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プールが劇場に

秋が深まるミラノからこんにちは。

コロナが落ち着いた後、ミラノの夏はどうなるのだろう?と思っていたら、例年通り、がらんどうに。今年は経済的な理由からバカンスにでかけない人も多いのでは?と想像しましたが、、、。やっぱりイタリア人にとって8月はヴァカンスなのですね。

ただ私の周囲を見渡す限り、安全上の理由から旅行には行かずに田舎の家で過ごしたり、旅行よりも海の近くの友人の家で過ごすような人たちが多かったような印象です。

ミラノのレストランやカフェは、コロナ大一派の後一気にテラス席が増えました。ミラノ市が特別に許可を出したのだと思いますが、安全なソーシャルディスタンスを確保するため、屋外席が増えて街がすこし華やいだ感じになりました。実情はかなり厳しいとは思うのですが、、。



さてまだ夏の終わりが色濃く残る9月中旬、友人に誘われてバレエのパフォーマンスに行きました。コロナの後、初めての文化的なイベントです。

会場はなんとプール。これであればソーシャルディスタンスもクリアできます。

主役はミラノの伝説的バレリーナ”Luciana Savignano ルチアーナ・サヴィニャーノ “ 。スカラ座のエトワールとして活躍し、モーリス・ベジャールの黄金期にボレロを初めとし、深くコラボレーションした踊り子・ルチアーナ。

彼女以外はすべて若手という舞台でしたが、彼女のオーラのすごさたるや。なんと御年77歳!というのでびっくり。背筋がピンとして、とても年齢を感じさせません。

バレリーナのために生まれたような体躯は80に近づこうという今でも、生き生きと空を切ります。ルチアーナの大ファンであり、同時に古い友人でもある私の友は、複雑な心境といいます。黄金期から比べると見るのが辛い、と。

私としては逆で、77歳でもこれだけのパフォーマンスにチャレンジし、そして若い人をインスパイアしている。そして踊ることが好きで好きでたまらない、踊っていないと自分でない、という彼女の踊り子としての本能に従っているルチアーナにとても惹かれるのです。女性としても憧れます。

                 舞台の後で

その友人のおかげで何度かお目にかかったり、お食事の席でご一緒させていただいたルチアーナは、かつての大スターを感じさせないほどシンプルで、控えめで温かいお人柄でした。本物というのは彼女のように自然体なのだろうと感嘆せずにいられません。彼女の愛犬は秋田犬。エレガントな彼女の横にいつも静かに丸まっていて、すごく絵になります。

 

コロナ禍の後、初めて味わった舞台。感慨深いものがありました。また夏の終わりの雰囲気も満喫できるセッティングでもあり、心満ちた夜でした。

 

ミラノはただいまMIlano design weekというものがイベントとして走っていたり、Milano wine weekなるもももやっていたり、少しずつ日常が戻ってきています。お店に入るときは毎回マスクと検温、レストランでは何かあったときに連絡するための電話番号を書くこと。映画や美術館やプールは予約しないといけないことなども、もう慣れてきました。

 

それでも中央駅の前に見たこともないような長い長いタクシーの列などを見ると、胸が潰れそうな気持ちになります。観光客やビジネス客が早く戻ってきて、この街がまた活気が満ちる日が帰ってくるよう願うばかりです。旅行できる日がまた来ることがあれば、みなさまぜひミラノへイタリアへ!お待ちしています!


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ブログ LA CUCINETTA イタリアの小さな台所からhttp://www.casamorimi.co.jp/blog-125021252512464

春の光

イタリアの被害状況:
北イタリアで感染者が見つかってから2ヶ月が経ちました。

日が徐々に長くなり、冬が終わって春がきて、夏時間に変わりました。

まだ私たちはまだ家にいます。それでも長い長いトンネルにやっと僅かな光が見え始めました。


*経済紙 Il sole 24 のサイトより。さまざまなデータがまとめられているので、私はこのリンクで状況の推移を日々チェックしています。
https://lab24.ilsole24ore.com/coronavirus/

一番濃いピンク色:集中治療室の患者数
真ん中のピンク色:症状があり入院している患者数
薄いピンク色:無症状か軽い症状で自宅隔離

プラトー=平原と呼ばれる、感染者や犠牲者が増えもせず減りもせず一定の状態が長く続き、やっとダウントレンドになり始めました。とてもゆっくりですが。

4月22日の状況
検査数63,101件
感染者数 3,370人(5.3%)

その他のデータ カッコ内は4月22日増加分
現在感染者数 107,699(-10 )
-うち症状なしあるいはごく軽症で自宅隔離 80,589 (+554)
-うち入院治療中 25,033( +26)
-うち集中治療室 2,635 ( -98)
犠牲者 25,085( +437)
治癒した人54,543( +2,943)

感染者数はここ数日、検査数に対し感染者数が5%ほどを占めるという結果です。3月中は20%の感染率、1週間ほど前も10%前後の感染率でしたから、かなり感染のスピードは減り始めました。

それでも今日のように60,000件検査すると3,000以上の感染者。ほとんどが自宅隔離対応ながら、まだすごい数です。現在の感染者数は10万人を超えています。

入院して2週間から1ヶ月で亡くなる方が多いので、感染者減少のトレンドは犠牲者には反映されず、まだまだ下がりません。今日も400人以上の方が命を落としました。

犠牲者の中には、140人以上の医師、30人以上の看護師の方も含れます。ベルガモでは聖職者も多くなくなったそうです。ロンバルディア州は複数の老人養護施設での集団感染が多く起こり、訴訟問題にまで発展しています。

政府では今、5月4日以降の「FASE 2 フェーズ2=どうやって少しずつ規制を解いていくか」を日々話し合っています。さまざまな国民に対しての補償も降り始めました。

私たちの暮らし:

ジョギングなども禁止されていて、厳しい規制がひかれていますが、食品などは通常通り手に入ります。子どもがいる家庭は子どもの心身の健康のため、少しは外にでてもよいということになっています。買い物に出かける時も、どこまで行くのか明記した申告書の携帯が必要です。

スーパーでは入場制限がひかれているので、列があることが多いですが、その列も1m間隔です。10分もかからずに入れることが多いです。中はかなり人数が少なく、人と人との間隔を保てるようになっています。

子どもたちや大学生はインターネットで授業に参加しています。家にコンピューターやタブレットがない子達には、学校や地域自治体が購入して届けられているとニュースで見ました。

私は1週間から10日に一度でかける程度です。少しでもスーパーのレジの方の負担を減らしたい、混み合う状況を減らせたらと願っています。私の場合は、一人暮らしなので工夫をうまくすれば、我慢せずとも結構やりくりできるものです。

ミラノの友人が面白いことを言っていました。レストランが閉まっているのでその分美味しいお魚が出回っていて、いつもより質の高いものが買えている、と。デリバリーをやっている個人商店も多くなり、友人はジェラート屋さんから1kgのジェラートをたまに買っているとのこと。私も一度頼もうか、と思っているところです。

3月11日に移動制限が全国に発令されてから、イタリアの食品を日本に届ける私の仕事もかなり緊張の日々となりました。各生産者に電話して作業はできるのか、ラベルの印刷は止まっていないか等々確認、そして次にコンテナーが見つかるかなど、、。

”社員は家だけど夫婦で働いているから大丈夫だよ” ”スペース確保しながら交代で働くから時間はかかるけど安心して”など有難い言葉の数々を聞けたときには、じーんと涙。長くコラボレーションしている生産者の方々も多く、年月をかけて育んだ関係の有り難さを痛感しました。

