イタリアの銘醸地として名高いバローロエリアでも最も大きな生産者のひとつであるフォンタナフレッダ社を訪れた際に説明されるワイナリーの歴史は、いつも必ず同じ話から始まる。
フォンタナフレッダ社で見学者にワイナリー説明を続けてもう20年(?)になる、オルネッラさんの話し出しは決まってこうだ。
「フォンタナフレッダ社の歴史は、一つの恋物語からスタートします」
そして彼女は、こう説明を続ける。
「1850年頃のお話です。後にイタリアを統一したイタリア建国の父、ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世はとある少女と恋に落ちました。名をローザといいました。」
「当時はひとつのスキャンダルでした。というのもローザは高貴な生まれではなく、王とは身分違いの恋だったためです。」
ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世はサルデーニャ島とピエモンテ州・アオスタ州を勢力基盤としていたサルデーニャ王国の王としてイタリア半島全体を併合し、1861年にイタリア統一の偉業を成し遂げた人だ。実際彼がイタリアを統一するまでイタリア半島は長らくいくつもの国に分かれていて、イタリアという名前も半島を呼び習わす地名に過ぎなかった。歴史上でイタリアという名前の国が初めてできたのはこのヴィットーリオ・エマヌエーレ二世の功績によるもので、そのために現在でもイタリア国民から建国の父と呼ばれ、敬愛されている。そんな彼が身分違いの恋をしたというのが、人間味があってなんとも素敵な話だ。
ローザは当時イタリア領だったニースで生まれた。父親はヴィットーリオ・エマヌエーレ二世の軍隊で鼓手隊長をしていたが、決して上級兵とはいえないただの兵卒だった。
しかし、1847年、14歳のローザの人生に転機が訪れる。当時、父親がピエモンテの王室狩猟地の駐屯部隊に異動していたことがきっかけで、ローザは狩りの途中だったヴィットーリオ・エマヌエーレ王子に偶然出会うこととなるのだ。二人はすぐに恋に落ちる。しかし問題は身分の壁だ。何せ彼女が恋に落ちた相手は、サルデーニャ王国の王子にして将来サルデーニャ国王の座が約束された立場にあり、さらにはその卓越した政治手腕でイタリアを統一して初代国王となる人物で、その一方ローザの家柄は言わば一兵卒に過ぎない。身分の差は明らかだった。
案内役オルネッラさんはこう話を続けてくれる。
「王はローザを深く愛し、周囲の反対を押し切って彼女と結婚する方法を考えました。そしてローザに、王家所有地であったフォンタナフレッダの土地(バローロエリア、現在のワイナリーの所在地)とミラフィオーレの土地(トリノ近くの土地)、それに伯爵夫人の称号を与えることにしたのです。」
こうしてローザは(建前上)伯爵夫人となり、二人は身分違いの恋を成就させた。フォンタナフレッダ社の敷地内には、今もローザの館とよばれる建物が現存していて、王やローザのベッド、ソファーや使っていた食器などが大切に保存されている。
オルネッラさんの説明は続く。
「こうして結婚した王とローザは二人の子を授かりました。ヴィットーリアという女の子とエマヌエーレ・アルベルトという男の子です。しかし二人は、ローザの元の身分を理由に王家の正当な後継者とは認めてもらえませんでした。エマヌエーレ・アルベルトは他の王族と違い、自分で自分の生活費を稼がなくてはいけなかったのです。」
「そこでエマヌエーレ・アルベルトが目をつけたのが、ローザに与えられる前から王家所有地としてワイン造りが行われ、王家御用達のバローロが生み出されていたフォンタナフレッダの土地でした。」
実際、フォンタナフレッダはもともとヴィットーリオ・エマヌエーレ二世の父王がバローロのワインに惚れ込み、王家所有地として購入した土地で、造られたワインはその後実際に王が飲んでいたであろう、正真正銘の「王のバローロ」。バローロが、現在も「王のワイン、ワインの王」と呼ばれる由来は正にこのフォンタナフレッダのバローロにあると言えるのだ。
