マリザおばあさんのブルネッロ
今回は、トスカーナ州モンタルチーノでたった一人でワイナリーを営む86歳のおばあさん、マリザさんをご紹介します。
モンタルチーノ中心街の北側の城壁を抜けてしばらく坂を下ると、地元銘柄ブルネッロ・ディ・モンタルチーノのワイナリーの案内看板が見えてきます。
右には『イル・パラディーゾ・ディ・マンフレーディ』、左に『イル・マッロネート』と小さな造り手でありながら日本のイタリアワイン愛好家にもその名が知れたワイナリーたちが。
さらに森の小道を下り、奥まで進んでいくと小さな一軒家がありました。
『モリナーリ・カルロ ポデーレ・レ・フォンティ』
知られざるブルネッロ生産者の一社で、マリザさんのご自宅兼ワイン醸造所です。
畑は目の前にある1ヘクタールにも満たない畑のみ。
マリザさんは、現在この家に一人で暮らしながら畑管理とワイン造りをごく少数のオペレーターと一緒に行っています。
マリザさんは北部ロンバルディア州の出身。20歳の頃にトスカーナの海で知り合った同じロンバルディア州出身のカルロさんと結婚、同州ヴァレーゼで長く暮らしたのち1971年にトスカーナ州へと越してきました。モンタルチーノにその後家を建て、カルロさんのワインへの情熱から1980年にブドウの苗(ブルネッロ種)を一緒に植えました。
1993年がマリザさんたちにとってブルネッロ・ディ・モンタルチーノの初ヴィンテージ。
そのブルネッロ・ディ・モンタルチーノが5年の熟成を経て、ようやく完成した1998年にカルロさんは病に倒れ帰らぬ人になりました。
彼らの一人娘であるエレナさんはサルデーニャ州の家に嫁いでいることもあり、マリザさんは彼と愛したワインを一人で守り抜くことを決意。長年の夢を実現したカルロさんの意思を引継いで今も一人でワイン作りを行っています。
畑を守らなければならないマリザさんにとってブドウを食べてしまう猪たちはまさに天敵です。
そんな中、偶然このエリアに人間のハンターが猪の狩りに来ました。食用にするためで時期によって狩猟解禁となるのです。
しかしマリザさんはその危険を猪たちに知らせ、その場から逃がしてあげたそうです。
いつもは憎い猪たちでも、もしいなくなったらと思うと寂しかったのかもしれませんね。
実際、その後2回目の小さな追突事故がありましたが、シートベルトをしていなかったおかげでケガがなかったと言い放つ始末。地元のおまわりさんも苦笑いです。くれぐれも運転には気を付けてくださいね。
ある時、訪問後帰り際にマリザさんから1本ワインをプレゼントされました。彼らのブルネッロ・ディ・モンタルチーノでヴィンテージは『2002年』。
2002年というのは、業界では言わずもがな、非常に雨が多かった年でイタリアでは不作とされるヴィンテージです。
バッドヴィンテージのワインを渡す際に一言、『飲んでみな』と言われました。
後日ボトルを開けてみると、驚くことに極めて完成度の高いワインがそこにはありました。ハッキリした力強い輪郭と凝縮感。ゆるやかでまとまりのある果実味と、こなれたタンニンで芳醇なワイン。嫌味のない不作の年とは想像ができないようなブルネッロでした。
一般的には評価が低かったとしても試してみなければわからない。はなから決めつけてしまう先入観を持ってしまうのは良くないことだと教わりました。
実際、2002年のように『不作の年』というのは多くのワイナリーで非常に難しいワイン作りを強いられる年であるのは事実ですが、場所や状況によっては被害を逃れた、または最小に抑え対処できたというケースもあるのです。
メディアや世の中の情報に踊らされ過ぎないようニュートラルに物事をみれたらいいですね。
それでは、また次回もお楽しみに!