私は食品という動いている分野に従事し、家で働くことができ、また日頃より忙しい状況だったため、StayHomeの時間が瞬く間に過ぎていきました、とくにこの1ヶ月は。外の辛い状況にあまり気持ちを持っていかれすぎずに過ごせたのは、恵まれていたと思います。

光を感じた時:

現実とは思えないような辛い状況が、一体どこまで酷くなっていくのか。まるで暗黒の中にいるような気持ちのとき、パッと光が射したような気持ちになったことが2回ありました。

1回目は市民保護局が呼びかけた甚大な被災地への300名の医師タスクフォースの募集にイタリア中の8000近くの医師からの応募があったと聞いた時。2回目は同じく500名の看護士タスクフォースの募集にも9400名の看護師からの応募があったとニュースを耳にしたとき。

これでもかというほどに深い傷を受けていても、まだイタリアには力と愛があるんだ。これらのニュースに大きく励まされている自分に気づきました。無意識ながら、かなり凹んでいたようです、、。

Io  resto a casa =StayHome を2ヶ月近くやってみて感じたこと。それは、きっと自分のためだったらこんなに長い間とても続かないということ。しかもこの春の陽気に。ましてやイタリア人が。医師でも看護士でもない私たちが唯一できること、それが家にいることなんだとみなが納得したから、つまり他者のためだからできているのではないか、と。

辛い日々ですがここから気づけることも多いはず。イタリア人の人気作家パオロ・ ジョルダーノ”コロナ時代の僕ら”あとがきが無料公開されています。全文も読める時期があり、非常に興味深く読ませてもらいました。

【全文公開】「すべてが終わった時、本当に僕たちは以前とまったく同じ世界を再現したいのだろうか」『コロナの時代の僕ら』著者あとがき

ミラノより、Stay Home, Stay Safe!
早く世界に安寧な日々が戻ってきますように。

追伸:TV放映のお知らせ


本日4月23日取材いただいた番組が放映となります。
手前味噌ですが、ご紹介させてください。
2週間続いた撮影の最終日に、北イタリアで一人目の感染がわかりました、、。
世界はほしいモノにあふれてる
「太陽と火山の恵み!絶品食材を探す旅 シチリア」

(NHK総合1)
4月23日(木) 午後10:30~午後11:15(45分) ※九州沖縄地方除く
再放送:4月28日(火)午前1時05分(27日深夜) ※全国
4月30日(木)午後10:30~ ※九州沖縄地方のみ放送

NHKワールドプレミアム(国際放送) 4月23日(木)夜10時30分
NHKオンデマンド 4月24日(金)夜10時30分~ 2週間配信
NHKプラス 4月23日(木)夜10時30分~ 1週間配信

ロンバルディアのミラノで今感じること。

数日前の3月15日日曜日に、直近の1週間を振り返ってこのページの下にあるブログを書きました。その時、イタリア医療について“すでに医療崩壊している”など、事実とは異なるスキャンダラスな報道が日本で流れているのは目にしていました。昨日はじめて友人を通し、「殺される」なんてヘッドラインがでてくるようになるまで、イタリア医療についての日本での報道がエスカレートしていることを知りました。

小さな例ですが、私の個人的な経験を書きたいと思います。

<私の手術・入院体験>

持病をかかえており、イタリアにきた1年後に手術することになりました。日本で診ていただいていたときには有名国立大学病院に通い、手術を勧められましたが、目立つ場所にかなり大きな傷とへこみが残ると言われていました。イタリアのパドヴァ大大学病院で手術してもらった後には、へこみもなく、傷も残らず、現在はわからないようになりました。

入院中も清潔な環境で、先生・看護婦のみなさんに親切にしてもらい、不安な日々を励まされながら、1週間の入院生活を過ごしました。現在は、Institut di Tumoriミラノ国立がんセンターというところで、半年から1年で一度、定期的に検査をしてもらっています。かなり精度の高い機器を使って検査してくださっています。

手術費、入院費、そして定期的な検査も、この国の医療システムのおかげで、すべて無料です。薬代まで負担してくれます。

実際に予算が大きく削られてきたことは事実であると思いますし、そのため病院の予約が取りにくかったり、検査もすぐに予約できないこともあります。また、病院に行っても案内がわかりにくかったり、窓口で感じの悪い人にあたったり、と小さな不満はあります。ただ、イタリアの医療システムに私個人としてはとても感謝しています。そして出会う先生方は、患者として安心感を与えてくださる方ばかりでした。(どのくらい優秀かは、医療素人の私が知る由もないので)

イタリアで酷い経験をされたという方はいると思いますし、そのことはお気の毒です。一方で感謝している人間もいるという小さな声も、届くところだけには知ってもらえたら、と思います。そして今は誰も予想もしていなかった非常事態ですから、通常のキャパシティを大きく超え、そこで精一杯できることで対応するしかないのも事実だと思います。

イタリアに住む日本人の近しい友人たち4人と、この状況について話しましたが、友人4人はすべて私と同じようにイタリアの医療システムに守られていると感じる、と言っていました。私たちは一般的に医療が優れているという北部イタリアに住んでいます。ただ北部のどの医療施設についてすべて一緒の評価をすることはできないと思いますし、南部イタリアにしても、すべての状況を同じように評価することはできないと感じています。

今日は、日本から「トイレットペーパーやインスタント食品とか送りましょうか?」というメッセージがきました。今日1週間ぶりに外に行って買い物に行き、生鮮品含め欲しいものはすべて購入できました。列を作ることもありませんでした。大型スーパーに入るには、タイミングによっては列をなさなくてはならないところもあるようです。私は小さな個人商店で買い物する方が好きであり、またこうした小さなビジネスは、大手より困った状況にあるのが想像できるので、なるべく小さなお店に行くようにしています。そして人も少ないので、安全でもあります。

久しぶりに歩いた街。がらんとした様子を見るのはとても寂しかった、、。


命の選択というのはどういうことか、また医療現場の様子については、正確にそして公平に発信していらっしゃる二人の方のブログをシェアさせていただきます。

救急のボランティアをされているトスカーナの知人・ちほさんのブログ

”命の選択”について説明されているボローニャのKEIKOさんのブログ


我が家の近所にも”Andra Tutto Beneきっとすべてうまくいく”の旗が掲げられていました。これを見たときに、ついウルッとなりました。そして同時に、この言葉に励まされている自分に気づきました。やっぱり気を張っているんだな、と自覚しました。

未曾有の緊急事態に必死で頑張っている医師、看護師、救急士の方々。彼らの凄まじい努力を前に、小さな声をあげたくなりました。彼らに心から感謝し、早くこの嵐が通り過ぎるのを祈る日々です。

ただでさえ長かったブログをさらに長くしたこと、お詫びします。お付き合い、ありがとうございました。

ミラノ
3月17日
小林もりみ

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(以下は3月15日に書いたブログです)

前回ミラノの状況について書いてから、ちょうど2週間が経ちます。
想像をはるかに超える感染者の増加。まだ先が見えてこない辛い試練がイタリア社会を襲っています。

イタリア感染者数 3月15日(日)
17時時点  保険省データ *( )は昨日からの増加数

現在感染者  20,603人(+3,590)
治癒者    2,335人(+ 369)
入院治療   9,663人 (+1,291)
集中治療室  1,672人(+ 154)
自宅隔離(無症状、軽症状)9,628人(+1,408)
犠牲者    1,809人(+368)
*ただしコロナ感染がありつつも持病で亡くなった場合も含む
検査数 124,899件
総感染者数(治癒者、死亡者含む) 24,747人

