白旗 寛子 のすべての投稿

憧れのヴェンデンミアで、農業の大変さと偉大さを思い知る

ヴェンデンミア事始め

クリスマス待ちのはなやいだ時候に、秋の話になりますが…

友人の地元イルシーナという村のヴェンデンミアが面白い、とは聞き及んでいました。ヴェンデンミアとは、主にワイン造りのための大掛かりなブドウの収穫作業のこと。ちょうど稲刈りのような秋のイタリアの風物詩です。

10月中旬の晴れの土曜を見計らって、イルシーナからヴェンデンミアの招集がかかりました。マテーラからは車で20分、いそいそと向かったのは友人のお父様が定年後から丹精してきた0.5haのブドウ畑です。

イルシネーゼが「バジリカータのトスカーナ」(!)と称する村の田園風景のなかでも、ひときわ眺めのよい斜面に広がるブドウ畑


ささやかな畑とはいえ、すべて手摘みで、この日のうちに圧搾したいので、人手はあればあるほどいい。ブドウの熟し具合、天候をにらんでお父様の号令のもと、普段はモデナに住む長男リーノが至極当然、家族4人でヴェンデンミア帰省です。

おじいちゃんとブドウを摘むのが楽しくてたまらないモデナ育ちのエンマちゃん8歳。4人のちびっこの間では2丁の鋏をめぐって攻防戦が繰り広げられた


ヴェンデンミアには、収穫の喜びに大人も子供もうきうきとするお祭りの感があります。家族・親戚は問答無用として、伝統的にご近所さんや親しい友人も楽しく駆り出してしまいます。当家ではリーノの幼馴染みのジーノが固定要員です。


垣根に並んだ畑には、アリアニコ種(黒ブドウ)とシャルドネ種(白ブドウ)が、おおらかに混植されていました。まずはこの日のうちに圧搾したい白ブドウから収穫開始。


大きな葉に隠れた房も摘み残さないよう、二人一組で摘んでいきます。


ポリ容器が一杯になったら、大声で“ネコ”担当者を呼ぶと、空の容器を持って回収に来ます。

 

図説イルシーナ流ヴェンデンミア

白ブドウを圧搾場に送り出し、目途もついた午後2時半をだいぶ回って、ヴェンデンミアのピクニックとあいなりました。


イルシーナには、ヴェンデンミアの日に食べ継がれる行事食があるんです。それが「じゃがいもの野良仕立て」。茹でたじゃがいもをたっぷりのオリーブ油、パプリカパウダーで炒め、塩をし、さっと揚げたクルスキ(ドライド・スイートピーマン)を砕いて和えたものです。

冷めても、いや多分、冷めてからが美味しい。ピクニックにうってつけ


簡単そうでいて、リーノのマンマの貫禄の味にはならない、とは実のお嬢さんとお嫁さん談。それに旬のシシトウのオイル煮、フォカッチャ、焼き菓子で、ちびっこも大喜びのピクニックです。

さてお昼の合図とともに


畑の周縁に自生する葦を刈り取って、お父様が器用に作り始めたのが…


若竹色も清々しいボトル栓。ご自慢の2017年の自家製ワインを詰めたリサイクル瓶の口にも、ぴたりとハマるのは見事です。が、単なるボトル栓ではありませんよ。

写真右から:お父様、「じゃがいもの野良仕立て」を持って駆けつけたマンマ、当家の次男


イルシーナ流ヴェンデンミアでの正しいワインの飲み方をご覧あれ。

当家の長男リーノ(右)と幼馴染みのジーノ


グラス要らずで、大勢で回し飲みができます。プラスティックのコップなど無かった時代の、遊び心しかないイルシネーゼの知恵。ちなみにリーノもジーノも、モデナとミラノを拠点に海外を行き来する高給取りです。名誉のため。笑

 

ヴェンデンミアの憧憬と現実

ヴェンデンミアは楽しい。しかも愉快なイルシネーゼが一緒です。笑

作業中は、内輪のSNSでも一盛り上がり。「バジリカータの農作地における外国人労働者の搾取の実態。日本人は仕事が遅すぎる…来年はベンガル人を雇うつもりだ」とディスられる。笑


が、厳然とした農作業なのでした。

ブドウ畑はだいたい南向きに作ります。10月半ばとはいえ南伊のこと、日が高いうちは直射日光との闘いです。熟れたブドウに誘われてくる蚊やススメバチと闘いです。そうこうするうちに腰より低い所に生るブドウを摘む態勢もつらくなり、日が傾けば今度は肌寒さとの闘いです。

地面に近い位置にもわさわさと生る。ワイン用のアリアニコ種だが、実は食べても美味


それでもヴェンデンミアは、ブドウ作りの中では一番楽な作業なんだとか(!)。オリーヴ畑と違ってブドウ畑は手がかかります。茶目っ気たっぷりのリーノのお父様ですが、80歳を越えて、家族も今年が最後のヴェンデンミアかもしれないと考えています。


最後に、日よけのブドウ棚も収穫してヴェンデンミア終了。

0.5haの畑ながら、手慣れた大人5人+その他の大人4人(日本人含む)+ちびっこ4人で、朝から夕暮れまで実に1日がかりでした。

先発の白ブドウと合わせて自家消費用の1年分のワイン600ℓを賄う


マテーラの八百屋さんでは、旬ともなれば、夢のように甘いブドウが、キロわずか2€ほどです。
美味しいブドウの一房の裏に、日々自然と対峙して、丹精するリーノのお父様のような農家さんがいることに、思いを馳せました。

 

アリアーノにラ・コンタディーナ・シシーナあり

農婦シシーナの食堂

自然派イタリア料理店のオーナーシェフで、毎年、研鑽旅行でイタリア各地を巡る友人がいます。バジリカータは3度目の彼を、今回はぜひにと、アリアーノという村にある、ちょっと面白いレストランにお誘いしました。

レストラン名はタヴェルナ・ラ・コンタディーナ・シシーナ。慎ましくタヴェルナ(食堂)と名乗ってはいますが、真正のオステリアです。

マテーラからは、下道をうねうねと1時間半。なかなか気軽には誘えない州最奥部にあります。第二次大戦前夜、ムッソリーニ率いるファシスト政権に抵抗した思想家や活動家は、政治犯とされ流刑になるケースがありましたが、アリアーノはその拘留地にもなったほど。

アリアーノ村の足下には、地質学で「バッドランド」と呼ぶ荒涼とした涸れ谷が広がる。


そんな隔世の村で、お百姓さんたちが紡いできた、つましくも豊かな農家の家庭料理ということで、ラ・コンタディーナ(農婦)・シシーナというわけです。

小学校に上がると、畑仕事に行くお母さまに代わって、食事の支度をしたシシーナさん。まったくの独学でシェフになった。


現在こそ、サラダなど簡単な作業をする若いアシスタントが一人いますが、120席という大箱の台所を一手に担ってきたのがシシーナさんです。

 

