ジェノヴァ、海と山に囲まれた暮らし。
読者の皆さま、初めまして。
これからリグーリア州の旬な情報を少しずつお届けいたします、大西奈々です。
どうぞよろしくお願い致します。
私が初めてジェノヴァを訪れたのは2011年6月。
学生時代にアルバイトでコツコツと貯めていた貯金で、ひとりで1週間、北イタリアの音楽にまつわる街を周りました。
滞在中、「蝶々夫人」の公演がジェノヴァのカルロ・フェリーチェ劇場であることを知り、予定していませんでしたが思い付きでふらっと訪れることに。
コロンブスが生まれた町、というくらいしか知識がないまま訪れたジェノヴァ。
そこには海があり、山があり、海陸風があり、坂道がたくさんあり、港があり、その港には高架高速道路があり・・・。
なぜかこの街に郷愁を感じました。
それはおそらく、私のふるさと、神戸の街と共通点がたくさんあったからでしょう。
「なんだか初めて来た気がしないなあ・・・」と感じた事を覚えています。
一人旅で緊張の毎日が続いていましたが、ジェノヴァではなぜか肩の力が抜けました。
5か月間の留学を決め、2011年11月からジェノヴァに移住。
ただし順風満帆な留学生活がすぐに待っていたわけではありませんでした。
私が日本からジェノヴァに移住するちょうど2日前に、記録的な大雨で街の中心地が水没する、大きな災害が起こりました。
6月に訪れたときはキラキラしていた風景が、一転。
泥にまみれた家や道路、濁流に押し流されて転倒した車や瓦礫の山、悲観にくれた表情の人々・・・。
希望に満ち溢れて日本を旅立った私の目に最初に映った景色は、想像していたものとはかけ離れていました。
さらに、こちらに到着してちょうど7日目。
疲労が続いたのか、お風呂場で気絶し転倒してしまい、打ち所が悪く、救急車で病院へ運ばれて顔(頬)を5針縫う大けがをしてしまいました。
イタリア語が日常会話で精いっぱいだった当時。滞在許可証の手続きに加え、医療関連の手続きや診察に右往左往。また、顔に残った深い傷を毎日鏡で見ては、どんどん自信を失くしていき、もう日本へ帰った方がいいかもしれない・・・と、奈落の底に落ちてしまったような心境の日々が続きました。
しかし、ジェノヴァで出会ったたくさんの人々に何度も何度も助けられ、支えられ、勇気をもらい、だんだんと色んなことをポジティブに考えられるようになりました。
その頃には洪水の被害から街が復旧し、私にも友人ができ、歌の師匠と出会い、受験したい学校がみつかったりと、ジェノヴァを吹き巡る海陸風のように、私の人生の風向きにも目まぐるしい変化が訪れました。
そして私を救急車で運んでくれた命の恩人でもある男性と結婚し、現在は白猫と一緒に仲良くのんびり暮らしています。
夫はジェノヴァ生まれ、ジェノヴァ育ち。ジェノヴァ色の強いその家族(全員近くに住んでいるので家族パーティーが頻繁!)と賑やか(時には賑やかすぎて困っているのですが・・・)な日々を送っています。
とにかく皆、何かと理由をつけては親族で集合し、大きなテーブルを囲んでご飯を食べることが大好き!(中高年の方たちはテンションが上がるとジェノヴァ弁になり、私にはほぼわかりませんが・・・。)
料理が得意な姑から習った郷土料理の数々をこちらで紹介出来たらいいな、と考えています!
山の上に住みスローライフを楽しむ叔父と叔母は、大きな庭を持っていて、そこに生えているオリーブの木から実を摘んでオイルを作ったり、もぎりたてイチジクの実でジャムを作ったりする際に私もお手伝いしに行ったりもします。その様子も今後紹介したいです。
リグーリア州の旬な情報、まだまだミステリアスなこの街の表の顔も裏の顔も含め、日本のみなさまへお伝えしていきたいと思っています。
大好きなこの街のことをたくさんの人たちにしってもらえたら嬉しいです。
どうぞお楽しみに・・・!