「エマヌエーレ・アルベルトは、王家御用達のバローロが生み出されていたフォンタナフレッダのワインを世界中に輸出販売することで、自身の生活を成り立たせたわけです。彼は世界市場にバローロを大きく輸出し始めた草分け的な存在で、言わば歴史上初の“バローロ大使”として活躍し、フォンタナフレッダ社のワインは大いに世界に知られることとなりました。これがフォンタナフレッダ社の始まりの物語なのです。」
オルネッラさんはいつもそうやってワイナリーの歴史をニコニコ説明すると、必ず一つのエピソードを付け加える。
「フォンタナフレッダ社には、特別な名前の畑があります。敷地内の最良のエリアの畑の名前は“ラ・ローザ”。建国の父ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世が生涯愛した平民出身の妃の名は、フォンタナフレッダ社が造るトップワインの名前として現在も消えずに残っているのです。」
バローロ“ラ・ローザ”はフォンタナフレッダ社のトップクリュ。女性的な味わいで、バラのような花の香りに甘いスパイス、バニラなどのニュアンスが加わる複雑な香りがあり、非常に滑らかなタンニンとエレガントな味わいは親しみやすさと高貴さを併せ持つ、まさに平民出身ながらも王に生涯愛されたローザを思わせる味わいだ。
フォンタナフレッダ社では毎年、バローロをさらに広めるべく、バローロ・ウィークというキャンペーン(※)を展開している。
日本でも、さすがにトップクリュの「ラ・ローザ」ではないものの、今年の11~12月には、レストランで同社のスタンダードラインのバローロをグラスで飲める機会が増えることだろう。ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世も愛したフォンタナフレッダ社のバローロ。歴史の詰まった、同社の顔と呼ぶべき1本である。
この冬はイタリア初代国王と平民出身の妃の恋物語を思いながら、バローロをグラスで楽しんでみられてはいかがだろうか。
※日本でのキャンペーンにご興味のある飲食店様は、モンテ物産担当営業までお問い合わせください。
モンテ物産
http://www.montebussan.co.jp/
▼フォンタナフレッダ社について詳しくはこちらから↓↓▼
https://www.montebussan.co.jp/wine/FF.html
フォンタナフレッダ社で見学者にワイナリー説明を続けてもう20年(?)になる、オルネッラさんの話し出しは決まってこうだ。
「フォンタナフレッダ社の歴史は、一つの恋物語からスタートします」
そして彼女は、こう説明を続ける。
「1850年頃のお話です。後にイタリアを統一したイタリア建国の父、ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世はとある少女と恋に落ちました。名をローザといいました。」
「当時はひとつのスキャンダルでした。というのもローザは高貴な生まれではなく、王とは身分違いの恋だったためです。」
ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世はサルデーニャ島とピエモンテ州・アオスタ州を勢力基盤としていたサルデーニャ王国の王としてイタリア半島全体を併合し、1861年にイタリア統一の偉業を成し遂げた人だ。実際彼がイタリアを統一するまでイタリア半島は長らくいくつもの国に分かれていて、イタリアという名前も半島を呼び習わす地名に過ぎなかった。歴史上でイタリアという名前の国が初めてできたのはこのヴィットーリオ・エマヌエーレ二世の功績によるもので、そのために現在でもイタリア国民から建国の父と呼ばれ、敬愛されている。そんな彼が身分違いの恋をしたというのが、人間味があってなんとも素敵な話だ。
ローザは当時イタリア領だったニースで生まれた。父親はヴィットーリオ・エマヌエーレ二世の軍隊で鼓手隊長をしていたが、決して上級兵とはいえないただの兵卒だった。