マテーラの夜明けはアリアーノに端を発す

食を知るにはまず歴史から。

映画化もされた『キリストはエボリに止まりぬ』(1945)の著書カルロ・レヴィは、イタリアがファシズムに飲み込まれていく中、反ファシズム思想を貫き、政治犯としてアリアーノ(マテーラ県)に移送、拘留された一人です。

時は1935年。レヴィ33歳。トリノの文筆家、画家であり、大学では医学を修めた、言ってみれば知識人のレヴィですが、アリアーノでは、お百姓さんたちと心を通わせ、同書でバジリカータの現実を綴り、農民の搾取の上に成り立つ体制を浮き彫りにしました。

アリアーノの農民たちの口から語られる奇譚(!)、精霊(!)、まじない(!)等をも、非科学的と一笑に付すことなく、温かいまなざしで語り起こしています。

エボリはカンパーニャ州サレルノ県の人口4万人の村。アリアーノの農民がしばしば口にした「(古代ギリシア人も、古代ローマ人も)キリストさえも、エボリの先(つまりバジリカータ州)まではやって来なかった」という鮮烈なタイトル。


1945年、終戦を待って同書が出版されると、まず、マテーラ県の県庁であるマテーラ市では、1万5千人(全人口30,390人の実に50%)以上が、洞窟住居エリアで暮らしていることが、驚愕を持って世に知れるところとなります。

これが、1952年の「マテーラ市における居住地区サッシの再生法」施行への布石となり、1993年の世界遺産登録へとつながっていきます。

同時に、あの『遠野物語』とも通底するアリアーノの農民の土着の信仰、風変わりな習俗が、文化人類学的な調査の対象にも。神秘の州として、バジリカータおよび南部が、クローズアップされていきます。

左:エルネスト・デ・マルティーノ著『Sud e Magia(南部と呪術)』(初版1959)。右:写真は、季刊誌『MATHERA』2017年創刊号「恐怖と虫を払う呪文」より


さらに近年は、アリアーノはその土着のカーニバルでも注目を集めています。

アリアーノのカーニバル2018年2月

バジリカータのレストラン、本来の姿がここに

そんな歴史の中で、農民が紡いできたアリアーノ料理がまたいいのです。

農民の家庭料理の骨子となるのは、卵と玉ねぎ、じゃがいも、チーズ代わりの生パン粉のフリット、ペコリーノ(羊乳のチーズ)、あとは季節季節の野菜。

マテーラ県のお約束。客人をもてなす前菜のお伴は、パンやクロスティーニではなく、あつあつのペットレ。州内でも地方によって名称が変わる。


“贅沢な”材料はありません。が、土地の良い素材を使ってシシーナさんが作る料理は、どれを食べても、ちょっと目を見張るぐらい、いちいち美味しいのです。





手打ちのオレッキエッテ&フェッリチェッリ(絶品!)の2種を使った田舎風。茹で時間が違うため、本当に美味しく茹で上げるのは、実は難易度が高い。


シシーナにメニューはありません。
席に着くと、5~6品の前菜に始まり、プリモが2品、メインの肉料理とサラダ、フルーツまで、計10品ほどがサーブされます。それが一人一律20€、しかもお水にハウスワイン、食後酒にカフェ込み(!)のお値段です。

そうそう、美味しくてしかも安い、これがバジリカータの食文化なんです。

10年ぐらい前は、マテーラの少し郊外に行くと、そんなオステリアやアグリトゥリズモも珍しくありませんでした。

アリアーノ村では、それが今も健在でした。

 

食べるという営みについて考えた

さて、友人一行の中に、体調がすぐれず、前日の夕食から食が進まなくて…という女性がいらっしゃいました。
ところが、シシーナで「やさしい味のお料理を食べたら、すっかり元気になったんですよね」
「胃を浄化するほど美味しかった」とは、別の方の感想。

良い食事が身体にもたらす影響にびっくりしつつ、食べるという営みは、本来、体(たぶん心も)を養生するものなんだと、強く印象づけられました。

後日、帰国した友人から、「今回のツアーで、シシーナが一番美味しかった、という人が多かった」とメールが届きました。人間は体が癒やされた時、美味しいものを食べたと感じるのかもしれません。

追記。今回シシーナは遅い夏季休業中だったところ、オープン以来、初めての日本人のグループということで、たった9人の私たちのために、レストランを開けてくれたのでした。

バジリカータのレストラン、本来の姿がここにも。

 

La Contadina Sisina – Taverna
Via Roma, 38 – 75010 Aliano (MT)
(0039) 327 0467263 / 0835 568239
Email: info@lacontadinasisina.com.
コースのみ 20€/人
前菜5~6皿、プリモ2皿、メイン1皿、付け合わせ、フルーツ
水、ハウスワイン赤、自家製食後酒、コーヒー込み
*メニューは季節により変わります。
*祝祭日の特別メニューの場合、値段が変わることがあります。

縁あって、ソムリエとマテーラ最高のワインを飲む/後 編

マテーラで最も優れたカンティーナのひとつ

前編につづき)

ソムリエがそう称えるのが、マッセリア・カルディッロです。「ワインにするに足る」ブドウだけを選って、8銘柄をリリースしています。

foto AIS Basilicata 広大な敷地には、穀物・青果を栽培する田畑、レストランにホテルも併設する。


ブドウ畑の近くでは、夢のように甘いミカンが生る土壌にしてなお、選果を通過するのは、収穫量全体の60%に満たないという厳格さです。

「マテーラでは、そうありたくても、経済的に許されないカンティーナがほとんど」と、側にいたソムリエが耳打ちしてくれました。

家族経営で農業主体の兼業カンティーナでは、大切に育てたブドウは、できるだけワインにして売る必要があります。銘ワインを世に出すみたいな事は、いつも後回しにされてきたわけです。

紀元前7世紀にまで遡るワイン造りの歴史がありながら、格付けワインがなかったマテーラで、D.O.Cの認定に尽力したのが、カルディッロでした。

古代ギリシア植民都市時代の赤絵式クラテール。ワインを水で希釈するのに用いた。カルディッロからもほど近い、ピスティッチ村にいた陶工集団の手による最古のもの(紀元前440~430年)。


実際、ワイン造りのどの工程を切り取っても、マテーラD.O.C.全体を見据え、背負って、牽引するカンティーナの矜持をビシビシ感じました。

 

鉄壁は「マランドリーナ」 マテーラ・モーロD.O.C.

