パスタは、イタリアを代表する食材の中でも最も親しまれているものの1つだろう。
イタリアのパスタの消費量は世界で一番多く(※)、一人当たり年間23kgも消費している。
※情報ソース:2019年 Unione Italiana Food (旧Aidepi)
そんなパスタ消費大国においてもはや食卓に欠かせない食材であるがゆえに、このメーカーのものが美味しい、あるいは自分はこっちのほうが好きだといった個人の好みやこだわりが出やすい食材でもある。
その中でもとりわけ有名なパスタの名産地は「グラニャーノ」だ。
今月から2回に分けて、このグラニャーノの地で作られているパスタについてご紹介したいと思う。
ナポリから南に車を30分ほど走らせると、今から2000年近く前にヴェスヴィオ山の噴火により溶岩に飲み込まれてしまった町、ポンペイがある。
そこから南にあるモンティ・ラッターリと呼ばれる青々と連なる山に向かってもう10分ほど進むと、パスタ生産者がひしめき合うグラニャーノの町に到着する。
「パスタ・ディ・グラニャーノI.G.P.*」は、このグラニャーノの町で作られる名産品だ。
「グラニャーノでのパスタ作りそのものの歴史は16世紀にまでさかのぼるんだ。」
そう語るのはディ・マルティーノ社の3代目の社長であり、2019年までパスタ・ディ・グラニャーノ協会の会長を務めていた、ジュゼッペ・ディ・マルティーノさんだ。
恰幅が良く、南イタリア人らしいはっきりした顔立ちと人懐っこい笑顔が印象的だが、話をするときは論理的で理知的な一面を見せる。
「グラニャーノの町にはパスタ職人通り(ヴィア・デイ・パスターイ)という道があって、今のように大きなパスタ乾燥機がなかった頃は練って延ばしたばかりの生パスタを通りに沿って干していたんだよ。
海まではわずか4kmほどで、海とモンティ・ラッターリの山々の間を行き交う風は、南イタリアの強い日差しの力を借りてパスタを乾かしてゆく。その素晴らしい味わいと小麦の風味は人々の心と舌を魅了し、1845年にはナポリの王(当時はシチリアと合わせて両シチリア王国)であったフェルディナンド2世が、宮廷にグラニャーノのパスタを調達するよう命じるにまで至ったんだ。」
「その後も快進撃は止まらず、イタリア各地からの注文がひっきりなしに届き、ついには輸出港を有するナポリとグラニャーノを結ぶ鉄道を作ってしまうほどだった。その頃祖父(ディ・マルティーノ社の創業者)は1850年から続くパスタ生産者でパスタ職人として死に物狂いで働いていたそうだが、跡継ぎがいなくなった社長に能力を見込まれた祖父は1912年にその会社を買い取ることになったんだ。すでに定評があったこともあり、わずか3年後にはイタリアのパスタとして初めてパナマ運河を渡ってアメリカに輸出されたんだよ!」
ここまで目を輝かせてひとしきり語ったジュゼッペさんだったが、ふと表情が曇った。
「ただ、二度の世界大戦はグラニャーノのパスタ生産に大きな打撃を与えた。戦後は北イタリアに大きな生産者たちが生まれ、我々のような小麦の香りをしっかり残すために低温でゆっくり乾燥させる手法ではなく、高温での短時間乾燥というより大量生産に向いた製品に市場を奪われていってしまったんだ。こんなに悔しくて残念なことはなかったよ。でもそんな中、グラニャネージ(グラニャーノの人)にとってはこの上なく喜ばしい朗報が届いた。2013年に我々の誇りであるグラニャーノのパスタがついにI.G.P.に認定されたんだ!」
それまでの翳った表情が一転して太陽のような笑顔に変わった。
代々家業を継ぎ、2003年に発足したパスタ・ディ・グラニャーノ協会の会長も長い間歴任したジュゼッペさんにとって歴史や伝統を守り続けてきたことが報われたことを意味するこの認定の知らせは、非常に大きな喜びであっただろう。
ディ・マルティーノ社のこだわり、ドルチェ&ガッバーナとのコラボレーションパッケージなどについては、後編で詳しく説明したい。
* I.G.P.(Indicazione Geografica Protetta =地理表示保護)は特定地域で栽培・飼育・収穫された農産物が加工を経て製品となる際に、少なくとも一つの工程がその特定地域で行われたことを示しています。
モンテ物産
http://www.montebussan.co.jp/
▼ディ・マルティーノ社について詳しくはこちらから↓↓▼
https://www.montebussan.co.jp/foods/dimartino.html
