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アマルフィ海岸 外出禁止下の我が家

皆さんこんにちは。

コンテ首相が「第二次世界大戦以来イタリアが初めて直面する危機」と表現したことも大袈裟ではないほど私たちを動揺させ、今後のライフスタイルを変えるであろう新型コロナウィルスによる影響。新しい朝を迎える度に日本の状況も変わっているようですね。皆様とご家族、そして大切な人々のご健康を心よりお祈りする日々が続いております。

こちらは、イタリア全土に外出禁止令が出されてから1ヶ月以上がたち、禁止令直後から今に至るまで気持ちにも様々な変化がありました。5月3日で今現在の外出禁止令は終わる予定ですが、規制がゆるくなった時こそ頑張り時な気がしてなりません。私たち家族が営む宿のオープンはもう少し先になることと思いますが、スタッフの背後にいる家族にリスクが出ない環境を整えることが、お客様の安全も守ることにつながると信じて多くの工夫をすることになりそうです。イタリア政府からも新たな衛生法が届くことを考慮すると今シーズンは資料をたくさん読み、試行錯誤を繰り返す毎日になるかと思いますが、お客様とコミュニケーションをする必要が増えるはずですから関係性は今までよりも深いものになると思うと、楽しみになってきます。

我が家は主人と小学生の2人の息子からなる4人家族(大好きなパパがしょっちゅう家にいるので恍惚とした小さな猫も立派な家族ですが・・・。)。お家生活中はひたすら小腹が減るようでしょっちゅうパニーニや果物をつまんでいる子供達のいる我が家は数日に1日は食料を買いに行っています。人口2000人のわが町ラヴェッロには家族経営の食料品店3軒、八百屋さんは1軒、そしてお肉屋さんは2軒しかなく、店舗も広くはないので前日か当日の朝直接メッセージをすると、事前に分けておいてくれます。店舗に入れるお客さんも一度に2人まで、と決まっており、お店の外で1メートルの間隔をあけてお客さんは整列をして自分たちの番を待っています。バスに乗る際も整列など見たことのないこちらアマルフィ海岸ですが、慣れないマスクを忘れずにする方々や整列している方々を見ると今だに胸がいっぱいになります。

お家生活が続き、タルト生地やビスケットになるイタリアの代表的なパスタ・フローラ(Pasta frolla)作りやピッツァ生地作りが上達してきました。アマルフィ海岸のあるカンパーニア州はフードデリバリーさえも禁止しているため、週に一度ママが夕食の準備をお休みできるようピッツァのデリバリーを利用していた我が家の習慣ももちろん強制的に中止。ですが、週に一度はピッツァが食べたくなる胃袋は変わらないようで、自家製ピッツァを作り始めるに至った次第です。日本のラジオも聞ける素晴らしい時代、実はラジオを聞きながらこねたり、丸めたりといった単純作業をする時間が私の途轍もない癒し時間となっています。


(こちらは中にカスタードクリームとチェリーが入っているパスティッチョットというお菓子です。)

 

さてさて、小学生の息子たちはどうしているかと言うと、ワッツアップという通話アプリ(日本でお馴染みのLINEに似ています。)で先生方とのチャットグループがあり学校のサイトに更新される宿題の質問を直接できるようになっていたり、プライバシーやシステムの問題をクリアーにするにはもう少し時間がかかるようなので公式オンライン授業はスタートしておりませんが、先生方のご好意で子供達はビデオ電話を通じて授業をしていただいています。

授業参観は存在しないこちらイタリア、遠隔授業を聞いていると、先生方が生徒たちを褒めることが多く、子供達の自己主張と「勉強きちんとしましたアピール」が高い姿が見れるので私は興味深い限りです。

 


(スマートフォンを使ったビデオ電話を通じて授業ができるとは、私が学生だった時には想像すらしませんでした。)

 


(自転車教室に所属する長男はオンラインで先生やチームメイトとトレーニング)

 