ここ1週間の動き

3月8日(日)
ロンバルディア州(州都ミラノ)ほか他州14県に首相令が出され、4月3日まで移動制限の措置。この夜から“私は家にいます” #iorestoacasa(= I stay home)のキャンペーン開始。

封鎖でなく移動制限となったが3月7日の夜に封鎖の噂が流れ、ミラノ中央駅には南に移動する人が殺到。結果、北から南へ感染の可能性を広げることに。

3月10日(火)
移動制限措置が、イタリア全土へ。移動する際には、決められたフォーマットに移動理由を記載して携帯。

3月12日(木)
食品と薬局、キオスクなどの生活必需品以外はクローズ決定。ただし運輸、製造業、農業などは基本的に営業。

1週間を振り返って

私が住むミラノ市に移動制限措置が取られてから、ほんの1週間前ですが日々刻々と状況が大きく変わるため、ずいぶんと前のことのように感じます。月曜日から私が住んでいる建物内のオフィスの窓もすべてクローズしたままです。みな自宅から働いているのでしょう。個人主義のイタリア人がこの措置をどう受け止めているか友人たちと話してみると、みな一様に納得していました。

そこには“人命が最優先”という前提が当たり前に社会にあることを感じます。

医師でも、看護婦でも、消防員でも、救急隊員でもない私たちができること。それは家にいて感染の可能性を断ち、一番の危険にさらされているお年寄りを守り、医師の仕事を増やさず、そして貴重な病院のベッドの1つを奪わない。家にいることが、国の危機に貢献できる唯一のことだと納得しているからです。

日々劇的に変わる状況の中にあって、いくつか心に残った言葉や事象を綴ってみます。

<コンテ首相の演説より>


“Rimaniamo distanti oggi per abbracciarci con più calore, per correre più veloci domani. Tutti insieme ce la faremo”.
“明日により熱く抱擁し合えるよう、より早く走れるよう、今日はお互いの距離を置こう。皆で力を合わせれば、必ず乗り越えられる。”

“Al primo posto c’è e ci sarà sempre la salute degli italiani. ”
“常に最優先されるべきは、イタリア国民の健康である”

” ci assumiamo noi la responsabilita’ della gestione e conduzione di questa battaglia”
“我々がこの(ウイルスとの)戦いの指揮の責任を負う”(国民ひとりひとりに規則を守ることで自分の社会的役目を果たすよう呼びかけるに際し)

“Mi assumo la responsabilità politica di questo momento, ce la faremo”,
“この時期の政治的責任は私が負う。我々はきっとこの苦難を乗り越えられる”

<テレビの解説より>

Senso di Communita’(社会の連帯感)
“不思議なことが起きている。ひとりひとりが家にいて社会と距離を置いているのにかかわらず、一方で社会と強くつながっている連帯感がある。”

<ニュースより>


Andra tutto bene! (大丈夫、きっとすべてうまくいく!)
“子どもたち、家にある古いシーツやTシャツに希望の象徴である虹とともに「大丈夫、きっと全部うまくいく!」を書いて窓に、ベランダに掲げよう。”


Siete i nostri eroi (あなたたちは我々の英雄)
イタリアのさまざまな病院の入口に、この言葉を書いた垂れ幕が掲げられている様子が映されていた。ある医師の言葉:

“近くのお菓子屋さん、パン屋さん、さまざまな人が病院に差し入れにやってきてくれる。そしてそこに「あなたたちは私たちの英雄です。本当にありがとう。」とメッセージが添えてある。寄付が添えられている場合もある。”

Aiutiamoci (助け合おう):
アパートに入り口に張り紙をしてお年寄りや困っている人を助ける現象があちこちで見られた。”お年寄りのみなさん。困っていることはありませんか?日々の買い物、薬の手配など、必要なことは手伝いし、ドアまでお持ちします。遠慮なく連絡ください。住人○○”

<Whats Appを通して>
友人から転送されたメッセージやビデオ。

ボイスメッセージ:ある医師から
友人がよく知る医師のメッセージが転送されてきました。
“私たちは家にも帰らずベストを尽くしているが、疲れ切ってきています。お願いですからみなさん、家にいることで私たちに協力してください。”。

Flash Mob La Musica
3月13日18時
” ベランダで音楽を奏でよう!”

Flash Mob L’applauso
3月14日12時
“窓からの長い拍手で、休みなく働く医療スタッフに御礼の気持ちを伝えよう”

イタリアを励ますビデオ:
何本からのビデオが友人たちから転送させれてきました。
同じビデオがあるものもあったので、リンクを貼ってみます。

政府製作Italy- the extraordinary common place

フィレンツェのCoop従業員が国家斉唱

 Ce la faremo(きっと乗り越えられる)

先週、中国から9人の医師・専門家チームが30トンの支援物資とともにローマに入り。武漢の最前線で経験を積んだエキスパートだそうで、力を貸してもらいたい、という期待が大きく報じられていました。

・・・・・

<嵐のような毎日の中で感じたこと>

感染者の数が日々膨れあがり、毎日たくさんの方々が亡くなっている。静まり返った街に救急車のサイレンが響く度(残念ながら1日に数回は)胸が押しつぶされそうになる。そんな中ひたすら家にいる日々ですから、いろいろと考えさせられます。いくつか感じたことを綴ってみます。

リーダーの人間力が勝負

中央がイタリア市民保護局のトップ・ボレッリ氏

こうした未曾有の危機に直面すると、いかに顔が見え、責任を自分のものに引き受けるリーダーが重要かを実感します。毎日18時に記者会見を行うイタリア市民保護局のトップであるボレッリ氏(今や国民の顔といえるのでは)も、日々記者から浴びせられる質問への返答が素晴らしく、人間力を大いに感じる人物です。常に落ち着いており、また温かい人柄が透けてみえてきます。

多分医療の現場でも、究極に難しい局面をひとりひとりの医師が看護婦やボランティアが、個人の底力を発揮しているのではないかと想像しています。

イタリア社会で時折触れる、こうした人間力はどこから来るのものか。いくつか要素を推測してみました。カトリック精神が社会の根底に流れていること、若い頃からボランティアを経験する人がとても多いこと、また高等教育の過程で哲学、文学、歴史など多方面に亘って徹底的に学ぶ人が多いこと、家族と過ごす時間が多いことなどなど、、。(もちろんそうでない人も、どこの社会と同じようにたくさんいますが!)

