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絶品ガルダ湖グルメ 魚料理に合わせたい特産オリーブオイル

イタリア最大の湖、ガルダ湖。縦に長く、北部イタリアの3州(東:ヴェネト州、西:ロンバルディア州、北:トレンティーノ地方)をまたいでいる。夏は湖水浴を楽しむ観光客でにぎわい、ちょっとビーチリゾートにいるような雰囲気だ。

澄んだ水の美しいガルダ湖。面積は370km²


実はここ、ガルダ湖の周辺にはオリーブの樹々が連なり、イタリア最北のオリーブオイルの産地としても知られている。


四方を山に囲まれ暑い夏でも風通しが良く、冬も比較的温暖な気候が、寒さの厳しい北イタリアとはいえオリーブ栽培に適しているのだ。

ガルダ湖周辺は気軽に絶景ハイキングも楽しめる


生産地域はヴェローナ、ブレーシャ、マントヴァ、トレントの4県に広がっていて、1997年にはDOP認定(原産地名称保護)も受けた。基準を満たす農家にはガルダオイルDOPの印が付けられている。


その認定農家は約470軒、生産量は全国的に見て決して多くはないが、歴史は深い。643年には「オリーブの樹を傷つけた者には罰金を科す」という勅令もあったと記録に残っていて、すでに貴重な存在だったと窺える。中世の頃にはオリーブオイルは質が高く、「4~6kgのガルダオイルは1頭の大きな豚に相当する」ほどの経済的価値があったよう。オイルはランプを灯すのにも重要な役割を果たしており、教会の需要も高かったそうだ。

さて、今日の収穫にはモーター付きの大きな櫛のような機械が使われている。オリーブの樹を囲むように地面にネットを敷き、髪をとかすように上から下に機械を動かしてオリーブを落としていく。


体験させてもらうと、機械自体の重みと、モーターの振動が手から腕全体に伝わってきて、なかなかの重労働。3人で2日間かけ、750kgのオリーブを採る。そこからできるオイルの目安は150kg分だ。

この地域の土着品種はCasalivaといい、マイルドな香りが持ち味。熟す前に収穫することで、より濃厚な仕上がりになるんだとか。

まろやかな味わいがウリのCasaliva(カーザリーヴァ)


他にも1800年代、トスカーナ州から耐寒性の強いLeccinoなどが取り入れられ、全部で10種類ほどのオリーブが育てられている。

10月のとある日にフラントイオ(搾油所)を訪ねると、まさに採れたてのオリーブが運ばれてきた。これらはまず、品質チェックを受けなければならない。


そして、外で枝葉が落とされて工房内へと移され、オリーブがすりつぶされて練り込まれる工程が続く。


最後にオイルと水に分けられたら、美しい黄緑色のバージンオイルが出来上がるというわけだ。


工房中にはオリーブオイルのフレッシュな香りが充満していて、なんだかそれだけでお腹いっぱいになった。

70年以上の歴史を持つFrantoio Turri(トゥッリ)。自社畑の他、近辺の農家から持ち込まれるオリーブも扱う。


オリーブの種はストーブの燃料として重宝し、フラントイオ全体の暖房をまかなう(ペレットのようなイメージ)


テイスティング方法もオリーブオイルならでは。まず、用意されたグラスの濃い青色が目を引くが、これは色合いによる先入観を取り払い、繊細なオイルの味を鼻と口だけでしっかりと見極めるため。


さらに、オイルが注がれるとそれに蓋をし、手のひらに載せてゆっくり揺らしていく。こうして人肌程度に温めることで香りを立たせるのだ。蓋をするのは手から余計な匂いが移らないように、という徹底ぶりである。


少量を口に含み「シィー」と喉まで届くように吸い込むと、ガルダのオリーブオイルの特徴である甘みの強いまろやかな風味が口に広がった。専門家は「後味がアーモンドの香り」と評する。ちなみに、今年の出来立てオイルもいただいたが、少し辛みと苦味があった。1週間もすれば、もっとすっきりとフルーティーになっていくらしい。

主張しすぎず程よくエレガントな味わいが、どんな料理にでも合うというのは納得。中でも、ガルダ湖名物の魚料理と合わせるのがオススメで、お皿にひとまわしが絶妙なアクセントとなる。

ガルダ湖の魚といえば、ラヴァレッロ(奥)


「ガルダの」を意味するalla Gardesanaは、ガルダ湖で獲れるイワシのパスタ


ウナギだって獲れる!赤ワインで洋風の味付けに


特に魚のグリルにおいては、乾いた表面に潤いを与えるような感覚だ。ガルダオイルは強すぎないため、本来の魚の美味しさを邪魔することなく馴染み、より豊かな一皿となる。

鱒によく似た淡水魚、サルメリーノのグリル


引き立て役にしておくにはもったいない。辛みがない故、ミルクアイスにシロップのようにかけて食べるのがイチオシという関係者もいるほど、ガルダオイルには本来の用途にとらわれない可能性が秘められている。ガルダ湖を満喫するなら、ぜひ特産オリーブオイルもお試しあれ。


Un ringraziamento a
Consorzio di Tutela Olio Garda DOP
Via Introl Soletti, 4,
37010 Cavaion Veronese (VR)
Website

 

アルプスに囲まれて味わう「山の泡」 親子の絆と友情が育むトレントDOCのワイナリー

澄み切った麦わら色に注いだときの美しくきめ細やかな泡。ミネラル感が強く、すっきりとしたフルーティな香りと高級感あふれる味わい。これこそがトレンティーノ地方の誇るスプマンテ、トレントDOC。


その大きな特徴は標高の高いブドウ畑。日当たりの良い斜面を利用した畑は標高200~800メートルにあるため昼夜の気温差が大きく、絶妙な酸を与えてくれるという。主要品種はシャルドネ、次いでピノ・ネーロ、ピノ・ビアンコ、ムニエと計4種が使われ、比率は自由。収穫は全て手摘みと決められている。

今回はそんなトレントDOCの産地から、小さなワイナリーが紡ぐ大きな夢への物語を紹介しよう。


先日、友人アンドレアに誘われてワイナリーtonini(トニーニ)を訪れた。そこはトレンティーノ第二の都市、ロヴェレートを見下ろす丘の村イゼーラにある。

イゼーラ(Isera)の丘からロヴェレート(Rovereto)を望む


何でも、アンドレアの幼馴染マルコが2010年に新しくオープンしたらしい。主力商品はもちろん、トレントDOC。アルプスの山岳地帯、トレンティーノ地方でのみ造られる唯一無二のスプマンテはまさに「山の泡」と呼ばれる所以で、DOC(統制原産地呼称)まで含めて“Trentodoc”と表記され、トレントドックと読む。魚介類と合わせるのに最高のワインだが、鶏肉や野菜、サラミ類との相性も抜群だ。