最後に、この春は花の周りを本当にたくさんの蜂が飛んでいて、アマルフィの海の前に住む友人からは楽しそうにはしゃぐイルカの写真が届き、隣の山の町トラモンティに住む友人はキツネの写真を送ってくれました。空気も透き通っていて、透明度の高い海の色は美しすぎて胸がいっぱいになり涙腺が緩むほどです。

 

必ず来るであろう穏やかな日々が戻った時には、私たちはもう2019年までとは異なる価値観を持つでしょう。お客様とどのような談話ができるのか、今からとても楽しみです。

皆様どうぞご自愛くださいませ。

 

陣内秀信教授とアマルフィの友好関係20周年

皆様こんにちは。

2019年も残すところあと僅かとなりましたが、皆様にとって2019年はどのような年だったでしょうか?

アマルフィ海岸に住む日本人として今年は特別な思い出を残してくれるものになりました。「8月31日から9月2日まで行われたビザンツ帝国の新年の祭典 建築史家である陣内秀信教授マジステルの称号授与」については前回のブログでご紹介させていただきましたが、祭典が素晴らしかっただけでなく、今までの日本とアマルフィの間での様々な交流が改めて評価される感極まる祭典となったのです。

イタリア好きの方なら陣内教授の出版されているイタリアの様々な都市構造に関する書籍を読まれたことのある方も多いかと思います。

今年は陣内教授がアマルフィ海岸のフィールド調査を開始されてから20年目の節目の年にあたる事をご存知でしょうか?

20年前から毎夏、法政大学陣内研究室の学生たちとアマルフィ海岸を訪れ、アマルフィ文化歴史センターのコバルト教授やアマルフィについて知らないことはないのではと申し上げても大げさではない歴史家のガルガーノ教授、そしてアマルフィの建築家を目指す若者達も交え一軒一軒扉を叩き、住民の家族構成や歴史についてのインタビューに重点を置きながら住居を実測されるというイタリア人が考え付かないような研究方法で都市を解読されてきました。

地元民から「アマルフィ市民の誰よりも多くの家で歓迎された陣内教授」と愛情たっぷりに表現される陣内教授。日本からの観光客の方とのお喋りで「僕の家は陣内教授に調査されたんだよ。」と自慢する地元民もいらっしゃる程です。

そして陣内教授のご紹介が縁で「美濃市とアマルフィ市手漉き紙の友好関係」が2013年に締結され、同年アマルフィにある中世の造船所アルセナーレ(現羅針盤とアマルフィ海洋公国博物館)を見事に生かして美濃市の職人の方々が美濃和紙を使ったあかりアート展を開催するだけでなく、アマルフィの手漉き紙職人と美濃和紙の手漉き紙職人が地元民の前で実際にデモンストレーションを披露し、違いを体感できる機会、そして提灯づくりのデモンストレーションなども行われこのイベントがきっかけで日本がとても身近に感じられるようになった、と語ってくれる青年たちが今でもいる程大成功のイベントでした。


*提灯作りに見入る地元中学生たち

2014年には、24名からなるアマルフィ訪問団が美濃市を訪れ、産業祭に参加したり、美濃和紙を使った様々な商品を作る方々のもとを訪れ、生で鑑賞する太鼓での歓迎や、ナポリ民謡を日本語でも一緒に歌うなど、訪問団の心が熱くなる1週間を過ごしました。


*美濃市の方々が開いてくださったお別れ会でナポリ民謡を一緒に。

そして、今年の2月には「日本のアマルフィ」と呼ばれている和歌山市雑賀崎でアマルフィのミラノ市長と陣内教授、そして和歌山大学の永瀬准教授とともに景観や土地を生かす観光についてのシンポジウムで講演され、アマルフィの人気レストランSENSIのヘッドシェフ トルモリーノ氏による和歌山の食材を使ったアマルフィ料理を振る舞う食フェアが行われたのですが、日本でもイタリアでも再評価されている「地産地消」を具体化する食事は和歌山の方々にも歓迎され、市長もシェフも大感激でした。


