリと呼ばれる住居。有名な世界遺産のアルベロベッロからは18km程の距離です。うちも夫が受け継いだ築300年のトゥルッリの家を5年がかりで改築しました。そこに夫と娘、2匹の犬と7羽の鶏とともにオリーヴや実のなる木々、野菜や雑草に囲まれて暮らしています。
10月も半ばを過ぎ、当地ではそろそろオイル用のオリーヴの収穫の時期を迎えます。この辺ではだいたいどこの家も自分たち家族が食べるには充分なほどのオイルが採れるオリーヴの木を持っていて家族総出で収穫をします。うちは来週の予定。不作だった昨年と比べ今年はいい感じに熟してきています。収穫の日にはバッカラ(塩漬けのタラ)のトマトソースをサンニャと呼ばれるフリルのついたロングパスタで食べる習慣があります。

Valle d’itriaのトゥルッリに住む人々のちょっとした日常の出来事などお伝えしていきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。