カラブリア州の主に北部コセンツァ県内、自然の厳しい地域に「アルブレーシュ(もしくはアルバレシュ)」と呼ばれる少数民族が住んでいます。
アルブレーシュ(アルバレシュ)とは、500年ほど前にオスマントルコの侵攻から逃げてきたバルカン半島出身の人たちのこと。現代にいたるまで言葉・文化・生活様式をかたくなに守り、生活してきました。
コセンツァ県内の約30のアルブレーシュ(アルバレシュ)の村は、殆どがイオニア海が見える&岩々な場所に位置しています。イオニア海を渡ると、そこはかつての祖国。岩が多い場所を好んだのは、祖国の様子に少しでも似ているところを探して定住したからだとか。
※アルブレーシュ(アルバレシュ)とは:アルバニア系イタリア人自身を指すこともあるし、彼らの話す言葉や彼らの文化について指すこともあります。住む地域によって発音方法に若干違いがあるため、arbëresheの方かな表記に揺れが生じます。ここでは、ルングロ・チビタの人々の発音に最も近いアルブレーシュを第1位に、その次に多いアルバレシュを併記しました。
近代になって再興した本国・アルバニア共和国は、約400年に渡るオスマン帝国支配の頃の名残でイスラム教徒が多いですが、オスマン侵攻前の彼らの宗教は正教会派。
というわけで、カラブリア州内にあるアルブレーシュ(アルバレシュ)の村には必ずグレコ・ビザンチン様式の教会があります。グレコ・ビザンチン様式の教会は彫像が無く、宗教画(イコン)が壁面を飾っているのが大きな特徴。
さらに司祭さんが宗教行事をするのは壁の向こう側。いわゆる「秘儀」という扱いで、信者は見ることが出来ないなどのカトリックやプロテスタントとは色々違いがある正教会派なんですが・・・彼らが信仰する宗派は、ローマ法王のお墨付きをもらってカトリックの一派となっています。
こちら、大変貴重な晴れの日用の衣装で、彼らの中でも最高峰の地位付けをされている元貴族一家に伝わるもの。
通常は片栗粉やコーンスターチで刺繍部分を覆い、折り目ごとに充て布をして大切に保管し現代に伝えられたもの。粉を払って取り出すのも大変な、貴重な貴重な衣装です。
バルカン半島から逃げてきたのは、裕福な貴族と彼らに使える身分の人たち、さらに農民などだったと言われています。彼らはカラブリア州内でもかつての貴族を中心に部族社会を作り上げ、カラブリア各地にできた部族間交流などを積極的に行いつつもそれぞれの出身地域の伝統柄を守り・・現在、約500年が経過したところ。
実はアルブレーシュ(アルバレシュ)の間でも微妙に言葉が異なったりするんですが、それは、そもそもバルカン半島の「どこ」出身なのか、によるところも大きいのだそうです。500年前のご先祖さまの出身地域が言葉にわかっちゃうんですね。
さらに、言葉が簡略化されていく中で、住む地域の方言に強く影響された言葉になりました。この為、イタリア人の住む街から遠ければ遠い程、イタリア語化していない言語に出会うことが出来ると言われています。
アルブレーシュ(アルバレシュ)の村で比較的オープンなチヴィタ(Civita)では、各地から人々が集まって行うお祭りもあります。
正式には彼らの救国の英雄・スカンデルベルグ(Skanderbeg)のオスマントルコに対する戦勝記念のお祭り。チヴィタにはスカンデルベルグの直系子孫がいたこともあり、大変ゆかりがあるようで・・現在でも盛大に行われているお祭りです。
各地の民族衣装に身を包み、彼らの言葉で彼らに伝わる踊りと歌を歌いながら街中を練り歩きます。
※スカンデルベルグはオスマントルコの侵攻を一時退け、四半世紀にわたって独立を保った英雄です。彼の死後、10年ほど後にアルバニア地域は完全にオスマントルコと支配下に入りました。
お祭りの後は衣装の始末が大変らしいw
アルブレーシュ(アルバレシュ)の村があるのはカラブリア州コセンツァ県の北部地域に集中していて、さらにプーリア州・バシリカータ州あたりにもちらほら。
イタリア人でありながら異なる「祖国」を持つ人たち。
カラブリア州内ではチヴィタ(Civita)、ルングロ(Lungro)、ファルコナーラ・カラブレーゼ(Falconara Albanese)などが有名。彼らの村の近くになると道路標識も二か国語表示(イタリア語/アルブレーシュ)になったり、イタリアの中の異国を感じることが出来ます。
