カナルグランデ(大運河)のほぼ中心、リアルト橋の袂に位置するのが、リアルトのメルカート。その立地からも、ヴェネツィア共和国の繁栄を支える、歴史的に重要な意味を持つ場所だ。そして、そこは彼らの台所としての機能も果たし、彼らの胃袋を支えてきた場所でもあった。現代である今日も、その事情は変わることがない。
ヴェネツィア人の食文化、そして彼らの家庭の食卓を知るには、まずは市場へ直行すべし。
商人の街、ヴェネツィアの中心地となる理由
ヴェネツィア本島でも最も古い地区として栄え、11世紀の時代からここは商業の中心地であった。売買されていたのは、当時からヴェネツィア人たちの食卓を彩る、魚や野菜、肉などの食料品群。他、この地が商船の重要な船着場でもあったことから、東方から運ばれてきた香辛料や豪奢な布や繊維、貴金属などの取引も、この地区を中心に盛んに行われていた。それらの商店街は各商品群ごとに同橋を中心に区域分けがなされていた。
市場を中心とするこの地区には現在「バーカロ」と呼ばれて久しい大衆食堂・居酒屋が点在する。その老舗店のひとつである「バンコ・ジーロ (Banco Giro)」。いわゆる銀行・金融商(バンカ)の名残りであり、ここで各国の通貨が交換・換金され、また商人たちのお金の管理をしていた場所なのだ。その店名は当時のものが現存している。
リアルトメルカートの象徴、魚市場
リアルト橋を背にし、カナル・グランデを右手に歩くとほどなくしてメルカートに辿り着く。まずは、大きな屋台が立ち並ぶ野菜や果物などを扱う八百屋の群が。さらに奥へ進むと、魚売り場のロッジャ(柱廊)が見える。
魚市場のある建物自体は比較的近年のもので、20世紀初頭に建築された。その建物は二つに分かれており、運河側のものは、もともとは業者用卸市場。もう一方が一般向けであり、建物の上部には「Mercato al Minuto (メルカート・アル・ミヌート、いわゆる”即売所”という意味)」と記されているが、現在では両者ともが一般向けの魚市場である。
また、当時の国家が販売許可とした魚のサイズを表示した看板も見られる。ヴェネツィア訛りの魚介名の表記であるが、これらが全て解れば立派なヴェネツィア通(?)といえるかもしれない。
ヴェネツィアならではの素材とは?
ラグーナで漁獲される近海ものがやはり伝統的なヴェネツィア料理のベースといえる。
イカの墨煮に使われるのは甲イカ。小さなものが柔らかくて美味しい。小型のイワシやモスカルディーニと呼ばれる小さなタコやシャコ、アサリやムールなども土地料理には不可欠なもの。
春先と秋口のごく短期間のみの名物「モエーケ」は、脱皮したてのカニ。市場では1kgあたり60ユーロ近くの高値がつくこともある。
野菜では、これも春先だけに収穫されるカストラウーレ。ヴェネツィアの畑の島、サンテラズモ島の名物で、カルチョフィの一番つぼみをさす。また、「フォンディ」と呼ばれる皿のような形に掃除され、水に浮かべて売られるカルチョフィもこの土地ならではの代物。
ヴェネツィアならではの食材をここでは間近に見ることができる。
(2018年9月)