ミラノ Citta’ da Vivere
ミラノからこんにちは。小林もりみと申します。丁寧に作られた食材をイタリアから日本にお届けすることを仕事にしています。
2000年にカーサ・モリミという会社を設立し、2009年体調を崩したことをきっかけに、東京からイタリアに拠点を移しました。早いものでそろそろ10年が経とうとしています。
10年近く経ってみて、最近やっとミラノという街に愛着を感じるようになりました。その前はミラノに対し、”便利だけれども、本当にここで良いのだろうか?”という気持ちが常にありました。
トスカーナの美しい景色が広がっている訳でもなく、シチリアの真っ青な海が見えるわけでもなく、グレーな空に、素っ気ない街並み。それが、ミラノという街の私の印象でした。
同じロンバルディア州のガルダ湖で生まれ育ち、ミラノに30年ほど住んでいる友人に、ミラノに何年住んでも、どうも自分の街と感じられないと話したところ、それは当たり前、というのが彼の意見。
「ベニスやフィレンツェ、ローマはCitta’ da Amare(愛すべき街)。一方ミラノは、Citta’ da Vivere(暮らす街)なんだから」と。
なるほど。確かに皆が”Funziona(フンツィオーナ=機能する)する”という街がミラノ。それでも東京暮らしに慣れた私には、当初いちいち全てが”Non Funziona(ノン・フンツィオーナ=機能しない)”に感じ、無駄にイライラすることも少なくありませんでした。まさに無駄なのです、何も変わらないのですから。
暮らし始める引越の際、うまくいかないあれこれを毎日友人たちに嘆き、皆も一応聞いてくれるものの、「何も変わらないんだから、もりみが変わるしかないよ。」「毎日ZENの修行のようね」と言われたものです。いま振り返ると、私も東京のリズムのままで、忙しい病、すべてがうまくいって当たり前病にかかっていたのでしょう。さすがに10年もイタリアにいれば、今は随分気も長くなりました。結局、Tutto e’ relativoすべて相対的ですよね。
ミラノの古い建築物の門を押し開け、一歩中へ踏み込むと、外側からは想像できないほど、美しくエレガントな中庭が隠れていたりします。ミラノでは、人も同じと感じることもしばしば。付き合い始める時には、とっつきにくい?と思うことがあっても、じわじわと少しずつ距離が近くなり、頻繁に気にかけてくれ、その人の優しさや魅力が時間とともに外に溢れ出します。じっくり長く付き合うと、なかなか味わいのある街なのです。
一人での異国ぐらしですが、おかげさまで、家族と言えるほど定期的に会う親しい友人たちに恵まれ、東京で暮らしていたときよりも寂しくないほどです。東京は大きいですし、皆忙しいですし、親しい友人たちも突然思いついて会ったり、ということは滅多にできませんでした。一方、ミラノ暮らしでは突然が当たり前。電話が鳴り、「今どこ?うちでご飯しない?」というパターンが割と多く、ありがたいことです。少し顔を合わせないと「随分連絡取ってないよね、Tutto bene?Aperitivo?どうしてる?大丈夫?アペリティーボでもどう?」の電話も、やっぱり嬉しいもの。
人口150万人、周辺地域を入れても300万人の小規模都市ですから、徒歩や自転車ででも自分の行動圏はほぼ移動できますし、この小ささが東京とは違う、暮らし方や人の付き合い方を可能にしているのでしょう。
9年も暮らせば、”住めば都”。初めのうちの「仕事にはここが便利だからしょうがないか」の印象が、今は私にとってのCitta’ da Amare愛すべき街となりました。これから、ミラノの食の情報や暮らしぶりを、みなさまにお届けしてまいりたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
ミラノ在小林もりみ
2000年にカーサ・モリミという会社を設立し、2009年体調を崩したことをきっかけに、東京からイタリアに拠点を移しました。早いものでそろそろ10年が経とうとしています。
10年近く経ってみて、最近やっとミラノという街に愛着を感じるようになりました。その前はミラノに対し、”便利だけれども、本当にここで良いのだろうか?”という気持ちが常にありました。
トスカーナの美しい景色が広がっている訳でもなく、シチリアの真っ青な海が見えるわけでもなく、グレーな空に、素っ気ない街並み。それが、ミラノという街の私の印象でした。
同じロンバルディア州のガルダ湖で生まれ育ち、ミラノに30年ほど住んでいる友人に、ミラノに何年住んでも、どうも自分の街と感じられないと話したところ、それは当たり前、というのが彼の意見。
「ベニスやフィレンツェ、ローマはCitta’ da Amare(愛すべき街)。一方ミラノは、Citta’ da Vivere(暮らす街)なんだから」と。
なるほど。確かに皆が”Funziona(フンツィオーナ=機能する)する”という街がミラノ。それでも東京暮らしに慣れた私には、当初いちいち全てが”Non Funziona(ノン・フンツィオーナ=機能しない)”に感じ、無駄にイライラすることも少なくありませんでした。まさに無駄なのです、何も変わらないのですから。
暮らし始める引越の際、うまくいかないあれこれを毎日友人たちに嘆き、皆も一応聞いてくれるものの、「何も変わらないんだから、もりみが変わるしかないよ。」「毎日ZENの修行のようね」と言われたものです。いま振り返ると、私も東京のリズムのままで、忙しい病、すべてがうまくいって当たり前病にかかっていたのでしょう。さすがに10年もイタリアにいれば、今は随分気も長くなりました。結局、Tutto e’ relativoすべて相対的ですよね。
ミラノの古い建築物の門を押し開け、一歩中へ踏み込むと、外側からは想像できないほど、美しくエレガントな中庭が隠れていたりします。ミラノでは、人も同じと感じることもしばしば。付き合い始める時には、とっつきにくい?と思うことがあっても、じわじわと少しずつ距離が近くなり、頻繁に気にかけてくれ、その人の優しさや魅力が時間とともに外に溢れ出します。じっくり長く付き合うと、なかなか味わいのある街なのです。
一人での異国ぐらしですが、おかげさまで、家族と言えるほど定期的に会う親しい友人たちに恵まれ、東京で暮らしていたときよりも寂しくないほどです。東京は大きいですし、皆忙しいですし、親しい友人たちも突然思いついて会ったり、ということは滅多にできませんでした。一方、ミラノ暮らしでは突然が当たり前。電話が鳴り、「今どこ?うちでご飯しない?」というパターンが割と多く、ありがたいことです。少し顔を合わせないと「随分連絡取ってないよね、Tutto bene?Aperitivo?どうしてる?大丈夫?アペリティーボでもどう?」の電話も、やっぱり嬉しいもの。
人口150万人、周辺地域を入れても300万人の小規模都市ですから、徒歩や自転車ででも自分の行動圏はほぼ移動できますし、この小ささが東京とは違う、暮らし方や人の付き合い方を可能にしているのでしょう。
9年も暮らせば、”住めば都”。初めのうちの「仕事にはここが便利だからしょうがないか」の印象が、今は私にとってのCitta’ da Amare愛すべき街となりました。これから、ミラノの食の情報や暮らしぶりを、みなさまにお届けしてまいりたいと思っています。
どうぞよろしくお願いいたします。
ミラノ在小林もりみ