バローロの巨匠が日本の若者に語ったこと
今月は本来なら別のテーマについて語ろうと思っていました。
が、イタリア語でUPした記事を読んでくださった友人から「これは日本語でもUPするべき」と背中を押してもらい、これを掲載することにします。
イタリア好きのピエモンテ特集の際、取り上げて頂いたバローロのワイナリー『カッペッラーノ』での忘れがたい出来事です。
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テオバルド・カッペッラーノが日本の若者に語ったこと
自分の信念やイデオロギーをはっきり口にできたら素晴らしい。さらに、それをどんな時も体現することが出来たらもっと素晴らしい。現代の物質的豊かさや社会現象の複雑さがいとも簡単に人の勇気を挫いたり、言葉の重み忘れさせたりできるから。
『、、、私は、それが肯定的であっても否定的であっても自由に発せられる情報を信じます。私のこの丘陵は、アナーキーに広がるなだらかな土地で、異端裁判官や反対派閥もなく、厳しく注意深い批評に刺激を受ければ内面的に豊かさを増すところだと思います。今日でもなお、母なる自然から褒美の与えられたことない人に、農民としての連帯を示すことの出来る集団のために私は奮闘します。
幻想でしょうか?だったら幻想を見させておいてくれませんか? テオバルド』
しなだれた枝を揺らす柳の木の下で眠るような小さなカンティーナで、故テオバルド・カッペッラーノは10年前、料理人を目指す日本の若者たちと数時間を共に過ごし、ワインの裏ラベルに刻んだこの彼の言葉の意味を彼らの前で文字通り体現してくれた。
底冷えのする冬の日の午後、不安を押し殺すように5分待ってからもう一度インターホンを押した。やっぱり何も起こらない。20名を超える若者が私の背後でコートの襟元をぎゅっと掴んで足を踏み鳴らし寒さをこらえている。引率の講師が仏頂面でバスに乗って引き換えそうと言いだした。頭の中が真っ白になった。実は別の不安もあった。バローロの造り手として大きな尊敬を集めるテオバルドに懇願して多人数の訪問の了解を取りつけたはいいが、バスの中でこの料理人の卵たちからワインの講義は始まったばかりでバローロのこともほとんど知らないと告白された。目の前の硬く閉ざされた門を開いてもらったところで、接点のない訪問になりかねなかった。諦めてバスを呼ぼうと携帯をポケットからとり出した時、門がゆっくり開きだした。
その日、カンティーナの薄灯りの下にテオバルドは松葉杖にしがみついて現れた。彼の歩みごとにを食いしばる姿を見れば、病名など訊かなくてもその苦痛の大きさが門の前で待たされた理由だったことは誰の目にも明らかだった。それでも、前日の電話でも彼は自分の健康問題には一言も触れず、こうして私に約束したとおり子供たちを迎えてくれている。バスの中で心配になるくらいふざけていた子らの私語がピタリと止んでいた。彼を学生に紹介する私の声が震えた。
「ごらんのとおり、私は今日は体の調子があまり良くありません。皆さんを立たせたままで失礼と承知していますが、私は座って話をさせてもらいます。さあ、もっと近くに寄って構いませんよ。」
彼がゆっくりと椅子に腰を下ろし、若者たちは澄んだ瞳を彼に向けたまま静かにテオバルドと私の周りに小さな円を作った。
「君たちはワインを勉強しているの?」子供の一人が勉強をし始めたばかりだと答える。「バローロワインのことは?」今度は皆が首を横に振った。
テオバルドはゆっくり言った。「ではね、このカンティーナを見渡して疑問に思ったことを私に聞いてみなさい。どんな小さなことでも遠慮しないで質問してごらん。」
「ここにある木樽は何年ぐらい使えるものですか?」「そこにある大きな樽を見てごらん、それは何十年も前に作られたものだ。この近くのワイン生産者がこれは古くなったから棄てるというのでね、お前は馬鹿者だといって、私が引き取った。修理をして今も立派に使っている。」
人前で話すことの苦手な日本人から控えめにでも次々にシンプルな質問が続く。
「樽はなぜ大きなものや小さなものがありますか?」
「樽にはなぜ丸いものと楕円形のものがありますか?」
「美味しいワインとそうでないワインの違いは何ですか?」