さて、このイゼーラの丘に生まれ育ったマルコは、父の持つブドウ畑を2010年に遺産として引き継いだ。それまで30年、イゼーラのワイン醸造協同組合で働き、ワインの知識は豊富。また、ブドウ栽培は何世代にも渡る家業でもあった。が、父親の代までは育てたブドウを地域の主要ワイナリーに売って生計を立てており、父の他界を機にマルコが自分のワイナリーを起業することにしたのだ。

Marco Tonini


当時、47歳。中学生以下の子どもが3人。安定した職業を捨て、ワイナリーを開くには相当な覚悟が必要だっただろうが、「怖さはなかった」と振り返る。それは「怖さを上回るだけの知識があったから。決してワイン造りに関することだけじゃなく、このワイン業界がどのような仕組みで回っているのか、マーケットの動向なども含めて、前職から積んできた経験が大きい」のだそうだ。

本人曰く「仕事は教わるものじゃない」、ブドウ造りの基礎も、父親から教わったのではなく「小さい頃から見て、盗み学んだ」と。これだけでも肝の据わった芯の強い人柄がお分かりになるだろう。かねてから、自分のワインを造ることが夢であり、それに向けて時間をかけて着実に進んできたのである。

有機栽培を徹底しているため、日々のケアが欠かせない


しかし、トレントDOCのワイナリーを新しく始めるにはかなりの根気が必要だ。というのも、数年のうちは「売るワインがない」。つまり、稼ぎがない。

熟成期間はボトル内だけでも最低15か月、「ミッレジマート」(単一年収穫のブドウのみ使用されたスプマンテ。つまり、2020年のミッレジマート、には2020年の収穫分のみが使われている)となると24か月、さらに上質な「リセルヴァ」という域に達するには36か月以上の熟成が必須であり、高級品になると5年、10年と、とにかく長期間の熟成によって味わい深さが増す。シャンパンと同じ「メトド・クラッシコ」(瓶内二次発酵)によって造られるため、プロセッコに代表される量産型の素早いシャルマ方式とは訳が違うのだ。

なお、2021年のトレントDOC総販売本数は1200万本。世界的に知名度はまだ低いが、質の上ではシャンパンに引けを取らないと評価されているほどの逸品である。


しばらくは退職金を崩しながら、そして、ブドウの一部を大手ワイナリーに売りながら過ごしていたマルコ。実は今でも、生産したブドウの一部は別のワイナリーに売り続けている。それだけ、目先の利益もまだまだ欠かせないのだ。ちなみに、コンサルタントを担うアンドレアは友人として、先払いでワインを大量に購入。一緒にワイナリーの成長を楽しみ、毎年、徐々に納品されるワインを楽しんでいる。そんな友情もこのストーリーを脚色するではないか。

マルコの息子フィリッポ(左)と幼馴染アンドレア(中央)


マルコは8月下旬から9月にかけて収穫したブドウの果汁を7か月間、ステンレスタンクで発酵&熟成させる。その後、瓶内に移してから二次発酵させるのだが、その過程で出る炭酸ガスがあの泡となる。「この瓶内発酵&熟成にゆっくり何年もの時間をかけることで、よりきめ細やかな泡になるんだ」とマルコはDOCの基準をはるかに上回る5年以上の年月を費やし極上の「リセルヴァ」造りにこだわっている。

8ヘクタールの畑の中でも最高品質のクリュから造られるTRENTODOC RISERVA NATURE “le grile”(左)はシャルドネ100%


ボトル内でタンニンやポリフェノール、たんぱく質などが結合してできた澱とともにじっくりと熟成されていくトレントDOC。仕上げにその澱を取り除く光景もなかなか迫力がある。澱抜きの10週間前に瓶の頭を下に向けて斜めに保管。その瓶を数時間おきに少しずつ少しずつ回しながら、ボトルの口の部分に澱を貯めていく。それを抜く際は、ボトル口をマイナス20度以下の塩水に漬け、一気に凍らせる。そして、栓を抜くとその凍った部分だけがポンッと勢いよく飛び出すという仕組みだ。

その際に減ったワインを補うためリキュールが加えられるのだが、ここで糖分量が調節され、辛口から甘口まで、糖度の違うトレントDOCが出来上がる。この段階で糖度が全く加えられない、本来の辛口がパ・ドゼ。エキストラ・ブリュット、ブリュット、エキストラ・ドライ、ドライ・セック、デゥミ・セック、の順にどんどん甘みが増していく。


マルコのワイナリーの場合はまだ設備がないため、基本的には前職場の設備を借り、この澱抜きにおいては年に3回、澱抜き設備の整ったトラックがやってくる。当初、2000本からスタートした生産は、今や2万本にまで成長。高級レストランを中心に取り扱いが広がり、春には商品がなくなるほどの売れ行きだ。

8月下旬~9月の収穫は家族&親戚一同が集まって行われる一大イベント


さらに27歳になった息子フィリッポは大学で醸造学を専攻し、海外のワイナリーでも修行を積んで昨年、帰郷。父親とともにtoniniを支える頼もしい存在となって帰ってきた。この地に生まれ、ワイン造りの道へと進むことに一切迷いはなかったようだ。

今年60歳のマルコ。いずれは設備も全て整ったワイナリーを持とうと意気込んでいる。親子二人三脚のレースは始まったばかりだ。

 

Un ringraziamento a
tonini
Via A. Rosmini 8 / Località Folaso
38060 Isera (TN)
https://www.toniniwine.it/

 

ヴェノスタ渓谷(後編) ロマネスク芸術を巡る旅

アルト・アディジェ地方、スイスやオーストリアとの国境にあるヴェノスタ渓谷。前編ではレージア湖の鐘楼やステルヴィオ峠を取り上げましたが、今回ご紹介したいのは、この地域一帯に散らばるロマネスク建築。小さなアルプスの村々を巡っていると、まず目を引くのが大小の教会です。素朴な外観の小さな中世の教会は風情があり、興味をそそられます。

リンゴ畑に囲まれた情緒ある中世の教会(Chiesa di San Vigilio, Morter)


かつて、商人など多くの人が行き来し発展していったこの地域は、ヨーロッパ北部からの巡礼者たちもローマやエルサレムを目指して通っていたため、数々の教会が建てられたのだそう。

山の上の教会などは常に鍵がかかっていて公開されていない、もしくは週に一度のガイドツアーのみ、と予定を合わせるのが難しく、外観だけ眺めて泣く泣く引き返すときも多いです。

ただし、鍵の所有者に連絡をして開けてもらったり、近隣のホテルやバールが鍵を管理している場合には、鍵を借りに行ったりすることもあります。重厚な鍵が時代を感じさせるとともに、ローカル感半端ないのがこの教会巡りの味わい深いところです。