これからリグーリア州の旬な情報を少しずつお届けいたします、大西奈々です。
どうぞよろしくお願い致します。
私が初めてジェノヴァを訪れたのは2011年6月。
学生時代にアルバイトでコツコツと貯めていた貯金で、ひとりで1週間、北イタリアの音楽にまつわる街を周りました。
滞在中、「蝶々夫人」の公演がジェノヴァのカルロ・フェリーチェ劇場であることを知り、予定していませんでしたが思い付きでふらっと訪れることに。
コロンブスが生まれた町、というくらいしか知識がないまま訪れたジェノヴァ。
そこには海があり、山があり、海陸風があり、坂道がたくさんあり、港があり、その港には高架高速道路があり・・・。
なぜかこの街に郷愁を感じました。
それはおそらく、私のふるさと、神戸の街と共通点がたくさんあったからでしょう。
「なんだか初めて来た気がしないなあ・・・」と感じた事を覚えています。
一人旅で緊張の毎日が続いていましたが、ジェノヴァではなぜか肩の力が抜けました。
5か月間の留学を決め、2011年11月からジェノヴァに移住。
ただし順風満帆な留学生活がすぐに待っていたわけではありませんでした。
私が日本からジェノヴァに移住するちょうど2日前に、記録的な大雨で街の中心地が水没する、大きな災害が起こりました。
6月に訪れたときはキラキラしていた風景が、一転。
泥にまみれた家や道路、濁流に押し流されて転倒した車や瓦礫の山、悲観にくれた表情の人々・・・。
希望に満ち溢れて日本を旅立った私の目に最初に映った景色は、想像していたものとはかけ離れていました。
さらに、こちらに到着してちょうど7日目。
疲労が続いたのか、お風呂場で気絶し転倒してしまい、打ち所が悪く、救急車で病院へ運ばれて顔(頬)を5針縫う大けがをしてしまいました。
イタリア語が日常会話で精いっぱいだった当時。滞在許可証の手続きに加え、医療関連の手続きや診察に右往左往。また、顔に残った深い傷を毎日鏡で見ては、どんどん自信を失くしていき、もう日本へ帰った方がいいかもしれない・・・と、奈落の底に落ちてしまったような心境の日々が続きました。
しかし、ジェノヴァで出会ったたくさんの人々に何度も何度も助けられ、支えられ、勇気をもらい、だんだんと色んなことをポジティブに考えられるようになりました。
その頃には洪水の被害から街が復旧し、私にも友人ができ、歌の師匠と出会い、受験したい学校がみつかったりと、ジェノヴァを吹き巡る海陸風のように、私の人生の風向きにも目まぐるしい変化が訪れました。
そして私を救急車で運んでくれた命の恩人でもある男性と結婚し、現在は白猫と一緒に仲良くのんびり暮らしています。
夫はジェノヴァ生まれ、ジェノヴァ育ち。ジェノヴァ色の強いその家族(全員近くに住んでいるので家族パーティーが頻繁!)と賑やか(時には賑やかすぎて困っているのですが・・・)な日々を送っています。
とにかく皆、何かと理由をつけては親族で集合し、大きなテーブルを囲んでご飯を食べることが大好き!(中高年の方たちはテンションが上がるとジェノヴァ弁になり、私にはほぼわかりませんが・・・。)
料理が得意な姑から習った郷土料理の数々をこちらで紹介出来たらいいな、と考えています!
山の上に住みスローライフを楽しむ叔父と叔母は、大きな庭を持っていて、そこに生えているオリーブの木から実を摘んでオイルを作ったり、もぎりたてイチジクの実でジャムを作ったりする際に私もお手伝いしに行ったりもします。その様子も今後紹介したいです。
リグーリア州の旬な情報、まだまだミステリアスなこの街の表の顔も裏の顔も含め、日本のみなさまへお伝えしていきたいと思っています。
大好きなこの街のことをたくさんの人たちにしってもらえたら嬉しいです。
どうぞお楽しみに・・・!