「はは、コレは難しい質問だ。私はね、自分の暮らすこの地域が大好きで自分の作るワインでもこの土地の特徴や自然をしっかりと表現したいと心掛けています。例えばこの地域は中世の時代からブドウ栽培が盛んで、バルバロッサがこの地域に攻めてきたとき、霧に包まれた丘に見えるブドウ畑の支柱の先を槍の鉾先と見間違い、その数の兵にはには叶わないと退散したという逸話さえある。バローロというワインだがね。その霧が出る時期に熟すことに因んでネッビオーロと名づけられた品種だけを用いてつくる。モノヴィティーニョといって他の品種とは混ぜないから気象条件やその他の影響をまともに受け、上手く作るのには手がかかる。けれどその分、この土地のテロワールを率直に表現する力を持っている。私も私の家族もワインを飲んで美味しいと思った。だからこれを売ろうと考えた。それを買って飲んだ人も同じように美味しいと思ってくれたらと願っています。」
この日、テオバルドが子供たちのために費やしたのは3時間。遠い異国の若者たちを偏見の目で見ることもなく、彼らの純心無垢な質問に誠心誠意耳を傾け、自分の言葉で丁寧に答えることで、イタリアのワインの専門家や愛好家から集めるのと同じ大きな尊敬の念をテオバルドは日本の若者たちの心の中に生みつけた。
白猫マルタを肩に学生と笑顔で写真に収まるテオバルド。思い出にと購入したバローロのボトルを宝のように抱いて放さない子供たちを見ながら、彼の中に僅かでも生気が戻っているように思えた。
「ちょっとね、新聞を買ってくる。」そういってカンティーナを離れるテオバルドの足取りもずっと軽くなっていた。
彼のいないランゲでのブドウの収穫は、今年で10回目を迎える。中には大切な畑の一部が大雨で流された年もあった。心配する私たちを息子のアウグストは『自然とはこういうものだよ。嘆くべきことじゃない。』と逆に慰めた。
夫クラウディオが大切に口にする『ピエモンテズィタ』つまり、ピエモンテーゼの高き精神。ここで暮らし始めたときは頭の中で想像してみるしかなかったが、今、この言葉を思うときその高いところにはいつもテオバルドの笑みがある。
http://www.cappellano1870.it/it/
お問い合わせは
m.iwasaki@alice.it
が、イタリア語でUPした記事を読んでくださった友人から「これは日本語でもUPするべき」と背中を押してもらい、これを掲載することにします。
イタリア好きのピエモンテ特集の際、取り上げて頂いたバローロのワイナリー『カッペッラーノ』での忘れがたい出来事です。
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テオバルド・カッペッラーノが日本の若者に語ったこと
自分の信念やイデオロギーをはっきり口にできたら素晴らしい。さらに、それをどんな時も体現することが出来たらもっと素晴らしい。現代の物質的豊かさや社会現象の複雑さがいとも簡単に人の勇気を挫いたり、言葉の重み忘れさせたりできるから。
『、、、私は、それが肯定的であっても否定的であっても自由に発せられる情報を信じます。私のこの丘陵は、アナーキーに広がるなだらかな土地で、異端裁判官や反対派閥もなく、厳しく注意深い批評に刺激を受ければ内面的に豊かさを増すところだと思います。今日でもなお、母なる自然から褒美の与えられたことない人に、農民としての連帯を示すことの出来る集団のために私は奮闘します。
幻想でしょうか?だったら幻想を見させておいてくれませんか? テオバルド』
しなだれた枝を揺らす柳の木の下で眠るような小さなカンティーナで、故テオバルド・カッペッラーノは10年前、料理人を目指す日本の若者たちと数時間を共に過ごし、ワインの裏ラベルに刻んだこの彼の言葉の意味を彼らの前で文字通り体現してくれた。
底冷えのする冬の日の午後、不安を押し殺すように5分待ってからもう一度インターホンを押した。やっぱり何も起こらない。20名を超える若者が私の背後でコートの襟元をぎゅっと掴んで足を踏み鳴らし寒さをこらえている。引率の講師が仏頂面でバスに乗って引き換えそうと言いだした。頭の中が真っ白になった。実は別の不安もあった。バローロの造り手として大きな尊敬を集めるテオバルドに懇願して多人数の訪問の了解を取りつけたはいいが、バスの中でこの料理人の卵たちからワインの講義は始まったばかりでバローロのこともほとんど知らないと告白された。目の前の硬く閉ざされた門を開いてもらったところで、接点のない訪問になりかねなかった。諦めてバスを呼ぼうと携帯をポケットからとり出した時、門がゆっくり開きだした。