近隣ホテルから借りた時代を感じさせる重厚な鍵


開館時間のはずなのに閉まっている、なんてことも何度も経験しているので、緑豊かで長閑なこの田舎を周遊するには、柔軟性やゆとりが大事だとつくづく感じます。しかし、もし中には入れなかったとしても、外観をしっかり見ると貴重な何かがあるかもしれません。がっかりしすぎず探してみましょう。

1200年頃に建てられたサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会(Chiesa di San Giovanni Battista, Lasa)


たとえばこれは、教会の外壁に彫られた魔物のような架空の存在。このように教会入口の外側や外壁によく配置されているモンスターは、魔除けの役割を果たしています。つまり、キリスト教は悪を寄せ付けず、守られているのだということを表す典型的なロマネスク美術なのです。

フレスコ画が見事に残る教会は、スタッフによって管理されていることもあります。中でもイチオシなのが、ナトゥルノという村のサン・プロコロ教会。

ミュージアムもあるChiesa di San Procolo, Naturno


1180年頃に建てられたロマネスク様式の鐘楼が美しく、まず目に入りますが、実はもともとの建設はもっともっと古く、内部には800年頃の、カール大帝の時代に描かれた貴重なフレスコ画も残ります。フレスコ画は長い間、漆喰に覆われていたおかげで奇跡的に保存状態がかなり良く、特に有名なのが、こちらのブランコに乗ったかのような聖人。

ヴェローナの司教が描かれていることから、ヴェローナとの関係も深かったと推察できる


伝承によると、これは3世紀末にヴェローナの司教であった聖プロコロのエピソードが描かれたものです。まだキリスト教が公認されていなかった時代、当時のローマ皇帝ディオクレティアヌス帝から迫害を受けていた聖プロコロは、ロープを使って城壁を越え、ヴェローナから脱出したと言われています。

また、スイスとの国境の村、トゥーブレにも素敵なロマネスクの教会が。

スイス国境からわずか2km足らずのChiesa di San Giovanni, Tubre


中に入ると天井にまで残るフレスコ画が圧巻で、見応えたっぷりです。

当時、読み書きを知らない多くの民衆にとって、フレスコ画は聖書の内容を伝える大切な役割を担っていた


これらのフレスコ画はゴシック様式へと移っていく1220年頃のもの。教会自体はロマネスク建築でも、改築や増築、フレスコ画を新たに描くなど、時代の流行りに合わせてアップデートされていくのはよくあることなんです。

 

さて、『イタリア好き』の今月号は修道院特集ですが、ここにも立派な中世の修道院が。

Abbazia di Monte Maria, Burgusio


このモンテ・マリア修道院は標高1340メートルに位置し、ヨーロッパで一番標高の高いベネディクト会の修道院として知られています。

上から望む景色も素晴らしい


「オーラ・エ・ラボーラ」と大きく掲げられていますが、特集をご覧になった方なら、その意味もきっとおわかりになるはず。

ORA ET LABORA(ラテン語)⇒「祈りなさい、そして働きなさい」


教会のポルターレ(正面入り口)にはロマネスク様式がはっきりと見て取れます。

典型的なロマネスク様式のポルターレ(12世紀後半)


さらに、この周辺は中世のお城も魅力的。

Castel Coira, Sluderno


1200年代後半に建てられたロマネスク様式の素敵なコイラ城は、その面影を残しながらも後にゴシック様式、ルネサンス様式へと改築、増築されていったのがよくわかります。

ゴシック様式はアーチの頂点がとがっているのが特徴の1つ


そして、ヴェノスタ渓谷の少し外れには、アルト・アディジェ地方で最も重要なお城の1つ、チロル城が孤高の姿を見せるのです。

Castel Tirol, Tirolo 村からは絶景を望みながら15分ほど歩いて着く


お城の内部にある教会の入口に彫られた1140年頃の彫刻は必見中の必見。

教会のポルターレには立派なロマネスク彫刻がきれいに残る


いくつものモンスターたちが出迎えてくれますが、アダムとイヴのこの部分だけを見ても、このクオリティの高さに驚かされます。

蛇にそそのかされて知恵の樹の実を食べてしまったアダムとイヴが、裸でいることを恥じてイチジクの葉で体を隠すシーン


今回はほんの一部の例をそれぞれの歴史には触れず、駆け足で取り上げてみました。このエリアにはまだまだたくさんのロマネスク様式が点在しているため、ゆったりとアルプスの大自然を楽しみながら、じっくりとロマネスク芸術に浸ってみてはいかがでしょうか。

 

ヴェノスタ渓谷(前編) サイクリストの聖地、ステルヴィオ峠を越えてスイスへ

7月中旬の猛暑から一転、このところ拍子抜けするほど気温が下がって過ごしやすくなっているイタリア。とはいえ、やっぱり日中の太陽はジリジリと痛いですね。そこで先日、涼を求めてスイス国境、ヴェノスタ渓谷まで行ってきました。大自然だけじゃない、この地域の魅力を2回に渡ってお届けしたいと思います。

ヴェノスタ渓谷〈Val Venosta(伊)/Vinschgau(独)〉というアルプスの谷はアルト・アディジェ地方の北西に位置し、スイスやオーストリアへとつながる峠へと続くことでも知られています。たとえば、オーストリアとの国境にある、ダム湖に沈んだ町レージアの鐘楼は見たことがある人も多いでしょう。1950年にダムを建設し、当時の住民150世帯が高台の方へ移住を強いられたという悲しきストーリーの舞台です。

Lago di Resia(伊)/ Reschensee(独)


しかしながら、象徴的に鐘楼だけが残されたことから、その景観が皮肉にも観光客を惹きつける、寂しさと美しさが入り混じったような場所となっています。

一方、スイスとの国境で訪れる人を魅了するのがステルヴィオ峠。

Passo dello Stelvio(伊)/Stilfserjoch(独)


標高2758メートルはイタリアで1番高い舗装された峠であり、ヨーロッパでも2番目の高さを誇ります。ここは観光目的というより、この峠を自転車やバイクで越えることを夢見る人が多く、彼らにとっては聖地のような存在。イタリアの自転車レース、ジーロ・デ・イタリアで1953年にステルヴィオ峠が初めて登場した際には、伝説の自転車選手ファウスト・コッピが先頭通過したという歴史も刻まれており、サイクリストたちの憧れの地となっているのです。

開通したのは1825年、オーストリア領だった時代


ステルヴィオというと、ロンバルディア州とトレンティーノ-アルト・アディジェ州にまたがる13万ヘクタールの広大な国立公園の名としてご存知かもしれませんね。まさしく、その公園内の北側にこの峠はあり、公園内最高峰オルトレス山も間近に望めます。