*公民館で行われたシンポジウム


*食フェア開会式で和歌山市雑賀崎の皆様にお礼を述べられるミラノ市長


*リゾットを皆様の前で調理するトルモリーノシェフ

2015年からは、日本とアマルフィの交流をより強固にする、という目的で冬季日本語講座もアマルフィ文化歴史センターが開催してくださっているので、日本との交流をとても大切にしてくださっていることが皆さんにも伝わると思います。

以上のように活発な交流を進めているアマルフィ市ですが、ビザンツ帝国の新年の祭典では、「日出ずる国が語るアマルフィ」とのタイトルで大勢の地元民の前で「アマルフィの歴史地区の面白さと特徴」についてお話しされた陣内教授。「建築家として歴史地区の多くの民家がヴァケーションハウスになってきて、地元民の生活が忘れ去られつつあることについてどう思うか?」など鋭い質問も出てきたインタビューでは、地元民も巻き込んだ意見交換が繰り広げられ、ガルガーノ教授から「文化が忘れ去られると、歴史地区は観光村になってしまう」とのコメントが出た時は会場の熱気がピークに。陣内教授のおかげで、自分たちの町のあり方を再認識する機会を持てた住民は翌日の陣内教授マジステル就任式を心待ちにされたことは皆さんも容易にご想像できるかと思います。


*夕暮れ時の広場で行われた講演会とインタビュー


*アマルフィ市とともに行ってきた活動についてお話しされる陣内教授


*大聖堂上でアマルフィ市民にマジステルお披露目式に登場された陣内教授とソリチェッリ司教

アマルフィ市と日本の文化交流コーディネーターである筆者ですが、数々の感動を共有させてくださった陣内教授には尊敬と感謝の気持ちばかりです。交流の最大の魅力は、日本とアマルフィの皆さんがそれぞれご自身のご活躍を紹介していただける機会があり、相手に理解してもらう事で生まれる感動です。2020年も益々双方がご自身の歴史や文化を披露する機会があり、相互理解が深まる一年になることを願うばかりです。

 

 

アマルフィが中世にタイムスリップ 中心人物に陣内秀信教授!

8月も残すところ1週間となりました。皆様今年の夏はいかがでしたか?

こちらは、毎日快晴に恵まれ、海水の透明度も例年より高く爽やかです。アマルフィ海岸の交通渋滞問題はなかなか消えませんが、遂に行政も動き始めてくれたので、来年は渋滞問題が少し緩和されるかもしれません。



さて、今日はアマルフィで行われる歴史行事をご紹介させて頂きます。

2019年8月31日と9月1日2日と3日間ビザンツ帝国の新年を祝う祭典が行われます。海洋共和国時代のアマルフィは自治を享受していましたが、東ローマ帝国に属しており、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の新年が9月1日だったことからアマルフィ市が市民の文化的関心を促進するためにも中世の新年を祝う祭典を開催しております。

この祭典のメインイベントに「アマルフィ文化におけるマジステルの披露」があります。マジステルはラテン語のイタリア語読みで、文化人に付与される称号であり、学者や芸術家、政治家など後世にも指針を与える権威ある指導者のことを意味する言葉です。

毎年ビザンツ帝国の祭典ではマジステルが一人選ばれ、マジステルになる方のご活躍内容を祝典のテーマにしています。

なんと、今年のマジステルは日本人の陣内秀信教授なんです!

テーマは中世からのアマルフィの文化的景観。

陣内教授は20年前からアマルフィの歴史地区を法政大学陣内研究室の学生の方々と一緒に一軒一軒門を叩かれ、家の中の実測をし、図面を書かれ、居住形態や家族構成、歴史などもインタビューをなさりながら調査をするという画期的な方法を用いられました。空間人類学というアマルフィの方々が初めて目にした調査方法に多くの方が魅了され、陣内教授にご自宅を調査していただくことを誇りにされたような地元民に愛される陣内教授が2019年のマジステルになられることに、アマルフィは喜びで溢れています。