カルディッロはマランドリーナという赤で知られます。例のマテーラ・モーロ D.O.C.の1本で、土着品種のプリミティーヴォに、国際品種のカヴェルネとメルローをブレンド。

世界の愛飲家を見据えた野心的な一本は、数年来、AISバジリカータのワイン評で「エクセレント」を取り続けています。

foto AIS Basilicata「マランドリーナ 2014」マテーラ・モーロD.O.C.

侯爵夫人の「バルック」 マテーラ・プリミティーヴォD.O.C.

カルディッロをマテーラで最も優れたカンティーナ足らしめているのが、バルックという赤です。

何を隠そう、この7月に極秘にマテーラを訪れた英ウェストミンスター侯爵夫人から、うちうちの依頼を受けたAISマテーラ支部の代表のサムエーレ氏が、侯爵夫人のテイスティングのために選んだ2本のうちの1本が、このバルックでした。

もう1本は、州を代表するアリアーニコ・デル・ヴルトゥレD.O.C.G.のこちらも名高い赤でしたが、レディ・ナタリアは、バルックをことのほかお気に召したとのこと。

foto AIS Basilicata 「バルック2014」 マテーラ・プリミティーヴォD.O.C.


バルックは土着品種のプリミティーヴォだけで造る、カルディッロのとっておき、いわば最高峰ワインです。

それをあえてアメリカ産のオーク樽で熟成させることで、きどらない、こなれたワインに仕上げているんだとか。

数は多くないが、「バルック」用のアメリカンオークが並ぶ。カンティーナの清潔さは、ちょっと例をみないほど。


ソムリエになろうという地元のワイン好きにもバルックがぶっちぎりの人気でした。

 

【おまけ】カルディッロによる、ソムリエのためのランチ

テイスティングには、マランドリーナ、バルックを含めた7銘柄がずらりと並びました。

カルディッロの赤4本。マテーラでワインといえば赤。


それに合わせ、この日、カルディッロが組み立てたメニューは、ザ・マテーラ料理で、奇をてらったものは何もないのですが、それぞれが美味しかったこと!

「全部できたてですよ」という7、8種のフォカッチャとカルツォーネで、ランチ開始。台所を一手に預かるシェフ自ら、切り分けてくれる。


Foto AIS Basilicata 40人からの大所帯につき、この日はビュッフェスタイルだった。写真提供:隣にいたソムリエのクラウディオさん。ソムリエは盛り付けも、写真もお上手。笑


マランドリーナ2014 マテーラ・モーロD.O.C. 新会長エウジェニオさんが、日本人になら…といって選んでくれたのがこちら。


ワインにまつわる四方山話が聞けるのも、ソムリエと一緒なればこそ。

マテーラに限らず、イタリア各地にAISの支部がありますので、ソムリエと一緒にカンティーナ見学、かなりおすすめです。

伊ソムリエ協会マテーラ支部では、下記のサービスを提供しています。

駆け足でマテーラを巡る人には
侯爵夫人も利用した
【テイスティングの出張サービス】

ソムリエがご要望にかなう州ワインを厳選、テイスティングサービスに伺います。

マテーラ市内の:
・ご希望のレストランで(ランチ、ディナーに合わせて)
・お泊りのホテル、B&Bで(お食事前のアペリティ―ヴォに)
※ダイニングルームとキッチンを備えた宿泊施設に限ります。

生産者に会いに
【ソムリエとカンティーナ見学】

アリア―ニコ・デル・ヴルトゥレD.O.C.G.地方
マテーラD.O.C.地方

【ご予約・お問合せはメールで】
Associazione Italiana Sommelier Basillicata
Delegazione di Matera
伊ソムリエ協会 マテーラ支部
e-mail: aismatera@gmail.com(英語可)

縁あって、ソムリエとマテーラ最高のワインを飲む / 前 編

 

ソムリエと行けばなお楽し! マテーラが誇るカンティーナ見学

マテーラのような田舎で、外国人も甚だしいアジア人顔で社会生活をしていると、何もしていないのにひどい仕打ちを受けることも、やっぱり何もしていないのにすごい厚遇を受けることもあります。

ならすと±ゼロなのですが(笑)、ひょんなご縁から、伊ソムリエ協会バジリカータ(以下AISと略)のソムリエ育成コースI(初級)とIII(上級)に、もぐりとして…もとい聴講生としてお招きに預かるという、たいへんな光栄に浴しました。

先日、初級コースの総括で、AISの新・旧会長率いるソムリエ視察団と、コースの受講生の大所帯で、マテーラD.O.C.*の作り手を訪ねました。

foto AIS Basilicata イオニア海にほど近いベルナルダ村の ”マッセリア・カルディッロ” のブドウ畑で。フランシス・フォード・コッポラ監督の祖父の故郷で、ソフィア・コッポラはこの地で挙式した。


 

マテーラD.O.C.と言われても…

マテーラのワイン造りは、その起源をアテネやスパルタがイタリア半島でも盛んに植民都市を建設したギリシア大植民時代に遡るもんで、使用OKなブドウの品種が5種です。

ひとつの品種か、または2~3種のブレンドもOKで、マテーラD.O.C.赤に始まり、同じく白、同ロゼ、スプマンテ、スプマンテ・ロゼ、パッシートと、計11のマテーラD.O.C.ナントカが、マテーラD.O.C.としてひとくくりにされています。

住んでいる人間の雑感ですら「…なんか、わちゃっとしてる」だし、D.O.C.認定年も2005年と新しいので、耳慣れませんよね。

が、綺羅星のごとく現れて、有名ワイン評価本や見本市で、数々の高い評価を受けるマテーラD.O.C.モーロの作り手も生まれているんです。

*2010年「新ワイン法」でD.O.Pに統一されましたが、従来のD.O.C./G.表示も引き続き認められており、「旧ワイン法」に統一します。

 

マテーラD.O.C.の大地

おフランスでは「偉大なワインは常に河を望む」と言うそうですが、AISの新会長エウジェニオさんが好んで口にするのは「ワインは大地が育む」です。

マテーラD.O.C.の「大地」は県南東部、“土踏まず”のイオニア海に開けた平野ですが、一端は石灰岩のムルジャ台地と、もう一端は2000m級のポッリーノ連峰とせめぎ合っています。

冬はオレンジ類、春はイチゴ、夏はアンズやモモなど、産地名で喜ばれる果物自慢の村々が点在しています。

foto AIS Basilicata イオニア海岸のノヴァ・シリ村の “カンティーナ・タヴェルナ” のブドウ畑。 ワインの作り手は、ブドウから自家栽培する農家でもある。県内では他の穀物、青果も生産する兼業カンティーナがほとんど。