奥に見えるオルトレス山の山頂3905メートル付近には、夏でも氷河が残っている


車道の頂点を境にロンバルディア州へと入るのですが、アルト・アディジェ側から登るとカーブは48か所、出発地点となる町プラート・アッロ・ステルヴィオからの高低差はおよそ1840メートルとあって、サイクリストたちの体力と忍耐力は計り知れません。ただし、最近では電動自転車という手もありますので、それならいつか挑戦できるかも、という感じもしています。


今回は時間もなかったため(←言い訳)、車で楽々ドライブを。峠だけあって、山々に囲まれているので圧巻の景色をずっと楽しめるのが一つ。


さらに、峠に着いてから-

毎冬、11月初旬~5月末までは雪のため閉鎖される


見下ろすこのクネクネ道がなんとも見事ではありませんか。サイクリストであれば、登り切ったときの感慨もひとしおでしょう。

峠にはホテルや土産物屋が並び、満足感に浸る人々で賑わっている


帰りはあえてロンバルディア州の方から下ります。

この看板を境にロンバルディア州ボルミオへと入っていく。BORMIOの下には「ステルヴィオ峠」の標示があるはずなのだが…


途中でスイス、ウンブライル峠へと右折。国境らしい警備やチェックは何一つなく、スイスに入って麓の村まで下りていきます。


余談ですが、このとき、携帯は必ずフライトモードに!イタリアの携帯SIMはヨーロッパ諸国でも無料で互換性がある国々が多いのですが、お隣スイスは別。メッセージ着信だけで数ユーロ取られたこともありますからね。要注意です。

ウンブライル峠へのスタート地点となるスイスのミュスタイア渓谷〈Müstair(ロマンシュ語)〉


スイスを通り抜け、地上の町(と言っても標高1240メートル)トゥーブレから再びイタリアへと戻ります。このときも、国境はスルー。通常、イタリアからスイスに帰るスイスナンバーの車のほうが税関で検査されやすいんです。物価が違いすぎますからね。

イタリアとの国境わずか1キロ手前、8世紀からの長い歴史を持つミュスタイアの聖ヨハネ修道院も有名(スイスですが!)


さて、このヴェノスタ渓谷一帯はアルプスの可愛い村々を回るのも楽しいのですが、実はロマネスク建築の宝庫と言っても過言ではありません。特に目を引くのが素朴な外観の教会たち。中世の頃、数々の教会がこの辺りに建てられたのには理由があるのです。後編ではその見どころに迫ります。

 

気軽にオペラ~♬ 築2000年、野外劇場アレーナの夏

(この記事は2022年にアップされた記事です。)

今年も5月から30度超え。猛暑の続く北イタリアでの夏は、つい涼しい山に逃げたくなるのですが、今回の舞台はヴェローナ。意外にも今まで一度も書いたことのなかったアレーナのオペラについて紹介しようとふと思い立ちました。30ユーロ程度から楽しめるこのイベント。オペラが好きな方も、あまり興味のない方も、夏のヴェローナにお越しの際は必見ですよ~♬

さて、ヴェローナの中央駅から徒歩20分(地図上、近そうに見えて炎天下では辛いので注意!)、旧市街に着いてまず目に入るのが、ローマのコロッセオを小さくしたような円形劇場アレーナです。

1世紀前半に建てられたアレーナ(約152 x 123 m)


古代ローマ都市として栄えていた歴史を持つヴェローナ。このアレーナもその象徴で、約2000年前に建てられた際は剣闘士の戦いなども行われていました。一見、完璧に残っているかのような保存状態の良さですが、なんと、オリジナルでは外側にもう一周、高い壁があり、観客席が上までつながっていたというから驚き。左側に少し残っている部分がその名残です。


残念ながら1117年に起こった大地震で外壁が崩れ落ちてしまいましたが、その崩落した石は市内各所の教会や宮殿造りに再利用されて残っています。

秋~春であればステージもなく、全容が見られる他、上段からの景色も楽しめますが、夏にオペラやコンサートが行われる雰囲気が最高!収容人数は約2万人という広さで、しかも音響などもしっかり計算された造りになっているというから、当時の技術には感服しますね。

オペラの上演時以外でも、入場観光が可能


アレーナ上段から望むブラ広場


2020年はコロナウイルスの影響でオペラ全公演中止となる異例の事態でしたが、昨年から再開し、今年で99回目を迎えました。初演は1913年8月、ジュゼッペ・ヴェルディのアイーダ。戦時中など、開催できない時期も乗り越えて来年は記念すべき100回目となります。

イタリアでのオペラシーズンって、本当は秋から春なんですが、ここは野外ゆえに例外。毎年6月下旬~9月初旬まで、週3~4回程度上演されます。例年5演目あるうち、アイーダは必ず上演されるのですが、2日連続で同じ演目が続くことはなく、世界中から訪れるファンが数日間のヴェローナ滞在でもさまざまな公演を楽しめる設定です。

お堅いイメージのあるオペラ鑑賞とは違って敷居が低く、本物の馬が登場したり、火気が使われていたりと屋外ならではの演出もあり、見どころたっぷり。アレーナ全体がステージとなって、壮大なムードに包まれます。

アイーダ(2015年)


また、日が落ちるのを待つため、6月の開始時刻は21時15分という遅さ。だんだん薄暗くなり、第二幕を迎える頃、真っ暗な中に浮かび上がるステージが美しいのです。特にアイーダでは古代エジプトという設定がアレーナに調和していてピッタリ。夏の夜に響き渡る凱旋行進曲(サッカーW杯でよく流れる、あのマーチ)のトランペットは鳥肌ものです。

なお、7月以降、徐々に15分ずつ早まり、8月だと開始は20時45分。長い演目は夜中1時頃に終わるのが当たり前で、先日観に行った際の終演はなんと1時20分。そこからカーテンコールが始まるという、いつにも増して長丁場でした。こんな調子なので、途中で帰っちゃう人も実は多いです。

幕間の休憩中


もちろん、アレーナの外にも音は響き渡るわけですが、騒音がどうとか近隣住民からのクレームがないのが、やはり歴史と伝統の力、そして国民性なのかも。目の前にある広場のベンチでは、こぼれてくる音楽やその独特の空気感だけ楽しむ人たちの姿もよく見かけます。まさに気取らずに楽しめるオペラ公演と言えるでしょう。

アイーダ(2012年)


中に入らない人も、この季節はアレーナの外に舞台セットや大道具が大胆に置かれていて、そんな光景が見られるのもココならでは。



ちなみに、公演終了後に大道具担当の方たちが夜通し、次の日のためのセットチェンジを行っています。そういう方たちのおかげで成り立っているわけです。

衣裳部屋も垣間見える


オペラ5演目の他に、有名歌手やダンサーを招いてのスペシャルナイトなどもあるので、夏のヴェローナにいらっしゃる方は、ぜひ事前にプログラムをチェックしてみてくださいね♪


