パンにまつわる昔話・Panificio Cuti(パニフィーチョ・クーティ)
私の住むカラブリア州コセンツァ県コセンツァ市は、古くから近郊の村々から毎朝焼き立てのパンが届く伝統があって、「古来より続くパン販売店」はあってもパン工房自体は存在しません。
コセンツァに届くパンは、それぞれの村で使われる酵母、小麦、水は地域によって違いが大きく、味も風味も大きく異なります。この為、今でもパンが作られる地域や村の名前を使って「××のパン」という呼び方をして厳密に区別し、その日の献立によって購入するパンを選ぶ習慣も残っています。
戦後しばらくたった頃まで、コセンツァ市周辺の村々の家でパン焼き窯を自宅に備えていることは、ある種の豊かさの象徴でもあったようです。
小さな村の一般的な家庭にはパン焼き窯が無いことが多く、小さな教会を中心にした1つの地区に1つの共同窯を管理している。そんな光景が普通だったと聞きます。
コセンツァ市から車で15分くらいのところにロリアーノ(Rogliano)という村があって、村のはずれにクーティ(Cuti)という地区があります。
Cuti地区には小さな小さな教会が1軒あり、数十年前までは共同のパン焼き窯が1つあり、Cuti地区のパンという物が焼かれていました。
1981年、この共同窯を使っていたある家庭が一族伝来の酵母と伝統の製法でパン屋として起業し、Panificio Cuti(パニフィーチョ・クーティ)が生まれました。
写真は2代目社長でパン職人でもあるアントニオさんと奥様のピーナさん。
ピーナさんはパンに関する本も出版されるなど、Cutiのパンの伝統を形に残し、ロリアーノのパンの知名度向上に奔走されています。
1960年代後半からイタリアは経済成長で湧き、カラブリア州内でも多数の新興中流層が生まれました。
Cutiが創業した1980年前後といえば、コセンツァ市はホワイトカラーの仕事を求める人々による大幅な人口増、近郊の村々は逆に過疎に悩み始めたころ。お惣菜が店に並ぶようになり、共同窯でパンを焼くより購入する方が好まれ始めた頃の事です。
そうやって小さな窯は少なくなり、そんな中であえて起業したCutiのパンは、街に出た人たち、すなわち、パンを焼かなくなった人たちからも「懐かしいあの味に似ている」と好評だったとか。
この為、会社は徐々に規模が大きくなり、現在(2021年9月現在)は社員を16名も抱える企業となりました。
Cutiのパンの表面には、爪楊枝の様な道具で付けられた「CUTI」の印があります。
これは、まだCuti地区の女性たちが窯を炊く日に集まって、おしゃべりしながら生地を捏ね、共同窯でパンを焼いていた頃からの伝統。
大きな共同窯で焼いたどのパンがどの家庭の物かわかるように、パンの表面に飾りを入れていた頃の名残だそうです。
酵母は少なくとも150年以上前から伝わる物。毎日数時間かけておこし、継ぐ作業をしています。
Cutiのパンを焼くには、この酵母の他に塩素の入っていないシラの湧き水、厳選された小麦と少量の塩。地元の土を使って作られたレンガで組み立てた窯と大量の薪(栗の樹)が必要です。
薪も栗の樹、と限定されているんですね。知らなかったわ…
小麦粉など素材にこだわるのはまぁ一般的だろうと思いますが、実は私、窯に使われるレンガに違いがあるなんて知りませんでした。
耐熱レンガなんてどれも同じだろうと思っていたんです。
ところが、パン職人で社長のアントニオさんによると、ロリアーノの土を使った、ぼろぼろと崩れる様に一見脆いこのレンガがパン焼きに最高に良いんだとか。「このレンガを作れる職人がいなくなると困る。Cutiのパンが焼けなくなる」とおっしゃっていたのが印象的です。
レンガは地元の職人が一つ一つ手作りしているので、大きさと高さが微妙に異なっていて、窯の内部もデコボコしています。パンの裏側にこの凹凸が出るのもCutiのパンの特徴なんだとか。
「パンを知ってる人は裏返してみる」らしいですよ。パンの裏側にも地味に職人のいい仕事の証があるんだそうです。
うん、私、毎日のように食べているのに知らなかったです。今度から裏返してみて「通」を気取ってみようかな(笑
厳選された小麦を使った「白いパン」と全粒粉のパンが主力商品。天然酵母を使いゆっくり発酵させた証と言われる、横に長い空洞があるのも特徴です。
そして、皮の部分がもの凄く美味しい。
酸味を感じるパンは日持ちするし、乾燥させて郷土料理にも使います。
コレが無いと作れないお料理の数々、コセンツァには結構あります。そして…酵母の酸味が必要なので、他の地域のパンで代用できません。我が家では、遠方に住む親せきたちからは「××を作りたいので××のパンを送ってくれ」と頼まれることもしばしばですが、リクエストのあるパンはほとんどがCutiのパン。
それだけ広く愛されているんだなぁと思います。
