ハーブを使ったイタリアの修道院のレシピたち
皆さんこんにちは!
今日は、ここ最近の私の食のキーワードである、イタリアの修道院の食文化について触れてみようかと思います。と言うのも先日、以前から著書を読ませていただき、一度お会いしたいと夢見ていた食文化研究者のTommaso Lucchettiさんのセミナーにやっと参加することができたためなんです。
彼は宗教に絡んだ食文化や修道院のレシピ本などを多数書かれていて、今回のセミナーではキリスト教ベネデッテイーノ(ベネデイクト)派の食文化についてお話をしてくださいました。
このベネデッテイーノ派の活動は、現在のイタリアにおける薬草学の原点であり、いわゆるハーブの栽培が修道院で行われるようになったはじめの宗派と言われています。ハーブは染色用、ハーブテイー用、軟膏用、そしてリキュール製造用(アルコール類、取り分けワインは中世では薬とされていました)に分けられ、修道女の仕事も”看護師”と”薬草の栽培と加工”担当に役割がはっきり分かれていたと言われています。ではどのように薬用ハーブを栽培するに至ったのでしょう。
ノルチャの聖ベネデイクトは、紀元後480年に生まれた聖人で、ローマで行政官になるための勉強をしていましたが、17歳で学問を捨てて神の道に入ります。砂漠で苦行をしたキリストの精神世界に少しでも歩み寄ろうと、山奥に籠り、ストイックな環境に身を置き、食事は山にある木の実や山菜を加熱せずに食すという当時の文明からは程遠い生活をしていたそうです。そんな彼の生き方に感化された多くの人も、彼に習い深い山で野生に近い生活を試みますが、食べることの出来る野草を理解するというものも学が必要なもの、毒性のあるものを食べてしまい命を落とす者もいたり、体調を崩し看病が必要な者が出たりと、崇拝者が増えれば増えるほど、1箇所に拠点を設ける必要性が生まれ、遂に修道院を設立します。修道院とは修道士や修道女の生活を管理する他、遠方からの巡礼者を受け入れたり、病気のものを招き入れて看病したりといういわゆる病院のような役割も果たしていましたので、食物となる作物や薬用に使われるハーブを栽培する必要が生まれ、これが今日の薬草学の原点となったという訳です。
さてそんな説明をトマソさんにして頂いたあと、お楽しみのお食事です。
マルケ州の修道院をはじめ、イタリア各地から集められたレシピから作られたお料理が並び、その多くはハーブが使われているものでした。中にはあの有名なヒルデガルドが考案したサラダもありました!
まずはこちら。
“Acqua cieca”~盲目の水~と呼ばれる1品。
野生のチコリ、トマト、ニンニク、オリーブオイル、パン、塩。
シンプルな味は現代のイタリア料理からさほど遠くなく、美味しく頂けました🎶
カステル•リタルデイという町のサンタカテリーナ修道院のレシピです。
次はこちら。
“Fave bollite e condite “~茹でそらまめの和えもの~•••ボッビオ修道院
“Crostini alla borragine”~ボリジのクロステイーニ”•••サンタンジェロ.イン.パンターノ修道院
こちらの2品にも、野生のフェンネルやオフィシナルのボリジが使われており、大変美味しいかったです。
“Raviole rotte”~壊れたラビオリ~
フダンソウやチーズがたっぷり入った小さなボール状の1品。サンタマリア•デッラ•ネーヴェ修道院
“Salsa ai capperi”~ケッパー入りソース~
ローマンミント、ニンニク、アーモンド、酢に浸けたパン粉、レモン汁。こちらも美味しくいただきました。
サンタンジェロ•イン•ポンターノ修道院
“Insalata secondo santa Ildegarda”~ヒルデガルド風サラダ~
私の大好きなワイルドレタス(Lactuca virosa)やバジル、パセリ、オリーブやゆで卵などが入っており、大変美味しかったです。ヒルデガルドさんもベネデッテイーノ派だったとは💕何だか嬉しい。
“Timballo di zucca “~カボチャのテインバッロ~
カボチャに野生のフェンネルと玉ねぎやパセリ、シナモンや卵などを加えたリッチな1品。当時は大変な高級品だったシナモンの存在が、特別な時の料理だったことを物語っています。
参加者の皆さんと先生を囲んで和気あいあいとお食事…ハーブの話しにも花が咲きます。
今回のセミナーで修道院がどれだけ学校や病院のような役割をしてきたか、またレシピをドキュメントとして残してこれている、という点でも読み書きの出来た彼らは、食文化の後継にとても貢献しているのだな~と強く感じました。
これからも小さなライフワークとして少しずつ勉強していきたいと思います!