しかし、1847年、14歳のローザの人生に転機が訪れる。当時、父親がピエモンテの王室狩猟地の駐屯部隊に異動していたことがきっかけで、ローザは狩りの途中だったヴィットーリオ・エマヌエーレ王子に偶然出会うこととなるのだ。二人はすぐに恋に落ちる。しかし問題は身分の壁だ。何せ彼女が恋に落ちた相手は、サルデーニャ王国の王子にして将来サルデーニャ国王の座が約束された立場にあり、さらにはその卓越した政治手腕でイタリアを統一して初代国王となる人物で、その一方ローザの家柄は言わば一兵卒に過ぎない。身分の差は明らかだった。
案内役オルネッラさんはこう話を続けてくれる。
「王はローザを深く愛し、周囲の反対を押し切って彼女と結婚する方法を考えました。そしてローザに、王家所有地であったフォンタナフレッダの土地(バローロエリア、現在のワイナリーの所在地)とミラフィオーレの土地(トリノ近くの土地)、それに伯爵夫人の称号を与えることにしたのです。」
こうしてローザは(建前上)伯爵夫人となり、二人は身分違いの恋を成就させた。フォンタナフレッダ社の敷地内には、今もローザの館とよばれる建物が現存していて、王やローザのベッド、ソファーや使っていた食器などが大切に保存されている。
オルネッラさんの説明は続く。
「こうして結婚した王とローザは二人の子を授かりました。ヴィットーリアという女の子とエマヌエーレ・アルベルトという男の子です。しかし二人は、ローザの元の身分を理由に王家の正当な後継者とは認めてもらえませんでした。エマヌエーレ・アルベルトは他の王族と違い、自分で自分の生活費を稼がなくてはいけなかったのです。」
「そこでエマヌエーレ・アルベルトが目をつけたのが、ローザに与えられる前から王家所有地としてワイン造りが行われ、王家御用達のバローロが生み出されていたフォンタナフレッダの土地でした。」
実際、フォンタナフレッダはもともとヴィットーリオ・エマヌエーレ二世の父王がバローロのワインに惚れ込み、王家所有地として購入した土地で、造られたワインはその後実際に王が飲んでいたであろう、正真正銘の「王のバローロ」。バローロが、現在も「王のワイン、ワインの王」と呼ばれる由来は正にこのフォンタナフレッダのバローロにあると言えるのだ。
「エマヌエーレ・アルベルトは、王家御用達のバローロが生み出されていたフォンタナフレッダのワインを世界中に輸出販売することで、自身の生活を成り立たせたわけです。彼は世界市場にバローロを大きく輸出し始めた草分け的な存在で、言わば歴史上初の“バローロ大使”として活躍し、フォンタナフレッダ社のワインは大いに世界に知られることとなりました。これがフォンタナフレッダ社の始まりの物語なのです。」
オルネッラさんはいつもそうやってワイナリーの歴史をニコニコ説明すると、必ず一つのエピソードを付け加える。
「フォンタナフレッダ社には、特別な名前の畑があります。敷地内の最良のエリアの畑の名前は“ラ・ローザ”。建国の父ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世が生涯愛した平民出身の妃の名は、フォンタナフレッダ社が造るトップワインの名前として現在も消えずに残っているのです。」
バローロ“ラ・ローザ”はフォンタナフレッダ社のトップクリュ。女性的な味わいで、バラのような花の香りに甘いスパイス、バニラなどのニュアンスが加わる複雑な香りがあり、非常に滑らかなタンニンとエレガントな味わいは親しみやすさと高貴さを併せ持つ、まさに平民出身ながらも王に生涯愛されたローザを思わせる味わいだ。
フォンタナフレッダ社では毎年、バローロをさらに広めるべく、バローロ・ウィークというキャンペーン(※)を展開している。
日本でも、さすがにトップクリュの「ラ・ローザ」ではないものの、今年の11~12月には、レストランで同社のスタンダードラインのバローロをグラスで飲める機会が増えることだろう。ヴィットーリオ・エマヌエーレ二世も愛したフォンタナフレッダ社のバローロ。歴史の詰まった、同社の顔と呼ぶべき1本である。
この冬はイタリア初代国王と平民出身の妃の恋物語を思いながら、バローロをグラスで楽しんでみられてはいかがだろうか。
※日本でのキャンペーンにご興味のある飲食店様は、モンテ物産担当営業までお問い合わせください。
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