ヴェネトのデルタ地帯。コッツェ、ボンゴレ、オストリケ!
ポー河口デルタ地帯
イタリア随一の平原、パダーナ平原に位置するヴェネト州は、その約57%を平野部が占める。
ピエモンテ、ロンバルディア、エミリア、そしてヴェネトの平野部を悠々と流れるポー川の全長は650㎞に及び、その河口部はヴェネトとエミリア地方のアドリア海沿岸へと続く。
水の流れは多くの自然の恵みを大地に運び、与え、そして海へと流れ込む。その河口部は大きなデルタ地帯(三角州)となり、独特の自然環境をつくりだしている。環境保護の観念からも、自然公園に指定されており、ユネスコの世界遺産にも指定されている地域だ。
ヴェネト側には、アドリア海沿岸…ヴェネツィア周辺を中心にラグーナと呼ばれる潟の続く浅瀬が続く。そこからさらに南下したロヴィーゴ県にあたる地域、786㎢がデルタ地帯とされており、そのうちの160㎢が湿地及びラグーナとされる。
ヴェネト側の河口地区を周遊へ
その地域内の一つの自治体、ポルトトッレ (Porto Tolle) は、エミリア州のフェッラーラと隣接した場所。沿岸に突き出たような半島、ドンゼッラ島 (Isola della Donzella) に位置する。
この地域は、ポー川の主流から支流が縦方向に流れ、島を半分に分けている。この支流は「ポーのニョッカ(Po di gnocca) 」と呼ばれているのだが、水流がクネクネとしてまるで ”落ち着きのない女性のよう=ニョッカ” という所以があるらしい。
この地区で漁業を営みながら、小さなオステリアや宿泊施設を営んでいるアルカディア家を訪ねる。その目的は、漁船でここ一帯の周遊に案内をお願いしてあったこと。
案内してもらう先は、彼らの漁場の一部でもある、スカルドヴァーリ湾(Sacca degli Scardovari) だ。
船乗り場から、案内人、マウロさんの船でまずは ”ニョッカ” を湾へと進む。
川の水はもちろん淡水なのだが、湾(=海)に近ずくにつれて塩水が混ざってくる。この分岐点には、「ポルテ・ヴィンチャーネ(Porte Vinciane)」と呼ばれる水門がある。
海水と淡水の比重の違いを利用し、潮の満ち干きで変化する水の高さを感知し、海水を海側へシャットダウンする。つまり、比重の重い海水の高さに合わせて壁を上下させる、という仕組みとなっている。
なんと、レオナルド・ダ・ヴィンチのプロジェクトなんだそうだ。だから、「ポルテ・ヴィンチャーネ(=ヴィンチの水門)」という名がつけられている。
そして、その先のスカルドヴァーリ湾へ船は進む。
「湾」は一般的に「ゴルフォ (golfo)」と言うのだが、ここではそう大きな奥行きもない湾口であり、その形から「袋」を意味する「サッカ (sacca)」という呼び方をする。その地形からくるものだそうだが、こういった地元ならではの呼び方が面白い。
コッツェ、ボンゴレ、そしてオストリケ!