 

【プチ情報】
・チケットはオンライン購入、または現地のチケットオフィスにて。曜日や内容によって料金が変わる。
・屋根がないため雨天(大雨)中止だが、第一幕まで行われると払い戻しなし。
(夏のヴェローナは夕立が発生しやすいが夜は止むことがほとんど。あまり中止になることはない。)
・途中入退可。
・売り子もいるほど飲食は自由だが飲み物の持込みは不可。入口のセキュリティチェックで没収される。
・舞台正面の客席は高価(250~300ユーロ)で、正装が推奨される。
・スタンド席上段は30ユーロ程度からあって気軽。段上に直に座るため、カジュアルな格好がオススメ。
・スタンド席上段の場合、お尻がかなり痛くなる覚悟とクッションが必要。

アレーナ前の売店ではクッションが多く売られている


・スタンド席上段は、以前は自由席で、開場時間になると席取りのための行列ができていたが、コロナの影響で全て指定席に変更された。
・幕間に20~30分くらい休憩あり。敷地内に設置されたお手洗いにも行けるのでご安心を。
・当日のヴェローナ泊は必須。終演後のアレーナ周辺は混雑しすぎてタクシーを見つけるのも困難なため、車がない人は徒歩圏内で帰れる宿か、送迎付きのホテルを選ぶのが賢明。

学生の間ではエキストラの短期バイトも人気

2000年前は何を食べていた?2人の名シェフによる古代ローマ料理のフュージョン

以前、2021年秋の『イタリア好き』ワイン特集号で「古代ローマ遺跡の上に実るブドウ」を紹介した。赤ワインの名産地ヴァルポリチェッラでこのブドウ畑を所有するワイナリー「フランキーニ」は、遺跡発掘作業のために樹齢90年ものブドウの木々を別の畑に移植。あれから1年以上経ち、ブドウの木々は順調に育っているという。

ブドウ畑の下から発掘された古代ローマのモザイク床(Negrar di Valpolicella, 2022年3月)


この古代ローマ遺跡に残されたモザイク床の発掘も進み、公開に向けて国が整備中だが、そんな折、フランキーニの新作赤ワイン「インぺリウム」発表に合わせて企画されたのが、古代ローマ料理の再現だ。とはいえ、このコンセプトとシェフのアイデアのフュージョンであることは最初に断っておこう。

ワイナリーFranchini Agricolaの最高級赤ワイン、ローマ帝国を意味する「インぺリウム」


腕を振るうのは、在外イタリア大使館や海外の一流レストランで経験を積んできたシェフ、ヌンツィオとアンジェロ。

シェフのアンジェロ(左)、ヌンツィオ(中央)と「フランキーニ」オーナー、ジュリアーノ


彼らによると、古代ローマ時代には前菜、プリモ、セコンドという現在のイタリア料理にあるようなスタイルはなく、食事の途中によくフレッシュフルーツを口にしていたという。が、今回はフルーツはなし。前菜もあえて一品用意したとのことだった。しかしながら、調理はローマ人に倣って炭火焼き、もしくは窯の使用が徹底された。

会場となったアンジェロのレストラン”CASALE SPIGHETTA”


最初に出されたのは古代ローマ風の平べったいパン。当時のパンは酵母を使わず、炭火で焼かれていたそうだ。古代小麦の一種グラノットを使い、しっかりと焼き跡が残った炭火焼パンは、噛むと表面はカリッ。口には素朴な甘みが広がった。


前菜としてはグラノットを茹でたもの。プチプチした食感が美味しく、そこに合わせられた野草セイヨウイラクサやラムソン(クマニンニク)が豊かな風味を加えていた。


トマトもジャガイモもまだまだなかったような時代だ。ローマ人たちは野草や香草を多用していたとのこと。たとえば、利尿作用および殺菌作用のあるゼニアオイの葉や消化促進やリフレッシュ効果のあるというブルスカンドリ(野生ホップの新芽)などもその一つである。

メインで食されていたのは今と同じく肉や魚で、好んで食べられていたという淡水魚の中からウナギ料理を2種類味わった。体長1メートル近くのウナギの皮をはいで丸焼きにし、一皿目は叩いて野草と巻き、ローストしたものをハチミツ甘酢のマリネに。


二皿目はとろとろの脂身をセルリアックに載せ、野生のアスパラを添えて。セルリアックは古代ギリシャの頃からすでに知られていたようだ。濃ゆいウナギを食べつつ、セルリアックが口の中を洗ってくれるような感覚で、絶妙の組み合わせであった。ソースには、これまた古代ローマの人々が大好きだったハチミツとローリエを使用している。ハチミツといえば、砂糖がまだなかったこの頃、男性陣は養蜂&採蜜ができて当たり前で、ワインにもハチミツを入れて甘くしていたほど重宝されていた調味料である。


最後の一品にはチョウザメの香草焼きをいただいた。7~8歳に成熟した貴重なバルチックチョウザメをワインに漬けた後、みじん切りにしたコリアンダー、ショウガ、クミン、パセリ、マジョラム、タイムで包み、まるごと窯で蒸し焼きにしている。


引き締まった身には旨味が凝縮されていて、それだけでも美味しいのだが、特筆すべきはかけられたソース。古代ローマ人が愛用していたというガルムである。カタクチイワシの内臓を2か月ほど天日干しにして発酵させた魚醤ガルムは、ニンニクを牛乳で煮たガーリックソースに混ぜられていて臭みがなく、繊細なアクセントを与える程度の上品なコクがあった。

このように丁寧に作られた特別な料理には同レベルのワインが必要であり、飲みごたえのあるフランキーニの「インペリウム」はまさに最適であったと言える。


ヴァルポリチェッラのワインといえばアマローネが有名だが、この「インペリウム」はさらにレベルが高い。21種類ものブドウ品種を厳選して混ぜ合わせた複雑で豊かな風味は、ウナギやチョウザメの強く独特な味わいをより一層引き立ててくれ、見事に調和していた。

さて、シェフたちが締めくくりのドルチェに選んだのはドライフルーツ。イチジクやブドウ、デーツ、プラム、リンゴ、洋ナシなどは2000年前にもよく食べられていたというが、今回は白ワインに漬けて食感を柔らかくし、リコッタチーズのクリームと合わせてアレンジしてあったのはさすがである。


今ならエスプレッソを注文したいところだが、古代ローマにコーヒーがあるはずもなく、紀元前からヴァルポリチェッラで生産されていた甘口レチョートワインと合わせるのが理にかなっている。

2000年前に思いを馳せながら美味しいものを食べて飲むこのおもしろい試み。古代ローマの食事といってもここまで贅沢な食材を使っていたのは一握りの貴族たちだけだろう。彼らは当時、テーブルの周りの長椅子に寝転がって手づかみで食べていたというのはけっこう知られた話。昔ながらの優雅な暮らしっぷりが目に浮かぶではないか。

ともあれ、歴史的に使われてきた材料に工夫を凝らして出来上がった絶品の数々はアンジェロのレストランでメニューに残る予定である。お近くにいらした方はぜひお問い合わせを!