鈴木暢彦
Instagram @toccaasiena
HP 『トッカ・ア・シエナ』https://www.toccaasiena.com
モンタルチーノ中心街の北側の城壁を抜けてしばらく坂を下ると、地元銘柄ブルネッロ・ディ・モンタルチーノのワイナリーの案内看板が見えてきます。
右には『イル・パラディーゾ・ディ・マンフレーディ』、左に『イル・マッロネート』と小さな造り手でありながら日本のイタリアワイン愛好家にもその名が知れたワイナリーたちが。
さらに森の小道を下り、奥まで進んでいくと小さな一軒家がありました。
『モリナーリ・カルロ ポデーレ・レ・フォンティ』
知られざるブルネッロ生産者の一社で、マリザさんのご自宅兼ワイン醸造所です。
畑は目の前にある1ヘクタールにも満たない畑のみ。
マリザさんは、現在この家に一人で暮らしながら畑管理とワイン造りをごく少数のオペレーターと一緒に行っています。
マリザさんは北部ロンバルディア州の出身。20歳の頃にトスカーナの海で知り合った同じロンバルディア州出身のカルロさんと結婚、同州ヴァレーゼで長く暮らしたのち1971年にトスカーナ州へと越してきました。モンタルチーノにその後家を建て、カルロさんのワインへの情熱から1980年にブドウの苗(ブルネッロ種)を一緒に植えました。
1993年がマリザさんたちにとってブルネッロ・ディ・モンタルチーノの初ヴィンテージ。
そのブルネッロ・ディ・モンタルチーノが5年の熟成を経て、ようやく完成した1998年にカルロさんは病に倒れ帰らぬ人になりました。
彼らの一人娘であるエレナさんはサルデーニャ州の家に嫁いでいることもあり、マリザさんは彼と愛したワインを一人で守り抜くことを決意。長年の夢を実現したカルロさんの意思を引継いで今も一人でワイン作りを行っています。
マリザさんと猪
このエリアの森にはかつて3匹の大きな猪が住んでいたそうで、収穫のシーズンには甘くて美味しいブドウを食べて畑を荒らしてしまっていたのだとか。畑を守らなければならないマリザさんにとってブドウを食べてしまう猪たちはまさに天敵です。
そんな中、偶然このエリアに人間のハンターが猪の狩りに来ました。食用にするためで時期によって狩猟解禁となるのです。
しかしマリザさんはその危険を猪たちに知らせ、その場から逃がしてあげたそうです。
いつもは憎い猪たちでも、もしいなくなったらと思うと寂しかったのかもしれませんね。
マリザさんと車
マリザさんはご高齢であるのですが買い物には車ででかけます。数年前に単独の衝突事故をしてしまった時のこと。その時にしていたシートベルトが事故の衝撃で急に締まり胸が非常に苦しかったそうで、それ以来シートベルトはしないことにしたそうです。笑実際、その後2回目の小さな追突事故がありましたが、シートベルトをしていなかったおかげでケガがなかったと言い放つ始末。地元のおまわりさんも苦笑いです。くれぐれも運転には気を付けてくださいね。
マリザさんとメディア
マリザさんは、商業的なマーケティングやジャーナリストやメディアをあまり信用していません。いかに人々が情報化社会の中で真実を見失い、誘導されてしまうか。ある時、訪問後帰り際にマリザさんから1本ワインをプレゼントされました。彼らのブルネッロ・ディ・モンタルチーノでヴィンテージは『2002年』。
2002年というのは、業界では言わずもがな、非常に雨が多かった年でイタリアでは不作とされるヴィンテージです。
バッドヴィンテージのワインを渡す際に一言、『飲んでみな』と言われました。
後日ボトルを開けてみると、驚くことに極めて完成度の高いワインがそこにはありました。ハッキリした力強い輪郭と凝縮感。ゆるやかでまとまりのある果実味と、こなれたタンニンで芳醇なワイン。嫌味のない不作の年とは想像ができないようなブルネッロでした。
一般的には評価が低かったとしても試してみなければわからない。はなから決めつけてしまう先入観を持ってしまうのは良くないことだと教わりました。
実際、2002年のように『不作の年』というのは多くのワイナリーで非常に難しいワイン作りを強いられる年であるのは事実ですが、場所や状況によっては被害を逃れた、または最小に抑え対処できたというケースもあるのです。
メディアや世の中の情報に踊らされ過ぎないようニュートラルに物事をみれたらいいですね。
それでは、また次回もお楽しみに!
鈴木暢彦
Instagram @toccaasiena
HP 『トッカ・ア・シエナ』https://www.toccaasiena.com