前向きな力

緊迫した状況が続く中、はじめて私がホロッときたのは、火曜日に”Andra tutto bene”の子どもたちの絵を次々と見た時。この言葉は平常時には使わないのですから、、。イタリアのような陽気な国でも、うつ病に苦しむ人々がいます。そうした人々の心の状態も慮ってスタートしたプロジェクトだと説明していました。

ひとりひとりが社会的責任を果たすこと

3月7日の夜、ミラノ封鎖の噂が流れてイタリア南部に何万人?という人が移動したといわれます。北のウイルスを他の地域に撒き散らし無責任すぎる!という声も多く上がりました。私のミラノの友人の中には“全員監獄に入れるべきだ!”まで言っている人も。ただ別の友人は、トスカーナに80代の母を一人残して必死に帰ったという知人を知っており、ひとりひとり事情はあると察せられもします。その後のひとりひとりの責任ある行動が、今後の感染のキーのひとつとも言えるでしょう。

この数日で北部以外のイタリアに犠牲者が増えていることは事実でもあり、感染が拡大した場合、州によっては医療システムがロンバルディア州ほどに効率的じゃないことが懸念されています。なんとか移動制限措置が効力を発揮するよう祈るばかりです。

3月8日に移動制限措置が取られて、まだ1週間。成果があらわれるにはまだあと1週間から2週間かかると言われています。まだ少し辛抱は続きそうです。

イタリア人の強さの根源=明るさ

暗い状況の中にあっても、イタリア人はイタリア人。多くの方がSNS等でご覧になったと思いますが、ベランダで歌うフラッシュモブ、医療スタッフに感謝の拍手のフラッシュモブなど。この医療スタッフへの感謝の拍手は私もぜひ参加しようと思いつつ、ローマの友人からの電話に話し込んでうっかり。電話越しにたくさんの拍手が響いてきました。

<ロンバルディア 時間との戦い>

イタリアの中でも一番大きな被害と戦っている、ロンバルディア州。昨日、ロンバルディア州保健局評議委員は、現状を”時間との戦い”と伝えていました。

ロンバルディア州感染者数 3月15日(日)
17時時点  保険省データ *( )は昨日からの増加数

現在感染者  10,043人 (+984)
治癒者    2,011人(+ 351)
入院治療   5,500人 (+602)
集中治療室  767人(+ 35)
自宅隔離(無症状、軽症状)3,776人(+347)
犠牲者    1,218人(+252)
*ただしコロナ感染がありつつも持病で亡くなった場合も含む
検査数 37,138件
総感染者数(治癒者、死亡者含む) 13,272人

ロンバルディア州だけで感染者が1万人。つまりイタリア全体の半数です。犠牲者にいたっては70%近くを占めています。

ロンバルディア州の集中治療室のベット数は800床弱。至急増やすべく呼吸補助器、医療従事者用マスクなどの医療用品を手配しているものの、他の国の手続きで止まったり、思うように手配が進まず、日々綱渡りのような状況ということでした。

これだけ急激に患者数が増えていても、民間病院や州内他病院、軍と連携してここまで乗り切っているロンバルディアの医療システム。本当にどれだけの方々の頑張りがあるか、目を見張るものがあります。まだ感染は増えると予測し、ミラノの展示会場の一部に600床のベッドを急遽準備する、と昨日発表がありました。軽症状者については、他の病院に移送する措置も徐々に取られています。

引退した医師、医師免許取得後まだ仕事に就いていない人、看護学校の卒業を控えた人たちも雇用する措置も急ピッチに進行中。

ミラノ展示会場の集中治療室設置について、ロンバルディア州知事が特別人事を今日発表しました。アクィラ地震やSARS,ごみ問題など、国の危機に陣頭指揮を執った功労者・現在70歳のベルトラーゾ氏にこのプロジェクトの責任者を依頼したそうです。ローマ出身のベルトラーゾ氏は外科医であり、またイタリア市民保護局にてボレッリ氏を育てた人物。大きな課題である呼吸補助器などの必要医療機器の手配がどう解決できるかにもよりますが、加速的に集中治療室が実現しそうで期待が持てます。

ロンバルディアの中で一番大きな被害を受けているベルガモ市では、この1週間で医師1名、神父6名、40代の救急ボランティアが亡くなりました。国連の人が少し前に言っていた“It’s not the number, It’s about the people”(死亡者数の多寡でなく、ひとりひとりがかけがえのない命)という言葉がなんどもよぎります。この数字の向こうに医療現場での命を守る格闘がどれだけあり、家族の悲しみがあるのか。

自らの感染危険がある中で、休みなく働き続ける医師や看護師。彼らは感染の危険から家に帰ることもできずにいます。ロンバルディア州の集中治療対応の必ベッド数を増やす必死の努力が続きます、時間と戦いながら。

<ピークはいつ来るのか?>

急激に増える一方の感染者数。いつ減少に向かうのか?
みなが祈るように見守っています。昨日、友人が興味深い記事をシェアしてくれました。

Il Sole 24という経済紙の記事です。

政府予測:
ピークは3月18日、予測感染者数92,000人。3-4%の致死率と過程した場合、予測死亡者数: 3000人超。


*Il Sole 24サイト記事より

今日3月15日、新たに増えた感染者数は3,500人ほど。10日の時点で予測されたと思われる上の表に呼応します。この予測が当たる場合、ピークまであと3日。それまでなんとかギリギリのロンバルディア州やエミリア州の医療の現場が持ちこたえられるように祈るばかりです。感染トータル数は今の4倍以上、犠牲者は倍までにはならないものの、あと1000人以上の予想、、。まだまだ終わらない、、、(涙)。それでももう少しの辛抱で一番悪いところは通りすぎて、終息に向かっていくんだ、という希望の光が見えてくるように思います。

最後に

毎日少しずつ日が長くなり、春の気配が増しています。この辛い日々が冬の入り口でなく、春に一歩ずつ近くこの時期でよかった!と心底思います。ウイルスが猛威を振るう中、不安がないといえば嘘になりますが、透明性があり、当たり前に人命第一のイタリア社会のあり方に安心感を覚えています。残念ながら、疫病が終息したら今度は長い長い経済不況が待っているでしょう。大変な時間は想像以上に長く続きそうですが、今回イタリアに流れている連帯感で1日も早く、すべてを乗り越えていけますように。広場でみなで大いに祝える日が遠くないことを願いながら。

Andra tutto bene!きっとすべてうまくいく!
この言葉が1日も早く本当になることを祈って。

2000年3月15日
ミラノにて
小林もりみ

ミラノ 試練の中で

ミラノからこんにちは。3月に入り、いつもであれば、春の足音に心躍る季節ですが、今のミラノはとても難しい状況に直面しています。

刻々と変わる状況

コロナウィルスで、ミラノ近郊の10市町村が封鎖になってから8日目を迎えます。とうとう感染者は昨日1,000人、今日は1,500人を超えました。

3月1日18時の時点で、イタリアの感染者は1,577名。半数以上の798名は症状がないか、ごく軽い症状であり在宅隔離、命を落とした方は34名、治癒した方は84名。集中治療室にいる方は140名。検査数は21,127件。

ミラノが首都のロンバルディア州の感染者数は984名。多くが現在封鎖中の地域(zone rosse)と説明がありました。亡くなった方は23名。

ロンバルディア州とヴェネト州、エミリア・ロマーニャとピエモンテ州の一部は3月8日まで続いて休校措置が取られることになりました。映画館、美術館などの文化的施設も閉館措置が伸びそうです。ミラノサローネも4月末の開催が6月へ延期されました。

RAI NEWS24という24時間ニュース番組を頻繁に追って状況を確認しています。これだけ感染者が増え、アメリカン空港がミラノ便を打ち切ったと聞くと、心も揺らぎますが、政府および行政の初動措置は迅速かつ適切あるもののように感じています。そして友人たちと話したり、街を見渡してみると今のところ冷静に受け止めているように感じています。

刻々と状況が変わっていく緊迫した状況の中で、私自身も比較的落ち着いていられる理由を考察してみました。

具体的な情報:

1.毎日数回定時に、防災庁のトップが疫病の専門家とともに会見を行い、検査数、感染者数、治癒数、入院者数などの情報を具体的に発信していること。

2.80%の感染者はインフルエンザより軽い症状であり、自宅で治癒すること。

3.コロナウィルスで亡くなった方々はすべて70~90代の高齢者であり、既に重い持病があった方々であると明確していること。

4.感染者数も増えているが、検査も相当数行っていること。

5.自らの入院経験や検査等で、イタリアの医療の現場には優秀な人が多数いることを実感していること。

社会の良識を感じたこと:

1. “国民の安全ために”

政府や州のトップの言うこの言葉が、真意であると感じたこと。2月25日火曜日にコンテ首相の記者会見の折、状況を自らよく把握して記者の相次ぐ質問に淀みなく答え、熱く力強く国民を安心させかつ励ます口調に思わず吸い込まれました。

もともと弁護士であり大学で教鞭を取っていたコンテ首相の経歴もあり、リーダーとしては頼りないと思っていたのですが、この日すっかり見直しました(失礼)。彼を支持するしないは今はさて置き、不安の中で励まされ、安心させられた自分に気づきました。

このような予測不能の事態で完璧な対応など誰であれ難しく、ましてやひとりひとりが自分の主張を強く持つイタリア人。過剰に措置して経済打撃を起こしたなどの非難に晒されてもいますが、内閣でも州のリーダーもそれぞれ政党を超えて国民の安全の確保をまず最優先事項として迅速に措置をとったのは素晴らしいと思います。

まだまだ感染数は増加すると予見されており、これから医療現場が、そして経済が正念場でもありますが。

2.“文明的で合理的な思考”の奨励

緊急事態となってから1週間、さまざまな人のインタビューやメッセージが聞こえてきましたが、こうした中に人の厚みや知性に触れることがしばしばありました。

一番の例は、

ミラノのヴォルタ高校の校長先生から生徒に向けてのメッセージ’(日本語要約)

要点だけでも日本語に訳したいと思っていたところ、素晴らしい翻訳で要点をまとめていらっしゃるシチリア在住・岩田さんのブログのリンクが送られてきたので、シェアさせていただきます。

引用:14世紀と17世紀のペスト流行時とは異なり、現代の私たちには確実で進歩し続ける医学があります。社会と人間性、私たちの最も貴重な資産であるこれらを守るために、文明的で合理的な思考をしましょう。もしそれができなければ、”ペスト”が勝利してしまうかもしれません。

イタリア語のオリジナルはこちらです。

ミラノの感染病専門医である病院長へのインタビューでは“重要なのは、ひとりひとりが感染を広げないように気をつけることであり、決して誰から感染したかを探ることではない。”と。

マタレッラ大統領の” La paura ci indebolisce. 恐怖心は我々を弱体化する”と言う言葉も印象的でした。

先週のスーパーの買い占めなどの写真を友人から送られて私も見ましたが、すべての地域がそうではありません。実際に多くこうしたケースがあったようですが、私が行動した範囲と時間帯では、通常とあまり差異を感じませんでした。

ミラノは、学校、文化施設、ジムやプールなどのスポーツ施設以外は、通常営業がほとんど。公共交通機関、スーパー、小売店、オフィスの多くが通常営業しています。大勢の客に接しながら働いている人はとくに不安の中で働いていると思うと、がんばれ!と思う連帯感が。早くこの事態が去るように願うばかりです。

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感染対策は第二フェーズへ。緊迫する医療現場と経済への打撃

医療現場

急激な感染数増加を受けて、医療現場は大変な緊張下にあるとのこと。医師や医療スタッフに感染者も出ているため、医師不足も深刻になりつつあるそうです。

民間医師からの支援打診があり、公立病院で医療現場にて働けるに制度を変更したと今日のニュースで伝えていました。またロンバルディア州の集中治療室は900床ほど。このまま増加すると、限界を超える危険があるため、ウイルス以外の入院患者を南の病院へ移す可能性も視野に入れていると。また軍の施設利用の可能性にも言及していました。なお、今日発表していた医療従事者は1800名。(ほか1000人のボランティアというのがこの1800人のうちに入るかどうかは聞き取れず、、、)

経済への打撃

今回ウイルスが襲ったロンバルディア州とヴェネト州は、2州だけでイタリアGNPの31%を占めています。ウイルスの終息に時間がかかれば、この2州だけでなくイタリア経済への打撃は計り知れず、緊迫感があります。

レストランはどこも閑古鳥、旅行業界もキャンセルの嵐。中華街は見渡す限りすべての店が閉まっていました。解雇や倒産をどれだけ避けることができるのか。経済対策も早急に迫られています。

下の写真は2月28日金曜日の大型食材店Eataly.人は少なかったものの、商品は生鮮食品も、パンやパスタなどの品も通常通り充実していました。食品もかなりの打撃だとは思いますが、他より影響が少ないかもしれません。


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私たちひとりひとりができること

ウイルス以上に恐ろしいと感じるのは、恐怖心から生まれる理不尽な敵視。すでに中国人に対する嫌がらせや暴力が報道されています。外見が同じである、我々日本人も気が抜けないことも確かです。

先日、救われたような想いをしました。中国の人への差別を耳にする中、私自身も外出の際に緊張がないといえば嘘になります。心細いような気持ちを抱えながら歩いていると、見知らぬイタリア人からすれ違いさまに“Boun Giorno!おはよう!”と声をかけられましたのです。その一言の効果の大きさは、自分自身で驚くほど。張り詰めていた気持ちが緩むだけでなく、嬉しさと幸せを意外なほど大きく感じたのです。不安の中でこうした小さな親切、少しの笑顔や、温かい言葉がこんなにも気持ちを引き上げてくれるものなのか。初めての経験でした。私も誰かを同じように励ませられる立場になれたら、次には。

ミラノからの状況を長々と書き連ねましたが、見えないウイルスの脅威に晒されているのは、感染数こそ違えど日本も同じ。どの業界もどれだけ大変なことか。そしてどこが終焉か予測できない。私の会社でも船の到着が予定より大幅に遅れており、たくさんのお客様にご迷惑をおかけしてしまっています。会社の仲間、家族、友人たち。心配でも、ただ遠くから無事を祈るしかありません。多分、日本サイドからみたミラノ、イタリアも同じだと思います。

ヴォルタ高校の校長先生の言葉“社会と人間性、私たちの最も貴重な資産であるこれらを守るために、文明的で合理的な思考を”

まず自分自身に、この言葉を染み込ませたい。

辛い時だからこそ、気づけることがあるのではないでしょうか。他者への思いやりの大切さ、日常の尊さ。そして人生において本当に大切なものの問いかけ。ミラノは交通量が激減して環境汚染が改善したと。ライフスタイルもここで見直す時かもしれない、などなど、、、今までの延長線上にものごとの未来を置くのを一旦見直す時なのかもしれない。こんなに家に篭ってテレビのニュースを追うのは2011年の震災以来だと気づきました。

ミラノに、日本に、世界に、1日も早く本当の春が訪れることを祈って。

2020年3月1日ミラノにて

小林もりみ

PS現在発売中の「イタリア好き ミラノ特集」、内容がとても充実しています。ミラノに住んでいる私でも知らないディープな情報満載。しかも登場する人々のストーリーが知れて楽しい。

先月愛する老舗ワインバー「Cantina Isolaカンティーナ・イゾラ」で葉山ピスカリアの出雲シェフからこの号を受け取り(感謝!)一緒に見ていたら、この号に彼らの友人が満載な様子をみて、スタッフ大興奮。“写真を撮らせて”、“なんでうちが載っていないんだ”、と大騒ぎ。この状況が終息次第、「イタリア好き ミラノ特集」とともにぜひミラノの経済を盛り上げに来てください!