ここで行われているには、コッツェ(ムール貝)、ボンゴレ(アサリ)そしてオストリケ(牡蠣)の養殖だ。
それぞれに養殖方法が異なり、アサリは水底に網の大きなバケツをはる。
ムールは小さな稚貝をロープに付着させ、それを筒の中へ縦型に挿入。周囲を筒上の網(「靴下」と呼ぶ)で覆い、筒をはずして海水に静置。
しばらくして貝が成長し、靴下の網も汚れがついてくるので、この「靴下」を交換する。交換する際には網目を少しずつ大きくし、そして食用となる大きさまで、交換を続けるのだそう。
マウロさんが水中からひきあげてくれた「靴下」に入った棒状のように成長中のムール貝。大きくなるとこれが非常に重くなるので、一人で引き上げるのも大変なんだとか。
そして、牡蠣の養殖場へ船が移動。
まずは、稚貝はカゴの中へ、そして水中に放置設。これを時間に応じて水中へ下がったり、水上へひきあげられたりする。
その後はロープに縦型に吊るし、潮の満ち引きに応じて水表を上下する。貝は水中にてプランクトンなどを食べて、もしくは水上へとひきあげられ、陽にあたることで貝自体を強固にする。
その後、再度バスケットに入れて続いて育成期間へと移行。
牡蠣に関しては、近年5-6年に養殖が始まったばかりであり、研究がされながら現在に至っている。ムールやボンゴレも含め、旨い貝に仕立てるために、人の手が丁寧に関わっていることは確かだ。
そして、これら貝の養殖は、養殖時期や方法及び収穫・出荷を統制するコンソルツィオ、いわゆる協同組合により全て統括されている。収穫の時期や量なども指示が出るため、加盟する14の業者はそれに従う義務がある。
また、同機関により、この特殊沿岸地域の自然環境も管理・保護されてもいる。
この日私たちを案内してくれたマウロさんも、もちろんこのうちの1業者である。面白いのは、この湾で捕れる他の魚類(スズキやクロダイ、ウナギなど)に関しては、全く規制がないとのこと。よって、釣り愛好家にとっては絶好の漁場となる。
一通り養殖場を回ったら、ゆっくりと戻る方向へ。葦の生える独特な風景を島に近ずくようにして船は進む。
信じ難い話だが、一昔前はここ一帯は地表で、米作が盛んな地帯であったとか。現在は水に浮かぶこの建物は、脱穀所として使われていたもの。ここ近年、水面が少しずつ上がってきている現在の自然現象が露わに…。
ちなみに、このデルタ地帯は現在でも米の産地である。もう少し内陸へと進む地域には、デルタの豊かな大地からなる田園風景が広がる。
新鮮な恵みをいただく
さて、約2時間半をかけてたっぷりとマウロさんに「サッカ」を案内していただいた後は、彼らのオステリアで美味しい魚介料理をいただく。
まずは、牡蠣。小ぶりだが濃厚でジューシー。身がとろけるみたいに柔らかい。
そして、ボンゴレとコッツェはシンプルに。仕上がりにレモンをふって。煮汁も皆でパンに浸してすべていただいた。
コッツェは軽くトマトで煮込んでビーゴリに合わせていただく。
もっと自分も貝の養殖の知識を豊富にして行くべきだった、と少々後悔しながらも、養殖場を「オルト=畑」と呼ぶマウロさんの話を思い出している。
イタリア随一の平原、パダーナ平原に位置するヴェネト州は、その約57%を平野部が占める。
ピエモンテ、ロンバルディア、エミリア、そしてヴェネトの平野部を悠々と流れるポー川の全長は650㎞に及び、その河口部はヴェネトとエミリア地方のアドリア海沿岸へと続く。
水の流れは多くの自然の恵みを大地に運び、与え、そして海へと流れ込む。その河口部は大きなデルタ地帯(三角州)となり、独特の自然環境をつくりだしている。環境保護の観念からも、自然公園に指定されており、ユネスコの世界遺産にも指定されている地域だ。
ヴェネト側には、アドリア海沿岸…ヴェネツィア周辺を中心にラグーナと呼ばれる潟の続く浅瀬が続く。そこからさらに南下したロヴィーゴ県にあたる地域、786㎢がデルタ地帯とされており、そのうちの160㎢が湿地及びラグーナとされる。
ヴェネト側の河口地区を周遊へ
その地域内の一つの自治体、ポルトトッレ (Porto Tolle) は、エミリア州のフェッラーラと隣接した場所。沿岸に突き出たような半島、ドンゼッラ島 (Isola della Donzella) に位置する。
この地域は、ポー川の主流から支流が縦方向に流れ、島を半分に分けている。この支流は「ポーのニョッカ(Po di gnocca) 」と呼ばれているのだが、水流がクネクネとしてまるで ”落ち着きのない女性のよう=ニョッカ” という所以があるらしい。
この地区で漁業を営みながら、小さなオステリアや宿泊施設を営んでいるアルカディア家を訪ねる。その目的は、漁船でここ一帯の周遊に案内をお願いしてあったこと。
案内してもらう先は、彼らの漁場の一部でもある、スカルドヴァーリ湾(Sacca degli Scardovari) だ。
船乗り場から、案内人、マウロさんの船でまずは ”ニョッカ” を湾へと進む。
川の水はもちろん淡水なのだが、湾(=海)に近ずくにつれて塩水が混ざってくる。この分岐点には、「ポルテ・ヴィンチャーネ(Porte Vinciane)」と呼ばれる水門がある。
海水と淡水の比重の違いを利用し、潮の満ち干きで変化する水の高さを感知し、海水を海側へシャットダウンする。つまり、比重の重い海水の高さに合わせて壁を上下させる、という仕組みとなっている。
なんと、レオナルド・ダ・ヴィンチのプロジェクトなんだそうだ。だから、「ポルテ・ヴィンチャーネ(=ヴィンチの水門)」という名がつけられている。
そして、その先のスカルドヴァーリ湾へ船は進む。
「湾」は一般的に「ゴルフォ (golfo)」と言うのだが、ここではそう大きな奥行きもない湾口であり、その形から「袋」を意味する「サッカ (sacca)」という呼び方をする。その地形からくるものだそうだが、こういった地元ならではの呼び方が面白い。
コッツェ、ボンゴレ、そしてオストリケ!