新年前日の8月31日には、アマルフィの迷路のような階段を上がると突然広がるドゥーカ・ピッコロミニ広場(Largo Duca Piccolomini) にて17時30分から陣内教授をはじめとした研究者の方々が参加するシンポジウムが始まります。どなたでも入場でき、研究者の方々のお話を聞ける貴重な90分間では学術的にアマルフィの文化的景観を学ぶことができます。そして、19時からイル・マッティーノ新聞記者マリオ・アモディーオによる陣内教授へのインタビューがあり、陣内教授のお人柄も感じることができます。

ビザンツ帝国の新年である9月1日には、メインイベントのマジステルの授与式が行われます。華麗な衣装を纏った100人以上の中世の貴婦人や騎士からなる歴史行列がアマルフィのスピリト・サント広場(Piazza Spirito Santo)から始まり、18時20分に中世の祭りならではの旗手によるショーがアマルフィの大聖堂広場(Piazza Duomo)で行われ盛大にオープニングを飾った後、19時30分からアトラーニのサン・サルヴァトーレ・デ・ビレクト教会(Chiesa di San Salvatore de’Birecto)にてマジステル授与式が行われます。21時にはアマルフィの大聖堂広場(Piazza Duomo)に舞台を戻し、市民や観光客に陣内教授マジステルの称号授与がお披露目されます。



そして21時45分から市役所広場(Piazza Municipio) にて「我が美しい国 歌い継げられるイタリア(Paese mio bello. L’Italia che cantava e canta)」というコンサートと共に夜遅くまで盛大にビザンツ帝国の新年が祝福されます。

9月2日の夜は今年7月27日に80歳を迎えたイタリアを代表するカンツォーネ界の大御所ペッピーノ・ディ・カプリ氏によるコンサートで祝典のフィナーレを迎えます。

陣内教授の数々の調査書や書籍を読ませていただいてアマルフィ海岸の魅力をたくさん知ることができました。アマルフィ海岸に在住する日本人として、教授にマジステルの称号が授与されることを心からお祝いを申し上げます。

アマルフィ海岸ラヴェッロから初めまして。

皆様初めまして。

1997年にユネスコの世界遺産に登録され、訪れる人々の心を魅了し続けるアマルフィ海岸に住む竹澤と申します。

アマルフィ海岸には現在はターミナル的な場所であり、中世では海洋共和国だったアマルフィや、垂直にカラフルな家々が立ち並び18世紀にはナポリ王国から別荘地として愛されたポジターノ、陶器の町のヴィエトリ・スル・マーレなど全部で13の市があります。全ての街に容易にキャッチコピーがつけられるほど個性がそれぞれ異なる小さな町の数々にこちらに引っ越して15年になりますが、今でも常に新しい発見があり、アマルフィ海岸に魅せられています。


私の住むラヴェッロは標高350メートルの山の上にフラットな町がポンっと置かれたようなまるで豪華客船が空中に置き去りにされたように見える町。中世ボッカッチョのデカメロン物語にも登場する貿易商人ルフォロ一族のお屋敷(ヴィラ・ルフォロ)と高貴なデッラ・マーラ一族の屋敷が大聖堂を挟むように左右にあり、中世から多くの政治家、貴族に愛された街でした。

ルフォロ家とデッラ・マーラ家の勢いを体感するには、ラヴェッロの大聖堂内右側にある講壇をご覧いただくことをお勧めします。幾何学模様の見事なモザイク装飾の美しい講壇が大聖堂の左右に存在しますが、祭壇に向かって右側の講壇は12世紀ルフォロ家のニコーラ・ルフォロとデッラ・マーラ家のシジルガイダ・デッラ・マーラが結婚する際二人から贈呈されたもので、当時この二つの家族がいかに力を持っていたかがよく理解できる迫力です。(祭壇側には、二人の肖像も掘ってあります。)

 そんな貴族に愛されたラヴェッロの町ですが、ヴィラ・ルフォロでは7月と8月にラヴェッロフェスティバルという屋外芸術祭も行われ、夏は大聖堂広場でもコンサートなどが不定期で行われています。
次回は、なぜラヴェッロフェスティバルが行われることになったのかをご説明いたしますね。
どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。