リグーリア海岸沿いにある、小さなミラノ

バカンスの時期に入って、すっかり人影が少なくなり、がらんとした街のミラノです。

先週おやすみをいただいて、リグーリア州の海岸沿いの街・ピエトラリグレにあるミラノ市が運営する”Casa Vacanza 休暇の家”に1週間滞在していました。この施設はミラノ市の小学生を対象とした、いくつかある休暇の家のひとつで自然学校などの目的で、年間を通して多くのミラノの子どもたちが利用しています。

「ミラノ市 休暇の家」https://progettoestatevacanza.it/

20人の大部屋が10部屋以上。地上階はラボや図書館、子どもディスコまで。

庭にはオリーブの樹(もちろんタジャスカ種)がたくさん植えられています。

 最上階からの眺め。

休暇の家の入口、オフィスや看護室。

200人の子どもが宿泊できるようになっている施設には、大勢のスタッフの方が勤務しています。その方々は、リグーリアに暮らそうとも、ミラノ市の職員。オフィスの連絡先はリグーリアにあろうとも、ミラノの市外局番02のまま。車もComune di Milano(ミラノ市)とロゴが入っていて、リグーリアの中のプチミラノのようです。

なぜこちらにお世話になったかというと、友人たちと運営しているNPO団体”Orto dei Sogni オルト・デイ・ソーニ(夢を育む小さな畑)”の1ヶ月のプロジェクトにおける、最初の1週間のボランティアとして滞在させていただきました。

「オルト・デイ・ソーニ」http://www.ortodeisogni.org


オルト・デイ・ソーニは、イタリアにて福島のこどもたちの1ヶ月の保養を行っており、今年で8年目となります。
今まで通算132人の子どもがイタリアにやってきました。保養とは、放射能の危険がない環境で1ヶ月過ごすことで身体を一度リセットすることです。実際に、参加した子どもの体内のセシウム値はゼロになる子も過去に何人かおり、毎年の平均値では体内の放射線量は約半分に減少しています。(ミラノ大学物理学部の協力で、尿検査の結果)保養の効果としては、身体も心も強くなり、その効果は戻っても1年間続くという研究結果もでています。異文化=様々な価値観の社会の存在を知ることは、彼らの夢見る力を大きくし、ワクワクは身体をより逞しくすると実感しています。 海風と砂浜はデトックス効果が高いので、できるだけ毎日海へ。

最初の5年間はサルデーニア島のマルッビゥ市の協力により、利用していない市の施設などを借りて、ベッドや洗濯機など何から何まで持ち込んで手作りキャンプをしていました。医療検査もカリアリ大学病院のフルサポートで行うことができました。ただ人力も相当必要で、毎年苦労していました。3年前からはミラノ市のこの休暇の家にミラノの子ども達と同じ条件で、受け入れてもらえることにとなりました。

20人の福島の子どもが100人以上のミラノの子どもたちと1ヶ月の生活を供にします。毎日目の前にある海に行き、ドッジボールやカード遊びをして、余暇を満喫しています。デジタルは禁止で自然にたっぷり触れて過ごします。

ドッジボールは暑くない時間帯に遊びます。

折り紙、書道などの国際交流ラボも行います。

ミラノに話を戻しますと、こうした休暇の家を運営できる財力を持っている市町村は、イタリア中でミラノだけだそうです。数年前までは北イタリアの工業都市トリノ市も近くに施設を持っていたそうですが、売却されてしまったとのこと。

多数の施設運営スタッフ、アニマトーレと言われる子どもを担当する教育者(彼らはミラノ市スタッフではなく、ミラノ市と契約している教育者組合から派遣されます)、24時間交代で常駐する看護婦の方々、毎日のお掃除にランドリースタッフ、と相当なコストがかかってもこの施設がフルに稼働しているのは、ミラノ市の考え方「すべての子どもたちにバカンスを享受する権利がある」にに拠るものです。

夏休みの間、ミラノの子どもたちは2週間が滞在単位。ミラノからのバス、滞在中の食事代、宿泊費、アクティビティなど含め、滞在費は日本円で2万円ほど。親の収入が少ない場合には、さらに参加費が安くなるようです。当然、市がかなり負担していることが伺えます。

イタリア人の子どもの夏休みは3ヶ月。経済的に余裕がある人たちは、こうしたコローニャと言われる施設には子どもを預けることはあまりないようで、参加する子どもたちは親にバカンスに連れていってもらえないケースが多いよう。ミラノ市はイタリアの中でも移民の比率も高いですから、今年は半分近くが移民の子どもたちでした。

障害のある子どもたちも休暇の家に受け入れていることに感動しました。ただし、アニマトーレがその子どもに専属でひとり、場合によっては二人つくことで、健常者と同じように2週間過ごすのです。イタリアの公立学校では、インクルーシブ教育と言ってダウン症の子どもであろうと、身体的に障害を追っている子どもであろうと、健常者の子どもと一緒に授業を行います。日本の学業に偏った教育だったら、同じクラスの親から批判がでそうですが、イタリアのこの垣根を作らない政策は、人間として成長する上で素晴らしいと思います。行政としては負担が大きいと思いますが、当たり前にできていること、感動します。

休暇の家のスタッフの方々が、毎年歓迎のポスターを作って待っていてくださいます。

食事にもミラノ市の考え方が反映されています。朝のヨーグルトやミルク、ランチに使うオリーブオイルなどの食材は、基本的にすべてBIO (オーガニック)!食が心と身体を作るという精神が浸透してないと、高い食材を選択することはできないでしょう。

この休暇の家を知ることでミラノ市、そしてイタリアにがまた好きになりました。ただ市の政策は、そのときの市政の政治色が色濃く反映されます。現在のミラノ市長ジュゼッペ・サラ氏は中道左派。イタリア中が右側に傾き始めている今も、「ミラノは人道的なあり方を、1ミリも変えるつもりはない」と宣言し、右派ポピュリズムの現政府の政策を鋭く批判しています。

ミラノ市市長の任期は5年。サラ氏は2021年まではミラノ市政を司ります。2011年の選挙で中道右派から中道左派に市政が変わったときに、市のスタッフも大きく入れ替わったと聞きました。2016年の選挙も僅差で中道右派に勝利したサラ氏。はたして再選になるか。休暇の家が、どうかずっと健在でありますように。

今年の夏は、休暇の家に再びお世話になります。オルト・デイ・ソーニの保養が終了する8月中旬の週末に施設の方々にご挨拶し、子どもたちとマルペンサ空港に向かいます。毎年1ヶ月をイタリアで過ごした子どもたちは、日焼けして外見も、そして何よりも精神も随分たくましくなって福島に帰っていきます。異文化の中で集団生活を1ヶ月も乗り切るのですから、その体験は彼らの今後に大きな影響を及ぼすこと、過去7年間でたくさんの事例を見てきました。

1ヶ月子どもたちと滞在してボランティアをしてくださるのは、ヴェネツィアの名門カ・フォスカリ大学の日本語学科の生徒さんたち。日本とイタリアの架け橋が、少しずつ太くなればと祈っています。


1ヶ月を子どもたちと過ごしてくれる、今年の若手ボランティアのみなさんと。私の担当最終日に子どもたちがサプライズで歌をプレゼントしてくれました。

FBでも保養の様子をご覧いただけます。ぜひ、ご覧ください!https://www.facebook.com/ortodeisogni.org/

そして賛助会員になっていただくことでご支援いただけたら幸いです!