ここで行われているには、コッツェ(ムール貝)、ボンゴレ(アサリ)そしてオストリケ(牡蠣)の養殖だ。
それぞれに養殖方法が異なり、アサリは水底に網の大きなバケツをはる。
ムールは小さな稚貝をロープに付着させ、それを筒の中へ縦型に挿入。周囲を筒上の網(「靴下」と呼ぶ)で覆い、筒をはずして海水に静置。
しばらくして貝が成長し、靴下の網も汚れがついてくるので、この「靴下」を交換する。交換する際には網目を少しずつ大きくし、そして食用となる大きさまで、交換を続けるのだそう。
マウロさんが水中からひきあげてくれた「靴下」に入った棒状のように成長中のムール貝。大きくなるとこれが非常に重くなるので、一人で引き上げるのも大変なんだとか。
そして、牡蠣の養殖場へ船が移動。
まずは、稚貝はカゴの中へ、そして水中に放置設。これを時間に応じて水中へ下がったり、水上へひきあげられたりする。
その後はロープに縦型に吊るし、潮の満ち引きに応じて水表を上下する。貝は水中にてプランクトンなどを食べて、もしくは水上へとひきあげられ、陽にあたることで貝自体を強固にする。
その後、再度バスケットに入れて続いて育成期間へと移行。
牡蠣に関しては、近年5-6年に養殖が始まったばかりであり、研究がされながら現在に至っている。ムールやボンゴレも含め、旨い貝に仕立てるために、人の手が丁寧に関わっていることは確かだ。
そして、これら貝の養殖は、養殖時期や方法及び収穫・出荷を統制するコンソルツィオ、いわゆる協同組合により全て統括されている。収穫の時期や量なども指示が出るため、加盟する14の業者はそれに従う義務がある。
また、同機関により、この特殊沿岸地域の自然環境も管理・保護されてもいる。
この日私たちを案内してくれたマウロさんも、もちろんこのうちの1業者である。面白いのは、この湾で捕れる他の魚類(スズキやクロダイ、ウナギなど)に関しては、全く規制がないとのこと。よって、釣り愛好家にとっては絶好の漁場となる。
一通り養殖場を回ったら、ゆっくりと戻る方向へ。葦の生える独特な風景を島に近ずくようにして船は進む。
信じ難い話だが、一昔前はここ一帯は地表で、米作が盛んな地帯であったとか。現在は水に浮かぶこの建物は、脱穀所として使われていたもの。ここ近年、水面が少しずつ上がってきている現在の自然現象が露わに…。
ちなみに、このデルタ地帯は現在でも米の産地である。もう少し内陸へと進む地域には、デルタの豊かな大地からなる田園風景が広がる。
新鮮な恵みをいただく
さて、約2時間半をかけてたっぷりとマウロさんに「サッカ」を案内していただいた後は、彼らのオステリアで美味しい魚介料理をいただく。
まずは、牡蠣。小ぶりだが濃厚でジューシー。身がとろけるみたいに柔らかい。
そして、ボンゴレとコッツェはシンプルに。仕上がりにレモンをふって。煮汁も皆でパンに浸してすべていただいた。
コッツェは軽くトマトで煮込んでビーゴリに合わせていただく。
もっと自分も貝の養殖の知識を豊富にして行くべきだった、と少々後悔しながらも、養殖場を「オルト=畑」と呼ぶマウロさんの話を思い出している。