石灰質をほどよく含む泥灰土~石灰岩の大地と、ずばり強烈な日差しが、それはそれは糖度の高いブドウをつくります。糖分はアルコール度数に結実しますので、糖分をいかに制すかに腐心するカンティーナもあるほど。

アルコール度数13.5%以上という、パワフルなワインができるわけです。

foto AIS Basilicata 2018年6月16日現在のブドウの生育状況。”カンティーナ タヴェルナ” では数日中に、果実に十分に日が当たるよう、葉を一枚一枚、取り除く作業が始まる。


後編では、マテーラで最も優れたカンティーナ、マッセリア・カルディッロをご紹介します。

 

南イタリア風シャビーシックと古道具で三方よし/後編

修復師の仕事とは

前編から続き)
アレッサンドロの本業は修復師です。経年で劣化した家具木工を元の姿に復元します。

例えば、こんなものから…

(修復前)

foto©A.Castanoマテーラの大聖堂蔵の18世紀の告解台(中にいる司祭さまに小窓から罪を告白します)。


(修復後)

foto©Archivio A.Castano


ぐっと身近に、古い門扉や玄関の扉まで。

foto©Archivio A.Castano


特に世界遺産のサッシ地区では、門扉および鎧戸、開口部の建具は木(もく)と定められているので、修復依頼は絶えません。

こちらはサッシ地区のさる私邸で、雨ざらしにされていた玄関の扉です。

foto©A.Castano


ひっかかるところがあって、持ち主から譲りうけ、修復してみると、1924年の日付とともに、自らをEbanista 高級指し物師と名乗った職人のサインが出てきました。

foto©A.Castano 修復を手掛ける、やはり一級の修復師しか知り得ない記録。


情熱があってこそですが、すくいあげるのも修復師の仕事ということでしょうか。

「ただ元に戻す」が信条のアレッサンドロですが、ありきたりな古道具ならば、持ち主の愛着を汲んでリメイクしてくれます。

foto©Archivio A.Castano 友人C宅ではシャビーなテーブルをホワイトで塗装、洗面台にしてもらった。手前の扉もアレッサンドロが修復。


同じ情熱でもって、小学校に出向けば、まことに自由闊達なイタリアのちびっこたちをもたちまちくぎ付けにし、

foto©Archivio A.Castano


ストリートで修復作業を実演すれば、マテーラ市民も興味津々です。

foto©Archivio A.Castano


 

マテーラにA.カスターノあり

アレッサンドロが、修復と両輪であると考える古道具店。アレッサンドロはこの店を、アンティーク⇔修復⇔人がつながる場に育てていきたい、と考えていました。

foto©A.Castano /自らの名前とともに「高級指し物の修復」を掲げる。


修復師であり、古物商・古書古本商であり、マテーラの古い写真や私書のコレクターでもあるアレッサンドロを媒体に、古い物を手放したい人、欲しい人がつながる場所。さらには、古い家具を修復したい人、リメイクしたい人、アンティーク好き、郷土史好きが集う店+ショールーム+サロン+ギャラリーのような場所です。

お店では、アレッサンドロがさんざん試してたどり着いた、上物のシェラック(ニス)も販売。使い方も指南してくれます。

foto©A.Castano インド産のシュラック1袋1㎏入り/10€。木箱に入った金箔のようなものがシュラック。なんと虫の分泌物由来。


ちょうどこの日、facebookを見たというお馴染みの女性客が来店。さっそくお目当ての古本を囲んで、初対面のわたしも促されたかっこうで、すぐに「この本のここがすごい」談義が始まりました。

直後に激しい夕立があって、雨宿りを決め込んだこの女性は、50年代のソファー(商品)に深々と腰かけると、買ったばかりの野草に関する本を読み始めるのでした。

アレッサンドロが目指すのは、きっとこんな気の置けない場所。

 

50~60年代のモダンインテリアで、三方よし

修復との両輪で存在感を増すA.カスターノには、ごく直近も、サッシ地区の由緒ある館から17~18世紀の家具調度が、委託されました。マテーラではなかなか出てこない真正のアンティークです。

対しまして、今出てくるのは、50~60年代に結婚して新居を構えた世代=おばあちゃんの家にある類の①50~60年代に、②工場で、③量産された、④モダニズム(様式)の家具…の模造品です。

「物事をむき出しにしてはいけません」と言われますし、理由はつまびらかにしませんが笑、この手の家具は、マテーラではどの世代にも人気がなく、従って、子どもや孫があっさり手放すことになります。

50~60年代の肘掛け椅子。5年以上も前、アレッサンドロから購入。1脚わずか60€だったが、アーム部分で3段階のリクライニングになる。


なかなか気の利いたデザインだと気をよくしていたら、アントニオ・ゴルゴーネ(ナポリ)の50年代のひじ掛け椅子の模造品のようです。

とはいえ、洋服も家具も優れたデザインが、広く模倣されるのは、今も同じ。60年代~のクラフト・リヴァイバルで、一品製作の家具への揺り戻しもあり、今でも衣食住はコンサバティブな人が多いマテーラでは、相当ハイカラだったはず。

たった120€で、粗大ゴミが2つばかり減り、私はといえば、今度は椅子を張替えてくれる職人さんに、ああだこうだ言いながら張替えをお願いする楽しみが増えました。

もし将来、この肘掛けに飽き飽きしても、たぶん買い手がつくのも、古い家具のいいところです。

売り手よし、買い手よし、世間よし。

 

【イトリアの谷のアンティーク市】Antiquariato in Valle d’Itria
2018年8月11日(土)~8月19日(日)@マルティーナ・フランカ(プーリア)

【マテーラの蚤の市】
毎月第2土日@ヴィットリオ・ヴェネト広場Piazza Vittorio Veneto/マテーラ

【アンティーク家具修復A.カスターノ】
A. CASTANO Ebanisteria & Restauro
https://www.instagram.com/ebanisteria_restauro/
ショールーム
Viale Europa, 6C – 75100 Matera
月~金 16:00~20:00
土  09:00~13:00/16:00~20:00

南イタリア風シャビーシックと古道具で三方良し/前編

長く使わせてくれる職人さんが身近なエコ社会

マテーラに暮らして常々感心するのが、不要になった調度品は売買できて、たいがいの物は、修復やお手入れをお願いできる職人さんが健在なことです。

例えば50~60年代の家具。とある事情で近年は、修繕やリメイク代を入れても、伊有名ブランドの家具よりは、安く手に入ります。

 

