この日(10月29日)のバローロ村は、秋晴れの清々しい晴天に恵まれていた。
収穫の終わったブドウの樹の赤や黄色に色づいた葉が、
小さな村のその豊な地形を証明するように、太陽の光を浴びて輝いていた。
そのバローロ村に、マチェレリア・サンドローネがある。
2013年、兵庫県赤穂市で開催した「マンマの料理フェスタ」に来日してくれたマリアグラッツァは
このマチェレリアのマンマで、店で売るタヤリンと、アニョロッティ・デル・プリンを
もう15年つくり続けている。
来日以来の再会になるので、3年振りだ。
ビエッラに暮らす幹子さんと一緒に訪ねた。
店に行くと、娘が6ヶ月の赤ちゃんを抱っこしていた。
来日した時はまだ独身だった娘のマルティーナにはもう子供がいる。月日を感じる。
突然の訪問にビックリした娘が、店の奥に行きマンマに告げると、
マリアグラッツァは、飛び上がって叫び、大喜びしてくれた。
こんな出迎えはこちらもとても嬉しい。
彼女は取材の時と同じように、店の奥の調理場であの時と同じように
タヤリンとアニョロッティ・ダル・プリンをつくっていた。
一旦止めていた手を、再び動かし始めると、その早さと、手さばきはやはり見事だ。
ちょうど切りが良いところで「食べて行くでしょ」とマリアグラッツァが言う。
僕は「喜んで!ありがとう」と返し、その食事の準備が始まった。
食事の準備と言っても、その調理場の作業台にクロスをかけて、
そこで家族と一緒に立って食べるのだ。
それがここの日常だ。
できたてのパスタと自家製のサラミや、生ハムと、ワインは当然バローロだ。
でもこんな贅沢は無い。
そんな贅沢を味わいながらも、僕はさらに我がままを言った。
取材の時に食べて忘れられない、生のサルシッチャをお願いした。
あの時は少しビクビクしながら食べたけど、今はもうそんな事は無い。
イタリア20州を巡ってきたので、信頼できる生肉のうまさは承知している。
そして今まで何度も口にしてきたが、腹を壊した事など一度も無いのだ。
ほんのり赤色で、甘く、少しハーブの効いたその生肉は、日本では絶対に味わえないだろう。
遠慮しながら食べていたら、彼女が勧めるので、結局ひとりで全部食べてしまった。
まあ今後はまたいつ食べられるか分からないし、
折角の好意だしと色々と理由をつけて自分で勝手に納得して食べ続けた。
やおらマリアグラッツァは、お湯を沸かし始め、フライパンに温めバターを溶かしている。
アニョロッティの味付けは、シンプルにセージとバターだけ。
茹で上がったアニョロッティをフライパンにできたソースで絡めるとできあがり。
こんなシンプルなのにうまい。いやシンプルだからうまいのだ。
ちゃんとお肉の味もする。
この日の少し前に、ニュースになっていた加工肉に発がん性があるという事がこの時話題になった。
加工肉が全て悪いのではない、大量生産して、大量販売するこのシステムがおかしいのだ。
食べ物ではなく、商品としての物をつくっているからだ。
マリアグラッツァは言う。「私はこれ以上早くはつくれないし、量もできない」
ましてや、つくろうとも思わない。
素材を見極め、手間と時間をかけて食べ物をつくっているから、そんな心配は要らない。
自分達の目の届く範囲で行えば大きな問題は起きるはずがない。
この日も店には多くのお客さんがやってきて、ここの肉を買っていっている。
ご主人と息子は肉を捌き、
マリアグラッツァは明日もまた同じように自分のペースでつくり続けるのだ。
収穫の終わったブドウの樹の赤や黄色に色づいた葉が、
小さな村のその豊な地形を証明するように、太陽の光を浴びて輝いていた。
そのバローロ村に、マチェレリア・サンドローネがある。
2013年、兵庫県赤穂市で開催した「マンマの料理フェスタ」に来日してくれたマリアグラッツァは
このマチェレリアのマンマで、店で売るタヤリンと、アニョロッティ・デル・プリンを
もう15年つくり続けている。
来日以来の再会になるので、3年振りだ。
ビエッラに暮らす幹子さんと一緒に訪ねた。
店に行くと、娘が6ヶ月の赤ちゃんを抱っこしていた。
来日した時はまだ独身だった娘のマルティーナにはもう子供がいる。月日を感じる。
突然の訪問にビックリした娘が、店の奥に行きマンマに告げると、
マリアグラッツァは、飛び上がって叫び、大喜びしてくれた。
こんな出迎えはこちらもとても嬉しい。
彼女は取材の時と同じように、店の奥の調理場であの時と同じように
タヤリンとアニョロッティ・ダル・プリンをつくっていた。
一旦止めていた手を、再び動かし始めると、その早さと、手さばきはやはり見事だ。
ちょうど切りが良いところで「食べて行くでしょ」とマリアグラッツァが言う。
僕は「喜んで!ありがとう」と返し、その食事の準備が始まった。
食事の準備と言っても、その調理場の作業台にクロスをかけて、
そこで家族と一緒に立って食べるのだ。
それがここの日常だ。
できたてのパスタと自家製のサラミや、生ハムと、ワインは当然バローロだ。
でもこんな贅沢は無い。
そんな贅沢を味わいながらも、僕はさらに我がままを言った。
取材の時に食べて忘れられない、生のサルシッチャをお願いした。
あの時は少しビクビクしながら食べたけど、今はもうそんな事は無い。
イタリア20州を巡ってきたので、信頼できる生肉のうまさは承知している。
そして今まで何度も口にしてきたが、腹を壊した事など一度も無いのだ。
ほんのり赤色で、甘く、少しハーブの効いたその生肉は、日本では絶対に味わえないだろう。
遠慮しながら食べていたら、彼女が勧めるので、結局ひとりで全部食べてしまった。
まあ今後はまたいつ食べられるか分からないし、
折角の好意だしと色々と理由をつけて自分で勝手に納得して食べ続けた。
やおらマリアグラッツァは、お湯を沸かし始め、フライパンに温めバターを溶かしている。
アニョロッティの味付けは、シンプルにセージとバターだけ。
茹で上がったアニョロッティをフライパンにできたソースで絡めるとできあがり。
こんなシンプルなのにうまい。いやシンプルだからうまいのだ。
ちゃんとお肉の味もする。
この日の少し前に、ニュースになっていた加工肉に発がん性があるという事がこの時話題になった。
加工肉が全て悪いのではない、大量生産して、大量販売するこのシステムがおかしいのだ。
食べ物ではなく、商品としての物をつくっているからだ。
マリアグラッツァは言う。「私はこれ以上早くはつくれないし、量もできない」
ましてや、つくろうとも思わない。
素材を見極め、手間と時間をかけて食べ物をつくっているから、そんな心配は要らない。
自分達の目の届く範囲で行えば大きな問題は起きるはずがない。
この日も店には多くのお客さんがやってきて、ここの肉を買っていっている。
ご主人と息子は肉を捌き、
マリアグラッツァは明日もまた同じように自分のペースでつくり続けるのだ。