イタリア料理の中で、食材の王様といえば何を思い浮かべるだろうか。トリュフ?ポルチーニ?
きっと中部イタリアの方たちに聞けば、多くの人がこう答えることだろう。
「“クラテッロ・ディ・ズィベッロ”だよ」と。
パルマとクレモナの間を流れるイタリア最長の川、ポー川の近くにズィベッロ村がある。パルマから北西に車で40分ほどの距離。言うまでもなく“クラテッロ・ディ・ズィベッロ(以下クラテッロ)”の生産中心地だ。この街には伝統製法を守ってクラテッロを生産するモントルシ社のズィベッロ工場がひっそりと佇んでいる。
「パルマというとパルマ産生ハム“プロッシュット・ディ・パルマ”が有名だろう。でもクラテッロは全くの別物だよ。」
モントルシ社のズィベッロ工場長、アントニオさんはこう切り出した。
▲ズィベッロ工場長のアントニオさん。
「クラテッロは、腿肉を丸ごと使うパルマ産生ハムやその他の一般的なプロシュット(生ハム)と違って、腿肉の中心部分にある特に柔らかい最上の部位を切り出し熟成させるのだが、その他にも産地とその環境の大きな違いもある。まず、パルマ産生ハムが特別な理由は、パルマ県の中でも南側のランギラーノの町周辺から西に広がる山間のエリアでしか作れないからだ。独特の気候で、山風が吹き湿度が低く保たれるから大きな腿肉を丸ごと乾燥・熟成させること5が出来る。一方で、僕らのいるズィベッロ村ではパルマ産生ハムは作れないんだ。山の谷あいに広がるランギラーノと違い、このあたりは平野で湿度も高い。もともとの歴史はパルマ産生ハムのほうが長いんだが、それにならって同じように腿肉を丸ごと乾燥・熟成させようとしても、湿度が高すぎて上手くいかないんだよ。」
「そんな環境のズィベッロ村だからこそ、腿肉の上質な中心部分だけを取り出すというクラテッロ作りが始まったのだろうね。腿肉丸ごとに比べれば小ぶりで、ズィベッロ村の熟成環境にはちょうどいい大きさだ。」
アントニオさんはそう言うが、モントルシ社工場内のクラテッロになる生肉を見せてもらうと、十分に大きい。これが腿肉の中心部分と考えると、豚の大きさは相当なものだろう。大きく育った豚の中でも最高の部位に塩コショウをし、数週間冷蔵で寝かせる。その後、豚の膀胱の袋にこの肉を詰めて縫い合わせ、更に外側に紐を網目状に締めて吊るして熟成させる。製造工程はシンプルだ。
「クラテッロが作られ始めたのがいつ頃かは定かではないけれど、昔からクラテッロは豚肉で作られるありとあらゆる加工品の中で最高級だった。実際、ズィベッロ村では各家庭で自家製のクラテッロを作っていて、出来上がったクラテッロ一本で仔豚が一頭買えるほどの価値があったんだ。僕の家もそうさ。おじいさんの代までは、家でクラテッロを作っては、クラテッロ一本と仔豚を交換してまた次のクラテッロを作る、そんな風に生活を営んできたんだよ。」
現在クラテッロ・ディ・ズィベッロが生産できるのはズィベッロ村を含む8つの村のみで、生産者も全部で22社しか存在しない。年間生産量はたったの6万本。貴重なパルマ産生ハムですら年間800万本以上生産されている。クラテッロが『幻の生ハム』と呼ばれる理由はここにある。
アントニオさんは熟成庫内のクラテッロも見せてくれた。
「熟成が終わると、こうやって木槌でクラテッロを叩いて、音で品質を確認するんだ。三つの筋肉が集まっている部分を切り出しているから、熟成中に筋肉同士が離れて中に空洞が出来てしまう不良品が発生することもある。そういう時は少し高く抜けたような音がするね。それを一つ一つ確認して良いものだけを出荷するんだよ。」
アントニオさんが「これは大きな空洞がある」と言って叩いたものは音が少し高くなったことに気がついたが、「これはとても小さな空洞がある」といって叩いた時には違いがわからなかった。何度も比べてみてようやく、言われてみれば違うかもしれない、という程度の差だ。クラテッロを作る職人は、このわずかな違いも聴き分ける能力も持っていなければならないだろう。
こうやって出来たクラテッロ。この日はズィベッロ村の名店『トラットリア・ラ・ブーカ』で味を見させてもらった。
イタリアの生ハム類は熟成中に生まれる甘みと口の中に残る余韻の長さが特徴的だが、クラテッロは特にこの肉の甘さに深みがあり、より長い余韻を楽しめる。しっとりとした口当たり、適度な塩味と熟成した生ハムの旨みが凝縮されていて、噛めば噛むほどこれらが口の中で何重にも重なって、その味わいはまさに“食材の王”と呼ぶにふさわしい。
ちなみにズィベッロでは写真の通り、バターを添えて食べるのが一般的。贅沢だがパンにバターとクラテッロをはさんで食べるのも絶品だ。
世界中で毎年たったの6万本しか生産されないクラテッロ。日本に入ってくるのは年間何本だろう。文字通り“幻の”生ハム、クラテッロ・ディ・ズィベッロ。もし見かける機会があったら、是非一度味わってみて頂きたい。最高級の味わいにやみつきになってしまうかもしれないが。