【売る・買う】
Antiquario アンティーク商
Rigattiere 古物・古道具商

【買う/修繕、お直し】
Ebanista 高級家具職人
Falegname 木製家具職人
Fabbro 鍛冶職人
Tappezziere 椅子張り職人
Corniciaio 額装職人
Restauratore 修復師

 

工藝品とか芸術品のことか、と思うと全く違いまして、アンティークをこよなく愛する友人から、財産になりそうなものは一切持ってない私まで、懇意にしている職人さん達です。

例えば、鍛冶職人のフィリッポ氏。友人R宅では螺旋階段を、M宅ではウォ―クインクローゼットを、拙宅ではテラスの日よけと食卓を、それぞれアイアンで造作してもらいました。

何か作ってもらおうと思い立ったら、まず近しい人に「いい鍛冶職人知らない?」と尋ねることから始まりますので、フィリッポ氏はみんなの鍛冶職人となっています。笑

嬉しいことには、古い金属製品の研磨とか、塗装にも、当然のように応じてくれるんです。

かつては穴が開いたら継いでくれる職人さんがいたほど、どこの家にもあった銅の鍋。フィリッポ氏に磨いてもらった。


こんな風に、基本的に新品を受注生産している職人さんが、修復やリメイクも引き受けてくれるので、蚤の市でガタピシの古道具にも躊躇なく手がだせるわけです。

 

有名アンティーク市 VS 小さな町の蚤の市

イタリアに限らず、ヨーロッパの旅の楽しみの一つに蚤の市があります。その土地で育まれた生活様式や、人々の好みや暮らしぶりを覗くのは楽しいものですよね。

本心では北欧やフレンチの洗練に憧れつつ(笑)、いかにも粗雑なマテーラのローカルな古道具を、がぜん見直すことになった1冊のインテリアブックがあります。

プーリアはサレント地方のシャビーシックな14の私邸がインテリアが収まる。2010年の出版に前後して、マテーラの贅沢なホテルでも、マテーラ風シャビーシックが目立つようになった。


気づきはいつもマテーラの外からやってきます。笑

 

そんな南イタリア風シャビーシックに誘われて、数年来通っているのが、イトリアの谷のアンティーク市です。
毎年、真夏の1週間マルティーナ・フランカで開催されるこの市には、17~19世紀の真正のアンティーク、20世紀~のヴィンテージ、レトロなコレクションアイテム、雑多な古道具などをお目当てに、5万人以上が訪れます。

自然、出展者にも人気とみえ、イタリア各地、スコットランド、スペイン、フランス、イギリスから、70以上の出展があります。

2017年、船舶専門の古物商を発見。これはイタリア海軍で使用されていた持ち運べる式の電灯。


対するマテーラの月一の蚤の市。
規模は小さく、玉石の“石”だらけなのですが、時に“玉”が混じっていて、それが有名なアンティーク市に比べると、かなりお安く手に入ってしまうのが、マテーラのような小さな町の蚤の市のいいところです。

 

13年も昔、マテーラの蚤の市で買った秤。70~80年頃のイタリア製でオリジナルの箱に入った新古品だった。マテーラの友人は絶対買わない類のデザイン。笑


 

ディープな古物商リガッティエーレ

リガッティエーレとよぶ古物商さんと馴染みになると、古道具ライフが一挙に楽しくなります。アンティーク商とは違いまして、凡庸な古道具も、ガラクタも扱います。主に蚤の市の露天商ですが、倉庫を見せてくれる人もいます。気心が知れれば「いい○○が入ったら連絡して」とお願いしたりできます。

古物商の倉庫で見つけた足掛け+火鉢。まわりに椅子を並べ、足を乗せて暖を取った。アイアン製は近代の凡庸品で、伝統的な木製で状態のいいものは稀少になってきた。


マテーラに次世代の古物商がいます。“みんなの”アレッサンドロ。本職はアンティーク家具の修復師で、主にサッシ地区方面から、ひっきりなしに修復の依頼が舞い込んでいるようです。

 

好きが高じて、ほとんど趣味で始めたのが古物商。修復で肥えてはいてもフレッシュな目で商品をえり好みしているので、アンティーク商に近いです。

60年代の椅子が2脚で120€/foto©A.CASTANO


仕入れの信条は、オレが好きな物。以上。買い付けはマテーラ市内という狭い守備範囲にしては、いつもおおと思う物があります。

仕入れた物は、SNSやウェブサイトも駆使して、売れる。売れるので、いい物が持ち込まれる。それが呼び水になってまた売れるという具合で、ついにオルタナティブな古道具店を開いてしまいました。

(後編に続く)

世界遺産「マテーラの洞窟住居」地区でテルマエ・ロマナエ

ご存知でしたか?世界遺産に登録された理由

“サッシ”と呼ばれるマテーラの洞窟住居地区、いったい何がすごいのでしょうか?

今でこそサッシはマテーラ市の一地区ですが、もともと最初の集落はサッシの中で生まれ、ざっくり15世紀頃まで、マテーラは岩を穿って築かれた石の都市でした。

初めての集落は、最も標高の高い大聖堂周辺につくられた。大聖堂の鐘楼はサッシのどこからでも見えるランドマーク。


サッシは現存する最古の居住地の一つに数えられますが、都市構造そのものが、なんと有機的に雨水を集積する巨大な水甕の機能も果たしていました。雨水の集積と貯水に紐づけた都市建設の歴史は、青銅器時代に遡ります。古代ローマの水道以前の計算です。

サッシの断面図。「洞窟より貯水槽の方が多い」と言う研究者もいるほど、竪穴式の貯水槽が残っている。図提供:建築家ナタリア・タラベッラ©Pangea by Natalia TARABELLA。建築家ピエトロ・ラウレアーノP.Laureano著”Giardini di Pietra(石の庭々)”中の原図にナタリアが手を加えたものです。


といっても仕組みは明快で、地盤に掘っただけの側溝雨樋、はては”段々道”など水勾配を持つ「面」ならなんでも使って、降った雨をもれなくキャッチし、最寄りの地下貯水槽に取り込むというもの。

90年代に改修したこちらの私邸では、代表的な釣鐘型の貯水槽を階段室にした。


貯水槽の内部。写真上中央の鍵穴のように見える横溝から、雨水を取り込んでいた。


貯水槽の基底部。一段低く掘って、不純物を沈殿浄化していた。


他にも、一定以上の水位のキレイな上澄みだけを、下位の貯水槽に移し替えるオーバーフロー溝が付いた例もあります。

プリミティブなんだけれども、なかなかよく出来ています。

類似の都市にペトラ(ヨルダン)や遠くトゥラ(イエメン北部)がありますが、サッシでは少なくても1926年までは、この雨水システムが現役でした。世界最古にして保存状態も良好というわけで、世界遺産登録の大きな理由の一つになっています。