 

幻のデザートワイン!? 琥珀色に輝く「トルキアート」を求めて

ある晩、食事会の終わりに美しい琥珀色の甘口ワイン「トルキアート」を口にした。初めて聞く名前だ。まろやかで濃厚な甘みと干しブドウの香りが実に印象的だった。

PIERA DOLZA(ピエラ・ドルツァ)という名のトルキアート


聞くと、このトルキアート“Torchiato di Fregona DOCG”はプロセッコの主要品種グレラなどからできているという。プロセッコで有名なヴェネト州トレヴィーゾ県の一角、小さな小さな田舎町に唯一のワイナリーがあり、生産量は年間1万5000本とごくわずか。にもかかわらず、先日のFOODEX JAPAN 2023に出展されるほど注目度が増しているようだ。

ちょっと気になったのでワイナリーに行ってみた。

フレゴーナにあるトルキアートのワイナリーCantina Produttori Fregona


3月中旬、ワイナリーのあるフレゴーナの丘は、まだ肌寒さが残っていた。背後にカンシーリョ山が広がるおかげで、年中、風通しが良くブドウ栽培に最適なエリアである。

ワイナリ―に足を踏み入れると、陰干し中のブドウが所狭しと積み重ねられていた。


「9月に収穫したから、もう6か月。ちょうど来週あたりから搾り始めるのよ」
と案内してくれたのはルイーザさん。



Torchiato di Fregona DOCGを名乗るには3つの土着品種、ワインとしてのベースとなるグレラ、フレッシュな酸味を与えるヴェルディーゾ、 スパイスのようなアロマをもつボスケーラがそれぞれ35%、20%、25%以上含まれていなければならない。

空気の良く通る木製ラックには、皮の分厚いボスケーラ種を


それらを収穫後6か月間陰干しにすることでブドウから水分が抜け、糖分が凝縮される。搾った果汁は発酵に1か月⇒木樽とステンレスタンクに分けられ熟成2年⇒さらにボトリング後に熟成5か月を要し、収穫から最低3年の月日を経てトルキアートはようやく完成だ。しかしながら、このワイナリーでは熟成期間を1年ほど長くとることでより深い味わいに仕上げている。


また、ブドウ畑は点在しているが、品種ごとに畑を分けることはせず、どの畑においても全3種のブドウを栽培している。これも特徴の一つ。3つの品種が生長過程でも相互作用し、同じグレラでも、プロセッコ用とは違う出来になるそうだ。

収穫は全て手摘みで、厳選された最良の房のみを採る。さすがプロの目である。


「搾るのも全て手作業。昔ながらのトルキオ(圧搾機)を使って3回は搾らないといけないから大変よ。男性陣に任せているわ」

ブドウの皮に付いた実の部分が一番おいしいため、それを捨てまいとこそげ取るように搾り尽くす。なかなかの重労働を、主に7人の男性たちで担っているというのだがー


実は、この「7人」がトルキアートを語る上でのキーワード。


「このワインは1600年代、忘れられて放置されたブドウから偶然出来上がったものだと言われているの。何百年も続く伝統を消すわけにはいかないって、皆で立ち上がったのよ」
とルイーザさんは言う。

つまりはこうだ。それまではこの地域の生産者たちが個々にトルキアートを造っていたものの、しっかりとした販売ルートがなく、トレヴィーゾ県界隈で消費されるのみであった。このままではいずれ消滅してしまう、と危機を感じていた生産者7家族で2012年にコンソーシアムを設立。協力し合って1つのブランドを打ち出すことにした。それが冒頭のPIERA DOLZAというわけ。

世界でたった一つのトルキアートPIERA DOLZA


Torchiato di Fregona DOCGのワインはPIERA DOLZAしか存在せず、このワイナリーでしか造られていないというのも納得だ。

ちなみに、PIERA DOLZAとは昔、この地域で使われていた石材ベースの共同トルキオのこと。ロゴのモチーフにもなっている。


団体設立効果は絶大で、数々の賞を受賞したり、海外への輸出も始まったり。東京の展示会にまで辿り着いたわけだから、ビックリである。プロモーションにも力を入れ、知名度や販路を広げることで生産量も拡大していきたいというのが皆の思いだ。

試飲スペースのテーブルは古くなった樽をリサイクルしていてオシャレ。木工も盛んな地域らしい。


デザートワインとして焼き菓子にもよく合うが、この地域の特産チーズなどとも相性抜群!トルキアートで食後にちょっと優雅なひとときをいかが。

[Photo1, 4, 7, 8, 9, 10, 14: Francesco Galifi]
 

Un ringraziamento a
Cantina Produttori Fregona
Via Castagnola 50
31010 Fregona (TV)
Website

[マルガの暮らし] [魅せられてトレンティーノ] の冬

今年の8月号、11月号と続いたトレンティーノ特集はお楽しみいただけただろうか。

「マルガ」という1つのキーワードから始まって、気が付けば1週間ほどの取材で13か所もお世話になった。先日、私の手元に本誌が届いたので、それぞれに手渡しするためトレンティーノ巡りを決行することに。郵便で送れば一瞬で簡単なものの、また皆に会いたかったのが一つ。そして、その反応を見るのも楽しみだった。

さて、トレンティーノ取材に同行したのは去る6月のこと。初夏の陽気と山岳地帯の肌寒さが混じる季節であったが、半年も経つと雰囲気がまるで異なる。晴れの予報に喜んだのも束の間、家から1時間半ほどかけて車でトレンティーノ西側の山岳地帯に入っていくと、あるトンネルを抜けた瞬間、突如として濃霧に見舞われる。前日に降った新雪もふわふわに残っていて、見渡す限り真っ白。さすがアルプスのお膝元だと実感した。

霧に包まれた谷の村


ところが、標高600mを越えた辺りから視界が開け、青空が広がってくる。眼下に雲海を望み、日差しが妙に温かい。これもまた、山と谷から成るトレンティーノなのである。

標高600mを越えた辺りからは晴天!奥に雲海が広がっている


今回はお店やレストランが通常営業中なのを踏まえて、あえてアポなしで出発。行き当たりばったりだったが、唯一ランチだけはオステリア・フィオーレでとると決めていた。

忙しい時間帯にもかかわらず、笑顔で歓迎してくれたリタと厨房から顔を出してくれたシルヴィオの姉弟。『イタリア好き』本誌を渡すとイタリア人の誰しもが開口一番、「左から右にページをめくるのか!」と綴じ方の向きが欧米と逆なことに驚くのだが、シルヴィオの場合はちょっと違った。「僕は毎朝、新聞を後ろから読むんだ。だから、僕にピッタリだね」と嬉しそう。

