モデナドゥカーレ宮 秘密の醸造室
クリスマスも間近に迫ったモデナ、どの街角にもイルミネーションが点灯し、気忙しい師走の気分が少し和らぐようです。
写真はドゥカーレ宮前の広場よりそんな中、伝統的バルサミコ酢愛好者協会モデナ支部の最後の鑑定会がドゥカーレ宮で行われ、バルサミコ酢醸造室を見学する機会を得たので、ご紹介します。
モデナのpalazzzo ducaleドゥカーレ宮殿は、1634年に建築され、その後2世紀にわたりモデナ、フェラーラ、レッジョエミリアを治めていたエステ家の宮廷として使用されました。
その西側のプラート塔は(写真左側)1747年に公爵のバルサミコ酢の樽が移され、ここで歴史の公文書で初めてバルサミコの名が使用されました。
その後イタリア統一でモデナ公国が無くなるまで、バルサミコ酢の醸造室として使用されていました。その樽の数は36樽ほどだったと言いますが、現在のバルサミコ酢を醸造する樽から比べると随分サイズの大きいものが保管されていたようです。
残念ながら、バルサミコ酢の樽は1796年にナポレオンが軍資金集めのために競売にかけたり、イタリア統一の際、勝者であるサボイア家に奪われ、トリノのモンカリエーリに運ばれて行ったものもあるようですが、運搬中の破損、気候の違いなどで、全くバルサミコ酢とはお呼びのつかないようなものになってしまったりと雲散霧消。公爵の衰退と共に、バルサミコ酢も歴史の波にのまれたのでした。
現在展示されている樽は1990年代に新しく寄付された物で、残念ながらエステ公爵家の樽は何一つ残っていませんが、当時の醸造室に想いを馳せることができます。
このプラート塔、地上30m、天井が6m以上の高さとのこと、大きな貯蔵室で、壁の厚さも厚く、内側から二つの鉄の閂がかかるようになっており、敵の襲撃など緊急時に公爵が隠れるスペースとしても用いられていたそうです。
公と同じぐらいバルサミコ酢が重要であったという証のように思えます。
こんなに分厚い壁
贅を極め、バルサミコ酢という至極の酢を作りはじめたエステ家。その一族はもうモデナに在住しなくなりましたが、バルサミコ酢を作る伝統はひっそりと息づいているのです。王侯貴族の趣味として始まった伝統的製法のバルサミコ酢のルーツである公爵家の醸造室は
今なおバルサミコ酢の醸造室を持つことがモデナ人の誇りであるという事をおっしゃっていたバルサミコ酢愛好者協会会長の言葉が誇張でない事を目の当たりにしたように思いました。
今回の醸造室の見学はバルサミコ酢愛好者協会のための特別公開とのことで、建物の中に入るのも事前のIDカードの届け、当日の入館チェック、各グループに専属の士官がつくなど物々しい警備でした。
現在ドゥカーレ宮は軍学校の施設となっているため、土日の決まった時間帯のガイド付きツアーの事前申し込みが必要です。
イタリア語ガイドが主ですが、20名を超える場合は英語通訳の要請も可能です。
バルサミコ酢の醸造室の一般公開は建物の安全性の面などから残念ながらされていませんので悪しからず。
ドゥカーレ宮ツアーお申し込みはこちらから
https://www.visitmodena.it/it/informazioni-turistiche/scopri-il-territorio/arte-e-cultura/ville-dimore-teatri-storici/palazzo-ducale-accademia-militare
我が家のバルサミコ酢醸造室を見にいらっしゃいませんか?
見学試飲や、郷土料理のお食事会、お料理教室などご相談に応じます。グループでいらっしゃる方にはイタリア好きVol .36で紹介されたMirkoシェフを呼んでのお食事会などもオーガナイズいたします。
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それでは皆さん良いクリスマスと良いお年をお迎えください。