 

そして貯水槽が残った

というわけで、サッシの住居ならばまず貯水槽がありました。

そこへ1926年、水道が引かれます。一転、貯水槽に雨が入ってこないよう、導水溝と貯水槽の切り離しが始まります。貯水槽の流入口はきっちり塞がれ、後には空っぽの貯水槽が残りました。

一口に貯水槽といっても、大小様々。写真は公共の巨大地下貯水槽の内部。壁面に艶が見えるのは、陶片を砕いて水を加えたモルタルを塗っているためで、古代ローマ時代からの防水処理だ。


現在、修復工事の際には、その耐水性を生かして、ホテルやB&Bではバスルームに、大型のものになるとプールやスパにするのが今様となっています。

世か世なら1等地、大聖堂のお隣の旧ガッティーニ邸の地下貯水槽は、5星ホテルのスパのジャクジープールに。foto©Palazzo Gattini Hotel

最大級の洞窟のスパ「テルマエ・ロマナエ」

先月、大雪の降った翌日のこと、誕生会の名目で、サッシの最古参ホテルが近年オープンしたスパを利用してきました。そうなんです、こちらは住民も、宿泊客以外の観光客も利用できるんです。

しかも洞窟のスパとしてはサッシ地区で最大級です。建築上のハイライトといってもいい温水プールの広いこと!

この日は私たち8人の他に5人ほど利用客がいましたが、いろんな意味で圧のあるおばちゃん…もとい妙齢の女性8人でぞろぞろと連れ立っても、ずいぶん余裕を感じました。foto©Locanda di San Martino


ご存知、古代ローマの浴場「テルマエ・ロマナエ」と銘打ったスパには、上下3階層に6つのゾーンがあります。オマージュしているだけなので、歴史的な古代ローマの公衆浴場とも、あの『テルマエ・ロマエ』とも関係はありません笑。

●アポディテリウム / 脱衣室
●28℃のテピダリウム前室
●50℃のドライサウナ
●30℃のテピダリウム / 貯水槽の休息室。冷水とハーブティーのサービス有
●45℃のカリダリウム / ハマム;湿度100%のミストサウナ
●29℃のフリジダリウム / ジャグジー付き温水プール

2時間あれば、サウナ、ミストサウナ、プールを好きなだけ行ったり来たりできます。

前述のガッティーニ・ホテルでは、類似のスパコースが60分ですので、勝手な所見では、ボディ・トリートメントならスパ・ガッティーニ、サウナとプールに入り浸りたいなら、断然「テルマエ・ロマナエ」です。

更衣室が手狭で、スパ後のシャワー設備とアメニティの物足りなさもご愛敬、古代ローマの公衆浴場さながらのコスパに優れ、快適な社交場の感があります。

さすがにスパ内での乾杯は厳禁でしたが笑、スパを出たところにあるバーカウンターで軽く飲んだりもできます。


極寒の日、暖かい時間が過ごせるありがたさはひとしおでした。また日の短い冬季には早朝、夜の営業も嬉しい限りです。これから夏にかけては、灼熱の午後の避暑にもおすすめです。

宿泊客以外の方も利用できますが、必ず予約が必要です。
メールまたは電話で予約してお出かけください。

Locanda di San Martino
スパ営業時間 07:30 – 11:30/14:00 – 21:30
料金 20€/2時間/お一人(バスローブ、プール用キャップの使用料 込み)
◆①水着、②プール用サンダル、③必要の際はバスタオル持参。
◆公衆衛生法により、プールの中では必ずキャップを着用してください。
◆温泉ではありません。
◆18歳未満の方のご利用はお断りしています。予めご了承ください。

8つの村の8つの不思議なカーニバル

今となれば、陸の孤島だった歴史が幸いして、バジリカータには「カトリックの祭事と完全に同化した、不思議な原始の祭り」(C.レヴィ 1974)が数多あります。

『キリストはエボリに止りぬ』で1935年のアリアーノ村(マテーラ県)の農民を描いたレヴィが、愛情を込めてそう表現したのは、1974年、友人に連れられてトリカリコ村(マテーラ県)のカーニバルに出かけた折でした。

トリカリコ村のカーニバルの仮面。白衣の雌牛と黒衣の 雄牛の踊り。イタリア人の目にも不思議に映った。 Foto by Rocco Stasi at Italian Wikipedia/写真はWikipediaより。


近年、トリカリコを含めた8村に伝わる8つのカーニバルの仮面の民俗学的価値が、クローズアップされています。

先月の末、マテーラのテレビ局の特集番組で、8つの仮面が一堂に会すると聞きつけ、いそいそと出かけてきました。

 

8つの村とは? 人口順にご紹介

 

ラヴェッロ(13,525人)
モンテスカリオーソ(9,940人)
トリカリコ(5,292人)
サトリアーノ・ディ・ルカーニア(2,345人)
サン・マウロ・フォルテ(1,505人)
アリアーノ(975 人)
テアーナ(592人)
チリリアーノ(369 人)

(Istat 2017調査)

試みに村の人口を添えてみましたが、最も小さな村に至っては369人という人々の集団が、それぞれ伝統の仮面を、脈々と受け継いできたことに驚きます。

 

カーニバルの仮面はアイデンティティーの発露だ

マテーラでカーニバルと言えば、トリカリコ、サトリアーノ、サン・マウロの名が知られていますが、不肖、在住14年目で初めて見知った仮面もありました。

8つの中からぐっときた仮面を、わたくしセレクションでご紹介します。
サトリアーノ村の ルミータ
ツタの枝葉で体を覆っただけの仮面 “ ルミータ ” は、貧しさを象徴してあまりありながら、131人のルミータが森となって、動き出す光景には美しいものがあります。

Foto by Celestino SANNA. 土地の方言でルミータ (森でひっそりと暮らす隠遁の修道士) と呼ぶ仮面。手には、先端にナギイカダ(クリスマスや新年に飾る。ヒイラギに似た常緑樹)の枝をくくり付けた杖を持つ。


ワイン片手にとはいかないルミータに、プロセッコを振る舞う“妖精”。誰か分からないよう骨組みをたっぷりのツタで覆ったルミータの仮面は、想像以上に重い。いずれも2014年のカーニバルにて。

アリアーノ村の コルヌート
コルヌート(「角を生やした」の意)は、農村文化においては、邪気を追い払うとされました。

鼻が垂れ下がり、大きな角を2本生やしたコルヌートのお面。白衣のアリアーノのコルヌートは、おそらくヤギをかたどっている。レヴィによると「飼料をやらなくても、むき出しの岩石で、棘だらけの雑草を食べて育つヤギは、アリアーノの農夫の唯一の財産だった。」


