お料理説明・背景
伝統にのっとれば、12月8日の祝日にプレセーペ(キリスト降誕の人形飾り)を飾って、ナターレ(クリスマス)シーズンが始まる。マテーラの方言なので、へんてこな響きのポルチッドゥッツィはこの時期のお菓子で、日持ちがするため、少しずつくり置きしてはナターレを待った。祖母がつくっていたという人が多い。
マンマが、という声を聞かないのは、少々素朴過ぎる伝統菓子は一概に、喜んで食べる人も減っているのであろう。マテーラでもナターレと言えば今やパネットーネである。そんな事情もあってドルチェは端から選択肢にはなかったのだが、ナスタッシアならば話は変わってくる。彼女との出会いはちょっとした衝撃だった。
40歳を迎えた友人が80人を招いて誕生日会を開いた時のこと、しかるべき時刻に、やおらケーキが丸で八種並んだ。それが目を見開くほどおいしいものだから、次から次へと味見してしまった。ドルチェが得意な人がいて、全部一人でつくったという。それがナスタッシアだった。
とはいえ、まあ定番のりんごのトルタのレシピでも…... とタカをくくっていた日本人に、5児の母にして、未だ若きナスタッシアは、「ポルチッドゥッツィは?」と返してきた。「ポル…... ?」彼女は伝統菓子にも造詣が深いのだった。
実のところ、マテーラでナターレのお菓子といえば揚げ菓子の“カルテッラーテ”で、郷土料理の本には必ず登場するし、12月に入れば申し訳程度にでも店頭にも並び始める。ナスタッシアによれば、余ったカルテッラーテの生地から、即興で生まれたものか、時短を意図してか、いずれにしろ「本家」から派生したのが、ポルチッドゥッツィらしい。生地のレシピは全く一緒なのだ。
見ている分には、随分簡単そうに生地を仕上げたナスタッシアが、家じゅうに集合をかける。一人また一人とキッチンに入って来た子ども達は、ポルチッドゥッツィと聞いただけで、おもむろに生地を丸めだす。
そうなのだ、粘土遊びのあの要領だから、小さな子にも、不器用ですから自分…...という人にも余裕でつくれてしまう。「本家」ではこうはいかない。半ばふざけたり、大きさを見比べたりしながら、家族全員でおんなじ作業をする。そこに午餐に到着したゲストも、「あら、ポルチッドゥッチィね」と丸めだす。
この日、10人で夢中になって丸めても1時間ほどはかかったろうか。なんだか途方もなく満ち足りた時間に立ち会ってしまったと思った。それはマテーラ人がつないできた文化でもある。
一粒とって、味見させてもらう。遠い記憶を呼び覚ます懐かしい味は、今ドキの子ども達にも好評なのだった。できあがったものしか見ないと判断を誤る。これはみんなでつくる時間もまるごと味わうお菓子なのだ。
2003年渡伊、同年よりマテーラ在住。数々のTV番組のコーディネートや取材コーディネーター、翻訳、寄稿(伊語/日本語)を軸に、地域のよろずプロモーター(でありたい)として活動。
作り方
- 薄力粉にワインを加えて捏ね、パスタ生地のようなしっかりした生地にする。(写真a,b 参照)
- 打ち粉をし、1を少量ずつ、手先で紐状にしてから、ナイフで8mmほどの粒にカットしていく。ころころと転がして、多少ボール状に整えてもよい。大きさもあくまで目安。大小が混ざっても大丈夫。(写真c 参照)
- 高温に熱した油できつね色に揚げる。キッチンペーパーに取って油を切る。(写真d 参照)
(※この状態で、缶などの保存容器に入れ、乾燥した場所で20日ほど保存できる。) - 厚手の小鍋にはちみつを入れ、ごく弱火で溶かす。すぐに溶けるので、3を適宜(食べ切る分だけ)加え、弱火のまま、手早く全体に絡めたら、火を止める。(写真e 参照)
- 4を山高に盛りつけ、スプレーチョコをちらす。シナモンを一振りし、レモンの皮をおろし金ですりおろしてサーブする。