彼らが頑固に伝来の酵母を使い続ける限り、パンにまつわる伝統も伝承もコセンツァの郷土料理も失われない。そんな思いにさせられる、食文化の縁の下の力持ちです。
コセンツァに届くパンは、それぞれの村で使われる酵母、小麦、水は地域によって違いが大きく、味も風味も大きく異なります。この為、今でもパンが作られる地域や村の名前を使って「××のパン」という呼び方をして厳密に区別し、その日の献立によって購入するパンを選ぶ習慣も残っています。
戦後しばらくたった頃まで、コセンツァ市周辺の村々の家でパン焼き窯を自宅に備えていることは、ある種の豊かさの象徴でもあったようです。
小さな村の一般的な家庭にはパン焼き窯が無いことが多く、小さな教会を中心にした1つの地区に1つの共同窯を管理している。そんな光景が普通だったと聞きます。
コセンツァ市から車で15分くらいのところにロリアーノ(Rogliano)という村があって、村のはずれにクーティ(Cuti)という地区があります。
Cuti地区には小さな小さな教会が1軒あり、数十年前までは共同のパン焼き窯が1つあり、Cuti地区のパンという物が焼かれていました。
1981年、この共同窯を使っていたある家庭が一族伝来の酵母と伝統の製法でパン屋として起業し、Panificio Cuti(パニフィーチョ・クーティ)が生まれました。
写真は2代目社長でパン職人でもあるアントニオさんと奥様のピーナさん。
ピーナさんはパンに関する本も出版されるなど、Cutiのパンの伝統を形に残し、ロリアーノのパンの知名度向上に奔走されています。
1960年代後半からイタリアは経済成長で湧き、カラブリア州内でも多数の新興中流層が生まれました。
Cutiが創業した1980年前後といえば、コセンツァ市はホワイトカラーの仕事を求める人々による大幅な人口増、近郊の村々は逆に過疎に悩み始めたころ。お惣菜が店に並ぶようになり、共同窯でパンを焼くより購入する方が好まれ始めた頃の事です。
そうやって小さな窯は少なくなり、そんな中であえて起業したCutiのパンは、街に出た人たち、すなわち、パンを焼かなくなった人たちからも「懐かしいあの味に似ている」と好評だったとか。
この為、会社は徐々に規模が大きくなり、現在(2021年9月現在)は社員を16名も抱える企業となりました。
Cutiのパンの表面には、爪楊枝の様な道具で付けられた「CUTI」の印があります。
これは、まだCuti地区の女性たちが窯を炊く日に集まって、おしゃべりしながら生地を捏ね、共同窯でパンを焼いていた頃からの伝統。
大きな共同窯で焼いたどのパンがどの家庭の物かわかるように、パンの表面に飾りを入れていた頃の名残だそうです。
酵母は少なくとも150年以上前から伝わる物。毎日数時間かけておこし、継ぐ作業をしています。
Cutiのパンを焼くには、この酵母の他に塩素の入っていないシラの湧き水、厳選された小麦と少量の塩。地元の土を使って作られたレンガで組み立てた窯と大量の薪(栗の樹)が必要です。
薪も栗の樹、と限定されているんですね。知らなかったわ…
小麦粉など素材にこだわるのはまぁ一般的だろうと思いますが、実は私、窯に使われるレンガに違いがあるなんて知りませんでした。
耐熱レンガなんてどれも同じだろうと思っていたんです。
ところが、パン職人で社長のアントニオさんによると、ロリアーノの土を使った、ぼろぼろと崩れる様に一見脆いこのレンガがパン焼きに最高に良いんだとか。「このレンガを作れる職人がいなくなると困る。Cutiのパンが焼けなくなる」とおっしゃっていたのが印象的です。
レンガは地元の職人が一つ一つ手作りしているので、大きさと高さが微妙に異なっていて、窯の内部もデコボコしています。パンの裏側にこの凹凸が出るのもCutiのパンの特徴なんだとか。
「パンを知ってる人は裏返してみる」らしいですよ。パンの裏側にも地味に職人のいい仕事の証があるんだそうです。
うん、私、毎日のように食べているのに知らなかったです。今度から裏返してみて「通」を気取ってみようかな(笑
厳選された小麦を使った「白いパン」と全粒粉のパンが主力商品。天然酵母を使いゆっくり発酵させた証と言われる、横に長い空洞があるのも特徴です。
そして、皮の部分がもの凄く美味しい。
酸味を感じるパンは日持ちするし、乾燥させて郷土料理にも使います。
コレが無いと作れないお料理の数々、コセンツァには結構あります。そして…酵母の酸味が必要なので、他の地域のパンで代用できません。我が家では、遠方に住む親せきたちからは「××を作りたいので××のパンを送ってくれ」と頼まれることもしばしばですが、リクエストのあるパンはほとんどがCutiのパン。
それだけ広く愛されているんだなぁと思います。
彼らが頑固に伝来の酵母を使い続ける限り、パンにまつわる伝統も伝承もコセンツァの郷土料理も失われない。そんな思いにさせられる、食文化の縁の下の力持ちです。