※有名なトラットリア・ラ・ブーカの名物おかみ、ミリアムおばあちゃんが今年6月2日に他界されました。レストランに来る皆に愛を持って接して下さる素敵な方でした。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
きっと中部イタリアの方たちに聞けば、多くの人がこう答えることだろう。
「“クラテッロ・ディ・ズィベッロ”だよ」と。
パルマとクレモナの間を流れるイタリア最長の川、ポー川の近くにズィベッロ村がある。パルマから北西に車で40分ほどの距離。言うまでもなく“クラテッロ・ディ・ズィベッロ(以下クラテッロ)”の生産中心地だ。この街には伝統製法を守ってクラテッロを生産するモントルシ社のズィベッロ工場がひっそりと佇んでいる。
「パルマというとパルマ産生ハム“プロッシュット・ディ・パルマ”が有名だろう。でもクラテッロは全くの別物だよ。」
モントルシ社のズィベッロ工場長、アントニオさんはこう切り出した。
「クラテッロは、腿肉を丸ごと使うパルマ産生ハムやその他の一般的なプロシュット(生ハム)と違って、腿肉の中心部分にある特に柔らかい最上の部位を切り出し熟成させるのだが、その他にも産地とその環境の大きな違いもある。まず、パルマ産生ハムが特別な理由は、パルマ県の中でも南側のランギラーノの町周辺から西に広がる山間のエリアでしか作れないからだ。独特の気候で、山風が吹き湿度が低く保たれるから大きな腿肉を丸ごと乾燥・熟成させること5が出来る。一方で、僕らのいるズィベッロ村ではパルマ産生ハムは作れないんだ。山の谷あいに広がるランギラーノと違い、このあたりは平野で湿度も高い。もともとの歴史はパルマ産生ハムのほうが長いんだが、それにならって同じように腿肉を丸ごと乾燥・熟成させようとしても、湿度が高すぎて上手くいかないんだよ。」
「そんな環境のズィベッロ村だからこそ、腿肉の上質な中心部分だけを取り出すというクラテッロ作りが始まったのだろうね。腿肉丸ごとに比べれば小ぶりで、ズィベッロ村の熟成環境にはちょうどいい大きさだ。」
アントニオさんはそう言うが、モントルシ社工場内のクラテッロになる生肉を見せてもらうと、十分に大きい。これが腿肉の中心部分と考えると、豚の大きさは相当なものだろう。大きく育った豚の中でも最高の部位に塩コショウをし、数週間冷蔵で寝かせる。その後、豚の膀胱の袋にこの肉を詰めて縫い合わせ、更に外側に紐を網目状に締めて吊るして熟成させる。製造工程はシンプルだ。
「クラテッロが作られ始めたのがいつ頃かは定かではないけれど、昔からクラテッロは豚肉で作られるありとあらゆる加工品の中で最高級だった。実際、ズィベッロ村では各家庭で自家製のクラテッロを作っていて、出来上がったクラテッロ一本で仔豚が一頭買えるほどの価値があったんだ。僕の家もそうさ。おじいさんの代までは、家でクラテッロを作っては、クラテッロ一本と仔豚を交換してまた次のクラテッロを作る、そんな風に生活を営んできたんだよ。」
現在クラテッロ・ディ・ズィベッロが生産できるのはズィベッロ村を含む8つの村のみで、生産者も全部で22社しか存在しない。年間生産量はたったの6万本。貴重なパルマ産生ハムですら年間800万本以上生産されている。クラテッロが『幻の生ハム』と呼ばれる理由はここにある。
アントニオさんは熟成庫内のクラテッロも見せてくれた。
アントニオさんが「これは大きな空洞がある」と言って叩いたものは音が少し高くなったことに気がついたが、「これはとても小さな空洞がある」といって叩いた時には違いがわからなかった。何度も比べてみてようやく、言われてみれば違うかもしれない、という程度の差だ。クラテッロを作る職人は、このわずかな違いも聴き分ける能力も持っていなければならないだろう。
こうやって出来たクラテッロ。この日はズィベッロ村の名店『トラットリア・ラ・ブーカ』で味を見させてもらった。
イタリアの生ハム類は熟成中に生まれる甘みと口の中に残る余韻の長さが特徴的だが、クラテッロは特にこの肉の甘さに深みがあり、より長い余韻を楽しめる。しっとりとした口当たり、適度な塩味と熟成した生ハムの旨みが凝縮されていて、噛めば噛むほどこれらが口の中で何重にも重なって、その味わいはまさに“食材の王”と呼ぶにふさわしい。
ちなみにズィベッロでは写真の通り、バターを添えて食べるのが一般的。贅沢だがパンにバターとクラテッロをはさんで食べるのも絶品だ。
世界中で毎年たったの6万本しか生産されないクラテッロ。日本に入ってくるのは年間何本だろう。文字通り“幻の”生ハム、クラテッロ・ディ・ズィベッロ。もし見かける機会があったら、是非一度味わってみて頂きたい。最高級の味わいにやみつきになってしまうかもしれないが。
※有名なトラットリア・ラ・ブーカの名物おかみ、ミリアムおばあちゃんが今年6月2日に他界されました。レストランに来る皆に愛を持って接して下さる素敵な方でした。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。