イタリアのパスタの消費量は世界で一番多く(※)、一人当たり年間23kgも消費している。
※情報ソース:2019年 Unione Italiana Food (旧Aidepi)
そんなパスタ消費大国においてもはや食卓に欠かせない食材であるがゆえに、このメーカーのものが美味しい、あるいは自分はこっちのほうが好きだといった個人の好みやこだわりが出やすい食材でもある。
その中でもとりわけ有名なパスタの名産地は「グラニャーノ」だ。
今月から2回に分けて、このグラニャーノの地で作られているパスタについてご紹介したいと思う。
ナポリから南に車を30分ほど走らせると、今から2000年近く前にヴェスヴィオ山の噴火により溶岩に飲み込まれてしまった町、ポンペイがある。
そこから南にあるモンティ・ラッターリと呼ばれる青々と連なる山に向かってもう10分ほど進むと、パスタ生産者がひしめき合うグラニャーノの町に到着する。
「パスタ・ディ・グラニャーノI.G.P.*」は、このグラニャーノの町で作られる名産品だ。
「グラニャーノでのパスタ作りそのものの歴史は16世紀にまでさかのぼるんだ。」
そう語るのはディ・マルティーノ社の3代目の社長であり、2019年までパスタ・ディ・グラニャーノ協会の会長を務めていた、ジュゼッペ・ディ・マルティーノさんだ。
恰幅が良く、南イタリア人らしいはっきりした顔立ちと人懐っこい笑顔が印象的だが、話をするときは論理的で理知的な一面を見せる。
「グラニャーノの町にはパスタ職人通り(ヴィア・デイ・パスターイ)という道があって、今のように大きなパスタ乾燥機がなかった頃は練って延ばしたばかりの生パスタを通りに沿って干していたんだよ。
海まではわずか4kmほどで、海とモンティ・ラッターリの山々の間を行き交う風は、南イタリアの強い日差しの力を借りてパスタを乾かしてゆく。その素晴らしい味わいと小麦の風味は人々の心と舌を魅了し、1845年にはナポリの王(当時はシチリアと合わせて両シチリア王国)であったフェルディナンド2世が、宮廷にグラニャーノのパスタを調達するよう命じるにまで至ったんだ。」
「その後も快進撃は止まらず、イタリア各地からの注文がひっきりなしに届き、ついには輸出港を有するナポリとグラニャーノを結ぶ鉄道を作ってしまうほどだった。その頃祖父(ディ・マルティーノ社の創業者)は1850年から続くパスタ生産者でパスタ職人として死に物狂いで働いていたそうだが、跡継ぎがいなくなった社長に能力を見込まれた祖父は1912年にその会社を買い取ることになったんだ。すでに定評があったこともあり、わずか3年後にはイタリアのパスタとして初めてパナマ運河を渡ってアメリカに輸出されたんだよ!」
ここまで目を輝かせてひとしきり語ったジュゼッペさんだったが、ふと表情が曇った。
「ただ、二度の世界大戦はグラニャーノのパスタ生産に大きな打撃を与えた。戦後は北イタリアに大きな生産者たちが生まれ、我々のような小麦の香りをしっかり残すために低温でゆっくり乾燥させる手法ではなく、高温での短時間乾燥というより大量生産に向いた製品に市場を奪われていってしまったんだ。こんなに悔しくて残念なことはなかったよ。でもそんな中、グラニャネージ(グラニャーノの人)にとってはこの上なく喜ばしい朗報が届いた。2013年に我々の誇りであるグラニャーノのパスタがついにI.G.P.に認定されたんだ!」
それまでの翳った表情が一転して太陽のような笑顔に変わった。
代々家業を継ぎ、2003年に発足したパスタ・ディ・グラニャーノ協会の会長も長い間歴任したジュゼッペさんにとって歴史や伝統を守り続けてきたことが報われたことを意味するこの認定の知らせは、非常に大きな喜びであっただろう。
ディ・マルティーノ社のこだわり、ドルチェ&ガッバーナとのコラボレーションパッケージなどについては、後編で詳しく説明したい。
* I.G.P.(Indicazione Geografica Protetta =地理表示保護)は特定地域で栽培・飼育・収穫された農産物が加工を経て製品となる際に、少なくとも一つの工程がその特定地域で行われたことを示しています。
http://www.montebussan.co.jp/
▼ディ・マルティーノ社について詳しくはこちらから↓↓▼
https://www.montebussan.co.jp/foods/dimartino.html