また更にデイープでマイナーな情報をお伝えしていきますね。それでは、また次回に!
今日は、ここ最近の私の食のキーワードである、イタリアの修道院の食文化について触れてみようかと思います。と言うのも先日、以前から著書を読ませていただき、一度お会いしたいと夢見ていた食文化研究者のTommaso Lucchettiさんのセミナーにやっと参加することができたためなんです。
彼は宗教に絡んだ食文化や修道院のレシピ本などを多数書かれていて、今回のセミナーではキリスト教ベネデッテイーノ(ベネデイクト)派の食文化についてお話をしてくださいました。
このベネデッテイーノ派の活動は、現在のイタリアにおける薬草学の原点であり、いわゆるハーブの栽培が修道院で行われるようになったはじめの宗派と言われています。ハーブは染色用、ハーブテイー用、軟膏用、そしてリキュール製造用(アルコール類、取り分けワインは中世では薬とされていました)に分けられ、修道女の仕事も”看護師”と”薬草の栽培と加工”担当に役割がはっきり分かれていたと言われています。ではどのように薬用ハーブを栽培するに至ったのでしょう。
ノルチャの聖ベネデイクトは、紀元後480年に生まれた聖人で、ローマで行政官になるための勉強をしていましたが、17歳で学問を捨てて神の道に入ります。砂漠で苦行をしたキリストの精神世界に少しでも歩み寄ろうと、山奥に籠り、ストイックな環境に身を置き、食事は山にある木の実や山菜を加熱せずに食すという当時の文明からは程遠い生活をしていたそうです。そんな彼の生き方に感化された多くの人も、彼に習い深い山で野生に近い生活を試みますが、食べることの出来る野草を理解するというものも学が必要なもの、毒性のあるものを食べてしまい命を落とす者もいたり、体調を崩し看病が必要な者が出たりと、崇拝者が増えれば増えるほど、1箇所に拠点を設ける必要性が生まれ、遂に修道院を設立します。修道院とは修道士や修道女の生活を管理する他、遠方からの巡礼者を受け入れたり、病気のものを招き入れて看病したりといういわゆる病院のような役割も果たしていましたので、食物となる作物や薬用に使われるハーブを栽培する必要が生まれ、これが今日の薬草学の原点となったという訳です。
さてそんな説明をトマソさんにして頂いたあと、お楽しみのお食事です。
マルケ州の修道院をはじめ、イタリア各地から集められたレシピから作られたお料理が並び、その多くはハーブが使われているものでした。中にはあの有名なヒルデガルドが考案したサラダもありました!
まずはこちら。
“Acqua cieca”~盲目の水~と呼ばれる1品。
野生のチコリ、トマト、ニンニク、オリーブオイル、パン、塩。
シンプルな味は現代のイタリア料理からさほど遠くなく、美味しく頂けました🎶
カステル•リタルデイという町のサンタカテリーナ修道院のレシピです。
次はこちら。
“Fave bollite e condite “~茹でそらまめの和えもの~•••ボッビオ修道院
“Crostini alla borragine”~ボリジのクロステイーニ”•••サンタンジェロ.イン.パンターノ修道院
こちらの2品にも、野生のフェンネルやオフィシナルのボリジが使われており、大変美味しいかったです。
“Raviole rotte”~壊れたラビオリ~
フダンソウやチーズがたっぷり入った小さなボール状の1品。サンタマリア•デッラ•ネーヴェ修道院
“Salsa ai capperi”~ケッパー入りソース~
ローマンミント、ニンニク、アーモンド、酢に浸けたパン粉、レモン汁。こちらも美味しくいただきました。
サンタンジェロ•イン•ポンターノ修道院
“Insalata secondo santa Ildegarda”~ヒルデガルド風サラダ~
私の大好きなワイルドレタス(Lactuca virosa)やバジル、パセリ、オリーブやゆで卵などが入っており、大変美味しかったです。ヒルデガルドさんもベネデッテイーノ派だったとは💕何だか嬉しい。
“Timballo di zucca “~カボチャのテインバッロ~
カボチャに野生のフェンネルと玉ねぎやパセリ、シナモンや卵などを加えたリッチな1品。当時は大変な高級品だったシナモンの存在が、特別な時の料理だったことを物語っています。
参加者の皆さんと先生を囲んで和気あいあいとお食事…ハーブの話しにも花が咲きます。
今回のセミナーで修道院がどれだけ学校や病院のような役割をしてきたか、またレシピをドキュメントとして残してこれている、という点でも読み書きの出来た彼らは、食文化の後継にとても貢献しているのだな~と強く感じました。
これからも小さなライフワークとして少しずつ勉強していきたいと思います!
また更にデイープでマイナーな情報をお伝えしていきますね。それでは、また次回に!