–ミラフィオーレからフォンタナフレッダへ
「フォンタナフレッダ社の創業当時の名前は、正確にはカーザ・エマヌエーレ・ディ・ミラフィオーレ社(以下ミラフィオーレ社)だったんだ。」
そう語るのはフォンタナフレッダ社のCEOロベルト・ブルーノさんだ。
モンテ物産とは、ブルーノさんが日本への輸出担当者だったころからの長い付き合いで、その後マネージャー、営業部長などを経てたたき上げでCEOにまでなった優秀な人物だ。ただし、CEOだからといって偉ぶることなどは一切無いし、常にフランクに冗談を交えながら話す態度は全く変わらない。
「ミラフィオーレ社は、イタリア初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ二世とローザ伯爵夫人の間に生まれた息子、エマヌエーレ・アルベルト・ディ・ミラフィオーリが1878年に創業したワイナリーで、“イタリア国王の息子がバローロという素晴らしいワインを造っている”と、国内のみならず国外でも注目されていたんだ。1888年にはブリュッセルの国際コンクールで金メダルを獲得し、全てが順風満帆だった。」
笑顔で明るく話していたブルーノさんだったが、ここで眉根を寄せて声のトーンを落とした。
「ただ残念なことに彼は43歳の若さで亡くなってしまい、エマヌエーレ・アルベルトの息子のガストーネ・ディ・ミラフィオーリが経営を引き継いだんだ。不運は続くもので、ちょうど1800年代の終わりからフィロキセラ(ブドウネアブラムシ)の被害がひどくなり、第一次世界大戦による経済的混乱で経営は次第に悪化し、ついに世界恐慌が起こった1929年の翌年、1930年にミラフィオーレ社は経営破綻してしまった。それに伴いモンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行が建物とブドウ畑を買い取ったのだが、“ミラフィオーレ”という商標はそれとは別にガンチャ家に売却したため、銀行は今まで通りにワインを造っても“ミラフィオーレ”とラベルに記載できなくなった。そこで、初代国王が土地を買う前から存在していたその土地の古い呼び名“フォンタナフレッダ”を新たな会社名としたんだ。」
「名前がフォンタナフレッダ社に変わっても畑や醸造所は同じなので、幸いなことにフォンタナフレッダ社は新たなバローロ生産者のブランドとしても成功を収めることができた。ただ、広大な畑を持つ銀行経営のワイナリーということで、売り上げ重視で安いバローロを大量生産している、と誹謗中傷されることも昔はあったんだ。」
ブルーノさんは残念そうに首を横に振った。
「正直なところ、今となっては何十年も前のことはわからない。でも、オールドヴィンテージのバローロがいまだに色褪せずに美味しく飲めることが、真面目に良いワイン造りを続けてきたなによりの証拠なんじゃないかと僕は思うんだ。」
私はこれまでに、古いものでは1960年代に至るまで様々なヴィンテージの同社のバローロを飲んできたが、香りはなめし革、トリュフ、腐葉土、ドライフラワーや様々なスパイスなどの熟成香が感じられるものの、タンニンや酸は40~50年経過したとは思えないほど生き生きしており、ヴィンテージによっては果実味もきちんと感じられるほどだ。5~20年程度の熟成でも、それぞれの熟成の進み具合に応じた美味しさがある(ただしオールドヴィンテージ特有の様々な劣化のリスクは常にあるので、これはどの古いワインにも起こりうる劣化や状態の悪さは度外視した上での感想だ)。
1958年ヴィンテージからのストックを持つフォンタンフレッダ社が誇るオールド・ヴィンテージコレクション。在庫の減少と共に年々入手が困難になっている。
出会ったら一度は飲んでみたい一品だ。
次回も引き続き“ミラフィオーレ社”について、なかでも蘇ったワインについて紹介したい。
「フォンタナフレッダ社の創業当時の名前は、正確にはカーザ・エマヌエーレ・ディ・ミラフィオーレ社(以下ミラフィオーレ社)だったんだ。」
そう語るのはフォンタナフレッダ社のCEOロベルト・ブルーノさんだ。
モンテ物産とは、ブルーノさんが日本への輸出担当者だったころからの長い付き合いで、その後マネージャー、営業部長などを経てたたき上げでCEOにまでなった優秀な人物だ。ただし、CEOだからといって偉ぶることなどは一切無いし、常にフランクに冗談を交えながら話す態度は全く変わらない。
「ミラフィオーレ社は、イタリア初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ二世とローザ伯爵夫人の間に生まれた息子、エマヌエーレ・アルベルト・ディ・ミラフィオーリが1878年に創業したワイナリーで、“イタリア国王の息子がバローロという素晴らしいワインを造っている”と、国内のみならず国外でも注目されていたんだ。1888年にはブリュッセルの国際コンクールで金メダルを獲得し、全てが順風満帆だった。」
笑顔で明るく話していたブルーノさんだったが、ここで眉根を寄せて声のトーンを落とした。
「ただ残念なことに彼は43歳の若さで亡くなってしまい、エマヌエーレ・アルベルトの息子のガストーネ・ディ・ミラフィオーリが経営を引き継いだんだ。不運は続くもので、ちょうど1800年代の終わりからフィロキセラ(ブドウネアブラムシ)の被害がひどくなり、第一次世界大戦による経済的混乱で経営は次第に悪化し、ついに世界恐慌が起こった1929年の翌年、1930年にミラフィオーレ社は経営破綻してしまった。それに伴いモンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行が建物とブドウ畑を買い取ったのだが、“ミラフィオーレ”という商標はそれとは別にガンチャ家に売却したため、銀行は今まで通りにワインを造っても“ミラフィオーレ”とラベルに記載できなくなった。そこで、初代国王が土地を買う前から存在していたその土地の古い呼び名“フォンタナフレッダ”を新たな会社名としたんだ。」
「名前がフォンタナフレッダ社に変わっても畑や醸造所は同じなので、幸いなことにフォンタナフレッダ社は新たなバローロ生産者のブランドとしても成功を収めることができた。ただ、広大な畑を持つ銀行経営のワイナリーということで、売り上げ重視で安いバローロを大量生産している、と誹謗中傷されることも昔はあったんだ。」
ブルーノさんは残念そうに首を横に振った。
「正直なところ、今となっては何十年も前のことはわからない。でも、オールドヴィンテージのバローロがいまだに色褪せずに美味しく飲めることが、真面目に良いワイン造りを続けてきたなによりの証拠なんじゃないかと僕は思うんだ。」
私はこれまでに、古いものでは1960年代に至るまで様々なヴィンテージの同社のバローロを飲んできたが、香りはなめし革、トリュフ、腐葉土、ドライフラワーや様々なスパイスなどの熟成香が感じられるものの、タンニンや酸は40~50年経過したとは思えないほど生き生きしており、ヴィンテージによっては果実味もきちんと感じられるほどだ。5~20年程度の熟成でも、それぞれの熟成の進み具合に応じた美味しさがある(ただしオールドヴィンテージ特有の様々な劣化のリスクは常にあるので、これはどの古いワインにも起こりうる劣化や状態の悪さは度外視した上での感想だ)。
1958年ヴィンテージからのストックを持つフォンタンフレッダ社が誇るオールド・ヴィンテージコレクション。在庫の減少と共に年々入手が困難になっている。
出会ったら一度は飲んでみたい一品だ。
次回も引き続き“ミラフィオーレ社”について、なかでも蘇ったワインについて紹介したい。