Osteria Fiore の Rita & Silvio と


さらに、自分たちの載っているページを眺めた2人は、何よりも「常連さんたちがいっぱい写っている!!」と大喜びし、「皆、毎日ここに食べにくるのよ。今晩、皆に見せるのが楽しみで仕方ないわ!」とワクワクしている。周りの人への思いやりが第一の、いかにも彼ららしいコメントにほっこりさせられた。

 

50号「マルガ」特集の主役、ラウラとエンリコは、そこから車で15分ほどの距離に冬は住んでいる。本誌にも登場した、あのPEZ村だ。ランチ後「今から訪ねたい」と電話で伝えると「家にいるからいつでもどうぞ」と、マルガ取材のときと同じように快く迎えてくれた。

近年、悩ましいことにトレンティーノにはオオカミが急増し、家畜が危険な目に合っているのだが、その対策として新たに2頭の番犬がエンリコたちの仲間に加わっていた。

イタリアの家畜番犬と言えばマレンマーノ


夏の間、マルガで放牧されていた彼らの山羊はちょうど妊娠中。搾乳は行えない期間であり、チーズ造りもしばらくお休みだという。山羊チーズをいっぱい買うつもりだったのに残念だ。

妊娠中の山羊たち


季節ごとにマルガリの生活は動く。環境に応じて変化していくのだと当たり前のことを改めて思い知らされる。

おうちのリビングにお邪魔し、エンリコに『イタリア好き』50号を渡したところ、彼は熱心に1ページ1ページを読み始めた。日本語がわかるわけでもないのに、ところどころに散りばめられたアルファベットと算用数字を拾い、写真と照らし合わせて読んでいる。いかにもエンリコらしい光景だった。

途中「この“25”は何だ?」と聞かれたので、「雌25頭につき…」と私が説明し始めたらすぐに合点がいった様子で「なんて細かい情報まで書いてあるんだ!」と感激している。息子2人も興味津々で覗き込みながら、「これ僕だよ!」と自分の姿を見つけるのが楽しいみたい。ラウラもエンリコも、十数ページに渡る自分たちの特集に少し驚きつつ、大いに満足してくれた。

50号の主役 Enrico & Laura.  胸に抱かれたアリエルちゃんは7か月に!


1日で全員のもとへは回り切れず、それでも8か所に無事、『イタリア好き』を届けてきた。残りは「来週会うから渡しておくよ」という、ここに出てくる友人たちに託した。

この2冊に共通して言えるのは各々が自然を相手に生き、友達として、もしくは生産者と消費者という関係で、何かしら繋がっていること。手作業にこだわり、旬を大切にする職人たちの魅力が詰まったこのトレンティーノ特集には、立場は違えどお互いを尊敬しながら共存している感がある。大量生産はおろか、季節が過ぎれば売る商品もなくなるくらいなのだが、それが当然のごとく、自然の流れをゆがめようとしない人ばかりだ。

トレンティーノの美しさは、きっとそこにある。

 

Un ringraziamento a
Garda Trentino

知られざるヴェローナ伝統素材 町を彩る“赤大理石”

今年は観光地に人があふれ、多くのイベントも再開したイタリア。ヴェローナにおける天然石の祭典「マルモマック」も例外ではありません。

ヴェローナの展示場と言えば、VINITALYという春のイタリアワイン見本市が世界的に有名ですが、同じ会場で9月末に行われる天然石のメッセも業界では知られた存在。2年のブランクを経て今年56回目を迎えました。


煌びやかな天然石の数々は、見ているだけでも自然の神秘のようなものが感じられます。


富裕層向けの商材ならでは、各社のブースは仮設にもかかわらず高級バーのような装いです。


細かな造形が圧巻の彫刻展示も。


また、会場内には大型機械や小型の道具セクションもあり、日本から研磨関連の企業が2社出展していたのも嬉しく感じました。

POLYTECH CORPORATION(ポリテック)


TOUEI INC.(藤栄)


さて、イタリアの天然石といえばカッラーラの大理石


だけではありません。

ヴェローナでこのマルモマックが行われるのは、やはり歴史的に天然石を使ってきた町だから。山岳地帯レッシーニアではピンクや赤の石が採れ、いわば伝統産業の1つ。実は町中にその石が多用されています。

古代ローマ時代に建てられた約2000年前のアレーナも、内外ともにいわゆる「ヴェローナの赤大理石」からできたもの。

2000年もの間、太陽光にさらされて色あせた石造りのアレーナ


中世の頃、ヴェローナを支配していたスカラ家の霊廟にも使われています。


さらにドゥオモをはじめ、町の至る所に点在する教会も。

サンタナスタシア教会の床や柱にも赤い石(14-15世紀)


ヴェローナの外でも、歴史的に北イタリアの大きな教会などにはよく使われる素材でした。

メインストリートや広場の地面も、ピンクがかっていたらそれはヴェローナ特有の石。階段や床などマンションの共有部分の内装や公園や庭のベンチに使われていることも多々あります。

赤い石で造られたベランダの土台や窓枠


この赤大理石が丈夫なのは、アレーナのお墨付き。1億5000年前までこの一帯は海だったため、アンモナイトの化石を探すのも楽しいものです。


さて、ヴェローナ最大級の「赤大理石」の採石場、ファザー二・チェレステ社にお邪魔してみると、赤い山肌が。

ヴェローナの山岳地帯レッシーニアにあるFASANI CELESTE srl


標高700m地点を中心に広がっていて、形成された時代により4種類の石に分けられるらしいです。


一見、濃い茶色っぽくも見えますが、磨きをかけることでツヤツヤの光沢感がある朱色の石へと生まれ変わっていきます。しかも、切る方向や加工の施し方によって何パターンにも変化し、味わいが全く異なるのです。


高級感ある色合いは海外セレブにも人気で、撥水性に優れ、湿気に強い性質を生かしてキッチンやバスルームなどに使われることも多いそう。


しかしながら、この採石場を父と一緒に守るルカさんによると、この産業は下火なんだとか。採石場が残っているのは4か所のみです。1980年代までは流行りだったものの、この濃い色が古い印象を与え、現代の家に合わせにくいのが一因。今となっては比較的安価でどんな色にも自由に染められるセメントの方が主流となっています。

代表のLuca Fasani(ルカ・ファザー二さん)


伝統と時代の流れの間に葛藤が生じるのは、仕方ないのかもしれません。が、たとえブームが去っても、歴史と伝統という土台がしっかりしているものは決して消えない、とルカさんは信じています。

近年、ファザー二・チェレステ社が手掛けたヴェローナ大聖堂の内装


ヴェローナを散策していると至るところに見受けられる赤大理石。お越しの際はぜひ注目してみてくださいね。

 

