“王のワイン”バローロ –フォンタナフレッダ Presented by モンテ物産

ピエモンテ州のアルバの町から南西に10kmほど進むと、広大なフォンタナフレッダ社の敷地が、丘を埋め尽くすブドウの木とともに始まる。
さらに1kmほどブドウ畑に沿って進んでようやく同社の入り口の門にたどり着く。
このフォンタナフレッダ社は、バローロを語る上では欠かせない存在と言えるだろう。
▲フォンタナフレッダへ続く道沿いの畑
▲フォンタナフレッダへ続く道沿いの畑

銘醸地として知られるがゆえに引く手あまたのランゲエリア(バローロ、バルバレスコなどの生産地)を中心に、130ヘクタールもの土地を持ち、そのうちの100ヘクタールがブドウ畑だ。毎年厳選される契約農家からのブドウと合わせて年間750万本のワインを造り出す同地区最大の生産者なのだが、ただの大手ではない。
▲ワイナリーの周囲を囲むブドウ畑
▲ワイナリーの周囲を囲むブドウ畑

「バローロはよく“ワインの王、王のワイン”なんて言われるだろう?フォンタナフレッダ社のバローロは本当の意味での“王のワイン”なんだよ。」
そう語るのはエノロゴ(醸造責任者)のダニーロ・ドロッコさんだ。
▲イタリア初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ二世とローザ夫人、子供たち 左に写っているのが創業者のエマヌエーレ・アルベルト
▲イタリア初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ二世とローザ夫人、子供たち。左に写っているのが創業者のエマヌエーレ・アルベルト
「フォンタナフレッダ社の創業当初の名前はミラフィオーレ社で、イタリア初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ二世の狩猟地だった土地を受け継いだ息子、エマヌエーレ・アルベルト・ディ・ミラフィオーリが、今と変わらぬこの場所で創業したワイナリーなんだ。初代国王が狩りをしていたころからすでにここでのワイン造りは始まっており、この土地で美味しいワインができることを知ったアルベルトは、さらに周辺の土地を次々に購入していったんだ。エノロゴの視点から見ると、アルベルトにはブドウ栽培に適した土地を見抜く素晴らしい能力があったとしか思えないね。それぐらいフォンタナフレッダ社は良い土地を数多く所有しているんだ。」

実際に、初代国王の妻でありアルベルトの母であるローザ夫人の名を冠したクリュ(単一畑)バローロ“ラ・ローザ”の 2008年ヴィンテージは、ワインスペクテーター誌が選ぶ“世界のワイントップ100”に選ばれるという快挙を果たしている。

▲ラ・ローザの畑
▲ラ・ローザの畑
ただし、バローロ“ラ・ローザ”の躍進は畑のポテンシャルだけによるものではなく、1999年から同社でエノロゴを務めるダニーロ・ドロッコさんの努力も大きく影響している。
「私がフォンタナフレッダ社のワインに携わるようになってからは、同時期にアグロノモ(農学士/栽培責任者)として着任したアルベルト・グラッソさんとともに、実に様々な実験や改革を行った。余計な堆肥を一切無くしたり、多すぎる葉を減らしたり、剪定を厳しくして収量を減らしたり、各畑のどの種類の天然酵母がどういった影響を与えるか、という研究を5年間続けて酵母の質を改善したり…と、挙げればきりがないね。あとは、例えばある区画の収穫を1日でやっていたところを一斉に収穫せず、区画をさらに細分化して完熟具合を見ながら5日~10日に分けて収穫する、というのもより良いブドウを得るためには重要な改革だったね。」
▲アグロノモのアルベルトグラッソさん(左)、エノロゴのダニーロ・ドロッコさん
▲アグロノモのアルベルトグラッソさん(左)、エノロゴのダニーロ・ドロッコさん
ダニーロさんはフォンタナフレッダ社の持つ土地を車に例えて説明してくれた。
「例えるなら美しく完璧な車体、超一流のエンジンを備えたフェラーリのようなものだね。最高の車が与えられるわけだから、それを乗りこなすほうは大変さ!僕が整備(畑の手入れ)や操縦(発酵や熟成中)で失敗をすれば結果はひどいものになってしまう。年間40万本にも及ぶバローロの運命を握っているというのは、結構なプレッシャーなんだよ!」
これまでの成功を満足げな笑顔で語っていたが、最後はおどけた苦笑いで締めくくった。
なんとも贅沢な悩みである。

wine左のボトル写真は、19世紀の終わり頃のフォンタナフレッダのバローロのデザイン(左)と伝統を感じさせる現在のフォンタフレッダ・バローロのデザイン(右)。

さて来月は、フォンタナフレッダ社の前身であった“ミラフィオーレ社”についてもう少し詳しくご紹介するのでお楽しみに。