長い文章、お付き合い有難うございました。

*前回のブログで言及いたしました、ミラノで行われる週末イベントをアップできておりませんでした。街中で450ものコンサートがほぼ無料で行われる”Piano City ピアノシティ”と、歴史的建造物の邸宅が一般に無料で解放される” Cortili Apertiコルティーリ・アペルティ”が同時に開催されていました。遅れて失礼いたしました!

 

ミラネーゼが待ちわびていた週末

雨が降ったり止んだり。天気には恵まれませんでしたが、今週末はミラネーゼが楽しみにしているイベントが目白押しでした。

そのまず第一弾が、 ORTICOLAオルティコラ。

“Scuire milanesi シューレ・ミラネージ”(ミラノ方言でマダムの意)たちが年に一度開催するイベントで、毎年ポルタ・ベネツィア近くの公園で行われます。

庭やテラスを飾るための草花、それに関するおしゃれなグッズを販売するテントが軒を連ねます。入場料を支払って入らなくてはいけないのですが、美しい花々を眺めながら歩くだけで、とても幸せな気持ちになるイベントです。



ワークショップ用のテントも準備されていたり、ジェラート屋さんや、コーヒーを飲めるテントがでていたり、鳥小屋や庭用の家具を専門に扱うテントがあったり、見ているだけでうっとり。天気に恵まれずとも、結構な人出がありました。





下はフェルトで作った、野菜のブローチ等のアクセサリー屋さん。とっても可愛らしかったです。







4月にはミラノ・サローネがあり、デザイン関係の方々や建築関係の方々が世界中から来て街が賑わいましたが、実際にミラノに住んでいる人々には、あまり関係はありません。もちろん興味深いイベントはあちこちでFuori Salone(フオリ・サローネ=メイン会場以外の街中で行われているイベント)として開催されて楽しいことは楽しいものですが。

ミラノの人たちに向けたイベントとしてはこのオルティコラとほ他にも素敵なイベントが重なった週末となりました。続きはまた次回ご紹介させてください!

ミラノ 運河沿いのアンティークマーケット



毎月待ち遠しい、最終日曜日。それは、ミラノの南部ナヴィリオ運河沿いに骨董市が立つ日。田舎などで行われる、プロ向けのmercato antiquarioアンティークマーケットとは違い、一般向けのこの市は、のんびりと8時過ぎから準備が始まり、9時過ぎになってフルラインアップ、という感じでゆったりとした雰囲気が散歩にも楽しいメルカート(市場)。


最近はなぜか大変な混み方で、出遅れて午後に出かけたりすると、歩くのも困難なほど。私が通い始めて7,8年になると思うのですが、面白いな、と思うのは最近の露天の傾向が変わったこと。市場原理のようなものがこうした市場にもしっかり働いていて、急増中の中国人観光客をターゲットにした、中国風の古物や、翡翠を使ったジュエリー、ブランドのヴィンテージのお洋服などの取り扱いが随分と増えたように感じます。



美術品、ファッション関連の出店も多いですが、変わったところでは、カメラ専門の屋台や、ある時代を専門にしたデザイナー家具、アフリカや中東の古物、アンティークリネンや、銅の古道具など、扱われるものは、ほんとうに多種多様。それが無尽蔵に運河沿いにずらりと300店も出店しているのです。

露天が毎回店を構える場所はほぼ決まっていて、必ずチェックする場所が5つほどあります。どれも、台所の古道具ばかりなのですが。

ごくシンプルな白いオーバルの大皿。使いこまれた感じに風情があり、どのくらい長い間、どんな食卓で使われたんだろう?と想像したくなります。好きなので、たまに出会うとつい買ってしまい、結果何枚も似たようなものを持っている始末。どれも使い勝手がよいので、愛用しています。でももうやめなくちゃ(笑)。

ボコボコにちょっとゆがんだ、間が抜けたようなオタマ。これも手作り感、世界にひとつだけ感が楽しくて愛用中。いくつあってもまだ欲しくなってしまうのが、古いバスケット。そろそろ狭い我が家も限界になってきたので、自制中ですが、それでも目に止まり欲しくなってしまいます。アンティークリネンがひたすら欲しくなるのも、病気のひとつ。キッチンタオルだけでなく、テーブルクロスや、ベッドリネンも気にいるとつい買ってしまい、、、日常的に愛用していますが、それでももうやめないと。たらん、とするほど使い込んだ真っ白な麻に赤い糸で家族のイニシャルが施された刺繍や、愛らしい柄が丁寧に施されているのを見ると、どうしてもクラッとしてしまうのです。

欲しくなるものはどれも手軽な価格のものばかりですが、狭い我が家ゆえ場所的にも買えるものは限られているので、真剣(笑)。もう今日こそは買うのをやめようと思っても、骨董との出会いはまさに一期一会、胸がときめきます。それらの品の存在を通して100年前、200年前の暮らしが浮かびあがってくるようで、特別な楽しさがあります。また丁寧に使われたものを、受け継ぐ喜び、というか。一つひとつに手の温もりを感じられる品、いまはありえないような時間をかけて丁寧に仕上げられた品。時を経ることで磨かれいく”用の美”。それにどうしても心惹かれ、今日もやっぱりやめられない、、に。



下の写真は、スイスに近い村から出店している方の露天。背負えるようになっている縦長のミルク運びの木の桶ふたつ。その間にある、使い込まれてツルツルになった大きな針のようなもの2つ(お皿の右斜め上)は、山のような干草を馬に乗せて固定する際に、ロープで縛り付けるためのものだそう。


持ち合わせが足りなくて(幸い)買えなかった、下の写真の中央に見える、テニスラケットのような形の二つの木の品。モダンアートのオブジェか、はたまたアフリカの飾り物のように見ますが、正体はなんと昔これで洗濯物をバンバンとたたいていたもの。右側の少し頭でっかちの方は、洗濯だけでなく、毛物でフェルトを作っていた、と露天主さんが説明してくれました。



上の写真は、バターの型抜きに、パン切りトレイ。ツルツルになるまで使いこまれた木の美しさ。時間と人の手が作り上げていく美しさ。足を運ぶたびに新しい出会いがあり、そして質問するたびにまた学びがあり。

私の骨董市通いは、まだまだ続きそうです。

ナヴィリオは下町だった場所。かつて住人が洗濯をした場所(写真下)も残っています。宮崎駿監督の「Porto Rosso 紅の豚」の舞台でもあります。人が多過ぎなければ、気持ちよくランチやアペリティーボにもいい場所です。



ミラノにいらっしゃる際、最終日曜日でしたらぜひ訪ねてみてください。

地下鉄駅:ミラノ地下鉄 Porta Genova駅からすぐ。

開催日はこちらでチェックください。http://www.navigliogrande.mi.it/eventi/

月の最終日曜日、午前9時から18時ぐらいまで。

ミラノ料理 Al’ Less

みなさま、明けましておめでとうございます。毎年恒例、年末年始のミラノのライティングも、そろそろ終わりを迎える頃となりました。

(左下)ミラノの南・ナビリオ運河のライティング(右下)ミラノの北・ガエ・アウレンティ広場のクリスマスツリー




(上)ソルフェリーノ通りのライティング

年末年始はガラン、としていたミラノもやっと通常の顔が戻ってきました。ミラノの80%はプーリア人、というジョークをよく聞きますが、クリスマスは故郷に帰る人が多く、また山の家や海外旅行に行く人も多く、街はいたって静か。最近、急に観光客で賑わうようになったドゥオモなどの街の中心部はまた別ですが。