ドロミティ歩き③ 見渡す限りのパノラマ広がる穴場、プエツ山群の頂へ

今までトレ・チーメセッラと紹介してきたドロミティ歩き。第三弾の今回はアルト・アディジェ地方、プエツ・オードレ自然公園に位置するプエツ山群から。知名度は低めですが、その分、人が少なめでゆったりと堪能できるのが嬉しいポイントです。

標高1,600mあたりの駐車場に車を置き、出発します。


最初のほうは緩やかな登りが続くため、マウンテンバイクで出かける観光客も見かけたほど。つまり、標高2,900m以上あるプエツ山頂にたどり着くには終盤、一気に登りがきつくなるということです。

序盤はピクニックやハイキングにピッタリのエリア


途中、標高2,475m地点に山小屋があり、ここで引き返す人たちも多くいます。

Puezhütte / Rifugio Puez


しかしながら、我々が目指すのは頂上の2,918m。ビール片手に休憩している人たちを横目に、先を目指します。

山小屋から山頂PUEZSPITZまでは1時間半の表示


ところで、気づきましたか?少し見えにくいですがこの道標、ところどころ3つの言語で記されているんです。といっても、英語はありません。イタリア語、アルト・アディジェ地方の公用語であるドイツ語。そしてもう1つは何でしょう??

『イタリア好き』50号をお読みになっていれば簡単かもしれませんね。

ラディン語です。

下の3つの道標はラディン語、ドイツ語、イタリア語の順で記されている


イタリア語に似ていたり、ドイツ語に似ていたり。でも、響きは柔らかくフランス語っぽいような。このラディン語は方言ではなく、れっきとした言語。地元の人たちの間では日常的に話され、少数言語保護の動きもあってドロミティ地域の至る所で表示されています。散策の折に探してみるのも醍醐味ですよ。

 

さて今回は天気にも恵まれ、ずっと見渡す限りの絶景。

※しばらくパノラマをお楽しみください※






ドロミティに慣れてくると、それぞれの岩山の形をなんとなく覚えてきて面白いもの。「向こうにセッラ山群が見える」とか「あれはサッソルンゴ山群だろう」などと、わかるようになってくるのです。

左奥に広がるセッラ山群とその右にそびえ立つサッソルンゴ山群


そして、頂上が近づき・・・さすが岩峰だけあって断崖が続きます。


下を覗いたらちょっと怖いくらい。でも、これがドロミティ登山の魅力なんですよね~


山頂に着くと!

真夏に行ったにもかかわらず、誰もおらず独り占め。


人気の高い山群ではなかなか起きないことなので、ちょっと特別感もありました。


 

なお、今回はヴェローナから日帰りしましたが、この登山口があるのはヴァル・ガルデーナという美しい谷。オルティゼイ、サンタ・クリスティーナ、セルヴァという3つの可愛らしい村があるため、計画の際はそこを拠点にして登山後の夜を過ごすのがオススメです。

 

3年ぶりの開催!ニシン祭で賑わう灰の水曜日

3月2日水曜日、3年ぶりにヴェローナ郊外のパローナ(Parona)という町でニシン祭が開かれました。ちょうど一昨年、この時期にイタリア各地では全ての行事が中止。去年も外出制限がかかっている状況でイベントどころではなく、ようやく今年になっての復活です。

先週行われたヴェローナのカーニバルで「ニシン祭」の開催をPRするパローナの民


この伝統的なニシン祭は毎年この時期、カーニバルの後の水曜日と決まっているのですが、観光客もいないような冬のド平日の朝からこのお祭りが開かれるのには重要なワケがあります。

カーニバルの山車にもニシン!


それは、パスクアの40日前(日曜を除く)に当たる「灰の水曜日」だから。

かつて、この「四旬節」と呼ばれるパスクア前の40日間は肉断ちをする慣例があったため、ヴェローナでは「肉の代わりに魚」を食べる初日として、ニシン祭が行われるようになりました。

RENGAは方言 イタリア語ではニシン=ARINGA


このパローナ、決してニシンの産地ではありませんが、ヴェローナを囲むアディジェ川の上流側という立地により、ニシンとの関係が深くなったと言われています。

この左側にパローナの町、この川を下った先にヴェローナの町がある


というのも、かつて、北の国(ドイツや北ヨーロッパ)の商人たちはアルプスから流れてくるアディジェ川を船で下りながらヴェネツィア方面を目指していました。その際、パローナが宿場町のような役割を果たしていたのです。特にヴェローナの税関がお休みで通れない日曜日には、多くの商人が足を止めたよう。商人たちは、宿場に売り物のニシンの干物や塩漬けを持ち込み、パローナの女性たちに調理してもらったり、お金がないときにはニシンで支払いをしたりもしていました。


こうしてニシンをよく扱うようになったパローナでは、「灰の水曜日」になると家族や親族とニシンを食べる習慣ができたのだそうです。


ニシンのオイル漬けやパテも特産品として人気


そんな美味しい魚の香りに釣られ、肉断ち初日にヴェローナの住民たちはパローナにやってくるようになり、カーニバルの余韻に浸るかのごとくニシン祭にまで発展した、というわけ。

ニシン祭には仮装して来る人も多い


ニシン祭ではいくつかの屋台が出て、ビーゴリやリゾットなど、いろいろなニシン料理が味わえるのですが、中でも王道と言えるメニューが「ニシンのポレンタ添え」。



貧しい家庭では、やっとの思いで買ってきたニシンの干物を食べずに家の天井から吊るしておき、焼いたポレンタにその干物の香りをこすりつけて食べていたという話もあり、なんとなく時代を感じる一皿となっています。

ニシン自体の味が濃いので、シンプルにポレンタと合わせるのが美味しい


今年は縮小版で行われたニシン祭。とはいえ、多くの地元客で賑わう光景には感慨深いものがありました。夕方にはパレードもあり、夜まで続くニシン祭ですが、ある屋台では「昼過ぎにすでにニシンが売り切れてしまった」と言うほど、想定以上の人が訪れたみたい。

コロナの感染予防に油断してはなりませんが、長い間みんな、こういう雰囲気が恋しかったんだろうとつくづく感じる一日でした。


 

なお、移動祝日パスクアに合わせてカーニバルやニシン祭も毎年日程が変わります。今年を例に整理してみるとこんな流れです。

(カーニバルについての詳細は、過去の記事もご覧ください。)

カーニバル 2月24日(木)~3月1日(火)学校などはお休み
⇒灰の水曜日 3月2日(水)(~4月14日(木)まで四旬節)
⇒聖金曜日 4月15日(金)キリストが十字架にかけられた日
⇒パスクア(復活祭) 4月17日(日)キリストの復活
⇒パスクエッタ(天使の月曜日)4月18日(月)祝日