アルブレーシュ(アルバレシュ)とは、500年ほど前にオスマントルコの侵攻から逃げてきたバルカン半島出身の人たちのこと。現代にいたるまで言葉・文化・生活様式をかたくなに守り、生活してきました。
コセンツァ県内の約30のアルブレーシュ(アルバレシュ)の村は、殆どがイオニア海が見える&岩々な場所に位置しています。イオニア海を渡ると、そこはかつての祖国。岩が多い場所を好んだのは、祖国の様子に少しでも似ているところを探して定住したからだとか。
※アルブレーシュ(アルバレシュ)とは:アルバニア系イタリア人自身を指すこともあるし、彼らの話す言葉や彼らの文化について指すこともあります。住む地域によって発音方法に若干違いがあるため、arbëresheの方かな表記に揺れが生じます。ここでは、ルングロ・チビタの人々の発音に最も近いアルブレーシュを第1位に、その次に多いアルバレシュを併記しました。
近代になって再興した本国・アルバニア共和国は、約400年に渡るオスマン帝国支配の頃の名残でイスラム教徒が多いですが、オスマン侵攻前の彼らの宗教は正教会派。
というわけで、カラブリア州内にあるアルブレーシュ(アルバレシュ)の村には必ずグレコ・ビザンチン様式の教会があります。グレコ・ビザンチン様式の教会は彫像が無く、宗教画(イコン)が壁面を飾っているのが大きな特徴。
さらに司祭さんが宗教行事をするのは壁の向こう側。いわゆる「秘儀」という扱いで、信者は見ることが出来ないなどのカトリックやプロテスタントとは色々違いがある正教会派なんですが・・・彼らが信仰する宗派は、ローマ法王のお墨付きをもらってカトリックの一派となっています。
こちら、大変貴重な晴れの日用の衣装で、彼らの中でも最高峰の地位付けをされている元貴族一家に伝わるもの。
通常は片栗粉やコーンスターチで刺繍部分を覆い、折り目ごとに充て布をして大切に保管し現代に伝えられたもの。粉を払って取り出すのも大変な、貴重な貴重な衣装です。
バルカン半島から逃げてきたのは、裕福な貴族と彼らに使える身分の人たち、さらに農民などだったと言われています。彼らはカラブリア州内でもかつての貴族を中心に部族社会を作り上げ、カラブリア各地にできた部族間交流などを積極的に行いつつもそれぞれの出身地域の伝統柄を守り・・現在、約500年が経過したところ。
実はアルブレーシュ(アルバレシュ)の間でも微妙に言葉が異なったりするんですが、それは、そもそもバルカン半島の「どこ」出身なのか、によるところも大きいのだそうです。500年前のご先祖さまの出身地域が言葉にわかっちゃうんですね。
さらに、言葉が簡略化されていく中で、住む地域の方言に強く影響された言葉になりました。この為、イタリア人の住む街から遠ければ遠い程、イタリア語化していない言語に出会うことが出来ると言われています。
アルブレーシュ(アルバレシュ)の村で比較的オープンなチヴィタ(Civita)では、各地から人々が集まって行うお祭りもあります。
正式には彼らの救国の英雄・スカンデルベルグ(Skanderbeg)のオスマントルコに対する戦勝記念のお祭り。チヴィタにはスカンデルベルグの直系子孫がいたこともあり、大変ゆかりがあるようで・・現在でも盛大に行われているお祭りです。
各地の民族衣装に身を包み、彼らの言葉で彼らに伝わる踊りと歌を歌いながら街中を練り歩きます。
※スカンデルベルグはオスマントルコの侵攻を一時退け、四半世紀にわたって独立を保った英雄です。彼の死後、10年ほど後にアルバニア地域は完全にオスマントルコと支配下に入りました。
お祭りの後は衣装の始末が大変らしいw
アルブレーシュ(アルバレシュ)の村があるのはカラブリア州コセンツァ県の北部地域に集中していて、さらにプーリア州・バシリカータ州あたりにもちらほら。
イタリア人でありながら異なる「祖国」を持つ人たち。
カラブリア州内ではチヴィタ(Civita)、ルングロ(Lungro)、ファルコナーラ・カラブレーゼ(Falconara Albanese)などが有名。彼らの村の近くになると道路標識も二か国語表示(イタリア語/アルブレーシュ)になったり、イタリアの中の異国を感じることが出来ます。