今年の大晦日は友人の家で、お決まりの年越しの一皿”Cotechinoコテキーノ”と”Lenticheレンティーケ(レンズ豆)”をいただいた後、新しい年が訪れると同時にミラノ中で鳴り響く花火の音を聞きながら、みなでスプマンテで乾杯をしました。

年越しの縁起もの料理コテキーノは、豚の皮やパンチェッタを豚肉に混ぜて作った太めのサラミで、火を通していただくもの。食感は、極めてこってり。イタリアの北部フリウリ・ヴェネツィア・ジュリアで生まれたと言われていますが、いかにも北のお料理ですね。

コテキーノと並んで大晦日から新年にかけていただくのが、”Zamponeザンポーネ”。モデナ生まれの豚足で、コテキーノと同じ中身を詰めたもの。一緒にお皿に盛るレンズ豆は、古代ローマの時代から金貨を象徴し、豚足がお金をかき集めるという一皿で、新年に開運を、という訳です。日本の熊手と同じですね。

さてこの休暇中、ミラノに里帰りしている友人を囲み、初めて訪れるミラノ料理屋「Al’ Lessエル・レス」で集うことに。”Al’ Less”とはミラノ方言で、”Lessoレッソ=茹で肉” の意味。メニューを開くと、その名のとおりミラノ料理が充実。ワインやプリモ(パスタ料理)にはピエモンテのものも。



ミラノ料理といえば、”Cotoletta Milanese コトレッタ・ミラネーゼ”(オイルでなく、バターで揚げるってご存知でした?)が有名ですが、この季節は”Cassoeulaカッスーラ”という豚の煮込み料理も名物。これにも豚の皮が入り、そしてちりめんキャベツがたっぷり。その昔、11月から12月に豚を屠殺した際に、最後の最後まで無駄なく使い切る知恵だったのでしょうね。そして安い部位を他の安価な素材と組み合わせて、どうやって美味しくいただくかを考えて考えてきっと生まれ、そして伝えられた伝統なのでしょう。

今回はこのカッスーラはちょっと重すぎるということで、お店の名前を冠したレッソと、”Risotto Milaneseミラノ風リゾット”と” Osso Buco オッソブーコ”を皆でチョイス、分け合って堪能しました。



さてミラノ方言。文字で見るとイタリア語とフランス語の間のようなところにある言語のような気がしますが、耳にすると発音も言葉も独特すぎて、さっぱりわからないのです。スペイン、オーストリア、フランスなど様々な文化の支配下を生きてきた都市・ミラノ。その歴史が育んだ言葉ですから、当然でしょうが、それにしてもチンプンカンプン。

同世代のミラノ出身の友人から聞いた話。彼のおじいさんはBIANCHIビアンキという自転車工場で工員をしていて、ミラノ語しか話せないそう。つまりイタリア語が話せない、ということ。ほんの三世代前に遡れば、イタリア語は大学に行くような人たちが話す言葉だったそうで、、。ミラノ事情、まだまだ知らないことがたくさんあるなあ、と実感したのでした。

さて、ふと思いついて、LessoレッソとBollitoボッリートは、何が違うのかしらん、とネットで検索してみたところ、お湯が湧いてからお肉を入れたのがボッリートで、レッソは水からお肉を茹でる、と書いてありました。本当??今や区別せずに一緒に使っているような気がしますが、、。エミリアやヴェネトの人にぜひ機会があれば、ぜひ聞いてみたいと思います。

”Al Less”、私のような昔ながらのトラットリア好きには最高でした。お料理も丁寧に作られていて美味しかったし、お値段も手頃。レトロな雰囲気で、居心地がよい店でした。こういう昔ながらのトラットリアがミラノから激減している中、貴重な一軒を見つけた気分。ぜひ機会があればお試しください!

「AL’ LESS アル・レス」http://www.alless.it/

Viale Lombardia, 28 – 20131 Milano
Tel. 02.70635097

ミラノ Citta’ da Vivere

ミラノからこんにちは。小林もりみと申します。丁寧に作られた食材をイタリアから日本にお届けすることを仕事にしています。

2000年にカーサ・モリミという会社を設立し、2009年体調を崩したことをきっかけに、東京からイタリアに拠点を移しました。早いものでそろそろ10年が経とうとしています。

10年近く経ってみて、最近やっとミラノという街に愛着を感じるようになりました。その前はミラノに対し、”便利だけれども、本当にここで良いのだろうか?”という気持ちが常にありました。

トスカーナの美しい景色が広がっている訳でもなく、シチリアの真っ青な海が見えるわけでもなく、グレーな空に、素っ気ない街並み。それが、ミラノという街の私の印象でした。

同じロンバルディア州のガルダ湖で生まれ育ち、ミラノに30年ほど住んでいる友人に、ミラノに何年住んでも、どうも自分の街と感じられないと話したところ、それは当たり前、というのが彼の意見。

「ベニスやフィレンツェ、ローマはCitta’ da Amare(愛すべき街)。一方ミラノは、Citta’ da Vivere(暮らす街)なんだから」と。

なるほど。確かに皆が”Funziona(フンツィオーナ=機能する)する”という街がミラノ。それでも東京暮らしに慣れた私には、当初いちいち全てが”Non Funziona(ノン・フンツィオーナ=機能しない)”に感じ、無駄にイライラすることも少なくありませんでした。まさに無駄なのです、何も変わらないのですから。

暮らし始める引越の際、うまくいかないあれこれを毎日友人たちに嘆き、皆も一応聞いてくれるものの、「何も変わらないんだから、もりみが変わるしかないよ。」「毎日ZENの修行のようね」と言われたものです。いま振り返ると、私も東京のリズムのままで、忙しい病、すべてがうまくいって当たり前病にかかっていたのでしょう。さすがに10年もイタリアにいれば、今は随分気も長くなりました。結局、Tutto e’ relativoすべて相対的ですよね。

ミラノの古い建築物の門を押し開け、一歩中へ踏み込むと、外側からは想像できないほど、美しくエレガントな中庭が隠れていたりします。ミラノでは、人も同じと感じることもしばしば。付き合い始める時には、とっつきにくい?と思うことがあっても、じわじわと少しずつ距離が近くなり、頻繁に気にかけてくれ、その人の優しさや魅力が時間とともに外に溢れ出します。じっくり長く付き合うと、なかなか味わいのある街なのです。

一人での異国ぐらしですが、おかげさまで、家族と言えるほど定期的に会う親しい友人たちに恵まれ、東京で暮らしていたときよりも寂しくないほどです。東京は大きいですし、皆忙しいですし、親しい友人たちも突然思いついて会ったり、ということは滅多にできませんでした。一方、ミラノ暮らしでは突然が当たり前。電話が鳴り、「今どこ?うちでご飯しない?」というパターンが割と多く、ありがたいことです。少し顔を合わせないと「随分連絡取ってないよね、Tutto bene?Aperitivo?どうしてる?大丈夫?アペリティーボでもどう?」の電話も、やっぱり嬉しいもの。

人口150万人、周辺地域を入れても300万人の小規模都市ですから、徒歩や自転車ででも自分の行動圏はほぼ移動できますし、この小ささが東京とは違う、暮らし方や人の付き合い方を可能にしているのでしょう。

9年も暮らせば、”住めば都”。初めのうちの「仕事にはここが便利だからしょうがないか」の印象が、今は私にとってのCitta’ da Amare愛すべき街となりました。これから、ミラノの食の情報や暮らしぶりを、みなさまにお届けしてまいりたいと思っています。

どうぞよろしくお願いいたします。

ミラノ在小林もりみ