その日、カンティーナの薄灯りの下にテオバルドは松葉杖にしがみついて現れた。彼の歩みごとにを食いしばる姿を見れば、病名など訊かなくてもその苦痛の大きさが門の前で待たされた理由だったことは誰の目にも明らかだった。それでも、前日の電話でも彼は自分の健康問題には一言も触れず、こうして私に約束したとおり子供たちを迎えてくれている。バスの中で心配になるくらいふざけていた子らの私語がピタリと止んでいた。彼を学生に紹介する私の声が震えた。
「ごらんのとおり、私は今日は体の調子があまり良くありません。皆さんを立たせたままで失礼と承知していますが、私は座って話をさせてもらいます。さあ、もっと近くに寄って構いませんよ。」
彼がゆっくりと椅子に腰を下ろし、若者たちは澄んだ瞳を彼に向けたまま静かにテオバルドと私の周りに小さな円を作った。
「君たちはワインを勉強しているの?」子供の一人が勉強をし始めたばかりだと答える。「バローロワインのことは?」今度は皆が首を横に振った。
テオバルドはゆっくり言った。「ではね、このカンティーナを見渡して疑問に思ったことを私に聞いてみなさい。どんな小さなことでも遠慮しないで質問してごらん。」
「ここにある木樽は何年ぐらい使えるものですか?」「そこにある大きな樽を見てごらん、それは何十年も前に作られたものだ。この近くのワイン生産者がこれは古くなったから棄てるというのでね、お前は馬鹿者だといって、私が引き取った。修理をして今も立派に使っている。」
人前で話すことの苦手な日本人から控えめにでも次々にシンプルな質問が続く。
「樽はなぜ大きなものや小さなものがありますか?」
「樽にはなぜ丸いものと楕円形のものがありますか?」
「美味しいワインとそうでないワインの違いは何ですか?」
「はは、コレは難しい質問だ。私はね、自分の暮らすこの地域が大好きで自分の作るワインでもこの土地の特徴や自然をしっかりと表現したいと心掛けています。例えばこの地域は中世の時代からブドウ栽培が盛んで、バルバロッサがこの地域に攻めてきたとき、霧に包まれた丘に見えるブドウ畑の支柱の先を槍の鉾先と見間違い、その数の兵にはには叶わないと退散したという逸話さえある。バローロというワインだがね。その霧が出る時期に熟すことに因んでネッビオーロと名づけられた品種だけを用いてつくる。モノヴィティーニョといって他の品種とは混ぜないから気象条件やその他の影響をまともに受け、上手く作るのには手がかかる。けれどその分、この土地のテロワールを率直に表現する力を持っている。私も私の家族もワインを飲んで美味しいと思った。だからこれを売ろうと考えた。それを買って飲んだ人も同じように美味しいと思ってくれたらと願っています。」
この日、テオバルドが子供たちのために費やしたのは3時間。遠い異国の若者たちを偏見の目で見ることもなく、彼らの純心無垢な質問に誠心誠意耳を傾け、自分の言葉で丁寧に答えることで、イタリアのワインの専門家や愛好家から集めるのと同じ大きな尊敬の念をテオバルドは日本の若者たちの心の中に生みつけた。
白猫マルタを肩に学生と笑顔で写真に収まるテオバルド。思い出にと購入したバローロのボトルを宝のように抱いて放さない子供たちを見ながら、彼の中に僅かでも生気が戻っているように思えた。
「ちょっとね、新聞を買ってくる。」そういってカンティーナを離れるテオバルドの足取りもずっと軽くなっていた。
彼のいないランゲでのブドウの収穫は、今年で10回目を迎える。中には大切な畑の一部が大雨で流された年もあった。心配する私たちを息子のアウグストは『自然とはこういうものだよ。嘆くべきことじゃない。』と逆に慰めた。
夫クラウディオが大切に口にする『ピエモンテズィタ』つまり、ピエモンテーゼの高き精神。ここで暮らし始めたときは頭の中で想像してみるしかなかったが、今、この言葉を思うときその高いところにはいつもテオバルドの笑みがある。
http://www.cappellano1870.it/it/
お問い合わせは
m.iwasaki@alice.it