ぱっと目を引くカーニバルらしい仮面も、まずはヤギなのであり、頭頂部の飾りはオンドリの羽、体に巻き付けたベルト類は、もともとは馬の毛や、荷を引くラバに着けた(騾)馬具を利用していました。すべては家畜がいてこその、このいで立ちなのでした。

番組終了後、8つの仮面のパレードが始まり、マテーラ市民が沸いた。中央のコルヌートが手にしているのは、クーパ・クーパという楽器。


サン・マウロ・フォルテ村のカンパナッチ祭

バジリカータのカーニバルシーズンは、1月17日の聖アントニオ・アバーテの日に行われるカンパナッチ祭で、幕が上がります。

黒いマントと白いシャツの男衆が、拍子をつけてカンパナッチョ(牛の首につけるカウベル)を鳴らしながら、村を練り歩きます。

テレビ出演とあってか(?)、サン・マウロ勢は、全身黒に帽子としゃれこんだ若い衆を送り込んできた。足元にあるのがカンパナッチョ。


カンパナッチョの形には、縦長の男型と横広の女型があり、両足の間で鳴らすのが儀礼である。


動物の守護神である聖アントニオ信仰に、牛の放牧が盛んな村ならではの豊作祈願と厄除けが結びついた土着の祭りです。

 

村のような小集団が連綿とつないできた土着のカーニバルはいったいに、エネルギッシュで騒々しくてひたすら楽しいのに、人の純朴さや健気さに、心を揺さぶられる類の美しさがあります。

そのあたりに「不思議」の秘密があるのかもしれません。

 

8村のカーニバル カレンダー2018

カンパナッチ/サン・マウロ・フォルテ San Mauro Forte
1月15日~21日

トリカリコのカーニバル/Tricarico(マテーラ県)
1月17日

ラヴェッロのカーニバル/Lavello(ポテンツァ県)
1月17日~2月の毎週土曜日

モンテのカーニバル/モンテスカリーソ Montescaglioso(マテーラ県)
2月4日、11日、13日

“森が歩き出す”サトリアーノのカーニバル/Satriano di Lucania(ポテンツァ県)
2月8日~11日

“ウルシュ(オルソ=熊の方言)”とテアーナのカーニバル/Teana(ポテンツァ県)
2月10日、11日

アリアーノとカーニバルの“コルヌート”/Aliano(マテーラ県)
2月11日、13日

チリリアーノの伝統のカーニバル/Cirigliano(マテーラ県)
2月11日~13日

 

愉しいカーニバルシーズンを!

バジリカータに、風が吹いた

2018年はどうやらバジリカータ州の当たり年のようです。

去年の10月以降、マテーラまたはバジリカータがランキングで1位(強弁を含む)というニュースが立て続けに飛び込んできました。年初には、ニューヨークタイムスからも吉報が舞い込んだのを潮に、つらつらご紹介します。

 

ロンリープラネット Best in Travel 2018  マテーラ7位

ご存知ロンリープラネットの2018年に旅したい都市ベスト10。国際的な視座に立てば、マテーラはぱっとしない7位ですが、2018年イタリアからのランクインはマテーラだけでした。

まあ他はとっくに出尽くしたでしょうしね。

というわけで、まことにイタリアらしく「イタリアでは1位」に視座がシフトし、地元メディアがイタリア1位と念仏のように唱え続けた結果、「ロンリープラネットで1位」と取り違いが起こった人も出てきました。

ベスト10が発表された日、マテーラではロンリープラネット関係者と世界のインフルエンサーを迎え、インターナショナルKARAOKEナイトも開催された。なんでカラオケ?


なぜここにきて、世界がマテーラに気づいたかと言いますと、マテーラが2019年の欧州文化首都に決定した、これに尽きます。

ヨーロッパで都と言えば、花の都パリ、霧の都ロンドン、永遠の都ローマに水の都ヴェネツィアですが、2019年マテーラはヨーロッパの文化の都になります。笑

「ですので、脚光を浴びる前の今、マテーラを訪れてください」とロンリープラネットは結んでいます。

2019年効果。

 

ニューヨークタイムス 52 Places to Go in 2018 バジリカータ州3位

2019年前の今だからこそを前面に押し出したのが、ニューヨークタイムスの2018年に行くべき52の場所という多すぎるランキング(2018年1月10日)。

世界が注目する前に「南イタリアの知られざる州」に行くチャンスだとしています。

日本と同程度の認知度ですね。

“バジリカータは存在します。”
(映画『Basilicata Coast to Coast』(2010) 主題歌「Basilicata is on my mind」より)

 

イタリア政府観光局ENIT「イタリアのレストラン」調査 バジリカータ州1位

こちらは、イタリア各州のレストランを利用した外国人観光客の満足度調査(2017年11月)。

1位 バジリカータ(投稿者の88%が満足と回答)
2位 トレンティーノ‐アルト・アディジェ(同87.2%)
3位 ウンブリア(87.1%)
4位 ヴァッレ・ダオスタ(86.8%)
5位 アブルッツォ(85.4%)

普段の観光ランキングとは一味違う、燻し銀の顔ぶれです。

調査方法は、Google, Yelp, Tripadvisor, The Forkに投稿された、イタリア国内のおよそ10万軒のレストラン、トラットリア、オステリアについて、外国からの観光客の200万件以上の評価と、1,400万以上のコメントを分析。

最も積極的に投稿しているのは、イギリスからの観光客で投稿者全体の42%を占める。次いでアメリカから(15%)、ドイツから(13%)。

またイタリアでの食事を最も高く評価しているのはアメリカからの観光客で、実に84.9%が満足したと回答。以下カナダ(84.7%)、フランス(84.6%)。

美味しいよ、バジリカータ。

 

ガンベロロッソ 2017年クリスマス最高のパネットーネ 同率1位

パティスリーが作る最高のパネットーネは、なんとバジリカータにありました。

2016年最高のパネットーネ30で2年連続1位に引き続き、2017年はガンベロロッソのベスト10でも、ティーリ謹製が、同率1位。

1位 モランディン Morandin(ミラノ風トラディショナル)

サン‐ヴィンセント(アオスタ県)ヴァッレ・ダオスタ州

1位 ティーリ Tiri 1957(トラディショナル)

アチェレンツァ (ポテンツァ県) バジリカータ州

2位 サル・デ・リーゾ Sal De Riso Costa d’Amalfi(ミラノ風クラシック)

トラモンティ(サレルノ県)カンパーニア州

興味深いのは、2位にもランクインのサレルノ県勢で、2017ベスト10に2軒、2016年ベスト30にはイタリア国内最多となる7軒が、サレルノ県からランクインしています。

南伊に限れば、パネットーネ県サレルノおよび宮廷文化が花開いたナポリのカンパーニア州勢の独壇場で、山賊が跋扈したバジリカータからは、たった1軒のランキング入り。
しかもお店があるのは、アチェレンツァという人口わずか2,433人ばかりの小さな村なのです。クール。

気になるお味は、ガンベロロッソ曰く:

「切り口はほんのりとした美しい黄色で、官能を刺激する柔らかく絹のようなボディには、申し分のない量の砂糖漬けフルーツの宝石が、満遍なくちりばめられ…(中略)。

しかし真価が現れるのはこの先だ。

口に入れると、肉厚のレーズン、柔らかくジューシーな砂糖漬け、ジォットー派を思わせるまろみのある味わい、美味しいバター特有の香り、香ばしさとすっきりとした新鮮な柑橘類の香り、ほんのりとバニラのニュアンス、やわらかくとろける質感…」

一個残ってないかな。

今年もイタリア好き通信をどうぞよろしくお願いたします。

なぜポケットスクエア?

初めてポケットスクエアなるものを注視したのは、もはや伝説のストリートモード写真集の中です。ポケットスクエアまわりを狙ったその写真が、実はカバーの裏表紙にも使われていて、NYCの写真家が、どんなに気に入ったのかが想像できます。

その被写体がアンジェロだったと知るのは、ずっと後になってからです。

アンジェロの装い=G.イングレーゼが提案するのは、50年代イタリアの気風、スタイルを当世風にアップデートしたクラシコ(クラシック)。アンジェロの好みがよく表われているのが、ポケットスクエアまわりだと思うのです。

しかも、TVやら紙面やら、はたまたTEDxマテーラの檀上で、いつ見かけても、かならずポケットスクエアが違うという心意気たるや!

*Scotto Schuman『THE SARTORIALIST』より。 左:スコット・シューマンを捉えたアンジェロ流クラシコ。2009年ミラノにて。 右:ダークタイ×白のポケットスクエア。アンジェロのミックスの真骨頂、こんなに違う色・柄・素材を重ねてなお、この調和。これが写真集の裏表紙にもなった。


華やかな一面が耳目を集めるアンジェロですが、郷里を愛する一心で、地域の文化を再生し、プーリア全体の振興を探る地道な活動を続けている事を知っている人は、少ないかもしれません。畜産業から羊毛織物、農業から食、ツーリズムまで、様々なプロジェクトに関わる姿を目にします。

G.イングレーゼのポケットスクエアにひるがえれば、気の遠くなるようなヘムのステッチワークには、地域の伝統工藝であるレース編みの技巧、魅力が注ぎ込まれていました。

今回、州の境を1663年以前(オートラント領だった時代)に巻き戻してまで(笑)、G.イングレーゼのポケットスクエアにこだわったのは、アンジェロを育んだプーリアの伝統と、アンジェロ流クラシコのどちらをも象徴するアイテムだからです。

イタリア好きのみなさんにご紹介するとすれば何かをと見こう見するなかで、まっ先に頭に浮かんだのがポケットスクエアでした。

■プーリア州:世界中を虜にする老舗シャツ専門店のポケットチーフ『イタリア好き』特別カラー

英ロイヤルウェディングの晩餐会でウィリアム王子も着用した、古今の伊達男たちに愛されるオーダーメイドシャツ専門店“G.イングレーゼ”のポケットスクエア!
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もし100年後にまたここを通りかかっても

イタリアの最も美しい村

9月の半ば、車を走らせカステルメッツァーノに遊びに行ってきました。

村の名前が書かれた古い道路標識


この聞き慣れない村は、かのドロミーティ渓谷になぞらえ「バジリカータの小ドロミーティ*」と称される峻峰を背後に控え、イタリアの最も美しい村のひとつにも数えられます。

米誌『Condé Nast Traveler』(2017年)は「間違いなくイタリアで最もドラマティックな村」と評した


直線距離にすればわずか2㎞ほど先のピエトラペルトーサの村とともに、「天使の滑空」の発着ポイントとしても、ヨーロッパでの知名度はなかなかのものです。天使の滑空についてはまたいずれ。

ピエトラペルトーサに続く下道。車でも30分以上の道のり


 

 マッジョ祭 9つの山の民の9つの木の信仰

なんとも運のいいことに、カステルメッツァーノでは、マッジョ祭がクライマックスを迎えていました。

マッジョは、州の2つの山岳地方の9つの村*に伝わる木の信仰です。

9村9様ながら、①恵みの山から一対の木を切り出し、②その神木を山から下ろし、③神木を村に迎え入れ、④一対を結わえて1本の木とした後、⑤男衆が力を合わせて垂直に立ち上げる
というのが、いちおうの定式です。

16頭はいただろうか。牛が曳く”マスキオ”と呼ばれる男木が、村の大通りに入ってきた。マスキオは10m近くにもなる巨木まるまる一本である


 

カルテルメッツァーノを含め小ドロミーティの村々のマッジョは、一対の木を男木と女木に見立て、木の婚礼になぞらえます。

マスキオ(転じてマッジョ)と呼ぶ男木はトルコオーク、チーマと呼ばれる女木はセイヨウヒイラギと決まっています。

”マスキオ”と呼ばれる男木の先端に、 女木”チーマ”が結わえられ、 男衆が力を合わせて木を立ち上げる。


 

ぼくらのバジリカータを言葉で表すのならば

バジリカータのマッジョ祭に魅せられた一人。フィレンツェ出身の写真家で文筆家のアンドレア・センプリチは、9つの村のマッジョを、美しい文章と写真で記録しました*。

そのなかに、写真家がたぶん魂をふるわせただろうフレーズがでてきます。

ーもし100年後に(あなたたちが)またここを通りかかっても、私たちはここでこうしているよー

今から数年前、当時たったの15歳だったアッチェットゥーラ村の少女たちが、マッジョの揃いのロゴTee用にひねり出した文言なのだといいますから、もう参っちゃいますよね。

 

もし100年後にまたバジリカータを通りかかったら?

人々はあいかわらず硬質小麦を育て、遠くから来た人に自慢のパンをすすめ、彼らのお祭に酔いしれているんじゃないかな…。

バジリカータは、そんなこともすんなり想像できてしまうところが魅力なんだと思います。

 


バジリカータの小ドロミーティ* Piccole Dolomiti Lucane
9つの村* うち1村はカラーブリア州にある
文章と写真で記録* Andrea Semplice“Alberi e Uomini”(2016) Universosud Soc. Coop